◎巨匠に手による「萬画」日本の歴史 石ノ森章太郎(1938
-1998)といえばほとんど説明の必要もない、漫画史上の巨匠の一人です。その作品の幅の広さは他の追随を許さぬものがあり、いわゆる「学習漫画」の
ジャンルもこの人がパイオニアの一人であったと言われます。1980年代後半に「マンガ日本経済入門」で大人向けにも教養漫画
(この直後に「萬画」という用語を提唱)をヒットさせた石ノ森さんは、今度は大人向けの「マンガ日本の歴史」を自ら一人で
(もちろんアシスタントは相当数いたと思われますが)書
き上げるという大事業にとりかかります。すでに児童向けには多くの「日本の歴史」漫画が世に送り出されていましたが、このシリーズはあくまで大人向け、最
新学説も積極的にとりこみ、歴史解説と同時にドラマチックな「マンガ」としても読ませるという意欲的なものでした。結局その巻数は全55巻、およそ
10000ページに及び、石ノ森晩年の代表作となります。
この長大なシリーズで南北朝時代が扱われているのは第18巻から第20巻まで
の3冊。一冊のマンガ部分は200ページ弱ほどのボリュームなので合計600ページ弱ということになり、他の「日本の歴史」漫画に比べれば格段に多いペー
ジ数といえます。ただし、後述するようにこのシリーズは石ノ森独特の「萬画」作品としても読める演出が随所にほどこされているため、ページ数の割にエピ
ソードは少なく、出てくる話じたいは児童向けとそう変わらないという印象もあります。
その代わり「大人向け学習漫画」ということで、より突っ込
んで専門的な、ときには大胆な新説も積極的に取り入れた内容となっています。制作スタッフもかなり大がかりだったようで、石ノ森さん本人も「ちょっとした
映画並みの制作体制」と表現していたことがあります。文庫化もされている「覚え描き」を見ますと、ちょっとしたエキストラや背景にまで綿密にこだわった考証による作画がなされていたことがよくわかります。
南北朝時代部分の「原案」はこの南北朝時代や対外考証史を専門にしている
村井章介さんが担当されています。義満の部分で倭寇や日明交渉にかなりページが割かれているのは明らかにその影響でしょう。文庫版では巻末解説も村井さんが詳細に書かれており、マンガだけではよくわからない時代背景をきっちりフォローしています。
このコーナーの作業のためこのマンガのスタッフリストを見ていて、今ごろ気づいてビックリしたのが脚本を
仲倉重郎さ
んが担当していたという事実です。仲倉さんといえば大河ドラマ「太平記」後半の一部の脚本を担当されていた方。「太平記」の脚本は池端俊策さんがメインと
なって書かかれたのですが、建武政権期や観応の擾乱の一部は仲倉さんの手になるものだったのです。この「マンガ日本の歴史」の南北朝部分の発行は1991
年ですから、まさに大河ドラマ放映の年。ということは仲倉さん、同時進行に近い形でマンガとドラマの両方で「南北朝」のシナリオを書いていた、ということ
になるのです!
