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投稿時間:2014/04/07(Mon) 23:23
投稿者名:Ken
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Races and People (1)
アジモフが著した教養書を少しずつ紹介してゆきましょう。私も多くを読んだわけではありませんが、どれをとっても読み易いし、理解し易い。実に、学校で使用される教科書が、こういうものばかりだったら、勉強嫌いの少年少女がどれだけ減ることかと、思われてなりません。

惜しむらくは、アジモフの小説と違って、教養書は、邦訳されてる作品が、多くないように思われます。ウィキペディアのアジモフの日本語記事で、どの作品が邦訳されてるかをチェックしていますが、膨大な著作量と比べて、日本語化された作品は、あまりにも少ない。ただし、以前に紹介した「Understanding Physics」のように、無いと思っていた邦訳が、実はあった、というケースもあるのですが。

ともあれ、邦訳がなければ原書を読むしかないわけですが、小説と比べれば、教養書は、英語自体は易しいのではないでしょうか? 少なくとも「ファウンデーション」や「鋼鉄都市」を読む人なら、アジモフのノンフィクションに挑戦してみるのもよいように思われます。

今回、初めに紹介するのは、1955年にW. C. Boydとの共著で発表された「Races and People」です。なんと「人種」の話です。当時のアメリカの社会状況を考えれば、容易に語れるテーマでもなかったでしょうが。アジモフたちが、「人種とはなにか」を科学的に究明しながら、いわゆる人種主義に戦いを挑んだ一作、ともいえるでしょう。

それでは、本書の内容を紹介してゆきましょう。本書は10章から成りますが、第1章では、絶対の存在と考えられていた「人種」が、実は大変に曖昧なものだということを示すために、北イタリアを起点にして、旅をしてみようといっています。

北イタリアの人は多くが金髪で青い目の、典型的な白人です。そこから、イタリア半島を南へ下ってゆくと、髪も目も黒い人が多くなります。海を渡ってシシリー島まで来ると、人々の肌の色がだいぶ濃くなります。さらに地中海を越えて、エジプトのカイロへ来ると、シシリーよりもっと濃い色の肌が増えますが、それでもまだ、いわゆる「黒人」とは違う。さらにナイル川を遡ってスーダンまで来ると、ますます肌の色が濃くなる。スーダンの人が「白人」だと思う人はいないでしょう。それでも、北イタリアからスーダンまでの間で、どこまでが「白人」で、どこから「黒人」になるのか、はっきりとした境界線はありません。人種とはかくも曖昧なものなのです。

第2章では、人種にまつわる誤解を解いています。いわゆる「民族性」が先天的なものだと考える人がいます。特に2つの世界大戦を経験した後では、ドイツ人が元来好戦的な性質をもってるという考えが、すっかり広まりました。しかし、もっと長い目で歴史を見れば、ナポレオンの時代にはフランスが、百年戦争の時にはイギリスが、カール12世の時にはスウェーデンが、どこよりも好戦的な国だったのです。一方で、例えばナポレオン時代のドイツなどは、哲学者と音楽家の国だと思われてました。民族性などは変わるものだし、人種とは何の関係もないのだ、とアジモフは言います。

人種にまつわるもう1つの誤解に「純粋性」があります。ナチスはドイツ人の純粋性を守ることに大きな価値を置きましたが、人類史を通じて、世界の人類は混ざり合ってきたのだし、純粋な人種や民族などこにもないのです。アジモフはそれを示す1例として、なんと日本人を挙げ、日本人はアラブの遺伝を受けているのだ、と言います。一体どういうことでしょうか?

