[リストへもどる]
一括表示

投稿時間:2011/05/17(Tue) 21:29
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
ウェルズとアジモフの通史(1)
アジモフが、1991年(死の前年)に発表した『アシモフの世界の年表』(Asimov's Chronology of the World)という本があります。太古から第2次大戦までを記述した世界史で、「年表」というとおり、各時代に各国・地域で起こったことが、できるだけもれなく書かれています。今回アマゾンで購入し、一気に読みました。年表というと、事実だけを羅列した退屈なものという印象がありますが、本書は、優れた筆の運びのおかげで、話がおもしろく、どんどん引き込まれてゆき、読み終わると、世界史の全体像が、くっきりと頭に残ります。

SF作家による世界史といえば、本書より70年前、H・G・ウェルズが1920年に発表した『世界史大系』(The Outline of History)という、超ベストセラーがあります。こちらの方は、昨年入手して、もう4、5回通読しました。この機会だから、ウェルズとアジモフという、それぞれの時代を代表するSF大家が著した世界史を読み比べながら、歴史に対する2人の捉え方を考察してみます。何回の投稿になるか分かりませんが、興味のある方は、ご一読ください。

**************************************
まずは、ウェルズの『大系』とアジモフの『年表』の、それぞれの構成を述べよう。

1920年発表の『大系』は、先史時代から第1次大戦の終了と戦後体制までを記述する。つまり本書発表時期の最新の歴史までをカバーし、今後の世界史がどのように進展するかを予測して、筆を結んでいる。一方、1991年発表の『年表』は、1945年の第2次大戦終結までを述べる。アジモフは終章の中で、第2次大戦を境に世界が大きく様変わりし、戦後史はもはや別の物語であって、その記述には新たな1書を起こさねばならないと、述べている。

両書の構成は、一見、対照的といってよい。

ウェルズの『大系』は、人類史を思想的進歩の歩みとして捉え、その視点で重要な事件のみを扱い、それ以外はたとえ大事件でもとりあげない。例を挙げると、アメリカの独立革命は、当時のヨーロッパを支配したマキャヴェリ流の権謀政治と訣別し、理想を掲げた新社会を実現したとして、人類史への貢献を評価し、詳しく述べている。ところが、米国史でも南北戦争は無視している。19世紀にもなって奴隷制の是非を争うなど時代錯誤だし、なによりも純粋にアメリカの国内問題であって、人類史への貢献を認めないからだ。また『大系』には日本史も登場するが、扱っているのは明治以後の近代化と日露戦争の勝利、そして国際連盟に提案した人種平等宣言だけである。ウェルズは、日本のこの事跡を、近代文明が白人の独占物でないことを立証したとして、人類史への貢献と認めている。それ以外の日本史は日本だけの歴史であって、人類の進歩には何の貢献もない、というわけだ。

『大系』は40章からなる。各章の内容は、以下のようなものである。

1.地球、2.化石、3.進化、4.陸上生物5.爬虫類、6.哺乳類、7.ヒトの祖先、8.ネアンデルタール人、9.氷河期と現生人類、10.新石器人、11.思想の始まり、12.人種の分化、13.言語、14.最初の文明、15.海の民と商業、16.文字、17.神官と王、18.階級分化と自由人、19.ヘブライの教え、20.アーリア人、21.ギリシャとペルシャ、22.ギリシャ思想、23.アレクサンダー大王、24.アレクサンドリアの科学と宗教、25.仏教、26.ローマとカルタゴ、27.ローマ共和国から帝国へ、28.帝政ローマの実態、29.キリスト教、30.中世アジア、31.イスラム、32.中世ヨーロッパ、33.モンゴルとトルコ、34.西欧文明の復活、35.君主と議会とマキャヴェリズム、36.アメリカとフランスの民主共和政、37.ナポレオン、38.19世紀、39.大戦、40.今後の予測

こうしてみると、先史時代を扱う部分がずいぶん長いようだが、最初の方の章は短いので、文明史の記述が始まる14章は、全体の1割を過ぎたあたりである。

アジモフの『年表』はまさしく年表で、全体を各年代に分け、各年代を各国・地域に分けて、政治、戦争、発明と発見、芸術作品などを、できるだけもれなく記述する。例えば、「1650年から1700年まで」という年代の中の「フランス」の項では、まずスペインとの戦争、ルイ14世の絶対王政、ベルサイユ宮殿の完成と宮廷文化、封建貴族の廷臣化、王室と民衆の乖離、コルベールの財政改革、ユグノーの弾圧、各国の対仏同盟といった政治史を述べた後、この時代の仏文学の隆盛に言及し、コルネイユの悲劇作品集、ラシーヌの『アンドロマク』や『フェードル』、モリエールの『タルチュフ』、フォンテーヌの寓話集、ロシュフコーの『箴言集』、ペローの『赤頭巾』や『長靴をはいた猫』等の童話が、この時代の作だったことを紹介する。また音楽のリュリを紹介した後、著者が最も得意とする科学史に移り、地球の大きさを精密に測定したピカール、太陽系の観測をしたカシニ、圧力器を発明したパパン、科学エッセイをよくした(つまりアジモフには大先達の)フォントネルを紹介している。

構成は対照的だが、『年表』の中の政治・社会面の記述と、『大系』を読み比べると、アジモフとウェルズがどちらもリベラル派に属し、権力と民衆の抗争史を重視する傾向があることが分かる。特に『大系』は、社会主義者ウェルズの史観が全編を貫いており、人類の未来は、社会主義的な世界統一国家の樹立にある、とはっきり主張している。むしろウェルズはこの主張をするために人類史を書いたといってよいだろう。「社会主義の正しさ」を歴史面から理解したいと思う人には、お勧めの一冊である。

『年表』の方は、どのような体制が正しいかという主張はなされていない。ただ、各時代に各国で行われた民衆とくに少数派の抑圧を、厳しくときに皮肉な筆致で描いているのは、アジモフの問題意識の表れだろう。それと歴史上何度も発生した「バブル」を、人間の愚かな行動としてその都度紹介している。1920年代のバブルと、その崩壊が引き起こした世界恐慌、そして第2次大戦が、アジモフの幼年期から25歳までに相当することを思うと、強い印象を受けたのだろう。

『年表』は、各年代につき、国・地域別に記述するが、国々の登場順序は、年代で異なる。アジモフは、主観だが、と断りつつ、それぞれの時代を語るのに、どの国から書き起こせばよいか考えながら順序を決めた、という。紀元前4000年以降の各年代で、先頭に来るのは以下の通りである。

