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2010年10月18日

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◆今週の記事

◆世界でいちばん小さな国の

 世界で一番小さな国といえば、もちろんバチカン市国。その面積は東京ディズニーランドにも劣るが、なにせカトリックの総本山。世界最大の宗教団体の拠点と言ってもよく、その影響力は並大抵の国よりはずっとある。9月中にローマ法王ベネディクト16世がイギリスを公式訪問して、16世紀のヘンリー8世の離婚問題による決別以来の「歴史的和解」などと騒がれたものだ。もっともカトリック内でも保守派とされる現法王に対してはイギリスではかなりキツい批判の矢も放たれているようだが。

 さてローマ法王がそのイギリス訪問を終えた直後、イタリア当局は通称「バチカン銀行」などと呼ばれる財政管理組織「宗教事業機関」に対し、「資金洗浄(マネーロンダリング)」の疑いで捜査に入った。なんでも9月15日にこの「宗教事業機関」が合計2300万ユーロ(約26億円)もの巨額の資金をイタリアの銀行からイタリア・ドイツの2口座へ送金しようと試みたが、
送金の名義人が不透明だとしてイタリア中央銀行がこれを当局に通報、当局が送金を停止し差し押さえたのだという。
 こうしたことは初めてではない。昨年11月にもこの「バチカン銀行」は1億8000万ユーロ(約203億円)ものもっと巨額の金を受取人不明のまま送金しており、その時からこれが「マネーロンダリング」ではないかと疑惑を呼んでいたのだ。だからイタリア当局も目を付けていたわけだが、そう簡単には捜査に踏み切れなかった。なぜか?そう、イタリアはローマの市内にあるデッカいお寺みたいなもんだとはいえ、バチカンはレッキとした「主権国家」であり、外国であるイタリア当局などがおいそれと捜査に踏み込めない世界なのだ(と、書いてて思ったが、金融業にも支配を及ぼし軍事力まで持っていた日本中世の比叡山もこんな感じだったのかもしれない)

 しかしさすがに今回は捜査に踏み込んだ。「宗教事業機関」の総裁ら幹部2人を取り調べることにしたのだが、バチカン側は「今回の三つの口座はいずれも宗教事業機関のものであり、イタリア側の誤解だ」と主張、ベネディクト16世も同機関総裁と面会してこれを全面支持する姿勢を見せ、イタリア当局に対し徹底抗戦する構えのようだ。その後の展開については情報を確認していないのだが、相手が独立国家であるバチカンだけに、結局ウヤムヤに終わるのではないかとの見方が広まっている。
 
 小さな国のマネーロンダリング疑惑はリヒテンシュタインモナコなどでこれまで何度も浮上してきた。とりわけバチカンはまさに文字通りの「聖域」であり、バチカンの宗教事業機関は「世界で最も秘密の銀行」とまで呼ばれていて、過去にも有名なスキャンダルを起こしている。「史点」でも過去に何度か触れてるが、1978年にヨハネ=パウロ1世が法追う就任後わずか1ヶ月で急死したのは「バチカン銀行」とマフィアの関係に手を触れようとしたための「暗殺」との憶測があり、その後「バチカン銀行」との取引銀行の頭取が次々と変死するという怪事件も起こっていて、映画「ゴッドファーザーPART3」の題材とされている(そのためにコッポラが命を狙われたという話は聞かない)
 産経新聞の記事に出ていた話によると、今回の訪英中、ベネディクト16世は説教のなかで「金融危機は経済活動に関する堅固な倫理規定がなかったため」と述べたという。また今回捜査対象ともされている宗教事業機関の総裁も1年前の就任時に現代資本主義の倫理欠如を激しく非難していたというのだが…

 バチカンと言えば、今回のノーベル賞に中国同様噛みついている。もちろん平和賞の方ではなく、医学生理学賞の方だ。今回同賞の受賞が決定したロバート=エドワーズ氏(85)が1978年(偶然だがヨハネ=パウロ1世の就任年だ)に世界初の体外受精児誕生に成功、不妊治療に貢献した人物であるからだ。
 体外受精は採取した複数の卵子を受精させ、その中から「最良のもの」を選んで子宮に戻し、着床させる。このとき利用されなかった受精卵は冷凍保存されるそうだが、利用しないとなればやはり捨てられてしまう。バチカンの見解では「受精卵」の段階で人間なのであり、それを取捨選択する行為は殺人に等しいということのようだ(中絶反対もこの考え方による)。バチカンはエドワーズ氏受賞決定のニュースに対し、ただちに「彼を選んだのは不適当」「深刻な道徳的疑問を引き起こす」と不快感を表明している。もっともこの手の話はバチカン=カトリックだけでなく、プロテスタント右派にも共通して見られるんだよな。



