PCエンジンDUO

ジャンル:ハードウェア
媒体:本体
発売元:NECホームエレクトロニクス
発売:1991年9月21日
価格:59800円
商品番号:PI-TG8


商品外見◆SCD一体化マシン、ついに登場!

 1991年はPCエンジンの大きな転機になった年だ。1987年秋に始まったPCエンジンもすでに4年目、先進的な設計のマシンではあったが当初主力だったHuCARDによるアーケード移植作(主にシューティングゲーム)も技術的にも売り上げ的にも頭打ち状態になり、前年年末には任天堂が16ビット機「スーパーファミコン」を発売して一挙にシェアを確保してしまい、PCエンジンは先端マシンの地位を失いつつあった。89年から90年にかけて廉価版「PCエンジンシャトル」や上位互換機「PCエンジンSUPERGRAFX」、さらには携帯型「PCエンジンGT」といった複数並行路線もとってみたがいずれも失敗に終わり、PCエンジンのライバル機に対する優位性はCD-ROM2システムのみと言ってよかった。

 それならば、と打ち出されたのがPCエンジンをCD-ROMマシンに特化させるという方向である。従来のCD-ROM2システムではバッファRAMの少なさに難があったのでバッファRAMを4倍の2Mビットに拡張した「SUPER CD-ROM2」へのバージョンアップが決定され、従来のCD-ROM2システム所有者にはシステムカードのバージョンアップ「スーパーシステムカード」で対応、「白PC」「コアグラ」「SG」といった本体のみ所有者向けにはドライブのみのハード「スーパーCD-ROM2」で対応することにした。そして新規顧客獲得のためのメインマシンとして大々的に発売されたのが、最初からCD-ROMドライブを一体化させた、この「PCエンジンDUO」だった。「DUO(デュオ)」というシャレた名前はHuCARDとCD-ROMの2本柱を一体のマシンに同居させたことに由来すると思われ、名付け親は当時NEC-HEでハード設計に関わっていた高垣信宏氏であったという(雑誌「ドリマガ」2003年19号特集「PCエンジンの伝説」の高垣氏インタビューで本人がそう語っている)

 この「DUO」は家庭用ゲーム機の歴史において、世界初のディスクドライブ一体型マシンという重要なポジションを占める。そもそもCD-ROMシステムじたいPCエンジンが世界初だったのだが、あくまでオプション機器だった。「DUO」は最初からSCDソフトを遊ぶための設計になっており、HuCARDのほうがオマケでついてる状態になっている。システムカードなど難しいことは一切なく、電源を入れればSCDシステムが起動し、CD-ROMをドライブにセットしてRUNを押せばゲームが起動する、実にユーザーフレンドリーな作りである。ノートパソコンを意識し、携帯性を考慮した薄くて軽くてスマートなボディ、落ち着いた黒ベースのカラーなど、それまでどうもゴツゴツして玩具的なところが多かったTVゲームマシンの常識をひっくり返すぐらいインパクトのあるデザインだと思う。実際、この「DUO」はこの年の通産省グッドデザイン賞を受賞している。
 「DUO」以降のCD-ROMマシンのデザインに与えた影響も多大と言われ、1993年に出た「メガドライブ2+メガCD2」にも影響が感じられるし、家庭用ゲーム機的位置づけの富士通パソコン「FM-TOWNSマーティ」もよく似ている。1994年に出そろう32ビットCD-ROM機「3D(とくに「3DOリアルII」はそっくり)」「プレイステーション」「セガサターン」も基本的には「DUO」が決定づけたデザインを踏襲していると言える。そのときNEC−HEは「PC−FX」をパソコンを思わせる縦型デザインにしてまたも「常識」をひっくり返し(「PS2」に6年先駆けていた)、またまた通産省グッドデザイン賞を受賞することになったりするのだが、こちらは商売としては全然成功していない。