それは、歴史の中の壮大な物語なのです。7世紀にアラブ人が北アフリカを征服し、ベルベル人をイスラムに改宗し、今度はそのベルベル人がスペインを征服し、800年も統治しました。その過程でアラブ人とベルベル人、ベルベル人とスペイン人の混血が大量に発生したはずです。つまりスペイン人には、ベルベル人を介して、アラブの血が混ざっているのです。さて16世紀にはイギリス征服を試みたスペインが艦隊を派遣しますが、戦いに敗れ、将兵の一部はアイルランドに逃れます。ここでも混血が行われたでしょう。19世紀になると、アイルランドからアメリカへ大量の移民が渡り、アイリッシュはアメリカの中で重要な位置を占めます。そして第2次大戦後に、アメリカ軍が日本を占領統治し、将兵と日本人の間に生まれた子供が多くいます。こうして、アラブの遺伝子が、ベルベル人、スペイン人、アイルランド人、アメリカ人を介して、日本人に伝わっているのです。

もちろん、これは1つの例に過ぎませんが、世界で最も「純粋」と思われている日本人でも、こんなことが起こるなら、たしかに純粋民族など存在しませんね。

続く

投稿時間:2014/04/08(Tue) 23:02
投稿者名:徹夜城(第一発言者)
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続き、楽しみにしてます〜
>Kenさん
この掲示板もなかなか書き込みがなく、放置してるとスパム書き込みがなされてしまう状況で(それで時々アドレスを変えてます)、僕自身何か投入しておかないとと思ってはいたんですが、こうして投稿していただくとありがたいです。
まだまだ続きがあるようですが、テーマ自体がSFとは離れつつも、僕自身世界史をやってる人間ですから、大いに興味をそそられました。日本人の例を挙げてるのは意外でしたが、まぁそれなら世界中どこの民族でもこの手の話はありそうですね。

続きを楽しみにさせていただきます。

投稿時間:2014/04/09(Wed) 01:28
投稿者名:Ken
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Re: 続き、楽しみにしてます〜
返信をいただき、ありがとうございます。

残念ながら、歴史の話が出るのはここまでで、第3章以降は、限りなく生物の教科書的になってゆきます。

アジモフの歴史関連作品では、「世界の年表」の他に、古代ギリシャやローマ史を扱ったものがありますね。なかでも「バイブル・ガイド」は、古代の中東史に触れる、秀逸の作品だと思います。邦訳されてるかどうかは分かりませんが。

投稿時間:2014/04/09(Wed) 23:30
投稿者名:Ken
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Races and People (2)
第3章では、一般的に人種を分けると考えられている、身体的特徴について解説します。肌、髪、眼の色が異なるのは、質的な違いではなく、誰もがもつメラニン色素の量の違いに過ぎません。特に、最も決定的に人種を分けるとされる肌の色は、日射量の多寡に沿って自然選択が働いた結果なのです。ひところさかんに人種区分に用いられた頭の形も、区分の境界が曖昧な上、後天的要素が大きすぎます。

そもそも、人間の先天的な身体特徴で、人種を区分できるのでしょうか? それを考えるには、「遺伝」がどのような仕組みで起こるのかを、知る必要があるでしょう。そこで、第4章以降では、遺伝の仕組みが教科書的に解説されてゆきます。

まず第4章は、細胞の構造のお話です。細胞核、ミトコンドリア、核の中の染色体、染色体の遺伝子、そして細胞が分裂するとき、染色体がどのように複製されるか、遺伝子が身体的特徴を決定するからくりは?、という説明がなされます。最も肝心なことは、染色体は2本1対のペアになっており、たとえば何対目のペアのどの位置には、目の色を決める遺伝子がある、というような遺伝のしくみです。説明は、基礎の基礎からなされており、「分子とはなにか?」「原子とは?」という話まであります。

第5章では、親から子へ遺伝子が受け継がれる仕組みが説明されます。通常の細胞では染色体(=遺伝子)が2本1対のペアになっているのに対し、生殖細胞(卵子と精子)は分離したペアの一方だけを受け取るので、ペアのどちらが子供へ伝わるかは、半分ずつの確率をもちます。両親から受け取った片方ずつの染色体が、受精卵の中でペアを作り、子供の遺伝情報が確定します。そして両親から受け取る、その位置の遺伝子は、同じであったり、異なっていたりします。たとえば、両親から茶色の目の遺伝子をもらったり、もしくは片親からは茶色の、もう一方の親からは青い目の遺伝子をもらったりすることが、あるのです。

