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「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」
Godzilla: King of the Monsters

2019年・アメリカ
○監督:マイケル=ドハティ○脚本:マックス=ボレンスタイン/マイケル=ドハティ/ザック=シールズ○撮影:ローレンス=シャー〇音楽:ベアー=マクレアリー〇製作:トーマス=タル/ジョン=ジャシュニ/メアリー=ペアレント/ブライアン=ロジャーズ
カイル=チャンドラー(マーク・ラッセル)、ヴェラ=ファーミガ(エマ・ラセル)、ミリー=ボビー=ブラウン(マディソン)、渡辺謙(芹沢猪四郎)、チャン=ツィイー(アイリス/リン)、チャールズ=ダンス(アラン)ほか




 レジェンダリー版「ゴジラ」の第二作。早いものでレジェンダリー版「GODZILLA ゴジラ」からもう5年経つのだ。最初のハリウッド版ゴジラのトライスター版の公開からはなんと20年も経つ。あれが酷評されたあとでのレジェンダリー版はおおむね好評でこの二作目に続けたわけだが、実はレジェンダリー映画はゴジラだけでなく怪獣オールスター、クロスオーバーのシリーズ、要するにマーベルやDCのコミックヒーロー映画のそれを怪獣でやってやて、ということで進めていて、第一作が「GODZILLA ゴジラ」でその次が「キングコング 髑髏嶋の巨神」で、この「キング・オブ・モンスターズ」は第三作目ということになるのだった。僕は「髑髏島」は未見で、そんな計画など知らずにこれを見たのだが、劇中でキングコングもちょこっと出ていたし、次回作はキングコングとの対決とすでに聞いてはいた。

 事前に盛大にアナウンスされていたが、本作ではゴジラだけでなく、モスラとラドン、そしてキングギドラまでが登場する。もちろん東宝からの「貸出出演」であり、この顔ぶれなら「三大怪獣 地球最大の決戦」みたいなことになるのは明白だった。で、見終えてみるとやっぱりそうなってたし、そもそも映画のあっちこっちに東宝ゴジラシリーズを思わせる設定や展開が多い。逆に言えば、かつての東宝の怪獣映画群って、いまハリウッドでやってるコミックヒーロー映画群みたいなもんだったんだな。

 さて本作は、2014年の「ゴジラ」から直結していて、前作で登場した芹沢猪四郎博士(演;渡辺謙)らが所属する怪獣追跡組織「モナーク」がまた登場している。本作ではさらにチャン=ツィイーも参戦しきて、東アジア的に豪華感ありあり(もっとも僕がボンヤリ見ていたからか、ツィイーが双子設定というのは気が付かなかった)。ついでに言えば、画面には映らないものの監督のマイケル=ドハティはベトナム系のハーフで、撮影風景みるとますます東アジア色が濃い。この監督も子供の時から東宝怪獣映画をテレビで見て育ったそうで、その辺もこの映画の「東宝っぽさ」に反映してるんだろう。
 
 怪獣追跡組織「モナーク」だが、彼らの活動に国連で疑問符がつきつけられてる場面から映画は始まる。まぁ確かに、彼らの活動のせいで怪獣たちが暴れて被害が出てるようにも思えるわけで…「怪獣たちをペットにでもするのか」との問いに芹沢が「いや、ペットにされるのは我々だ」と皮肉っぽく答える場面、予告編でも印象的だったな。
 一方、今度の映画では「ラッセル一家」の三人が物語の中心になっている。マーク(演:カイル=チャンドラー)とエマ(演:ヴェラ=ファーミガ)の夫婦はそろってモナークに属していた怪獣研究の博士なのだが、前作の大災害で息子を死なせたためマークはモナークを脱退、エマはモナークに属し続けて娘のマディソン(演:ミリー=ボビー=ブラウン)と共に暮らして夫とは別居中。
 こういう一家の再生ばなしを絡めるのは近頃のハリウッド映画、ことに怪獣とかSFとか大仕掛けなパニックものの定番だが(日本の怪獣映画だと「モスラVSゴジラ」がこれだった。「シン・ゴジラ」は逆に徹底排除したけど)、本作はそこがちょっこっとパターンを外してみせてるところもある。