◆いつのマニやら

 続けても宗教の話題だが、こちらはとっくの昔に「消滅」している宗教なので、何をどう書こうと現実社会でモメることはまずない。「隠れ信者」がまだ残っているなら話は別だが…「マニ教」の話である。

 マニ教というのは、3世紀にバビロニア生まれのマニという人物が「啓示」を受けて説き始めた宗教。その教義はしばしば「各宗教いいとこどり」などと揶揄されるように、ゾロアスター教をベースにユダヤ教、キリスト教、仏教など各宗教の要素をごったまぜにしたと言われる(まぁ煎じつめれば宗教の基本要素はみんな共通ということでもある)。マニ教はとくにゾロアスター教にあった光と闇の対決、善悪二元の世界観をベースにし、肉体を闇に汚された存在とみなし、その中に閉じ込められた「光」である魂の浄化を主張したとされる。徹底した禁欲主義、菜食主義を唱え、さらには「闇=悪」である肉体の創造につながるとして性交も忌避した(それを徹底すると信者の子孫はできないことになるが…)
 創始者のマニ自身は当時ゾロアスター教を国教としていたササン朝ペルシャにより捕縛され殉教したとされるが、その教えは東西に広がった。ローマ帝国内でもかなり広まり、4世紀から5世紀に生きたキリスト教の偉大な教父アウグスティヌスが若いころマニ教徒だったことは有名だし、10世紀に南仏に広まり異端とされ弾圧された「カタリ派」もマニ教の影響を受けたものとされている。東への伝播力もかなりの強さで、ウイグルが一時マニ教を国教としたほか、唐代の中国にも広まり「明教」と呼ばれるようになった。これが宋・元時代に仏教の弥勒信仰と結びついて「白蓮教」となり、元末の白蓮教徒反乱の中から台頭し天下をとった朱元璋(洪武帝)がその国号を「明」としたのは「明教」に由来しているのではないかとの説もある。中国歴代王朝の国号は普通は地名に由来していたが、モンゴルが作った「元」以降はこの原則が破られており、「明」もその一例。ただし明についてはその由来が全く不明であることから出ている仮説なのだが、朱元璋自身は建国後に白蓮教弾圧に走っているのでちと弱いという気もする。
 白蓮教自体は清代まで生き延び、19世紀ごろまで反乱の思想的根拠ともなっているが、それ以降はマニ教の流れを汲むとみられる宗教運動は見当たらない。マニ教はもともと各宗教の要素を集めて作っただけに各地の宗教と融合しやすく、そのために世界的に広がりもしたのだが、次第にその本来の姿を忘れられて他宗教に溶けこむように消えて行ってしまった。経典類や絵画もあったようだがそれらもほとんど後世に残らず散逸してしまっているのも痛い。
 
 そんなマニ教の絵画が日本国内に存在していた――というニュースを聞いた時には、何やら心が躍ってしまったものだ。9月末に報じられたところによると、日本国内で個人が所有している絹布に書かれた絵画が、吉田豊京都大学教授らの調査により「10層の天と8層の大地からなるマニ教の宇宙観を表現したもの」と断定されたというのだ。
 今回「マニ教」と断定された根拠は、マニ教僧侶の特徴である「赤い縁取りの入った白いショールを着た人」が描かれている、さらにウイグル方面で見つかっているマニ教史料との一致といったものだという。マニ教の宇宙観が完全な姿で確認されたのは世界初といい、「国際マニ教学会」(そんなものもあるんだな)でも「画期的」と高い評価を受けたとのこと。
 この絵画、同時期の仏教絵画との比較から、恐らく元の時代に江南地方で製作されたものではないかと推測されている。元は西域系の宗教に寛容な態度をとったため江南地方にマニ教(明教)がかなり広まっていたとの話もあり、この絵もそのとき製作されたものではないかと考えられる。この絵がいつどうやって日本に渡ったかはまだ不明だそうだが、持ちこんだ人は「マニ教」と思って持ちこんだわけでもないだろう。もう仏教とゴチャゴチャ状態になっていたと思われ、あくまで仏教絵画の一種として持ちこんだのだろう。だから「あのマニ教がいつのマニやら日本にまで伝播!」ってわけではなさそうなのが、ちょっと残念な気もするような。