◆細部を細かく見ていくと

 従来のCD-ROM2システムは、左側にCD-ROMドライブ、右側にPCエンジン本体という構成になっていたが、「DUO」では左右が逆転、CD-ROMドライブは右側につき、HuCARDスロットとPCエンジンの心臓部は左側に配置されている。これは世間は右利きが圧倒的に多いわけで、CD-ROMをメインに扱うならそれは右側にあるべきとの判断と思われる。つまりHuCARDは完全に「おまけ」になっていることがこんなところからもうかがえる。
カードスロット部分 「PCエンジンシャトル」を除き、PCエンジンのHuCARDスロット部分はむき出し状態だったのだが、「DUO」では一体感ある見栄えを重視して上に開くカバーがついている。ここにHuCARDを差し込んで電源を入れるとそのソフトが起動し、何も入れないで電源を入れればSCDシステム初期画面が立ち上がる仕掛けになっている(旧CD-ROM2システムにおけるシステムカード機能は内蔵されている)
 本来「おまけ」のつもりと思われたHuCARDスロットだが、のちにSCDのバッファRAMをさらに増やした「アーケードカード」はここを利用することになったし、アメリカでは「DUO」をアップルのパソコンのCD-ROMドライブとして使用するためのアダプタがここに挿入する仕掛けになっていたという。
 
 従来通り電源スイッチはスロットに入ったHuCARDを固定する役割も持っているから、左端に回っている。慣れない人には電源スイッチに見えるであろう右側の大型の丸いボタンはCD-ROMドライブのカバーを開けるボタン。それ以前のCD-ROM2システムではカバーは手でこじあけるしかなかったんだからかなりの進歩だ。カバーボタンの脇にあるスライド部分は回転中にカバーが開くのを防止するロック。面倒で使わない人も多かったと思われるが、「DUO」が携帯利用を想定していた名残がここにある。このロック装置は「DUO-R」では削除された。
CD-ROMドライブ CDドライブのカバーには半透明の横一線細長の窓があって内部のCD回転の様子が見える。これも「DUO−R」では削除された部分だ。CDが回転している間は上面中央部にある小さな「BUSY」ランプが点灯する仕掛けになっている。
 確定した話ではないだが、初代「DUO」はデザイン重視でボディの薄型化をめざすあまりドライブの設計に少々無理をしているとの話もあり、やや読み込みが不安定?とも言われる。

 電源をとるDC端子は後部にあり、オプションの充電式バッテリーユニットをここに接続する設計にもなっている。ゲームの映像・音声をTVに出力するAV端子は左横に配置された。1年半後に出る廉価版の「DUO−R」「DUO−RX」ではAV出力端子は本体後部中央に移動することになるのだが、個人的な経験から言うと「R」「RX」のAV端子は接続不良になることが多く、初代「DUO」のほうがこの点は安定していたと思う。
 初代「DUO」のみにある機能としてはヘッドホン端子がある。PCエンジンハードについたヘッドホン端子は「CD-ROM2システム」や「GT」そして「LT」に例があるが、どうせTVに映すんだからヘッドホンもTVにつければよかろうと思うわけで、「R」「RX」では削除されている。

 パッドがなければ遊べないから、当然「DUO」にもパッドが同梱されていた。同梱されていたのはすでに標準となっていた連射機能つきの「ターボパッド」だが、カラーリングが「DUO」のボディカラーにあわせた黒&青になっており、DUOとセットでしか入手できないバージョンとなっていた。僕は「DUO」を中古で買ったのだが、同梱されていたのが「コアグラII」色のタイプで、いまだにDUOカラーのターボパッドは所持していない。


◆PCエンジン界の再興と衰退

 「DUO」の価格は6万円弱と、今から考えてもかなり高く思える。だが従来の白PCもしくはコアグラフィックスとCD-ROM2システムでも合計すれば8万円を超したお値段だったんだから、これでもかなり安くしているといえる。1994年の32ビットマシの多くが当初は5万円台前後でアナウンスされていたぐらいで(3DOなんて当初は8万円近くだったはず)、ハード売上で利益を上げようとすればそのぐらいの価格が自然であり、それ以下に下げればあとはソフトのロイヤリティ収入をアテにしなければならない。PCエンジンの場合ハードはNEC−HEが売っているがソフトの方のロイヤリティは大方ハドソンに行くようになっていたらしく、NEC−HEとして価格をあまり下げられない事情もあったみたいだ(「ゲームラボ」誌2007年12月号に載った当時のNEC−HE社員のインタビューによれば、それで後期はNEC−HE自身がソフト販売に乗り出すことになったという)