◎石ノ森テクニックを散りばめた歴史マンガ
大人のための学習漫画、という位置づけのこのシリーズですが、デビュー時から斬新な漫画表現を駆使して「マンガの王様」と呼ばれた石ノ森章太郎はさすがに
一筋縄ではいきません。学習の前にまず「マンガ」であれ、という姿勢で、得意の大ゴマ・長ゴマ・見開き大画面の使用、映画的なカメラワークと場面転換、
ちょこちょこと挿入されるギャグといった石ノ森テクニックが随所にみられます。少年時代に石ノ森さんの名著「マンガ家入門」でその多彩なテクニックを学ん
だ僕などにはゾクゾクするようなページが多いです(笑)。
例えば「太平記」の冒頭で語られる
北条高時の
退廃ぶり、「田楽と闘犬」は南北朝を扱った漫画作品では必ずといっていいほど描かれる定番の描写ですが、石ノ森「萬画」ではその描写になんと10ページを
費やします!いずれも大きなコマを使った演出なのでストーリー的にはそれほどふくらみがあるわけでもないのですが、背景やエキストラが考証に基づいてしっ
かりと描きこまれ、読者を鎌倉末期の時代へと一気に導入する重要な演出です(右図)。
正中の変のくだりでは
後醍醐天皇の
討幕の密儀、「太平記」が伝える「無礼講」の様子が、「大人向け」ということもあり忠実に再現されます。ま、あれでもおとなしいもんだとも思えますが、文
観が「男女和合の道」を説いて女を抱き寄せるとか、後醍醐がダキニ像に油を注いで倒幕の呪詛をするといった子供向け学習漫画ではさすがにやらない描写もあ
ります。
マンガ的にストーリーを語ることを優先するため、あえて年代順に語られない場合もあります。元弘の乱の章ではいきなり
足利高氏が父・貞氏の弔いをしているところから始まり、さかのぼって後醍醐の計画露見、笠置挙兵と
楠木正成の登場が語られるという構成になってます。
ところでこのマンガの高氏のキャラデザインはそれまで主流だった「髪を振り乱した騎馬武者像」イメージではなく、ややつりあがり目の顔になってますが、こ
れは別の「伝・足利尊氏肖像画」をもとにしたものです。ただ最近ではこの画像は足利義尚のものと考えられていて、実際の尊氏は「タレ目」系の顔だったとい
う見解が有力です。一方の楠木正成は「悪党」ということでしょうか、かなりワイルドなオジサンにデザインされています。
護良親王のキャラデザインは珍しく中年オッサン風です。
その正成の赤坂
城・千早城の攻防戦も描かれますが、意外にページを割いていないという印象です。高氏の六波羅攻撃、新田義貞の鎌倉攻略はその進軍模様が大量の旗で表現さ
れ流麗に描かれてゆき、絵巻物の表現を思わせるものがあります。鎌倉攻防戦では「稲村ケ崎の太刀投げ込み」はあっさりカットされていて、炎上する鎌倉とと
もに高時らが自害していく様子が映像的に表現され、楠木・名和・足利の旗と鎌倉大仏のカットバックで次のシーンへ移行する演出が印象に残ります。
第18巻はオープニングに悪党の跋扈を描き、平頼綱が北条貞時に滅ぼされる「平禅門の乱」から鎌倉幕府滅亡の過程、そして建武政権の成立とそのあっという
間の崩壊までが描かれています。建武政権部分の展開がやけに早いのですが、これは実際の時間経過を意識した演出なのではないかという気もします
(石ノ森さんの自伝で少年期からの「感覚的時間」をページ数にきっちり反映させた例があります)。
ホントにあっという間に湊川合戦になってしまうのですが、正成が「敗走する尊氏に味方が多く集まる」と懸念し、尊氏との和睦を進言したりする場面がその前
にちょこっとはさまっています。湊川合戦もかなり簡単に描かれますが、2ページ見開きで描かれた武者達が渦を巻くように入り乱れるカットはマンガならでは
の表現と言えるでしょう。
第18巻は後醍醐天皇が吉野へ脱出するところで終わります。このシーンで
勾当内侍が登場しており
(「太平記」に記述はある)、彼女はそれより前に義貞が関東へ出陣する時に別れを惜しんで抱き合う場面で初登場しています。「太平記」によれば勾当内侍が義貞に下されたのは尊氏が九州落ちしたあとということになっているのですが…
あと、このシーンや他の場面でも目立つのが後醍醐がかなりコミカルかつワルに描かれてるのがこのマンガの特徴。まぁ確かに「太平記」の記述を追いかけても
目的のために手段は選ばないし、平気で部下を切り捨てますし、人格的には問題のある人だったんじゃないかととれる逸話が多いんです。でもこのマンガほど辛
辣に描くのは珍しいです。
◎けっこう詳しく描かれる南北朝後半戦 続く第19巻では南北朝動乱の開始、
北畠顕家・
新田義貞・