 エマとマディソンは怪獣とのコンタクトを可能にする「オルカ」という機械を作り出し、中国・雲南省のモナーク基地にいるモスラ幼虫とのコンタクトに成功する。が、その直後に環境テロリストのアラン(演:チャールズ=ダンス)が率いる傭兵部隊が基地を襲い、エマとマディソン、そして「オルカ」を奪取してしまう。芹沢達から妻と娘がさらわれたことを知ったマークはモナークに復帰、アラン達と対決することになる。
 本作の人間ドラマ部分で「敵」となるのが、環境テロリストというのは新鮮だった。というか、怪獣映画でこういうのを持って来るか、と。 人間よりも先に地球上に存在した生命である怪獣たちを操って文明社会をぶっ壊そう、ということらしいのだが、キングギドラって異星人とか未来人とかに操られてる設定多かったんだよな。
 そうそう、そのキングギドラは南極の氷の下にいて、それがアランによって解き放たれてしまう。キングギドラのことを「モンスターゼロ」と呼んでいるのも東宝の「怪獣大戦争」からの流用で、オールドファンをニヤニヤさせる。また映画の途中からキングギドラはどうやら地球外生物らしいという話にもなっていて、これまた東宝怪獣映画における設定をちゃんと踏襲している。

 ちゃんと踏襲、といえば、ゴジラとキングギドラをもろとも始末してやれと人類が使う兵器がそのまんま「オキシジェン・デストロイヤー」というネタまであった。モスラもラドンも登場してゴジラともどもキングギドラ相手に大決闘、って展開も「三大怪獣」そのまんま。ただ、こっちでは地球スケールであちこちに他の怪獣が出現、最終的にはタイトルの通りでゴジラが「キング・オブ・モンスターズ」の貫録を示すことになる。前作の「ゴジラ」でも思ったことだが、レジェンダリー版のゴジラは「神」の領域に踏み込みすぎちゃって、僕にはその強すぎぶりがどうも好きになれないんだよな。トライスター版のだらしなさの反動で強いキャラになってるのかもしれんが、なんというか、近寄りがたくなりすぎで。

 CG怪獣たちだけに、ラストへ向けての都市大破壊つきの大バトルは確かに凄かったんだが、前作や「パシフィック・リム」同様に本作でも決戦がなせか夜に行われているので、何が起きているのか分かりにくい。夜の方が迫力はあるし、たぶんだけどCG作る上でも何かメリットがあるんじゃないかと思うのだが、夜行性じゃないんだから少しは真昼間に暴れてくれてもいいんじゃないかと。それをやると嘘っぽくなってしまうということもあるのかな。
 今回のクライマックスは盛大にやりすぎちゃって、満腹感はあったけど正直食い疲れもした、という感想。その辺が、黒澤明の言葉にあった「日本映画はお茶漬けサラサラ」ということなのか。僕はお茶漬けの方がいいのかなぁ(笑)。

 怪獣映画はクライマックスで怪獣たちのバトルの陰で人間ドラマをどう展開するかが難しいところなのだが、本作では怪獣たちがバトルする中で主人公一家が必死に逃げ回る展開に。僕は劇場では吹き替え版で見たのだが、マディソンの声は芦田愛菜があてていたため、「パシフィック・リム」に続いて怪獣から逃げ回ることになっちゃったな(声だけだけど)と、怪獣映画どうしの思わぬつながりにニヤついたものだ。

(以下、ちょっとネタバレ込みの話題)






 渡辺謙の「芹沢博士」、その名前の由来を彷彿とさせる退場の仕方となった。「さらば、わが友よ」(吹き替え版では当人があてていた)のセリフもカッコイイとは思うんだけど、実のところこういう退場の仕方になるドラマ的必然性を感じなかったな。しかもほとんど無意味でしょ、結果的に。これ、あくまで勝手な憶測なんだけど、謙サンがこの二本目で降板、って要求したんじゃないのかなぁ。前作の時も「久々にハリウッド映画と思ったらゴジラで」とか、やや乗り気でないようなコメントもあったんだよな。「オリジナルの国の俳優として」と前作では存在感あったが、本作ではただ死ぬためだけに出てきたような感じもあって…シリーズがどんどん続く予定なので、ずっとつきあってもいられない、ってことだったのかもしれない。
 パンフによるとマークとマディソンの父娘、および本作のラストでさらなる陰謀をめぐらせるアランは次作「ゴジラVSコング」に続投することになってるそうだが、アメリカでのゴジラとキングコングのリターンマッチがどうなるのかはやっぱり期待してしまう。日本版同様に昼間に戦ってほしい気もするけど。(2019/10/2)





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