4000〜3000BC=シュメール、3000〜2500BC=エジプト、2500〜2000BC=シュメール、2000〜1000BC=エジプト、1000〜900BC=イスラエル、900〜600BC=アッシリア、600〜500BC=バビロニア、500〜350BC=ギリシャ、350〜300BC=マケドニア、300〜200BC=エジプト、200〜100BC=ローマ、100〜50BC=ポントス、50BC〜250=ローマ、250〜300=ゴート族、450〜500=フン族、500〜550=東ゴート族、550〜600=イタリア、600〜650=ペルシャ、650〜750=ウマイヤ朝、750〜850=フランク帝国、850〜900=西フランク、900〜950=東フランク、950〜1000=神聖ローマ帝国、1000〜1200=英国、1200〜1300=モンゴル、1300〜1450=英国、1450〜1550=オスマン帝国、1550〜1600=スペイン、1600〜1650=オーストリア、1650〜1725=フランス、1725〜1750=オーストリア、1750〜1775=プロシャ、1775〜1820=フランス、1820〜1840=英国、1840〜1860=フランス、1860〜1890=ドイツ、1890〜1910=英国、1910〜1914=オーストリア、1914〜1920=ドイツ、1920〜1930=米国、1930〜1939=日本、1939〜1945=ドイツ。

いうまでもなく、これは各年代における「最強国」をいっているわけではない。例えば、1930年代の記述が日本から始まるのは、最初に戦争を始めたからである。

**************************************
第2回は、先史時代の話で、近日、アップします。

訂正:ウェルズの「The Outline of History」は、当初『世界史概観』と紹介しましたが、正しくは『世界史大系』『世界文化史大系』『世界文化史』という邦題がついてるようです。ウェルズは本書のあと「A Short History of the World」という簡易版を出していて『概観』は、そちらにつけられた邦題のようです。(ややこしいなぁ。)5/17に投稿した本文を5/19に修正し、以後も『大系』と書きます。

投稿時間:2011/05/19(Thu) 11:07
投稿者名:徹夜城(第一発言者)
Eメール:
URL :
タイトル:
楽しみにしております
>Kenさん
どうも、お久しぶりです。なんとアシモフとウェルズの歴史本の話題とは嬉しい驚きです。僕も一応本職は歴史畑なので。
アシモフの歴史本だとローマ史ものなんかは読んだことがあるのですが、世界史通史ものがあるとは知りませんでした(ちらっと存在を目にしたことぐらいはあったかな?)。

ウェルズの「世界史概説」は全部ではありませんが一部を斜め読みしておりまして、それだけでも非常に興味深く思ったものです。
今後のご報告を楽しみにさせていただきます。

投稿時間:2011/05/19(Thu) 20:02
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
徹夜城さん
こちらこそ、ご無沙汰してます。
「ID論争」の後、他のサイトでもIDを論じ、袋叩きになったりしてました。(笑)それやこれやで、間があきました。

上の投稿でも追記しましたが、『世界史概観(概説)』は「A Short History of the World」の邦題で、私が読んだ「The Outline of History」は『世界史大系』『世界文化史大系』『世界文化史』という邦題がついてるようです。調べてみたら、日本のアマゾンではみつからなくて、

http://www.kosho.or.jp/

という古書専門サイトで『ウェルズ 世界文化史大系』という題で見つかりました。

どうも、ややこしいです・・・・・

投稿時間:2011/05/19(Thu) 22:25
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
ウェルズとアジモフの通史(2)
さて、2人の著作に共通する特徴の1つは、長い先史時代の記述があることだ。歴史教科書などは、石器時代から書いてるものが多いが、アジモフは、なんと、ビッグバンによる宇宙の誕生から書き起こしている。やがて諸銀河ができ、その1つに太陽系と地球が生まれ、地球に生命が発生、進化してゆく過程が、作者得意の科学エッセイ風に語られる。やがて霊長類が生じ、猿人→原人→現代人と現われ、約1万年前に文明が起こる。そこからは、私たちのなじんだ歴史の記述になるが、人類史が地球や宇宙の歴史と繋がったものであることが、巧みに強調されているというべきだろう。ウェルズもまた、地球と生物の歴史を延々と描き、全体の1割以上を過ぎて、ようやく文明史が始まる。今回は、連載の主題からは脱線するが、ウェルズとアジモフの「自然史」の話をしよう。

実をいうと、記述内容の信頼性が、両書で最も異なるのがこの部分なのである。アジモフの『年表』は最新の宇宙・地球物理、生命科学の理論により書かれているが、ウェルズの『大系』は誤りだらけで、今となっては学習価値が無い。これはウェルズの責任ではなく、1920年という時代のせいである。学習価値はないが、当時の人々が、宇宙や地球や生物進化をどう理解してたか、という視点でみると、実におもしろい。

例えば、『年表』はビッグバンから始まるが、『大系』にビッグバンはない。ないのが当然で、当時はウィルソン天文台のハッブル達が、後のビッグバン理論に繋がる観測をしきりにやってる最中だった。観測の結果、宇宙が一様な速度で膨張してることが分かり、はるかな昔に「大爆発」があったに違いない、という仮説が生まれた。

また、『大系』は、現在の太陽は、誕生当時よりずっと温度が下がっている、と説く。これは、核融合理論の成立前、太陽が「火」つまり化学的燃焼と考えられていた時の発想だろう。「火」なら、時を経て火勢が衰えてゆくわけだ。実は、1920年には、もう相対性理論は世に出ていたが、どの自然現象にこの理論を適用できるのか、まだ模索中だったことが分かる。

地球の年齢について、『大系』は「大は16億年から小は2500万年まで、諸説あり」というが、現在信じられている数字は、『年表』にあるとおり、46億年である。「2500万年!?」と驚く人も多いだろう。でも300年前には、地球の年齢は6000年(6000万年ではない)と考えられていた。そこから、現在の46億年へたどり着くまでの曲折は、アジモフがいろいろなエッセイで解説している。46億年という数値は、『年表』で説明されてるように、隕石中に発見されるウランと鉛の比率から、推定されたものである。

『大系』も『年表』も、原生物から人類までの、生物の進化を述べているが、『大系』はさらに、人類の人種分化について、わざわざ1章を設けて論じている。ところが、各人種間の近縁疎遠を論じるのに、肌の色や、毛髪形状などを見るだけで、肝心のDNAに触れていない。遺伝子の正体が染色体のDNAと分かったのは1950年代だから、やむをえないのだが、このために見当違いの考察が多い。例えば、アフリカ人とオセアニア先住民は、肌の色、毛髪形状、顔かたちが似ているので、遺伝的近縁関係を推測しているが、80年代を中心に行われたDNA調査によると、両者は近縁どころか、世界諸民族の中で、遺伝的に最も離れている。外見が似ているのは、熱帯のよく似た環境で暮した結果に過ぎない。