◆スパイネタのタネはつきまじ

 ひと月ほど前の前回もスパイネタを扱ったが、今回もスパイネタニュースをついつい見逃せず書いてしまう。

 イギリスの対外情報機関「MI6」といえば、007ことジェームズ=ボンドの所属先としておなじみだが、このたびこの「MI6」が歴史学者に正式に執筆依頼して公式の「正史」を刊行したことが話題となっている。現役スパイ組織自身による「公式正史」刊行は世界初の「快挙」だが、さすがに創設された1909年から戦後間もない1949年までの40年間に限られた内容だという。しかしそれでもその40年間については極秘資料の閲覧も執筆する歴史学者に認めたというんだから、大したものだ。
 執筆したのはベルファスト、クイーンズ大のキース=ジェフリー教授。彼に執筆を依頼したのはジョン=スカーレット前MI6長官(昨年まで就任)だ。MI6の正史を出す理由についてスカーレット前長官は「MI6への理解を促し議論を深めてもらう」ためだと話している。ジェフリー教授は「本物のジェームズ=ボンドたちはフィクションのボンドよりずっと興味深いものだった」とコメントしているそうで。

 出版された本を読んだわけでもないので確たることは言えないが、報道で見る限りはそれほどビックリする新事実が出たってわけでもなさそう。サマセット=モームグレアム=グリーンアーサー=ランサム、そして「007」の生みの親イアン=フレミングといった作家たちがMI6にいたというのはすでに知られていた事実だったはずで、今回はそれを「公式」に認めたものにすぎない。ちょっと興味を引かれたのはジェフリー教授がジェームズ=ボンドのモデルをフレミングの友人で二つの大戦時にパリにいたロシア語使いのスパイと断定、「美女と速い車が大好きだった」らしい、という話かな。
 なお、「007」と違い、この正史がヒットしても続編は作らないと前長官は断言しているそうで。ま、あと半世紀はかかるかな。


 イギリスがMI6、アメリカがCIA、ソ連がKGB、とくればイスラエルの「モサド」も世界的に名高いスパイ組織。その手段を選ばぬやり方は最近でも映画「ミュンヘン」で描かれたが、僕はイギリスで製作した核兵器の歴史を描いたドキュメンタリードラマでもその凄さに驚かされたことがある。
 イスラエルが核兵器を保有しているというのは公然の秘密というやつだが、その開発に関わり核保有の事実をマスコミに公開しようとしていたイスラエル人技術者をイタリアで拉致する顛末がそのドラマではまさにスパイ映画さながらに再現されていた。多少のドラマ的誇張はあるのだろうが、そこに描かれたモサドの女性工作員が「色仕掛け」で拉致対象の技術者に接近したという逸話は史実である。
 ところでイスラエルと言えばユダヤ人、ユダヤ人といえばモーセの「十戒」だ。そこに「汝、姦淫するなかれ」とある。だとすると色仕掛けの工作は戒律に背くのではあるまいか?…ってなことを思っていたのだが、なぜか今ごろになってイスラエルのラビ(ユダヤ教指導者)であるアリ=シュバト師が「色仕掛けの工作をすることは宗教的に問題がない」とする見解(イスラム教で言うファトワですな)を発表していた。
 
 その根拠がちゃんと「旧約聖書」というところがさすがというべきか…「旧約聖書」中の一エピソード、『エステル記』の物語をその根拠に置いているというのだ。これはエステルというユダヤ人女性を主人公とした物語で、彼女はペルシャ王の妃となり、宰相がめぐらしたユダヤ人絶滅計画を阻止するという物語。アリ=シュバト師によるとエステルはユダヤ人を救うためにペルシャ王と関係を持ったのであり(ストーリーを調べると順序が逆という気もするんだが)、こうした作戦は紀元前から行われているんだから現代でもアリだ、という論法を述べておられるそうである。なお、既婚女性が「色仕掛け作戦」に従事することについては「離婚が最も望ましいが、作戦終了後に夫が望んだら、再婚してもよい」とのこと。要するに何でもアリってことですね。この見解について他のラビも「女性工作員が任務遂行前に、いちいちラビに相談しなくてもよくなるだろう」と評価してるというんだが、今まではラビに相談してたんだろうか?



