投稿日 | : 2011/01/22(Sat) 11:37 |
投稿者 | : Ken |
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タイトル | : Re^4: 学問に「超越者」を持ち込む是非 |
ウェンデル・アースさん、ご無沙汰してます。
はじめに少々苦情を(笑)
投稿の冒頭でも述べたように、ID論は、きわめて誤解を受けやすいので、私自身も、細部の用語にも注意を払って、書いてきました。その立場からいうと、「サイエンティストとID論者」という対比は、これ自体が議論の対象だと思います。ID論者の中にもベーエ教授に代表される本職の科学者が含まれます。対比は「ダーウィニストとID論者」とするべきでしょう。
もっとも、ダーウィニストの多くが、IDを疑似科学といっているので、彼等の主張どおりなら、ID論者は科学者の名にあたいしないことになります。ただ、私は、今回の投稿で、その主張が誤りだと述べてきました。IDは科学理論として正しいかもしれないし、誤りかもしれない。しかし少なくとも疑似科学ではない、ということです。ですから、今回の議論の中で、もしもIDは疑似科学であると主張されるのであれば、私の論理の「ここがおかしい」という説明をいただけると、たすかります。
ウェンデル・アースさんが、「不在証明」で、具体的に何を意味されているのか、今ひとつ掴めなかったのですが、時計作りの例に関しては、いささか補足説明をさせてください。
まず、時計作りのアナロジーは、無限の時間は想定していない、ということです。地球が誕生して46億年。生命の誕生から約40億年。我々脊椎動物の最も原始的な生物が登場するのは、約5億年前のカンブリア紀と言われる時代です。本格的な進化はここから始まるとして、生物学者はカンブリア以後の時代を「古生代」「中生代」という大きなくくりや、「石炭紀」「白亜紀」といった、より細かい区分に分けています。この程度の「有限」な時間で、我々が知る進化は起こったのです。
次に、時計にせよ生物にせよ、ひとりでに組みあがることはない、というのは、ダーウィニストとID論者の双方に共通する前提で、この点は、両者の議論にも口喧嘩にもなっていません。この前提に立って、ダーウィニストは自然選択を提唱し、ID論者は、それに人為的進化も加えています。両者の対立点は、人為的進化を加えることの是非なのです。
ID論が、人間の構造が最善と主張しているとは、私には初耳です。ID論者の中に、そういうことを言っている人がいるのでしょうか? ただ、それはIDの本質ではありません。IDの基本は、地球生物の進化に干渉したものがいる、ということに尽きるでしょう。