こうしてみると、『大系』から『年表』までの70年に、どれだけ多くの科学的発見があったか、よく分かる。

**************************************
次回は、本論に戻って、二人の史観をさらに紹介します。

投稿時間:2011/05/21(Sat) 21:30
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
ウェルズとアジモフの通史(3)
例えば、社会体制の変遷に注目して歴史を捉えると、いわゆる、原始的氏族社会→奴隷制社会→封建制社会→資本主義社会という流れになるという。資本主義の後に、社会主義・共産主義がくるかどうかが、20世紀には政治対立になり、第2次大戦後は「冷戦」という国家間対立にまで発展したのは記憶に新しい。あるいは、社会の主要産業の変遷に注目した歴史の捉え方もある。狩猟採取社会→農耕社会→工業社会ときて、工業社会の次には「情報社会」が来るという意見もある。(私も同意する。)

さて、この点で、ウェルズの『世界史大系』は、人類史を思想的成長の歴史として捉えるといってよい。そして、思想の成長には3つの柱がある、とウェルズはいう。

その1は「科学」である。これは科学知識自体の発達という意味もあるが、むしろ、あらゆる事象を客観的に観察し、合理的に理解する精神を、ウェルズは強調する。面白いことに、ウェルズが最も評価する科学者は、ニュートンでもガリレオでもパスツールでもない。13世紀の人、ロジャー・ベーコンである。この人は、科学者よりは、科学評論家というべきで、科学の本質は「観察と実験」にあると主張した。これは教条主義が支配した中世はもちろん、科学を純粋な思索活動とした古代ギリシャと比べても、画期的な発想であり、思想の上で近代科学のいしずえとなった。なお、ウェルズは、歴史も科学の1分野で、諸科学と同様に扱うべきだという。

その2は「一神教」である。これは少し説明が必要で、ウェルズのいう一神教は、つまり「正義は1つ」という思想に他ならない。そうなると、キリスト教やイスラム教だけでなく、仏教なども明確な「一神教」になる。人類史は、都市、国家、民族ごとに守護神をもち、恣意的な正義を掲げて争う状態から、全人類が同じ倫理を共有する状態へ成長してゆく過程である、とウェルズは述べ、釈迦やイエスはそのことを見抜いた思想家だったと賞賛する。

その3は、「人類統一国家」である。人類のコミュニティは、村落や都市から始まり、次第に大きな単位へ成長し、最終的には、全人類が統一政府に統治されることが歴史的発展である、とする。そのためには、異なる文化や宗教をもつ人々が共存できねばならない。(このことが、上記の「一神教」と矛盾しないことに注意。ウェルズがいう「一神教」とは、共通の倫理・正義のことである。)この考えのもと、ウェルズは、唐の太宗やジンギス汗を賞賛する。国際連盟を起こしたウィルソンの業績も賞賛されるが、米国内をうまくリードできなかった、とウェルズは残念がる。

以上3つの柱──「科学」(合理精神)、「一神教」(共通倫理)、「人類統一国家」──の成長を記述するのが、ウェルズの通史といってよい。それゆえ、歴史上の人物も、この視点から評価される。例えば、アレクサンダーは、偉大な征服者としてよりも、父フィリップや師アリストテレスから受け継いだ合理精神と、母オリンピアスから受け継いだ神秘的迷信をあわせもつ人物として描かれ、結局は後者の影響が勝って、非ギリシャ的な神聖君主に自らをしてしまった、と批判している。


アジモフの『年表』は、ウェルズの『大系』のように、特定の視点をもって歴史を見ると宣言してはいない。それでも、記述内容から、アジモフの史観を読み取ることは可能と思われる。

その1は、「技術主義」というべきものだろう。科学上の発見や新技術が、歴史を動かす力だということが、繰り返し強調される。戦馬車を発明したヒクソスがエジプトを征服し、コンスタンティノープルが数百年も防禦できたのは「ギリシャ火薬」の威力だった。百年戦争の前半英国が優位に立ったのは長弓のためで、最後にフランスが逆転したのは火砲の力である。ウィクリフやフスと異なり、ルターの宗教改革が成功したのは、印刷が登場して、ルターの考えが広く伝えられたからだ。三十年戦争のスウェーデン軍が強かったのは、鉄砲の軽量化、火薬のカートリッジ化、火薬品質の統一という技術革新が大きい。20世紀にドイツのハーバーは大気中の窒素からアンモニアを作る方法を発明したが、第1次大戦でドイツが英国の海上封鎖に耐え、戦い続けられたのは、輸入硝石に頼らず火薬を生産できたから。このような例を、アジモフは列挙してゆく。

興味深いのは、産業革命の起因に関するウェルズとアジモフの見解である。ウェルズは、「囲い込み」等の政策で、農民が没落して都市に流入し、低コストの労働力を提供したことが産業革命を引き起こしたとする。これぞマルクス主義史観というものだろう。一方アジモフはあくまでも技術主義である。産業革命は、ニューコメン(蒸気機関)、ワット(同)、アークライト(紡績機)らの発明で引き起こされたと述べる。米国のホイットニーの業績に言及しているのも面白い。ホイットニーは機械部品を精密に規格化し、近代工業の一大特徴である量産効果を増大させた。その一方で、アジモフは「囲い込み」には言及すらしない。2人の歴史観の違いがよく出ている。

アジモフ史観のその2は、「中立的視点」だろう。歴史上の人物や組織を「善悪」に分類することを極力避け、特に、世間一般で「悪玉」扱いされる存在の弁護をかって出るような記述が目立つ。

例えば、米国独立革命は、英本国の苛税に反発して起こったというのが一般認識だろう。しかしアジモフは、その前に北米大陸で英仏の闘争があったことから述べる。元々、英植民地は東海岸に密集し、広大な中西部はフランス領だったのを、英植民地の人々は、本国の応援でこれを変えようとした。後に革命の闘士となるフランクリンやワシントンも、この頃は英植民地の拡大をめざしていたのだ。植民地の期待にこたえて英国は遠征軍を送り、フランスから広大な領土を奪ったので、英植民地は大発展が可能になった。しかし本国にとって遠征は財政負担が大きく、大きな負債が生じた。英本国は、遠征の最大受益者は北米植民地なのだから、経済的な負担もしてもらおうと考えての増税だったのだ。だが、植民地側にとって、フランスの脅威が除かれた以上、もう本国は用済みである。独立戦争はこうして起こった、とアジモフは説く。私たちが日頃聞いてる話と、ずいぶん印象が異なるであろう。

もう1つ例を挙げよう。第1次大戦で、ドイツ潜水艦が無差別攻撃に出たことが、よく非難の対象になるし、米国世論を参戦へ向かわせる要因でもあった。しかしアジモフの視点は冷静である。ドイツの立場で事態をみれば、まず通常艦船で英海軍に対抗できない以上潜水艦に頼らざるをえないこと、防禦の弱い潜水艦の唯一の強みは姿を隠せることだから、攻撃前の警告はできないこと、同じく攻撃後に姿をさらしての救助活動もできないことから、ドイツ潜水艦の「卑劣な行為」はやむを得ないことになる。問題のルシタニアも、客船のくせに英国向けの武器弾薬を積んでいた。ドイツへ向かう輸送船を英海軍はすべて止めていたから、ドイツがルシタニアを止めたのは当然だし、持ち駒が潜水艦しかない以上、無警告攻撃以外の選択肢がない。しかも出航前、ドイツ大使館は米国人に、ルシタニアに乗らないよう注意していたのだ。ドイツの立場でみれば、米国の参戦理由は「言いがかり」に近いものとなる。

