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馬野周二・著
「村山政権と日本の運命」
コアラブックス・1994年12月発行
 
 今回は「歴史本」としてはかなり最近のことを書いた本をとり上げてみた。この本は近所の市立図書館で見つけたのだが、「歴史」の棚ではなく「政治」の棚に置かれていた。タイトルからすれば当然であろう。 
 この本の裏表紙にはこんな宣伝文句が書かれている。 
「1993年から1994年にかけて起こった政変は、単なる政変劇ではなく、これからの日本を大きく決定し世紀の転換の始まりを示すものであるとする著者・馬野周二が、村山政権の実体と意味を追及。時代の深層流を読み、これからの政治展開と今後の日本のゆくすえを著す書!」 
 この宣伝文句と、そこそこまともな体裁から「うん、政治のことでも少しは勉強してみるか」などと書店で手に取ってしまったビジネスマンのお父さんたちも多いんじゃなかろうか。1000円という安さ、圧迫感のない薄さも手伝って結構売れちゃったんじゃなかろうかと思う(実際図書館にも入っていたわけだし)。 
 そしてその内容たるや…「あちゃー」と思った人はともかく、内容を本気にした人はもうトンデモ街道まっしぐらである。 
 

◆歴史はぜーんぶ「権力」の陰謀だ!

 まず、著者である馬野周二という方のプロフィールから紹介しよう。この本のカバーについている紹介によれば大正10年のお生まれで、父上は朝鮮総督府の高官。「坊ちゃん」の松山中学を卒業し、慶応大学工学部、さらに同大学院を卒業、通産省の技官となる。その後ニュヨーク工科大学に招かれて教授となり、さらにはアメリカ政府の技術開発に携わり、自らの発明特許を企業化して現在に至るらしい。こうした技術畑を歩む一方で科学的見地から政治・経済・歴史の考察を深めて「歴史工学」なるものを創始したという。この本もまたこの「歴史工学」による日本政変の分析本である。
 この「馬野周二」という名前をご存じの方も結構いるのではなかろうか。あの「トンデモ本の世界」にも著作が採り上げられている。僕がこの本を手にしたのもあれでこの人の名前を知っていたからに他ならない。あのお方が「村山政権」なんかで本を書いているとは、と興味をもったわけだ。サラサラッと立ち読みして「期待通りネタになるわい」と借りてしまったのである。図書館というのは買うのがアホらしい本をゆっくりと読ませてくれるという点で便利な施設だな、などと思ってしまう次第(笑)。
 それにしても「これはネタになるワイ」と一読してみて、困っちゃったのはこの本ってとにかく内容が錯綜してるんだよね。話があっちいったりこっちいったりするので大変なのだ。作者が思い付きでポンポンと書いているのがよく分かる。普段はこのコーナー、内容の順番にだいたい書くのだが、それがほとんど不可能な内容なので(笑)、いちおうこちらで本の主張するところを再編成させていただいた上でツッコミを入れることにしたい。

 さて馬野さんの「歴史工学」によれば、日本はもちろん世界の歴史は常に外国のある勢力の陰謀によって動かされている。この「勢力」について馬野さんは「世界権力」とか「手」とかいろんな表現をしていてなかなかストレートに言わないのだが(どうも読んでいるとわざとそうしているとしか思えない)、読んでいるとそれらは「ユダヤ」であり「フリーメーソン」であり「イルミナティ」であることになるらしい(例によってロックフェラーもロスチャイルドもゴチャマゼである)。よくある陰謀史観の要素を全て取り入れてしまっていると言っても過言ではないだろう。とにかく馬野さんの気に入らないことは全て外国による陰謀となるようで、ときおり「外国」を「害国」と表記する(笑)ほど馬野さんの外国に対する憎しみは激しい。これでニューヨークの大学で教授をやっていたというのが凄いところ。