第6章は、遺伝の仕組みが、さらに詳しく説明されます。遺伝法則を発見したメンデルの物語から始まり、両親の一方から茶色の目の遺伝子を、もう一方から青い目の遺伝子をもらった場合には、子供の目は茶色になる、といった優性遺伝、劣性遺伝の解説がなされます。同じ染色体の上にあるためリンクしている遺伝子の話、また男性はY染色体のせいで、母親から受け継いだ遺伝的特徴が、遺伝疾患をふくめて、現れやすいといった話もなされます。読者の理解がさらに深まることでしょう。

第7章も、遺伝子の働きの説明が続きます。どの染色体のどの位置にどの遺伝子があるのかという研究が進んでいること、身体特徴は、遺伝以外の要因でも影響されること、何らかの要因で遺伝子自体が変わってしまうこと(変異)が説明されます。変異の多くは個体に有害ですが、中には有益なものがあり、これが自然選択によって種を進化させます。

3章から7章までは、高校の生物の教科書に出てくるような話でしょう。(私が高校生だったのは、30年も昔で、はっきりとは覚えていませんが)

続く

投稿時間:2014/04/12(Sat) 00:57
投稿者名:Ken
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Races and People (3)
第8章では、いよいよ「人種」つまり人類を遺伝的な特性で分類できるか、という考察が行われます。この問題は、現在なら遺伝子(DNA)を直接調べて、遺伝的に近い民族、遠い民族を明らかにできるのですが、本書が書かれた1950年代に、そんな技術はありませんでした。それゆえ、頭の形とか、肌の色とか、顔の造形といった、遺伝の結果現れる特徴で、人種が区別されていたわけですが、いずれも影響遺伝子が複雑すぎて、メンデルの法則を容易に適用できません。例えば、白人と黒人の混血では、中間的な肌の色の個体を生じますが、単純なメンデルの遺伝法則なら、白か黒か、どちらか一方になるはずなのです。つまり、皮膚のメラニン色素の量に影響する遺伝子は複数あり、個人の色素量はその総合で決まる、ということです。さらには、ある個人のメラニン量のどれだけが遺伝で、どれだけが日射量や食物などの結果なのか、切り分けが不可能です。そこで、アジモフは、これらの問題を持たない遺伝形質として、血液型に注目しています。

まず、そもそも血液型とは何か、A型、B型、O型、AB型の血液が、どのように成分を異にしているのかを説明し、さらに、メンデルの法則が血液型についてはきれいに適用されることを示します。また、ABO式とは別にRh+とRh-というRh式の血液型が存在することも説明されます。

第9章でアジモフは、もし「人種」というものを想定するなら、肌の色その他のような曖昧な特徴ではなく、血液型を規準にすべきだろうと述べます。なぜ血液型かというと、(1)個人の外見から分からないから、偏見を排除して科学的アプローチが可能、(2)遺伝の仕組みがはっきりしている、(3)遺伝だけで決まり、後天的影響を受けない、(4)自然選択で特定の血液型が増減しない、という利点があるからです。4番目は、日射量による選択が働く肌の色などと、大きく異なる点でしょう。

血液型を人種区分に用いるといっても、「A型人間」や「B型人間」を別の人種と考えるわけではありません。(そんなことをすれば、血液型の異なる親子兄弟が、別の人種になってしまいます。)そうではなくて、A、B、AB、Oの4つの型の構成比率が、世界の各地で大きく異なるので、これを「人種」と考えたらどうだろう、というのがアジモフの提案です。