◆隣の県同士でも

 今年の12月に東北新幹線がようやく新青森まで開通する。そして来年3月には九州新幹線の鹿児島ルートが全線開通、山陽新幹線と接続して相互乗り入れも開始される。この九州新幹線、先に新八代から鹿児島までを作って開通させるという妙な建設過程をたどっているのだが、これって要するに「福岡から順番に造ると最悪の場合熊本どまりにされちゃうから、先回りして鹿児島から先に造っちゃえ」という主に鹿児島側の意図が強く働いたためと見られている。どうも鹿児島と熊本では鹿児島の方が政治力が強いみたいなんですな。やっぱり幕末以来の経緯があるためか。

 九州新幹線全線開通のカウントダウンのために、JR九州では「西郷どーん」という鹿児島の英雄・西郷隆盛にちなんだマスコットキャラを作って新幹線の主要駅に配置した。ところが9月16日に設置を予定されていた熊本駅では地元市民からの「熊本に西郷はふさわしくない」との反発の声を受け、設置の中止に追い込まれるという事態が発生していた。なんでふさわしくないかについては報道では出ていなかったが、西郷隆盛の薩摩軍が西南戦争において熊本城を攻撃しており、熊本市民としてはその恨みがまだ残っているのではなかろうか、と僕は感じた。
 それから間もない21日に、熊本市西南部地区振興協議会のメンバーがJR九州熊本支社を訪れて、要望書を提出した。要望書には「ボードには熊本のイメージにはふさわしくない鹿児島の偉人である西郷隆盛像が描かれている。熊本には加藤清正や宮本武蔵、坂本龍馬などゆかりのある偉人が数多く存在している。文化や歴史を勘案したうえで熊本の玄関口にふさわしいデザインをお願いしたい」との内容が書かれていたという。熊本城の建設者・加藤清正や、ここを終焉の地とした宮本武蔵については分からなくもないのだが(ただしいずれも熊本出身ではない)坂本龍馬は…単なる人気便乗じゃないのかね。その龍馬にも多大な思想的影響を与え、彼同様に暗殺されてしまった異色の先覚思想家・横井小楠という素晴らしい人材が熊本出身者にいるのだが、地味過ぎてイメージキャラには似合わないという判断なんだろうな(地味過ぎて地元民でもよく知らないんじゃないかと思う)
 その後この件がどうなったか聞かないのだが、熊本県のゆるキャラ「くまモン」を代役にするという話もあるとか…。ところで「西郷どーん」、「着物が死に装束の左前になってる!」との指摘を受け、大慌てで修正するという騒ぎも起こっていた。

 さて九州新幹線は山陽新幹線と直結することになり、新大阪と鹿児島中央を結ぶN700系ベースの新型車両による直通列車も走ることになっている。JR西日本・九州両者がその列車の名前の公募を行って、2009年2月に応募数最多の「さくら」に決定された。「さくら」といえば1929年の初の特急名愛称公募で選ばれた由緒ある名前の一つであり(このとき「富士」「燕」も選ばれた)、「皇帝のいない八月」でクーデター部隊に乗っ取られるブルートレインの名前にもなるという鉄道映画史的価値もある(笑)。まぁこれならケンカは起こらなかったところ。
 ところがその後、JR側がこの「さくら」より停車駅の少ない最速列車の名前を「みずほ」にしようと検討していることが明らかとなり、一部からブーイングがあがっている(元ネタは毎日新聞記事)。とくに鹿児島県知事がオカンムリのようで、「熊本止まりだった寝台列車と同じ名前は違和感がある。公募までして決めたのだから『さくら』でいい」「地元自治体にJR側から相談がなかった」と、わざわざ会見で不快感を表明している。確かに「みずほ」は東京発で熊本・長崎へ向かう寝台列車の名前として1994年まで使われていたもので、「さくら」ほど歴史的由緒はなくエース級の列車ではなかったために鉄道ファンからも違和感の声が上がっているそうだが、この鹿児島県知事の発言を見てるとなんとなく鹿児島と熊本の対抗意識(はっきり言っちゃうとどうも鹿児島が熊本を見下しているような…)が見えてきちゃうのである。熊本側の「西郷はヤダ」という反応と合わせて、隣の県同士もいろいろと仲が悪いものだというのを改めて感じてしまった。