 とにかくこの人の「歴史工学」の手に掛かると、「ペリー来航から今日只今まで我が国が関わってきた重要な対外関係は一つ残らず<世界権力>と日本国家・国民の協力、抗争、衝突の歴史でないものはない」(50頁。ちなみに太字部分は原文のまま。以下同じ)とおっしゃるぐらいで外国絡みの事件は全てこうした「世界権力」なるものの陰謀にされてしまう。もっとも近代に入ってからの日本の大きな事件で外国が全く関係してないものは考えられないのが実情だから、なんだって「世界権力の陰謀」とみなすことは可能だ。例えば伊藤博文がヨーロッパで憲法の勉強をしてくるが、彼が学んだシュタイン教授がユダヤ系だとして(未確認。しかし馬野さんは全く関係ない人もみんな「ユダヤ系」にしてしまうので要注意)、そのために明治憲法に「天皇機関説」の原点が置かれたと主張する。また憲法制定と議会開設に動いた人に土佐派が多いことに触れて、土佐の坂本龍馬や岩崎弥太郎が商人グラバー(馬野氏によればメーソンだそうだ。ついでながら龍馬自身もメーソン扱いされている))と親しかったことを挙げ、やはりそこに「陰謀」の匂いをかぎつける。同じ土佐の漂流民ジョン万次郎まで「外国の<手>の疑いがある」と言い出す始末で、しかも「伊豆韮山代官江川太郎左衛門は彼を邸内に置き外国知識を吸収したが、国粋家水戸光圀は江川に書簡を与えスパイ行為を注意している」などと時空を飛び越えた人物を登場させちゃったりしている(もちろん正しくは「水戸斉昭」)。総じて言えば馬野氏の書き方には「議会制民主主義」というもの自体を外国の陰謀によってもたらされたものとして敵視する姿勢が強く感じられるのだ。

 「今の人たちはこの大正デモクラシーというものの真実を十分ご存じないのではなかろうか。この動きの深層とは、フリーメーソンがその手を日本に伸ばそうとしたところから発生したもので」(15頁)などと言い出すのは当然の流れ。原敬から犬養毅までの政党政治時代の首相たちは「いずれも自覚していたか否かは別にして、フリーメーソン思想に浸されていたといってよいだろう」と断言する。そして「余談だが大久保、原、犬養、岡田、と言った首相が後年暗殺されたについては一貫した理由があると私は見ている。世が世ならば海部、細川、小沢の首などはどうなっているかわかるまい」とまで書いちゃっているのだが、この人、この年代のくせして岡田首相が暗殺なんかされていないことをご存じ無いらしい(2.26事件で岡田啓介首相は確かに命を狙われたが義弟が身代わりで殺され本人は無事だった)。さっきの光圀の件もそうだが、他にも「将軍義満自身が臣道義と称して宋朝に臣下の礼をとり」(80頁)なんて勘違いを平気でかくお方なんだよな、この人。

 この調子だから日清・日露・第一次大戦・日中戦争・太平洋戦争などももちろん「世界権力」の陰謀であり、日本はその手のひらで躍らされた存在に過ぎない。そして戦後の日本国憲法もまたそれによる陰謀とされる。ロッキード事件などの疑獄事件もすべて彼らの陰謀の結果となっている。それなら彼ら「世界権力」による日本征服なんてとっくに実現されているようにしか思えないのだが、馬野さんはちっともそう考えてはいない。そうした外国からのさまざまな陰謀の圧力に対して日本にはその中からわき起こってくる「地湧精神」なるものがあり、そうした圧力を跳ね返し続けてきたのだと主張するのだ。ザビエルによるキリスト教布教も禁教により跳ね返したなんてのを一例で挙げている辺り、なんだか当コーナーで以前やった「ノストラダムスに惑わされるな!」を連想しちゃうところである。
 で、こうした「地湧精神」の発動が見られたのが、あの「村山政権」誕生の過程だったというのだ。

◆平成政治史の真相は?
 
 さて、この本はタイトルにあるとおり、「村山政権」が出来るまでの政変を論じた本である。忘れちゃってる方のためにこのあたりの政治史を整理しておこう。それが頭に入ってないとちょっと辛いところがあるので。

 1993年総選挙で自民党が惨敗、非自民連立による細川護煕内閣が成立した。戦後、長く政権を握った自民党が野党に転落してしまったのだ。この政変の立て役者は自民党から離脱して「新生党」を作った小沢一郎だった(もっとも常にこの人は陰に回り前面に出てくることはあまりなかったが)。この小沢の主導で作られた細川政権は自民党政治に飽き飽きしていた国民の高い支持を受けていたが、1994年に細川首相周辺に疑惑の影がさして細川が辞任、羽田孜に首相の座は受け継がれる。そんな中「二大政党制」の実現を焦る小沢一郎は政権を構成する各党を一本化して大政党化することを狙ったが、その中で社会党を露骨に仲間外れにする態度を見せた。当時の社会党の委員長・村山富市はさすがに激怒して政権を離脱してしまう。そして1994年の6月、自民党は村山社会党とまさかの連合を組み、政権を奪還。かくして村山政権の誕生となったのだ。