特に、B型とAB型の人が持つB遺伝子の出現比率が、最もはっきりと、世界の諸民族を分類します。出現比率が最も高いのは中央アジアで25%以上に達します。その他のアジアが約20%、東欧とアフリカが15%、西欧が10%、南北アメリカとオーストラリアの原住民が0%となります。アメリカはA型も少なく、南米にいたっては、先住民は100%O型であったろうと、いわれています。さらには、ABO式以外のMN式、Rh式も考慮した結果、本書は世界の人間を、(1)オーストラリア先住民、(2)アメリカ先住民、(3)アジア人、(4)アフリカ人、(5)ヨーロッパ人、(6)ヨーロッパ先住民と区分しています。「ヨーロッパ先住民」というのは、バスク人のことで、Rhマイナスの血液型がきわめて多い点が、他のヨーロッパ人と異なります。

結局、アジモフは、もしも「人種」なるものを科学的に定義したいのなら、血液型の構成比率ぐらいしか、基準にするものがないだろう、といっているのです。

そして第10章では、ある人間集団が別の人間集団よりも優れているという、いわゆる人種主義が、誤りであることを、科学的に説明しています。人間の知能は遺伝よりも後天的な影響に大きく左右されること、世界の最も優れた文明は歴史の中で変遷したこと、特定の集団の知能が仮に優れていると仮定しても、それは平均値にすぎず、優秀な個人はどの集団にも現れること、これらの諸点を挙げた上で、アジモフは、結局、「人種」などは無用の概念だと結論づけています。

また、人類にはもはや自然選択による進化は起こらないし、いわゆる「優生学」によって優れた遺伝子を選ぼうとしても、人間の質を決める要素は複雑すぎて、多くの乳を出す牛を選ぶような単純な話ではありません。本当に人類の質を高めたいのなら、これとは逆の方向、つまり世界中の人間の遺伝子を活発に混ぜ合わせて、人類の中の多様性を高めるべき、というのがアジモフの主張です。結局のところは、この種のいわば社会的な主張をするために、アジモフは本書を著したといえるでしょう。これは現在なら、普通すぎる主張かもしれませんが、1950年代の背景を考えれば、相当にラディカルな主張だったのではないでしょうか。

続く

投稿時間:2014/04/12(Sat) 21:25
投稿者名:Ken
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Races and People (4)
「Races and People」は、中学生や高校生でもしっかりと理解できるように書かれ、社会的主張を別にしても、遺伝についての優れた教科書になりうるのですが、惜しむらくは、1950年代の知識をベースにしているため、今の私たちが読むと、誤りもまた認められるのです。私が気づいたものを挙げておきましょう。

まず、人間の細胞核には24対48本の染色体が存在すると述べられていますが、正しくは23対46本です。染色体は非常に観察が難しく、そのままでは顕微鏡でも見えないので、染料で着色して(名称の由来ですね)観察しました。23対とか46本といっても、整列しているわけではなく、ごちゃごちゃに集まっているのです。昔の研究者が、数え間違ってもふしぎではありません。

つぎに、染色体上の遺伝子の構成物質は「核蛋白」であると述べられています。これは、あるいは全くの誤りとはいえないのかもしれませんが、現在はもちろんそんな言い方はしません。遺伝子を構成する物質は欠酸素リボ核酸つまりDNAであることは、万人が知っています。また遺伝子が細胞内で複製されるメカニズムも、当時は不明でしたので、本書でも「分かっていない」と書かれています。

アジモフは人類の集団ごとに血液型の構成比率が異なること、特にB遺伝子が中央アジアを頂点にして、そこから遠ざかるほど減ってゆくことから、人類の発生と分散を次のように推測しています。

〜〜すなわち、人類発祥の地は中央アジアである。そして人類には当初からA型、B型、AB型、O型の血液型がそろっていたのだが、人類分散の過程で、偶然の作用から一部の血液型が存在しない地域ができた。例えば、シベリアからアメリカへ渡ったのは、偶然にO型だけの集団だった。またオーストラリアの先住民(アボリジナル)の祖先になった移住者は、偶然にO型とA型だけの集団だった。B遺伝子は、もともとO遺伝子やA遺伝子よりも数が少なかったために、ごく少数の集団が分かれて移動すると、最もなくなりやすいのである。〜〜

もちろん、人類が中央アジアで発生したというのは、全くの誤りで、人類発祥の地はアフリカしか考えられません。では、地域による、血液型の構成比率の違いは、現在ではどう説明されるのでしょうか?