 こちらは仲が悪いという話ではないのだが、熊本県と宮崎県がようやく県境確定、なんてニュースもあった。熊本県水上村と宮崎県椎葉村の間にある1.7キロが廃藩置県以来140年も境界をはっきりさせてなかったという話だ。これは対立ではなく周辺に人がいないためほったらかしになっていた、というのが真相だそうなのだが、このたび水上村のほうから呼びかけて県境確定に至ったという。ところが結果からいうとこの確定は水上村にとっては損だった。面積が約1.15平方キロぶん椎葉村と宮崎県側で増加し、それに基づく地方交付税交付金も宮崎側が増えて熊本側が減額される結果になるという。もしかしてこれから県境紛争になったりしないだろうな…。
 全国ではこのほかにも20か所ぐらいで県境未定地があり、有名なところで富士山山頂を山梨県と静岡県が争っている。県境ですらこうなんだから、という話題は下の記事に続く。



◆国際ネタをごったまぜ

 なんだかんだやってるうちに、また一ヶ月近くが経過してしまい、まさかそれよりは先に更新できるだろうと思っていたチリの鉱山の地下に閉じ込められた33人のみなさんの救出にも後れをとってしまった。それではこの間の国際ネタをごったまぜに。

 ここんとこで日本で話題になっていたのは、やはり尖閣諸島をめぐる日中間のゴタゴタだ。まぁゴタゴタというよりもボタンの掛け違いという感もあり、この記事を書く直前には政治的にはほとんど沈静化(というより元の「棚上げ」状態に戻った)ところだったのだが、この土曜日に日中双方で呼応して大規模デモが起こって、また何やら鬱陶しい空気が流れてしまった。ホント、お互い仲のいい者同士(実際どちらもネット主体で国内報道がほとんどされないところはよく似てる)、島に集めてバトルロワイヤルでもやらせりゃいいんじゃないか、とアブない冗談をつぶやいてしまうのだが。
 上の記事の県境の話ですらそうだが、国同士の領有問題になると双方ともに「原則論」を持ち出して一歩も引かなく上に、バカでも対立軸が分かりやすく参加しやすいのでうるさい火種になりやすい。尖閣に関してはそりゃまぁ歴史的経緯で言えば日本の方に分があるとは思うが、もうこの手の話は「言ったもん勝ち」というところもある。元はと言えば蒋介石時代の台湾が言いだした話に北京側も後追いした経緯もあって、台湾だって原則論では一歩も引いてない。中国共産党とは恐らく一番遠い位置にある台湾の民進党の党首だってつい先日「台湾の領土」と断言しているぐらいで、日本が「領土問題は存在しない」(実効支配してる側の定番表現)と言い張ったところで、もはや理屈で議論できる状態ではなく、「領土問題」になっているとしか言いようがない。それでとりあえず「棚上げ」にしておくということを40年ばかり続けて来たわけで、今回は物理的な衝突と人間そのものの身柄の取り合いになったことで騒ぎが大きくなっちゃったが、結局のところ緊張が高まって得するところはどこもないので、「収まるところに収まる」しかないだろうな、と僕は鬱陶しく思いつつ考えていた。
 日本側が中国人船長を事実上の超法規的措置で送還したことについて日本国内ではずいぶん批判があったが、実のところそうでもしないとその後の起訴や裁判を考えると早期沈静化はなかったろうなと思う。送還後の中国側の「謝罪と賠償」発言にビックリした日本人も多いが、あれは「あそこはうちの領土」と主張してる以上そう言わないと原則上引っ込みがつかないためのポーズのようなものだ(普通に考えて実際に謝罪や賠償をしてくるとは誰も思うまい)。あと、日本ではなまじ漢字文化圏だけに中国側の漢語表現を直訳してやたら強く感じてしまうというところもあるように思った(例えば「強烈」とか)
 中国側が以前の尖閣上陸時の例を挙げて「自民党の方が賢かった」とボヤいたと伝わるように(実際谷垣総裁は「すぐに返せばよかった」と発言しちゃっている)、あれで実は台湾派や中国強硬派が少なからずいる民主党政権は当初は原理原則で突っぱねようとしてかえってこじらせたきらいはある。唐突に返還措置をとったのが首相が訪米した直後だったことからアメリカ側から「さっさと返せ」と言われたんじゃないかと推測される。そうでもないとあの前原外相がおとなしく黙っているとは思えないし、また自民党もそれと察してるのか国会の追及も何となくそこには触れないようにしているのが感じられる。
 日本国内では「弱腰」と国民から突き上げられる外交の方が後で考えれば正しいものだ、と言ったのは吉田茂だったが(逆にいうと強腰になるとろくなことにならない)、国際的には送還措置への歓迎ムードが結構見られたし、むしろ中国側の強硬姿勢への警戒の声が高まったのだから、外交的にはドッコイドッコイというところではないかと。お互い水面下の密使外交やら廊下での「偶然会話」だの外交現場で時折見られる面白テクニックが日本外交で見られたことに僕はむしろ興味深いものを感じましたがね。ただ外務省と官邸の仲が悪いのは確かなようだなぁ。