 馬野氏が議会制民主主義や政党政治に激しい敵意を抱いていることは前述の通りだが、面白いことに馬野氏は自民党を高く評価する。それはやはり「日本の地湧精神」(「地湧」を「ぢゆう」と読ませているのはもしかしてダジャレ…?)から生まれたものであるとするのだ。自民党を「戦時中の翼賛政治体制の延長」と呼んでいる辺り、確かにそういえる部分もあるなと思わなくもないが、どうも馬野氏は「翼賛政治体制」というのが「正しい」政治体制であるとお考えのようで、「日本の地湧精神は根強く挙国一致的な一党政治体制を志向する」65頁)とまで断言している。さらに言えばこの人は日ごろ「君主制こそ正しい政治体制」とさえ主張しているお方なんだよなぁ。
 馬野氏は自民党を「いわば”日本復興党”」と呼び、この保守合同の長期政権によって社会主義者を封じ込め、外国カブレを追い出して日本を復興する目的はほぼ達せられたとしている。だから自民党の存在意義は既に終わっていたのであり、細川・非自民連立政権の誕生はその単なる「遅ればせながらの精算」にすぎないととらえ、「55年体制の崩壊」などと騒ぐマスコミをあざ笑っている。それでいて細川政権の誕生過程に馬野氏は例の「世界権力」による操作をかぎつけるのだ。

 その論拠というのがまた凄いんだよなぁ。細川護煕、羽田孜、そして彼らを踊らせた謀主小沢一郎、そして彼らにつき従う陣笠たち。これらはいろいろの面からたしかに並の日本人ではない。ある者は血統において尋常でない様子があり、またある者は少青年時代から何者かの手がまわった印象がある」(46頁)と書いているように、馬野氏の恐るべき洞察力によると細川政権に関与したこれらの人々は全て外国の手先ということにされている。例えば細川護煕氏についてはご先祖にキリシタンの細川ガラシャがいることに疑いの目を向け(ついでに彼が朝日新聞社員だったことにも疑いの目を向ける)、小沢一郎氏も青年時代に外国の手が回ったとし、またしばしば外国へ雲隠れするのは「世界権力」と顔を合わせているのだと疑っている。羽田孜氏に至っては「遠祖は西アジアからの移住者だとする見方もある。羽田=秦で、つまり真正の日本の血脈ではないというのだ」などと言い出す。この本のあちこちに出てくる主張によると、日本に住んでいる「日本人」の中にも「純血」と外国と関わりを持つ「不純」なものとがいることになっていて、陰謀の手先となるのは常に「不純」な日本人の方となっている(上記の引用に出てくる「並の日本人ではない」ってのもそういう意味である)。この論法で行くと馬野さん自身、外国と深く関わりのある経歴を持っているんだからまず真っ先に疑われるような気もするんだけどなぁ(笑)。要するに馬野氏にとって面白くない行為をする日本人は全て「真の日本人」ではないことになっているようだ。

 細川・羽田と続く非自民連立政権が「小選挙区制」を導入したことに馬野氏は激しく怒る。ま、小選挙区制の問題点は確かに多々あるのだが、この人にとって小選挙区制とは日本になじまない(と馬野氏が考える)二大政党制を持ち込んで「誰かが日本の選挙を自在に操ろうということ」に他ならない。日本新党の掲げる政策を「外国が書いた日本弱化プログラム」と非難し、また細川政権による「侵略戦争発言」「韓国・中国を回っての媚体」などにも当然の如く憤る。またこの政権成立に大きく関与している公明党=創価学会、そのトップである池田大作氏にも「外国の手先」という疑いの目を向け(しばしば外国の要人と会うことが根拠となっている)激しい敵意を抱いている。 細川政権への異常に高い支持率も、馬野氏には当然「世界権力の陰謀」にしかみえない(まぁマスコミがあおったという意味では「陰謀」といえなくもないけど)

 そんな馬野氏だからこそ、自民党と社会党が手を組んで村山政権が誕生したときは大喜びだったわけだ。だからもう村山富市氏については「かけがえのない村山首相」とべた褒めである。