 それでもこの「DUO」、結構売れていたというから驚く。NEC−HE自身も「DUO」およびSCDを大々的に宣伝したし、ハドソンからは「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」(’91)などSCD機能を特にビジュアル面でフルに生かした大作RPGを同時に発売、さらには期待の超大作「天外魔境2」をSCDで発売するとアナウンスしたことで(当初の予定より半年ほど遅れるが、これがかえって宣伝になったフシがある)、価格の割にはかなりの数を売ったと言われる。具体的な数字を上げると「天外2」が発売される1992年3月までの時点でおよそ30万台が売れたとのデータがある。旧CD-ROM2システムの累計がその時点で100万台ぐらいだから、ペースはかなり早いと言える。特にそれまでPCエンジンはやたらにハードが多くてややこしく、新規ユーザーにとっては敷居の高い世界であったが、この「DUO」は「これさえ買えばOK」というわかりやすさがアピールしたことも大きかったろう。
 そのわかりやすさの代償として、「DUO」は「コア構想」に基づく拡張用バスを削除した。PCエンジン立ち上げ以来の理念であった「PCエンジンを家庭用コンピュータとし、それを中核とした多様な商品展開をする」という「コア構想」はここに完全に終止符が打たれたのだ。DUOと同時期に「コアグラII」や「LT」といったコア構想オプション対応の本体マシンも送り出されてはいるのだが、NEC-HEとしては今後は「DUO」に一本化しPCエンジンをCD-ROMゲームマシンとして生き残らせようとの最終判断をしたものと思われる。

パッケージ その代わり…なのか、NEC-HEは「DUO」関連の様々なオプション商品を数多く発売した。DUOを外に持ち出して遊ぶための充電式バッテリーパックとか、自動車のシガレットライターから電源をとるカーアダプタ、さらにはTVがない場所でも遊べるようにと大きめの液晶画面をつけた「DUOモニター」、といったアウトドア志向の商品が用意されている。いずれもかなりのお値段で、こんなものをわざわざそろえてお外でDUOを遊ぼうという人がどれほどいるんだろう、と思うばかりの強気の商品展開。まさにバブル時代(あとから思えばその末期だったが)の産物である。

 そういったオプションはとても売れた様子はないが、「DUO」そのものはかなりヒットした。落ち込み気味だったPCエンジンソフトの売り上げも「DUO」のおかげでやや持ち直したと言われ、1992年3月の「天外魔境2卍MARU」(’92)の大ヒットで、PCエンジン=SCDという構図が確定する。1992年から1993年にかけてはSCDの名作が数多く出たPCエンジンのもう一つの絶頂期となり、良くも悪くも多種多様なCD-ROMゲーム世界が展開されてゆく。基本性能はそのまま引き継いでいるのだが、それまでのHuCARDとは全く違った世界を展開した「DUO」は、「SG」が果たせなかった「上位互換機」を実質的に実現したものと言えるかもしれない。

 日本でそこそこの成功をおさめた「DUO」は、PCエンジンが苦戦を強いられていた北米市場にも「TurboDuo」として1992年年末に投入された。デザインもほぼそのままで、ネットで見かけた北米向けTVCMによると「ゲート・オブ・サンダー」がキラータイトルとして宣伝されていたようだ。日本国内市場同様ハードが多くてややこしかった反省からか、「TurboDuo」向けのソフトは「SuperCD-ROM2」ではなく「DUO」専用ソフトのロゴをつけて視覚的にわかりやすくしていた。日本のアニメ的なRPGタイトルの移植も行われていたがやはりアメリカでの受けはイマイチだったようで、「ゲート・オブ・サンダー」「ウィンズ・オブ・サンダー」といった派手な硬派シューティングが受けていたようだ。タイトルを調べてみるとSCD機能を生かした北米オリジナルのアドベンチャーゲーム・スポーツゲームも発売されていて、一部に濃い目のマニアはいたらしい。それでも獲得シェアがかなり厳しかったことは間違いないようだ。
 
 1993年3月、NEC-HEは「DUO」の廉価版である「DUO−R」を発売、さらに1年後にはより価格を下げた「DUO-RX」を発売した。これらDUOシリーズを総合すると累計では100万台近くは売ったんじゃないかと思われる。だが93年以降は次世代機の足音も聞こえてきたこともあり、大きなシェア拡大は望めなかった。またPCエンジンSCDソフト自体もビジュアル重視の度合いが強まって特に美少女ゲーム系が主流を占めるような印象が強くなり(少なくとも外部からはそう見えた)、軟派な意味でマニアックなマシンと扱われて新規参入者を遠ざける傾向もあった。その流れのままPC−FXに行き着いて、NEC-HE&ハドソンのゲームハード文化の灯はゆっくりと消えていくことになる。


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