 その直後にノーベル平和賞が中国で「08憲章」を起草したとして11年の懲役刑を受けている劉暁波氏に贈られた。「08憲章」の発表や劉暁波氏の投獄にも注目してきた当「史点」であるが、ノーベル平和賞の有力候補と報じられた時には少々複雑な気分もあった。実際に受賞しちゃうとそれこそ中国当局の民主化運動弾圧が激しくなるのは目に見えていたので…で、中国政府が例によってノルウェーの平和賞選考委員に圧力をかけたら、またまた逆効果で実際に受賞に至ってしまった(中国政府も圧力が逆効果になるということを少しは学習すればいいと思うんだが)。果たして現在中国国内では劉氏の奥さんや民主化運動家への監視が強まっているのだが、ご本人も「天安門の犠牲者に贈られたもの」と喜んでるそうだし、当局に負けじとインターネット上で進歩派知識人たちや元共産党幹部らの言論の自由を求めるアピールが出されるなど、みなさん結構負けてないし平和賞受賞がそちらに刺激になってることも事実のようだ。彼らが「中華人民共和国憲法」の第35条の条文に「中国国民は言論・出版・結社・旅行・デモの自由を有す」とあるのを根拠に挙げたところなどはなかなか痛快。僕も中国のネット上で見かけた意見だが、そもそも憲法第1条には「中華人民共和国の権力はすべて人民に属する」とあるのに、ちっとも守られていないという皮肉があるのだ(まぁ人民に権力があり、その代表である共産党が主導するという論法ではあるんだが)
 ネット言論も当局のチェックで封じられてると言われるが、なんだかんだで抜け道はいくらでもあり、僕が時折覗きに行く中国のサブカル系の掲示板等でもノーベル平和賞受賞を祝賀するコメントは見られたものだ。ただしその手の方々が同時に尖閣ネタで「日本打倒」を叫んだりする面もあるわけで、ことは単純ではない。かつて自由民権運動の一部が「愛国」を振りかざしたり、外交問題で政府を「弱腰」と突きあげたりした歴史と似てるかもしれない
 またこの手の騒ぎが起きるとお互いデモや暴動などそういう面ばかりがメディアで注目され、なんだか相手がみんなそんな調子だとしまいがちだが、襲撃された成都のヨーカドーにもデモの前後には普通に買い物客は来ていることとか、SMAPのコンサートチケットを泣く泣くキャンセルしてるファンだっているし、ネット上では強硬な動きに対し冷めた目を向ける声だって少なくないことは頭に入れて置くべきだ。この尖閣騒動の最中にも当サイトの「太平記大全」を必死に中国語自動翻訳して読んでる中国人だっていたんですから(実は2年ほど前からネット上には僕も知らんうちに「太平記大全中国語訳」が各所に出回っていて驚いたことがある)