ただし、「悪玉」の弁護といっても、英米や英独のように、対等者同士の対決の場合に限られる。弱者を迫害する強者に対しては、アジモフは容赦をしない。これが、アジモフ史観のその3といえる。最も極端な例がヒトラーとナチスへの攻撃で、「狂気」「悪魔」「野獣」「誇大妄想」「民衆をロボットにした」等々、他の何者にも使わない表現を連発して攻撃している。これほどではないが、同様の指弾は本書を通じて何度も現われ、ドレフュス事件をでっちあげた軍部、「コンゴ自由国」を作って住民を奴隷化したレオポルド2世など、対象は数え切れない。正面からの指弾ではなく、ちょっとした言い回しの中に、批判を含めることもある。例えば、マリア・テレジアの後継者ヨーゼフ2世を賞賛するのに、こういう表現をしている。
 〜農奴を解放し、宗教の自由を宣言した。これは(奇跡中の奇跡だが)ユダヤ人にまで拡大適用されたのだ〜
もちろん、ユダヤ人がずっと宗教的迫害を受け続けたことを、さりげなく強調しているのである。

**************************************
次回も、ひきつづき、ふたりの歴史観の違いを、考察します。

投稿時間:2011/05/22(Sun) 20:37
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
ウェルズとアジモフの通史(4)
「思想」重視のウェルズと、「技術」重視のアジモフの違いを、もう少し見てみよう。

両者の史観が現われているのは、例えば遊牧民が歴史に果たした役割である。技術文明を中心に据えるアジモフ史観の中で、遊牧民の占める位置は極めて小さい。中立視点をもつアジモフは、農耕民と遊牧民の抗争を「善と悪」の戦いとみなすことを戒めているが、アジモフの『年表』は遊牧民を悪とみなすのではなく、無視しているといってよい。もちろんジンギス汗やアッティラやイスラム戦力を為したベドウィン等を無視できるはずはないが、要するに軍事的征服者としてのみ、遊牧民を捉え、歴史上の役割といえば、文化の交流に結果として貢献したことぐらいだ、とする。

ウェルズの遊牧民観は大きく異なる。ウェルズに言わせると、農民は呪術や迷信を信じ、それを背景とした権力に従順で、そこから人類思想を進歩させる力は生じ難いということになる。それに比べて、厳しい環境に生きる遊牧民は、人間の「意志」の力を信じ、改革を起こすことができる。ウェルズは史上の遊牧民として「フン族」「セム族」「アーリア族」を挙げている。この場合の「フン族」はアジア系遊牧民の総称で、モンゴルやトルコも含まれる。「アーリア族」は、一般にいう「印欧語族」のことである。(もちろん『大系』は、「アーリア族」という呼称が、ナチスのせいで人々に嫌悪されるずっと前に書かれている。)ウェルズは原始仏教を高く評価するが、釈迦の教えの根幹はアーリア精神だ、という。また古代ギリシャ以降のヨーロッパ人は、先祖のアーリア気質を多く残し、ここにセム族から発生したキリスト教と、フン族征服者の影響が加わって、ヨーロッパ世界の発展の基礎となったと考える。ウェルズは『大系』の末尾で、今後の人類が目指すべき方向を述べているが、その中に、遊牧民の精神を文明と融合させるべき、という1項を入れている。

もう1つ、2人の歴史観の違いが出ているのは宗教の扱いだろう。『年表』における宗教の扱いは冷淡そのものだ。ローマ教皇もイスラムのカリフも、単なる世俗権力者で、それぞれが率いる組織も同様だった。最初は、信心深い人々を欺いて勢力を保ったが、実態が知られるにつれて、影響力を失った──アジモフが描く宗教史は、簡単に言えばそういう筋を辿る。もっとも、一部の宗派へは好意を寄せており、その代表はクエーカー教徒で、彼らが北米に入植し、フィラデルフィアを建設した時の逸話を、独特の筆致で紹介している。
 〜(クエーカーの指導者)ウィリアム・ペンはアメリカに渡り、先住民から土地を購入したが、クエーカーの信条に従い、契約時の宣誓を行わなかった。後に指摘されることだが、先住民との契約で宣誓がなかったのはこれだけである。ついでに言えば、植民者側があっというまに破らなかった契約も、これだけである〜

これに対して、ウェルズは人類の思想的進歩に宗教が果たした役割を大きく評価する。ただし、ウェルズは釈迦やイエスの教えと、後の仏教界やキリスト教会を峻別し、後世の教団は宗祖の教えを著しく歪曲したとして、むしろアジモフ以上に教団組織への批判は強い。
 〜もしも釈迦がこの世に甦って、仏教寺院を訪れたら、そこに祀られた神像が自分のことだと知って、仰天するだろう〜
 〜教会の教えが正しいのなら、イエス自身が「クリスチャン」でなくなってしまう〜
要するにウェルズによれば、釈迦やイエスが説いたのは、人々が、現実の中で正しく生きることで、来世や救世主の思想などではないのである。(このあたりは、宗教者から反論がくるだろうが。)特にウェルズは、イエスの教えに社会主義的な政治性を見ている。「富者が神の国へ入るのは、駱駝が針の穴を通るよりも難しい」という発言は、私有財産の否定であり、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という教えも、要するに皇帝には大切なものは何も与えないことを意味するのだ、という。イエスの「神の国」とは、釈迦の「八正道」と同じもので、我欲を捨て去ること自体が「救済」であり「神の国」であるのに、後世の歪曲により、それはキリストの再臨がもたらす栄光に浴するための「犠牲」とされてしまった。ウェルズはそのように言い切る。

ただし、アジモフが、教会の堕落により、宗教自体が省みられなくなった、と片付けるのに対し、ウェルズは、福音書が述べるイエス本来の教えが、完全に忘れ去られることはなかったのであり、それがやがては社会改革の力となった、と説く。尚、ウェルズもアジモフも、イエスを終始「ナザレのイエス」と呼び、「キリスト」とは呼ばない。

**************************************
次回は、両書の、結言を紹介します。

投稿時間:2011/05/25(Wed) 23:37
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
ウェルズとアジモフの通史(5)
ウェルズとアジモフの「結言」をみておこう。