 村山富市という仁はたいへん真面目な人で、政界を引退し田舎に帰って家でも建て替えて隠居しようと思っていたようだが、それが諸般の事情から急に総理大臣となった。このことは私から見ると、尋常な人間の小細工、パワーによるものではなく、なにか日本の土から湧き出した地湧の力の働きによるものと考えるほかはない。(39頁。例によって太字は本文のまま)

 …それこそ村山政権の誕生を「陰謀」と疑っていいぐらいだと思うんだけど(笑)、狂喜する馬野氏にはこれは「日本の地湧精神の発露」にしか見えてこない。なんで地湧精神の発露として村山さんが出てくるのかと言えば「彼が本物の日本人だったということに尽きる」(58頁)のだそうだ。村山さんを「清貧」「正直じいさん」とも絶賛していて、とにかくこれほど村山富市首相への賛美に満ちた本は他に無いだろう(笑)。
 馬野氏によれば、この時期の日本の政変騒動は以下のように分析されている。

 読者が眼前にしている政治改革騒ぎは、この<権力>が時期至れりと速断し、小沢一郎氏その他という見え見えのエージェントを使って日本政府の乗っ取りに乗り出したものである。小沢氏ほかの政治家、マスコミ人たちの居丈高で傲慢、浅薄な態度は、彼らがいかに軽薄な男たちであったか、<権力>がどんなに日本を甘く見ていたかを証しているのだが、無形の<地湧>精神はたちまち音もなくこれらは無頼の徒を屠り去った。(51頁)

 いやはや、とにかく凄い鼻息である。この村山政権の成立により、小沢、細川、羽田、海部、中曽根(首相指名で村山さんに投票しなかったので当然「世界権力」の手先とされている)氏ら政治家、そして創価学会=公明党は政権を追われ、「世界権力」にも見放され、もう二度と返り咲くことはないだろうと馬野氏は断言する。そして今後の展開は村山政権の長期持続、そして自民党と社会党の合体による翼賛体制の成立であると確信をもって読んでいる。そして日本は「権力」の魔の手を祓って、世界の大国になるのだと、とっても楽観的かつ妄想タップリの政界予測を行っているのだ。

 少し前の政治本や経済本を読む面白さは、その本に書かれた将来予測がまるで当たってないことにツッコミを入れられる点にある(笑)。わりとまともな本ですらそうなのだが、馬野氏のような本になってしまうと本人が物凄い確信に満ちて力説しているだけに大笑いを通り越して哀れさすら感じられるものとなる。
 この後の政界の動きについては覚えている人も多いだろうけど、村山政権は阪神大震災、オウム事件などの危機に見舞われ(馬野氏にはそれこそ全部陰謀にみえたことだろう)、その間に馬野氏なら激怒モノの「謝罪外交」もしっかりと展開し、まぁそこそこ持ちこたえて1996年正月にいきなり退陣した。跡を引き継いだのは自民党の総裁の橋本龍太郎だったが、しだいに社会党改め社民党と自民党の距離は広がっていき、とうとう選挙を前に社民党は連立政権を離れてしまう。選挙で敗れて橋本さんから小渕恵三に引き継がれた自民党が代わりに連立相手に選んだのは、馬野さんによれば「外国の手先」に他ならない小沢一郎率いる自由党であり、さらにその後これまた「外国の手先」に他ならないはずの公明党とまで手を組んでしまうのだ。
 まったく「地湧精神」とやらはどこへ行っちゃったのであろうか。その後の展開には馬野氏、さぞ絶望したことであろう。
 もっとも馬野氏のこと、全て「世界権力の陰謀」のせいにして逆に一人で盛り上がっていらっしゃるのかも知れない。最近の著書を見つけたら調べてみたいものだ。

◆これからは「日本の時代」だ!

  さて、とりあえずのオチが見えてしまったわけなんだけど、村山政権の成立により、日本はこれから新たな時代へ、しかも輝かしい未来へ突入するだろうと馬野氏は断言しちゃっている。

 かくして大東亜戦争はまさしく再開される。戦いの次元と平面は三十年前とは様変わりであるが、日本を中心として亜細亜全域を舞台とするものであることには変わりはない。国民の敗戦虚脱とそれにつけ込んだ悪人たちによって日本の過去は真っ黒に塗り潰された。しかし亜細亜、そして世界の将来は我が国の興廃にかかっている。(52頁。159頁にもほとんど同文有り。とにかくあちこちに何度も同じこと書くんだ、この人は)

