投稿日 | : 2011/01/28(Fri) 04:09 |
投稿者 | : Ken |
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タイトル | : ID論争 (7) |
皆様こんばんわ。
ここまでの、皆さんからのご質問やご意見を伺って、私の説明不足、プレゼンテーションの稚拙な点が、自分でもみえてきました。そこで、明らかにできる点は明らかにし、その上で、ダーウィニズム対IDの論争が、なぜ今のようにかみ合わなくなったのか、歴史的経緯を踏まえながら、考証してみようと思います。当初の予定になかった第7回をアップしますので、ここまで読んでいただいた方々には、いま少し、おついきあい願えれば、幸いです。
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今回の質疑応答を通じて、多くの人が、
「合理的に説明のつかないことに、超越的存在をもちこんで、解明を放棄するのは科学ではない」
と、批判されていることが分かってきた。なによりも、この点について、補足説明が必要であろう。
このような指摘自体は至極真っ当なものだし、現実にこの誤りを犯す人々がいるのも事実である。例えば、17世紀以降、光は波だと主張した科学者たちは、
「波とは媒質を伝わるものだ(音声が大気を伝わるように)。光は真空の宇宙空間を通ってくるが、そこには媒質となるべき物質が何もないではないか」
と批判されて、困ってしまった。中には、
「光は媒質がなくても伝わる波なのだ。神がそのように決められたのである」
と主張した人もいるだろう。これなど、この誤りの典型的な例といえる。多くの科学者たちは、神こそ持ち出さないが、「エーテル」という、決して観測できない、いわば超越的な物質が宇宙を満たしており、これが光を伝える媒質だと主張した。これでは、神がそう決めた、というのと本質で変わるところがない。
しかし、自然選択で説明のつかない進化は人為的干渉の結果と主張することは、この例には該当しない。なぜなら、進化への干渉は、超越的なわざではないからである。人類は、農耕・牧畜を始めてより1万年以上もこれを実行してきた。干渉の具体的手法は、「好ましい」個体にのみ子孫を作らせる人為選択だったが、ごく最近になって、遺伝子組み換えという新しい手法も加わった。つまり、IDには、人類とよく似た意思と能力を有する、人類以外の存在を仮定すればよいのである。それは異星人かもしれない。異星人が現実的な可能性としてありうることは、SETI(地球外知性の探索)をNASAがやってることでも分かる。
また、ある特定の進化──例えば鳥の出現──が、自然選択では説明できず、IDと結論されても、それがすべての終りではない。やがて、自然選択でこれをきれいに説明する理論が現われるかもしれない。もし現われたら、それに合せて我々の考えを変えればよいので、そのような例は、科学史上枚挙にいとまがない。むしろ、人為的干渉という、人類が現にやっていることを、人類以外がやるとなると、「疑似科学」として根拠もなく排除することこそ、科学の発展を阻害するものである。
それにしても、なぜ、ダーウィニズムにまつわる論争では、良識が支配せず、誤解と歪曲と強弁が横行するのだろうか? 私は、それは、歴史の偶然が生んだ不幸な事態だと思う。
19世紀来の論争のそもそもの発端となった「時計作りのアナロジー」を考えてみよう。生物の複雑な構造が自然発生するはずがなく、意図的な創造者がいるという主張自体は、いわば常識論にすぎない。
問題は、その創造者が神であると短絡した点にある。それも一般名詞としての「神」ではない。当時のヨーロッパ人が考える神──宇宙を根源的に創造し、地球を生命で満たし、自分になぞらえて人間を作り、自分の息子を救世主として遣わした存在──という、きわめて具体性の強いものである。冷静に考えれば、進化の干渉者が、このような神でなければならない理由はどこにもない。
それゆえ、無神論者が「時計作り」に論駁するとき、何よりもこの点を衝くべきだった。そのとき「聖書派」から出るであろう「神でもない者が、かくも偉大な生命体系を作れるか」という主張に対して、ダーウィニズムを補強理論として提出すればよかったのだ。生物自身が自己進化する仕組があるから、すべての進化を干渉者が導く必要はなく、ゆえに神でなくてもよいのだ、と。
ところが、当時の無神論者は、「時計作り」の干渉者は神以外にあり得ないと、彼等自身も短絡してしまった。この点で、無神論者も当時の典型的なヨーロッパ人だったといえる。そうなると、神を否定する立場上、進化への干渉を全否定するしかない。それはつまり、ダーウィニズム(自然選択)で、あらゆる進化を説明できるという主張につながる。こんなことは、ダーウィン自身も想定したか疑問である。自然選択で進化が起こり得るのと、進化は自然選択でしか起こらないのでは、ロジックとして全く別物なのだ。
「自然選択で進化が起こり得る」ことには大量の証拠がある。「進化は自然選択でしか起こらない」ことには何の証拠もない。ベーエ達ID論者は、後者の点を追及し、ドーキンス達は、前者の証拠で後者も証明されると強弁するのだ。ブッシュ前大統領は、学校でダーウィニズムとIDの双方を教えるのがバランスが取れてよいだろうと言ったが、ドーキンスはIDを学校に持ち込むことに断固反対する。その理由として、IDは「自然選択で進化が起こり得る」ことも否定する疑似科学だというのだ。「そうではない」という抗議には一切耳を貸さない。
さて、われらがアジモフ博士が今の論争を見たら、何と言うだろうか?
私の個人的意見だが、やはりドーキンス流の論法は論理的に破綻しているし、アジモフとしても支持するわけにはゆかないだろう。ただ、ここで悩ましいのは、ID論者が表に出す主張の背後にある意図である。彼等自身は、干渉者の正体がユダヤ・キリスト教の神だと思っているし、IDを耳にする多くの人が同じ結論へ至ることを期待しているだろう。(私がIDの主張を詳しく読むことができたのは、宗教系のサイトだけだった。)ドーキンス達がIDにいかなる譲歩もできない理由もここにあるだろう。つまり「時計作り」の賛否双方が犯した誤りは、実質的に今でも続いているのである。
アジモフとしては、IDの表の主張と裏の意図を厳密に区別し、「表」の妥当性を認めつつ、「裏」の方が人々を惑わさないように注意を促すのではなかろうか?
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どうやら、今回の投稿で、私が言うべきことは言い尽くしたように思います。もちろん、疑問や批判があれば、これからもお寄せください。