人間の血液型の発生には、常に2つの説がありました。1つは、原始の人類はO型だけだったのが、後にA型が、さらに後にB型遺伝子が発生した、というものです。世界の中で、O型が最も数が多く、広範に分布し、A型がこれに次ぎ、B型が最も地域的に集中していることが、その理由でした。O型=狩猟民族、A型=農耕民族、B型=騎馬民族という想像をする人もいます。

もう1つは、人類には初めからすべての血液型があったという説です。その根拠はABO式の血液型は人類以外の生物にも見られるからで、血液型が人類が発生するはるか前から存在したに違いない、というものです。アジモフはこの考え方で、世界各地で構成比率が異なるのは、偶然の作用であるといいます。

私自身がネットで調べた限りでは、やはりABO式の血液型は、人類の発祥当初から存在した、という考え方のほうが、広く支持を得ているように思われます。それなのに、世界各地で血液型の構成比率が異なるのは、アジモフがいうような偶然の産物ではなく、特定の病気に対する耐性が、血液型で異なるせいではないか、という説が報告されています。例えば、O遺伝子を持つ人は、コレラやペストへの耐性が弱いが、梅毒には強い。それゆえ、コレラやペストが存在せず、梅毒が存在した南北アメリカで、圧倒的な多数を占めるようになった、というものです。言い換えれば、本書執筆当時のアジモフは、血液型には自然選択による淘汰が働かないという前提に立っていますが、その前提が誤りである、ということです。

続く

投稿時間:2014/04/13(Sun) 17:29
投稿者名:Ken
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Races and People (5)
繰り返しになりますが、アジモフは、人種などを問題にするのは無意味である、という主張をしたかったのです。そうはいっても、人種に多大な価値をみる人は今でもいるし、1950年代にははるかに多かったのだから、ただ政治的・社会的な主張ばかりを叫んでも、効果はありません。そこで、本書の中では、一応、人種が存在するものとして、その実体を明らかにするべく検証を進めた結果、人類を遺伝的に分類できるとしたら、血液型の構成比率くらいしかないだろう、という結論に至っています。もちろん、人種主義を叫ぶ人たちは、そんなもので人類を区別したいわけではありませんから、本書の結論にはショックを受けたでしょう。

最後に、本書を読んで、人類が多様化してきた過程に、純粋に科学的な関心をもち、世界の各国民は、遺伝的にどれだけ近いのか、また離れているのかについて、もっと知りたいと思う人がいるなら、私からの推薦図書があります。

イタリア人の人類学者、Luigi Luca Cavalli-Sforzaは、遺伝子と言語の両面から、ヨーロッパのどの地域の住民がどの地域の住民と近いのかを研究してきた人ですが、この人が自分を含む複数の研究者の成果を紹介するために、1990年代の初めに著した、一般向けの解説書があります。ヨーロッパだけでなく、世界中の諸民族を対象にしており、もちろん日本人も含まれます。最初はイタリア語で書かれ『Chi Siamo: La Storia della Diversita Umana』というタイトルがつけられましたが、後に『The Great Human Diasporas』という題で英訳されました。ウィキペディアで調べたところ『わたしは誰、どこから来たの』という題で邦訳もされているようです。人間のDNAを直接検査できるようになった時代の研究結果ですから、その信頼性は1950年代の作品よりも、はるかに進歩しています。「人種」という名称をもちいるかどうかは別にして、世界の人類を系統的に区分することに関心をもっている人なら、このような書を楽しめることでしょう。

これにて、『Races and People』の紹介を終わります。