 大東亜戦争再開…ですか。それにしても馬野氏の頭の中では時間は1975年あたりで止まってしまっているのであろうか(三十年前って…?)。ここで出てくる大東亜戦争とはもちろんあの太平洋戦争ともいわれるものの事であるが、馬野氏に言わせれば当然の如くこの戦争は「世界権力」がアジア征服を狙って起こしたものであって日本はそれと果敢に戦ったということになるのだ。「それで日本は負けちゃったわけですよね?」と誰もがツッコミを入れてしまうところであるが、なぜか馬野氏はこれを「大成功」と評価する。もちろん「この戦争によって亜細亜そして世界の植民地は解放された」(158頁)からなのだ!この論法ってよく耳にしますけどねぇ。
 馬野氏は現在のアジアの繁栄は日本によってもたらされたものだとして「かくてインドからインドネシアまで、中国をふくめて全亜細亜は日本をハブとして回転する。さらに問題は多いとしても、いずれ東シベリアも組み込まれる」と将来のアジア像を描いていく。しかしそのちょっと後に「誰の目にも見えないかも知れないが、大東亜共栄圏は確実に姿を現してきた。亜細亜の将来(中国を除く)には雲ひとつない」となぜか中国だけしっかり除外してしまうあたり、馬野氏の心中が推し量れるところだろう。

 まぁとにかく将来の日本の未来にとーっても明るい展開を見いだしている馬野氏であるが、この本の最後の後半になってくるとその根拠を「オカルト」というか「超自然現象」に求める傾向が顕著に現れてくる。いや、それまでの陰謀史観だってじゅうぶんオカルトの領域なのだが…。やはりトンデモな人は全てのトンデモ領域に首を突っ込んでしまうものであるらしい。

 まずこの人は「秀真伝(ホツマツタエ)」という本にハマっている(なぜか時々「しゅうしんでん」とルビがふられている)。ご存じの方も多いかも知れないが、いわゆる「偽史」「古史古伝」の中でも有名なものの一つだ。神武天皇の右大臣だった櫛甕玉命(くしみかたまのみこと)が2600年も前に書いたとされる本で、当然(?)漢字は使われておらず「ホツマ文字」という怪しげな古代文字で綴られている。1960年代に唐突に発見された文書なのだが、「竹内文書」などとともに一部に熱狂的な信者を獲得しているそうな。

 私はこの五、六年来、秀真伝という古い書を読んでいるが、この本なども文字のなかった大昔の日本人がそんなものを書くわけがないとされる。しかもこの本の中に「かくれんぼ」とか「めかけ」という言葉が出てくる。この本は神武天皇の神武天皇の右大臣であった櫛甕玉命が二千六百六十数年前に書いたもので、そんなことがあるわけがないという人がいるがそうではない。当時すでにその言葉はあったのだ。(148頁)

 馬野氏も書いているような理由により、この「秀真伝」はだいたい江戸時代ぐらいに作成された偽史だろうと分析されている。しかし馬野氏はそんなことには耳も貸さない。これこそが絶対に正しい日本の歴史だと信じていらっしゃるのだ。その理由は以下を読めばよく理解できる。

 歴史を歪めるというのは、ずっと古くから行われていたことで、古事記・日本書紀も影響されている。天照大御神が女性神であるというのもとんでもないことで、本当は男性の天皇であり、このことは秀真伝にはっきり書かれている。どうもこれは聖徳太子がキリスト臭くなっていたりすることと同根の歴史陰謀だろう。私も秀真伝を読んで目から鱗が落ちる思いがした。これは日本が世界の心の文明の源泉であると確信させる書だ。(150頁)

 ご自分で太字にしているところに最大の根拠があるように思える。それにしても前回取り上げた出雲井晶さんといちど「対決」させてみたいもんです(笑)。なお、馬野氏は他の部分でも「秀真伝」に「マイナイ(賄賂)つかんでマメ(忠実)ならず」という文があることを根拠にして「これは神代(三千年以上前)のことを書いた本であるから、すでにその時代にも賄賂は使われていたことがわかる」(80頁)とも書いてますな。