『世界史大系』の末尾で、ウェルズは、今後の世界がどうなるかを予測している。もちろん1920年時点での予測である。やはり、主題は、全人類を包括する世界国家の成立で、その原因を次のように挙げる。
 (1) 戦争の災害が大きくなりすぎて、もはや戦争が起こせなくなる
 (2) 世界経済の一体化による商品と人の移動の拡大
 (3) 人の移動に伴う健康管理の均一化
 (4) 労働条件の世界統一、それに必要な教育の統一
 (5) 航空機の発達に伴う、空路の世界管理

こう見ると、個々の項目としては、まずまず的中したといえるのではないか。(1)の予測は「古今未曾有の戦禍」を生じた第1次大戦の体験をふまえ、どの国も戦争には懲りたことが前提にある。大戦では、航空機、戦車、機関銃、超長距離砲、毒ガス、巨大戦艦が登場して、それまでの戦争とは桁ちがいの犠牲者が出た。特に航空機の発達は銃後の市民を直接戦禍にさらすもので、こんな恐ろしい兵器が現われたら、戦争などできなくなる、というわけだ。現実には20年後、さらに大規模な戦争が起こったのだから、予測は外れたともいえるが、第2次大戦後は、少なくとも大国同士が直接戦火を交えることはなくなったし、その主原因が核兵器の存在であることを思えば、やはりウェルズが予測した方向へ動いたのだろう。(2)は現在の我々が眼前に見ていることだ。(3)はWHO等の活動を考えるとよい。病疫に国境がない以上、医療・衛生努力も世界的なものにならざるを得ない。(5)は説明不要。

問題は(4)である。こんなことは起こってないじゃないか、と思う人が多いかもしれないが、私は起こってると思う。それも滔々として。

現在、日本や米国など先進国の企業が、低賃金の国へ事業場を移している。これは途上国で職を増やし、労働条件を向上させる一方で、先進国では失業を増やしたり、労働条件の悪化につながる。これまで豊かさを独占してきた先進国人には辛いことだが、マクロにみれば、世界の労働条件を均一に向かわせる潮流なのだ。もちろん、社会主義者ウェルズが想定したのは、万国労働者の団結による労働条件の統一であって、低賃金を求める企業の都合ではないだろう。しかし、どんな形であれ、労働分配を均一にしなければ、労働条件の統一も起こり得ない。これは社会主義・共産主義になっても同じことである。年収500万の先進国労働者と、50万の途上国労働者が「団結」できるはずがないのだ。

教育の統一については、一にも二にもインターネットの普及に尽きる。かつては、先進国の最も充実した図書館や研究所でしか読めなかった文献が、今やインターネットに溢れている。それどころか、講義や講演がネット配信される時代である。初等教育的な内容となると、それよりはるかに多い。大抵のことがインターネットで学べるようになれば、教育の国家管理もできなくなるし、教育内容をめぐって文部省と教職員組合が争うことも無意味になる。そういう時代は、もうそこまで来てるのではないか。世界国家の政府による教育を想定したウェルズにとっては、意外なかたちかもしれぬが、実現される均一化は、まさしく予測どおりのものになろう。そして、おそらく、インターネットを通じて、世界が共通言語を使うようにもなるだろう。

ただし、上記の理由により、将来、世界国家ができるかとなれば、なんとも予測しえない。しいていえば、たとえ国家として統一されなくても、情報やマネーが自由に流れ、労働条件や生活水準が均一化し、共通言語を使うようになれば、世界国家とさして変らないのではないか。


『世界の年表』の末尾で、アジモフは、第2次大戦の終結で記述を終えたのは、そこが、「歴史の不連続点」だから、という。なぜ、1945年が、不連続点かというと、
 (1) 人類が、文明も人類の生存すらも破壊する力(核兵器のことである)を得たこと
 (2) 人類の活動が、重大な環境破壊を起こすようになったこと
 (3) 人口が、地球の許容量を超えて増えだしたこと
 (4) 帝国主義が過去のものとなり、新興国が大量に独立したこと
 (5) 科学技術の発展が加速したのみならず、新技術がたちまち世界に広まるようになったこと
と、アジモフは説明する。それゆえ、戦後の世界史は戦前までとは別の物語であり、これを語るには新たな1書を起こさねばならない、という。さて、この説明に納得できるだろうか?

まず、多くの人が納得するのは(1)だろう。核兵器の存在は、国際政治のあり方を大きく変え、主要国間の全面戦争は起こせなくなった。(5)も正しい、と私は考える。第2次大戦後の科学がどれだけ飛躍したかは、例えば本連載の2回目に述べた『大系』の時代遅れぶりを見ても分かる。ウェルズの著作はちゃんと専門家の監修を受けており、当時の最新知識で書かれたのに、今の私たちがみると、素人でも相手にしない噴飯ものの内容でしかない。最近数十年の科学の進歩はそれほどすさまじいのだ。

(2)はどうだろう? たしかに環境破壊は現代の大問題だ。しかし私は、今の環境破壊が「歴史の不連続点」だと、人類史の中で述べるほどのものとは思わない。もっと深刻な環境破壊が過去にはあったはずで、例えば、古代の先進地域だった地中海地方、西アジア、中国の華北などは、木を伐りすぎて禿山ばかりにした結果、エネルギー危機が文明自体を衰退させたのではなかったか? 環境破壊の深刻さには絶対規準がなく、その時々の文明との比較で決まるものだ。

(3)も同様である。地球がどれだけの人口を支えうるかは、技術条件で全く異なる。エネルギー危機で古代文明が衰退した3世紀から7世紀にかけて、世界人口が大きく減少した。直接の原因は、戦乱、疫病、産児制限といろいろだが、要するに、当時の条件下での許容量を越えた人口は、減らねばならなかったのだ。

(4)についても、第2次大戦後が特別だとは、私には思えない。帝国が倒れて小国が分立したのは、歴史上枚挙にいとまがないだろう。ローマや漢やモンゴルが倒れた時を考えればよいし、最近ではソ連の例もある。

こうみてくると、1945年が歴史の不連続点であるというのは、どうも根拠薄弱に思える。アジモフが戦後史を書かなかった真の理由は、評価の固まらない事件や人物が多いからではなかろうか?

**************************************
次回は、2人の著書の「ここが問題」と思われる点について。

投稿時間:2011/05/28(Sat) 20:14
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
ウェルズとアジモフの通史(6)
2人の著書の「ここが問題」と思われる部分に批判を加える。まずは、アジモフの『年表』から。

連載の冒頭で述べたように、『アシモフの世界の年表』は、各年代のできごとをもれなく記述しながら、とにかく話が面白く、読んでいても疲れない。優れた物語作家アジモフの面目躍如とした作品である。ただ、そういうスタンスで歴史を書くと、どうしても「単純化」が、避けられないようだ。

例えば、中世ヨーロッパで封建社会が成立した原因を、アジモフはノルマン人の侵略だと言う。特に9世紀前半、ノルマン人の攻勢が激化し、被害国の王権は無力で、人々は地方領主を中心に防ぐしかなく、それが封建社会を成立させた、と述べている。しかし、封建制度の成立という社会の根本的な変化が、ただ1つの理由で起こるものだろうか? あまりにも単純化のしすぎでは?

