2013年 フランスがマリに軍事介入アフリカのマリ共和国では前年の2012年3月に首都バマコでクーデターが発生。複数のイスラム過激派によるマリ北部の制圧が進み、マリ暫定政府の統治は南部に限られていた。国連安全保障理事会は2012年12月に、国際部隊による軍事介入を認める決議を採択しており、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は合同軍の派遣を決めている。 2013年1月、北部の過激派が南部(注:首都バマコは南部にある。)に向かって進攻をはじめたことから、旧宗主国のフランスはマリ政府の要請を受けて、2013年1月11日にマリでの空爆を行いマリへの軍事介入を開始した。米国もこれを支持している。 1月11日、マリのトラオレ暫定大統領は、全土に非常事態を宣言。フランスの軍事支援を受けたマリ政府軍は、1月11日、過激派が占拠する中部の戦略的要衝を奪還したと発表した。 武装勢力側は、リビア内戦の際にリビアから流出した武器などで武装している模様で、予想以上に近代的な兵器を使いこなしているという。 フランス軍は1月12日も空からの攻撃を続け、1月13日には初めて北部地域(主要都市ガオなど)を空爆した。また、マリの北に位置するアルジェリアは、1月13日、仏軍機の領空通過を承認した。 1月16日、フランス軍は地上作戦により、中部ディアバリで武装勢力と交戦に入った。 フランス軍は西アフリカ諸国の軍と協力して、マリ北部のイスラム過激派武装勢力の拠点を次々に制圧した。2013年2月1日までに北部の要衝キダルをほぼ制圧し、これで北部の主要都市は全て奪還した。 過激派の大部分が砂漠地帯に逃走したとみられる。 今後は周辺国で構成される8千人規模の多国籍部隊に軍事作戦を引き継ぐ方針だという。 【LINK】 ![]() ![]() 注:アルジェリアの事件での最終的な日本人の死亡者は10人、生存者は7人です。 ![]() ![]() ![]() ![]() 参考文献 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() その他ニュース報道 更新 2013/2/8 |