 さて、この本の最終章のタイトルは「伊勢神宮式年遷宮と社会事象の相関」という唐突なものとなる。これ、この人が以前書いた本にも出てくる話らしいのだが、馬野氏はわざわざこの本にも再録しているのだ。その内容はずばり「伊勢神宮の遷宮が日本社会の動向に影響を与えるのだ!」ということに他ならない。まぁ「鹿島神宮のお膝元にサッカーチームを作」ったりすることも外国の陰謀として警戒する人だから(140頁)あまり驚きはしなかったが(アントラーズの優勝も「陰謀」なんだろうな)

 伊勢神宮は「式年遷宮」といって、殿舎を20年ごとに隣に立て替える妙な風習がある。「金の座(かねのくら)」と「米の座(よねのくら)」という二つの場所に交代で配置されるそうなのだが(残念ながらこれが事実かどうか確認できなかった)、馬野氏によるとこれが日本の社会情勢と大きな関係があると言うのだ。ヒントになったのは伊勢の古老の言い伝えだそうで、「金の座にお移りになった20年間は戦争と動乱と不況とが必ずやってくる」というものだ。馬野氏が作った相関図があるんだけど大がかりなのでお見せできないのが残念。これをみるとなるほど、遷宮が停止していた期間はまるまる戦国時代にあたっており、また近いところでは1929年から1953年まで「金の座」に宮が置かれている。そして1973年から1993年までがこれまた「金の座」だったのだ。とにかく馬野氏のみるところ「十七世紀以降は、この凶変に必ず外国が関係している。つまり天照神の霊を悩ませるのは、常に「金」であり外国との関係だということである」(191頁)のだそうだ。ここで「金」と言っているのは他の個所で「町人が国を滅ぼす」と言って商業を蔑視していることと関係があるだろう(だから「士農工商」とした江戸幕府は偉いんだそうな)。ただ「金の座」にある時がいつも「凶」lかというとそうでもないようで、「金の座」にある時も「凶」と「吉」が交互にくることになっている。例えば日露戦争があったときは「吉」に分類されている。まぁとにかくややこしいのだ。

 1993年に遷宮が行われ、「金の座」から「米の座」に移ったことに馬野氏は日本の明るい展望を見いだす。

 いまにして考えると垂仁二六年(六四〇)から始まった大神宮の遷宮は六〇回を終わり、昨年から新しい六〇サイクルに入った。このことはわが国にとって総てが大きく変わることを意味する。(中略)
 村山富市を首相とする自民、社会連合政権の登場は単なる目先の利害に動いた政治家の動きのように見えて、それは一つの歴史動力のなせる業だと考えなければならない。
 旧連立政権は悪魔の操ったバブルの申し子だった。それは匆々(そうそう)に洗い流された。曲折はあるだろうが、これから現れるのは、ことの底流において、おそらく千年に一度の変曲ではないだろうか。(196頁)

 これがこの本の本文の末尾の文章なんだけど…なんで垂仁天皇の時代が西暦640年なんだ?640って言ったら大化の改新がもうすぐだよ。垂仁天皇って実在したとしても3〜4世紀の人なんだけどなぁ。どうしてこんな勘違いを起こしたのか全く不明(自作の表でもそうなってる)。しかも伊勢神宮の公式サイトの説明によると遷宮の第一回は持統天皇の時代なのだそうで…。それと、「変曲」って「変局」の間違いだろうなぁ。他にも誤字脱字が目に付く本だったな。
 
 私の歴史観照からすれば、国際勢力の営々たる数世紀の努力は西洋文明世界を覆い東洋を襲ったのち、いまや終末期に向かいつつある。その墓場はおそらく亜細亜、そしてその極点としての日本だろう。本書はその論理を説明する場所ではないが、末尾の章をじっくりとお読み頂きたい。(「おわりに」より)

 「本書はその論理を説明する場所ではない」ってああた(笑)。末尾の章をじっくり読め、ということはこの人の主張の全ての根拠は伊勢神宮の遷宮にあるってことか。その後の政治展開を馬野氏がどう分析しているのか、物凄く興味のわくところである。

 とにかくとんでもない内容で、いちいちツッコミを入れていたらキリもなく楽しめる本ではあった。が、単純に笑ってばかりもいられないな、と思うところもある。ここまで無茶苦茶な論法ではないものの、大同小異の主張をしている本はビジネス本の棚にけっこう入っているのが現実なのだ。書店や図書館のビジネス本の棚を一度眺めわたしていただきたい。そこには馬野氏とさして変わらない外国攻撃論と日本絶賛論を唱える本が驚くほど並んでいるものなのだ。


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