アジモフの歴史単純化の顕著な現われは、第3回で述べた技術主義の行き過ぎがみられることだ。たとえば、産業革命の原因を、技術発明にのみもとめ、人口の都市集中や、資本の蓄積に言及もしないのは、歴史教科書として疑問符がつくのではないか? 別の例として、中世ヨーロッパでは、人口の重心が古代の地中海沿岸から、アルプス以北へ移動したが、アジモフはこの原因を、馬具の改良と蹄鉄の発明で、農耕馬の作業効率が上がり、西北欧の固い大地をしっかり耕作できるようになったからだ、とする。それは1つの理由かもしれないが、人口の重心移動をそれだけで説明するのは、いかがなものか。もしも馬具の改良がなければ、イタリアやギリシャが、人口の重心であり続けたのだろうか?

もう1つ問題を指摘したい。アジモフは、厳しくも冷静な視点を保つようにしているが、ヒトラーとナチスに対してのみ、同じ著者とは思えないほど、感情むき出しの罵倒を投げつけている。私は、ナチスのような勢力は、史上に何度も現われたと思うし、批判するにせよ、同じ姿勢を最後まで貫いてほしかった。アジモフ個人がヒトラーを憎むのは分かるが、歴史を書く以上は、個人的感情は抑えるべきだろう。たとえば、ヒトラーとナポレオンを冷静に比較して、どちらがより悪質かを考察してもよかったのでは? ヒトラーの最大の罪は人種主義で、これだけはナポレオンにはなかった。しかし、ヒトラーは、『我が闘争』で政策を表明しており、「劣等人種」の征服も、反ユダヤ主義も、すべて明らかにしている。その点は「正直」な人で、彼を権力者にしたのは、多くの人の共同責任でもある。一方、ナポレオンは、ロベスピエールの全盛期には忠実なジャコバン党員で、次に反動勢力から革命を守ると称して独裁者となり、最後は革命自体を覆して皇帝になった。こちらの方がずっと悪質という見方もできるのではなかろうか。ついでに言えば、アジモフは労働者の福利厚生を強調するが、1945年までの時点で、最も熱心にこれをやったのがナチス政権だったことに、一言あってもよかった。そういう冷静な視点を維持してこそ、ナチスの悪行を述べる際にも、強い説得力を生じるものである。


さて、ウェルズの『世界史大系』だが、既に述べたように、これはマルクス主義史観の書といってよい。マルクス主義自体は1つの見識だから、それでよいのだが、どうもその主張にこだわるあまり、客観事実への観察眼が曇っている部分が、見られるようである。

例えば、19世紀から20世紀初頭までの英国とドイツを比較し、自己責任主義の英国よりも、国家が科学研究、教育、労働者保護に関与するドイツが断然優れており、1つの結果として、ドイツの科学が英国を凌駕した、とウェルズはいう。たしかに、この時期にドイツの鉄鋼生産は英国を上回り、化学の分野などで、世界の先頭に立ったのは事実だろう。X線を発見したレントゲンや、量子の概念に至ったプランクもこの時代のドイツ人だ。しかし同時期の英国にも、原子の構造を探求したラザフォード等がいるし、なによりもこの時代は、ファラデー(電磁気学)、マクスウェル(同)、ダーウィン(進化論)、ジェンナー(ワクチン)など、人類の運命や世界観を変えた巨人が、英国で輩出している。無線通信の発明者マルコーニはイタリア人だが、研究は英国で行っていた。ウェルズにその気があれば、これらが見えなかったはずがない。「資本主義の本山」英国を批判するあまり、眼が曇ったのではなかろうか。

もう1つ例を挙げる。ウェルズが描写する帝政ローマはまるで「悪の帝国」だ。せっかく領土を拡大しながら、征服地の住民を市民にせず奴隷にし、奴隷を使う大農園との競争で、農民を没落させたことが、諸悪の根源だった。人々は地道に働くよりも手っ取り早い金儲けを追及し、ローマ本体の生産力は衰え、ローマ市は政治と金融の町になってゆく。農民が没落すると兵士の供給源も涸渇し、傭兵、それも「蛮族」の兵士ばかりになる。出生率は低下し、現世より死後の救済を説く宗教がはびこる・・・・ウェルズは、ローマ帝国をこのように描く。

そして、ローマのひどさを強調するためだろうが、同時期に存在した漢帝国の評価がえらく高いのだ。中国では士大夫層に教育が行き渡り、官僚制が充実して、堅牢な社会を作り上げた。東西両帝国の差が端的に現われるのは、「蛮族」との関係である。漢は武帝の征服事業以後、匈奴等を圧倒し、中国の農民は帝国の力をバックに遊牧民の土地へ進出していった。(なんと、ウェルズはこの状況を、アメリカ開拓時代の白人とインディアンの関係に例えている。)中国に圧迫されて西へ移った遊牧民はゲルマン人の民族移動を引き起こすが、弱体なローマは、遊牧民に追われたゲルマン人にすら対処できず、崩壊した。これが、ウェルズが述べる、漢とローマの比較である。

たしかに、漢に限らず中国の歴代王朝は、官僚制国家だし、公地公民の原則をもち、儒教思想で国民をまとめ、専売制度を維持するなど、ローマやその後の西欧と比べて、社会主義的な傾向が強い。ウェルズとしては、高く評価したくもなるだろう。しかし、ローマよりも漢の社会が堅牢で安定していた事実があるだろうか? 「蛮族」との関係で言えば、ローマも中国も、民族移動の中で倒れたのは同じだし、結果のみを論ずるなら、「蛮族」に屈したのは中国の方がずっと早かった。(例えば、匈奴が洛陽を攻略して西晋を滅ぼすのが311年、オドアケルが皇帝を廃して西ローマが消滅するのが476年。)また、帝政ローマも漢帝国もほぼ400年続くが、辺境はともかく帝国中枢部の内乱は、漢の方がずっと激しかった。ローマ帝国の内乱といえば、コンスタンティヌスの戦いがすこし大きい程度であとはクーデターの類だろう。一方、漢の歴史を見ると、呉楚七国の乱、赤眉の乱、黄巾の乱と、少なくとも3度、民衆を巻き込んだ動乱が起こっている。やはり、ウェルズは、先に結論ありきで、冷静な観察眼をなくしたようである。

**************************************
最終回は、ウェルズとアジモフの「日本史」です。

投稿時間:2011/05/31(Tue) 22:46
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
ウェルズとアジモフの通史(7)
ウェルズとアジモフの通史が、日本をどう扱ってるかを紹介して、連載の終わりとしよう。