 ただ平和賞ってのもこれまで何かと議論を呼ぶ選考が多かったのも事実。基本的に西欧知識人のその時点での「好み」が露骨に出る賞で、時として上から目線の価値観の押しつけ的なイヤミがあることは否めないし(アカデミー賞の例の映画の受賞のようにクジラやイルカ保護の団体が受賞する可能性だって十分ある、といえば分かりやすいか)、劉氏などいわゆる「民主化運動家」に贈ることがノーベルの本来の「平和賞」の趣旨にあっているのか、という議論はある。国際平和に貢献したとして国の指導者に贈られてあとで問題になるケースも多い。昨年のオバマ大統領の時にも言われたことだが、その時の「旬」の話題の人にあげてしまうのではなく、その他の賞みたいに20年ぐらい様子を見ちゃどうだという気もする。毎年誰かにあげるんじゃなくて「該当者なし」があってもいいんじゃないかと。
 日本でノーベル平和賞をとったのが佐藤栄作、という時点でもうこの賞の信用度は日本ではとうに落ちてるのだが(天才バカボンでもそのネタが…という話は前にも書いたな)、その受賞の理由ともなった「非核三原則」を打ち出した佐藤内閣が、実は核拡散防止条約に調印しながらその発行前の「駆け込み」で核保有の可能性を探り、西ドイツにひそかに声をかけていたという史実が10月3日放送のNHKスペシャルで明らかにされている。
 

 その西ドイツも今はない。というか、正確には西ドイツを主体に東ドイツを「吸収合併」してドイツ統一が果たされてから今年で20年になる。ちょうど統一から20周年となる10月3日、ドイツ北西部のブレーメンでウルフ大統領やメルケル首相、当時外相だったゲンシャー氏、EU大統領や欧州議会委員長など要人をはじめとする1400人もの出席者を招いて大々的な式典が開かれている。なんでブレーメンかといえば音楽隊を呼ぶため、ではもちろんなくて、統一記念式典は毎年各州もちまわりで行われていて、今年がたまたまブレーメンだったということだそうで。統一20周年記念行事は首都ベルリンはじめ各地で同時期に挙行されていたそうだ。

 ところでその10月3日、ドイツが「第一次世界大戦の賠償金」の支払いを全て終了した、というニュースにはちょっと驚いてしまった。え、まだ払っていたんかい、と思ってしまったのだ。歴史の授業でも習うように第一次世界大戦で敗北したドイツに対し、連合国側(とくにフランス)は報復とドイツの徹底的な弱体化を狙う意図もあってあまりにも莫大な賠償金を要求した。ヴェルサイユ条約で決定されたその賠償金額は1320億マルク(当時のドイツのGNP20年分)にものぼり、当時の経済学者たちも「とても支払い不可能」と批判する額だった。実際に支払いは滞り、フランスがルール占領など強硬策をとるが事態はかえって悪化。賠償金がもたらした史上まれに見るハイパーインフレはドイツ経済を崩壊させ、結果的にヒトラーの台頭を招いてしまい、ナチス政権は賠償金の支払いを拒否。そしてそのまま第二次世界大戦の悲劇を招く結果になるわけで、ヴェルサイユ条約の賠償請求はやり過ぎだったと後世反省されることになった。
 少し話を戻して、賠償金の支払いを少しは現実的なものにしようと1923年に「ドーズ案」、さらに1929年に「ヤング案」が出され、世界恐慌のあおりもあって最終的に賠償額は30億マルク、59年払いまで軽減されていた。だがその翌年に成立したナチス政権が支払いそのものを拒否してしまう。その後の世界大戦と戦後の分断もあって支払いは先送りされ、1953年のロンドン協定で「ドイツ統一まで支払いは猶予」ということにされていた。そして1990年にドイツ統一が実現したことで支払いが始まり、20年目の記念式典に合わせて最後に残った公債の利子分7000万ユーロ(約80億円)の支払いを実施し、ようやく第1次大戦の賠償を終えたのだった。実に第1次大戦終結から92年目のことである。
 