前にも書いたが、『大系』が述べる日本史は、基本的に明治後の近代化だけである。ウェルズの史観では、近代文明が白人の独占物でないと証明したことが、人類史への日本の貢献で、それ以外は記述しても意味がない。明治後の日本についても、日露戦争と、国際連盟に提案した人種平等宣言の記述はあっても、韓国併合や中国への21か条要求は扱っていない。ウェルズにすれば、ヨーロッパ流の帝国主義国がもう1つ増えたところで、人類史への意味はないということだろう。注意を要するのは、これが西欧人の、非西欧国への無関心と考えると間違う点である。例えば、英国人ウェルズにとって、最も関係密接な隣国アイルランドの記述は、日本よりも少ない。アイルランドも日本と同様、世界から影響は受けたが、世界へ影響を与えなかった国なのだ。

アジモフはといえば、『年表』の記述が西洋諸国に偏っていることを率直に認め、自身が西洋人であること、想定される読者の大半もそうであること、現代文明が西洋文明と密接に繋がっていることを、理由に挙げている。それでも、ウェルズとは異なり、日本史の記述は上古から行っている。ただし時代によって、記述の詳しさと内容の正確さがえらく異なる。どうやら、3つの時期に分類できるようだ。

第1期は上古から平安時代まで。この時期の特徴は、記述が非常に簡単で、各記事は数行程度、しかも内容に誤りが多いことである。第2期は源平合戦から徳川期まで。戦国末の天下統一過程が少し詳しい以外、各記事はやはり数行程度。ただし内容は正確になる。第3期はペリー来航以降で、記事のボリュームも増え、特に20世紀になってからは、主要国の一員としてフランスやロシアなどの扱いと遜色がなくなる。

まず第1期(王朝時代というべきか)には、次の13の記事がある。

 660BC:伝説では最初の皇帝ジンムが即位。
 230:皇帝スジンが即位。日本史はこの頃から記録されている。
 285頃:儒教が伝わる。
 4世紀後半:半ば伝説だが、女帝ジンゴーが、韓国へ遠征する。
 538:韓国の伝道師が仏教を伝える。
 7世紀後半:韓国が統一され、日本の勢力は、半島から駆逐される。
 8世紀前半:皇帝ショームと皇后は熱心な仏教徒で、503フィートの青銅像を作らせる。
 8世紀後半:皇帝カンムが北方を征服、非モンゴル人種のアイヌを支配下におく。
 838:中国の衰退が認識され、使節の派遣はこの年が最後になる。
 9世紀後半:中国の文字よりも簡単な独自の文字を開発。
 10世紀前半:フジワラ一族が政治を支配。タダヒラが専制する。
 995:フジワラ・ミチナガが、皇帝の代理統治者であるショーグンになる。
 11世紀前半:貴族女性のシキブ・ムラサキがゲンジ物語を書く。

・・・・つまりアジモフの「日本史」によると、神武天皇や神功皇后は実在して、日本人は弥生期から論語を読んでいて、奈良の大仏は高さ150メートルで、藤原道長は征夷大将軍ということになる。日本人なら絶句するだろう。

仮に1920年発表の『大系』にこういう記事があるなら、情状酌量の余地もある。当時、専門研究者でもない西洋人が日本史を学ぶのは非常に困難で、なによりも日本語を読めなければ、無理だったろう。しかし1980年代にもなれば、ライシャワーの著作をはじめ、手軽に日本史を通読できる英語の本に不足はなかったはずで、その時代にこんなことを書いてるのは、いかにもひどい。特にアジモフらしくないのは、大仏の大きさである。たとえそんな誤情報が伝わったとしても、それがありえないことはアジモフなら分かるはずではないか。なにしろ19世紀の技術で作られた自由の女神が46メートルである。その3倍以上の青銅像が8世紀に作られたのなら、人類の技術史を書き換えねばならない。

神武や神功を出したのにも、首をひねる。たしかに「伝説」「半ば伝説」と但し書きがついてはいるが、そもそも日本以外の記述には伝説など出していない。『年表』のローマや中国の古代には、ロムルスとレムスも、堯舜も登場しないのだ。もしも、伝説を紹介する場合には、史実でない旨を明言している。例えば、6世紀にブリテン島の先住民が、ベイドンの戦いでサクソン軍を打ち破り、これがアーサー王伝説のフィクションを生んだ、といった書き方である。

ひょっとして、アジモフにこういう「日本史」を伝えたのは、日系米国人だろうか? つまり明治期、日本自身が神武天皇を史実として教えていた時代に、日本で教育を受け、その後渡米した人が、故国の物語を伝えたのかもしれない。

第2期(武士の時代)には9つの記事がある。うち8つは以下の通り。

 12世紀後半:内乱が激しくなり、1185年までに、軍人支配の封建制が確立。また、この頃、禅が日本にはいる。
 13世紀後半:モンゴルの艦隊が日本を征服しようとするが、台風に船を破壊される。日本人は「神風」と呼んだ。
 15世紀前半:知識層の間で「ノー」という演劇が人気を博する。
 16世紀前半:日本の海賊が中国沿岸を襲う。1542年、ポルトガル人が初めて日本を訪れる。ヨーロッパ人が接触した諸民族中で日本のみが銃砲を採用したのは、日本人の特性をよく表している。
 17世紀前半:外国との交流を絶つ。国内では銃砲の使用を廃止。技術の進歩を意図的に逆転するなど歴史に例がないが、日本が孤立した世界でなければ、不可能だったろう。
 1804:ロシア使節が至るも国交を開く目的を達せず。
 1820〜1840頃:孤立政策が西洋諸国をいらだたせる。日本に漂着した船員はしばしば野蛮な扱いを受けた。日本政府と接触する試みは、いずれも不首尾。

そして残る1つが、天下統一過程の記事である。要約すると、

 16世紀後半:最初の宣教師ザビエルは、日本の習慣に合わせて布教活動をしたが、後継者は現地の習慣を拒み、日本人を怒らせた。ずっと内乱が続いていた日本が、ようやく統一される。まずオダ・ノブナガが首都を制圧し、同時に仏教寺院の力を砕く。オダの暗殺後、部将のトヨトミ・ヒデヨシが後を継ぎ、1590年までに日本を統一する。そのことが軍人の失業と反抗につながることを懸念したヒデヨシは、韓国経由で中国を征服しようとする。1592年、韓国は占領されたが、イ・スンシン率いる韓国海軍は、世界初の鋼鉄装甲艦を用いて、日本海軍を破る。韓国の要請で中国が援軍を送り、日本軍は釜山に押し込められる。1597年、再度攻勢が始まるが、韓国海軍がまたも勝利を収める。やがてヒデヨシが亡くなり、日本軍は撤退する。1600年、トクガワ・イエヤスが日本全土を支配する。