 そのドイツではタブーとされる、ヒトラーそのものをテーマにした「ヒトラーとドイツ国民」と題した展示会がベルリン市内の博物館で開催され、話題となっている。もちろんヒトラーとナチスを再評価、なんて気はさらさらなく、ヒトラーがいかにしてドイツ国民の心をつかんでいったかをテーマとしたもので、当時の雑誌や看板、トランプやランプ日用品の様々なものにヒトラーや鉤十字が描かれ、いかにヒトラーがドイツの国民生活に浸透していたかをビジュアルに分からせる内容となっているという。
 ドイツ国内では法律によりヒトラーやナチスの図像を公の場に出すことは禁じられているが、博物館は特別な許可を受けてこれらを展示した。ネオナチという現実もあるからではあるが、ドイツではとにかくヒトラーとナチスは完全なタブー。ドイツで製作された映画「ヒトラー・最期の12日間」が議論を呼んだり、著作権の切れる「我が闘争」の出版をめぐる議論など、ドイツではとかく忌避されるテーマである。とくに今回は当時のドイツ国民がいかにナチスとヒトラーを熱狂的に崇拝したかを実例をもって示す展示会だけに、ドイツ人にはかなり「痛い」内容だと思われる。ネオナチが大喜びで来るんじゃないかとの危惧もあるそうだが、とりあえず博物館側は「そういう内容にはなっていない」としている。この手のものにはユダヤ人団体が噛みつかないかな、とも思うのだが、CNN記事に出ていたアメリカのユダヤ人団体の代表は「当時のドイツでエリートだけでなく一般国民の支持がナチス政権を生みだしたことが分かる」と高評価を与えていた。確かに、ヒトラーやナチスといった異常な集団が「乗っ取った」では決してなく、ドイツ国民が熱狂的にそれを支持したという事実に、ドイツ人には痛い話だろうけど面と向き合う必要はあるんだよね。日本もあんまりよそのことは言えないが。


 そのヒトラーはワーグナーの音楽を愛好した。このためにイスラエルでは今なおワーグナーがタブーとされる。このたびワグナーのひ孫で演出家のカタリーナ=ワーグナーさん(32)がイスラエル室内管弦楽団をドイツに招待すべくイスラエルを訪問する計画を発表したところ、ホロコーストの生き残りのユダヤ人たちから「招待に応じるのは敗北宣言」などと猛反発する声があがり、カタリーナさんは「現地感情」を配慮してイスラエル訪問を断念した。もちろんカタリーナさん自身は歴史に真摯に向き合っており、ヒトラーとも親しかったワーグナー家の責任についてもイスラエルで釈明をする予定でいたのだが、イスラエルではまだまだ「ワーグナー」すらもタブーなんだなと思わせる結果になってしまった。確かにホロコーストをくぐりぬけたユダヤ人たちにとってはナチスがらみのことは忘れられたものではないんだろうが…

 そのユダヤ人もイスラエルを建国してしまえば今度は抑圧者の側にも回る。10月10日にイスラエル政府はイスラエル市民権取得の条件として「ユダヤ人民主主義国家への忠誠」を義務づける法改正案を賛成多数で閣議承認した。わざわざ「ユダヤ人」の文言を入れたのは現在のネタニヤフ政権に参加する対パレスチナ強硬派の主張を受け入れたものとされ、折から凍結期限が切れた入植地問題と絡んで物議をかもしそうだ。
 イスラエルは確かに実質ユダヤ人国家と言っていいが、もともとアラブ人の住んでいた地域ということもあり、国民のおよそ2割がイスラム教徒のアラブ系住民だ。「ユダヤ人国家」への忠誠を誓わなければイスラエル人としては認めないということになると、この2割に対しては事実上「出ていけ」と言うに等しい。連立政権に参加している左派政党などは「非民主的」と反対しているそうだが…。
 ネタニヤフ政権が「ユダヤ人国家」をあえて打ち出すのは、パレスチナ側との交渉駆け引きという感もある。翌11日の国会演説でネタニヤフ首相は「パレスチナ側がイスラエルを『ユダヤ人国家』として認めれば入植活動の凍結を延長する」と表明していて、パレスチナ側は当然これを拒絶している。イスラエルを「ユダヤ人国家」と認めてしまってはパレスチナ難民が故郷に帰れなくなってしまう恐れが大だからだ。そして15日にはイスラエル政府は東エルサレムへの入植活動を承認する決定を下し、中東和平会合もまた雲行きが怪しくなってきた。こういう調子だからイランのアフマディネジャド大統領の放言にアラブ諸国の一定の支持が集まっちゃうんだよなぁ。


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