注目したいのは、秀吉の朝鮮出兵の理由である。武士の失業対策だという。

なぜ秀吉は無謀な外征を実行したのか、昔から議論されてきた。子供を亡くしてヤケを起こしたとか、相手を過小評価して簡単に征服できると思ったとかの説があるが、およそ天下統一の英雄らしくないし、なによりもこれでは2度目の出兵が説明できない。当時、秀頼は生まれていたし、容易に勝てる相手でないことは、1度目で分かったはずである。海禁政策をとる明国を圧迫して、貿易関係を作ろうとしたという説もあるが、それなら日本国王の冊封を蹴ったのがおかしい。冊封は秀吉政権を日本の正当政府として承認することだから、貿易の大前提で、現に足利義満は冊封を受けて、貿易をしている。また、一部には陰謀説もある。豊臣政権を永続させるため、外征で大名の力を削ろうとした、というものだ。しかし、その割には、出征したのは加藤、小西、福島、蜂須賀等、豊臣の譜代大名が多く、最大の仮想敵、徳川家が動員されていない。

こう考えてくると、天下統一で仕事がなくなった武士を食わせるための出征で、それゆえ簡単にやめられなかったという解釈が、最も妥当ではなかろうか? 日本人では堺屋太一がこの説を唱えている。堺屋はこれを現代企業に置き換えて、国内市場が飽和しても人減らしができないから、成算のない海外事業に乗り出す典型例で、「人事圧力シンドローム」という、組織が罹る病気だとしている。アジモフの場合は、独自にこの考えにいたったのか、それとも何かの本に書いてあったのだろうか?

ところで、李舜臣の亀甲船は鋼鉄装甲だったのか?

第3期(近代)の記事はそれぞれ長すぎて、すべて列挙するのは不可能だ。この時期の日本の記事の分量は、ヨーロッパの主要国と遜色がなくなるし、1930年代の世界の記述など日本から始まる。文化面の記事も頻繁になり、高木兼寛、北里柴三郎、御木本幸吉、高峰譲吉、湯川秀樹の業績が紹介されている。ただし、みてのとおり、いずれも科学・技術系等の人々で、夏目漱石や芥川龍之介、横山大観などは言及されていない。

顕著な特徴は、やはり西洋人の視点が中心になっている点だろう。具体的には日本の対外関係の記事は多く、国内問題は少ない。例えば、第1次大戦時の日本について、膠州湾や太平洋の諸島をドイツから奪ったこと、貿易で荒稼ぎをしたこと、中国に21か条の要求をしたことは書かれているが、米騒動の記述は全くない。日本社会への関心があれば、米騒動は、当時の日本が世界有数の軍事力を持ちながら、主食の値上がりで暴動が起こるような不均衡な発展をとげており、かつて戦火を交えたロシア帝国に似てきたという、興味深い記事になったはずである。なお、西洋人の視点と関心が優先するのは、日本に限らず、非西洋の記述一般にいえるようだ。例えば、アジモフは20世紀の中国の作家として、ただ1人、林語堂を挙げている。たしかに、米国で活躍し、英語の著作も多い林語堂は、海外から見て目立つに違いない。それにしても、20世紀の中国人文学者の代表に、魯迅や胡適をさしおいて林語堂を持ってこられては、中国人なら首をひねるのではないか。

最後に原爆投下について。
アジモフは、原爆投下の目的は、戦後の日本占領統治を米国だけで行い、他国とくにソ連を排除するためだったと述べている。これはそのとおりだろうし、米国の決定は日本を救った、と私は考える。当時のソ連に占領されたらどういう社会になったかは、北朝鮮をみれば想像がつく。

***************************
これにて、連載を終了します。ご意見があれば、お寄せください。

投稿時間:2011/06/02(Thu) 23:12
投稿者名:徹夜城(第一発言者)
Eメール:
URL :
タイトル:
大変面白く読ませていただきました。
>Kenさん
 大変面白く読ませていただきました!歴史専攻であり、じつはひそかに「人類通史」を書く野望を抱いている僕には大変興味深い内容でした。
 ウェルズとアシモフの世界史本をこちらは直接読んでいるわけではないのでこれからぜひ読んでみようと思いますが、kenさんの分析、感想、批評ともウームとうならされるばかり、なんだかもう読んだ気にさせられました(笑)。

 一人によって書かれた人類通史の世界史本は他の歴史家のものを二つばかり読んだことがあるのですが、歴史専攻者ではない二人の歴史を見る際に重視する部分の違いも興味深かった。とくにアシモフが「技術」に着目する観点はなるほどと思うばかり。またウェルズの未来への見通しの確かさは彼のSF「解放された世界」を読んだ時にも感じましたが(当時の科学知識の限界はあるとはいえ)、これほど先見の明があったとはと改めて驚かされました。
 最後の日本史に関する部分も面白かったですねぇ。僕は東洋史、日中交流史専攻だったので欧米人が日本史や中国史、韓国史について触れると「?」と首をかしげる記述に出会うことは多かったです。うーん、やはりアシモフも…と思いましたが、あくまで彼は専門家ではありませんしね。歴史家でも参考にした書籍がいい加減だとやっぱりヘンなことを書いてしまいますし。また世界史的スケールの通史で各場合、どうしても単純化してしまう(ただこの点では欧米人のほうが上手いのは事実)ので余計にズレを感じてしまうということもあるでしょうね。
 ところで奈良の大仏のサイズの件ですが、「501」が「51」の誤植、といったことはないでしょうか…?

投稿時間:2011/06/03(Fri) 21:17
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:
Re: 大変面白く読ませていただきました。
徹夜城さん、

>「人類通史」を書く野望を抱いている

それは楽しみですね。今回取り上げた両書をみても分かりますが、歴史書というのは、いろいろな切り口で書けるものだし、これまでになかった形のものは、いくらでも工夫できるに違いないと、思います。アジモフの場合は、徹夜城さんが言われるとおり、技術を切り口にして成功していますね。そもそもアジモフが大量に著している科学エッセイが、(私が読んだ限りでは)すべて歴史書の形体をとっています。例えば、宇宙論にしても、いきなり最新理論を解説するのでなく、古代エジプトやギリシャの天文学から説き起こし、コペルニクスやケプラーやハレーやハッブルの事跡を辿りながら、話を進めてゆきます。これは決して迂遠な手法でなく、最も確実に宇宙論を理解させる書き方なのでしょう。

>奈良の大仏のサイズの件ですが、「501」が「51」の誤植、といったことはないでしょうか…?

なるほどねぇ。アジモフ当人は入れなかった、余分な「0」が混入してしまった・・・・。大仏の実際の高さは15メートルだから、そうかもしれませんね。

藤原道長が「ショーグン」になってるのも、ともに天皇の代理統治者である「摂政関白」と「征夷大将軍」が、ほとんど時代を接して登場するものだから、混乱しても仕方がないかもしれません。ディズニーアニメの『アラジン』はアラビアンナイト、つまりアッバース朝が舞台のはずだけど、王様が「サルタン」と呼ばれてる。こういう例は多いんでしょうね。