後醍醐天皇のあいつぐ死、その後の観応の擾乱、尊氏の死、そして「太平記」の結末部分である
細川頼之と
足利義満の登場までが描かれています。「太平記」の漫画化としてみるなら、18・19の2冊で十分ともいえるわけですね。
前の巻が鎌倉幕府と建武政権の崩壊を一気にまとめたのに対して、こちらはやはり実時間を意識してでしょうか、他の歴史漫画ではあまりとりあげられない細かいエピソードを連ねて詳しく描かれています。とくにこの「時代」を象徴的に語る逸話として
北畠親房が
結城親朝に味方に来るよう百通近くも手紙を送り付けた話がコミカルに漫画化されているのが目を引きます。
「手紙を書くってことは大変なことなんだぞ!」と怒る親房が可笑しい(左図)。
観応の擾乱へと向かう過程で、バサラ大名・
佐々木道誉もところどころで登場します。気になるのはこの道誉が着ている衣装のデザイン。尊氏から
「相変わらず派手な格好をしているな」と
言われるその服のデザインが、大河ドラマで陣内孝則さんが演じた道誉の衣装とかなり似ているんですね。道誉が実際に着ていた衣裳は残ってはいないから想像
するしかないようですし、前年の秋には大河ドラマの道誉が衣装を着ている姿が公開されてますから、それを見て参考にしたんじゃないかとにらんでます。な
お、ドラマと異なりこちらの道誉はちゃんと出家姿です。同じバサラ趣味の
高師直とは「どういうわけか気が合う」と尊氏に話していて、実際に師直のところに遊びに行く描写もあります。「太平記」が伝える謀略とバサラな逸話の数々は残念ながら描かれず
(義詮時代はほとんどカットされているため)、観応の擾乱で尊氏・義詮のそばに控えているのが目につく程度です。
観応の擾乱の始まりを告げる高兄弟による足利邸包囲事件は、尊氏と師直の「芝居」だったと明示されます。このマンガでの
足利直義はもう一つ存在感が薄いのですが、このあたりからようやく出番が多くなる。あくまで兄と戦うことには引け目を感じているセリフが多く、最終的に尊氏に敗北して、鎌倉で兄弟二人で語り合うこのマンガオリジナルの場面が印象的です。
「十六年ぶりか…そなたと共に鎌倉の空を見るのは…いろいろとあった…お前がいなかったら俺はここまでやれなかっただろう…(中略)…本当のところ将軍はお前のほうだったかもしれん」と尊氏がしみじみと言うセリフは、ここまで存在感が薄かった直義が実はどれほど偉大な存在であったかを尊氏自身の口から語らせる名セリフです。
「…お前が田楽好きであればよかったのに…」という尊氏に、
「…雪ですよ」と外を見やる直義。雪の庭にハラリと椿の花が落ちる絵に、「太平記」の直義の急死と毒殺の噂の記事をかぶせるという実に映像的な演出は、もしかすると大河ドラマにも参加していた仲倉重郎さんの意図が大きかったかな、と思えます。
直義の死後、他の南北朝漫画と比較して明らかに多くページが割かれるのが、
足利直冬の
京都攻略です。直冬の初登場シーンは直義の死のあとなのですが、浜辺を馬で駆けてかっこよく登場、そして海の彼方に亡き母と思われる白拍子の踊る姿を思い
浮かべて涙し、その出生の事情を読者に推測させる形になっています。直義の母「越前の局」を白拍子としたのはあくまで吉川英治の創作で大河ドラマもそれを
踏襲したものですが、ここにもこのマンガが大河を意識していたことを感じます。直冬と尊氏の京都での父子対決では、「太平記」の伝える八幡宮の託宣により
直冬軍が瓦解するエピソードも描かれています。
尊氏の死が描かれると前述のように義詮時代の10年はあっさりとすっ飛ばされていて
(義詮が南朝を攻撃する珍しいカットはありますが)、少年義満とそれを教育する細川頼之の登場となります。義満が花押の猛特訓をしている場面で第19巻は終わります。
第20巻は「足利義満、「日本国王」となる」というサブタイトルが示すように一冊丸ごと義満時代。序章では倭寇の襲撃と元明交代、そして南朝・征西将軍府の
懐良親王が明からの冊封を受ける
(「相互安全保障条約」という例えがウマイ)と
いった「東アジアの中の日本」が詳しく描かれていて、これはまさに原案担当の村井章介さんの専門分野。こうした国際的視点は一般向け歴史本ではあまり描か
れないので、マンガでこれが読めるというのは貴重です。この視点をふまえたうえで足利義満のあくことない野望の原動力が見えてくるわけですね。
攻略の政変による細川頼之の失脚は描かれてますが、その復活はとくに言及されず、あくまで義満を中心に話が展開してます。土岐の乱、明徳の乱の「弱きをく
じき、強きを助ける」という義満の手法の描写は佐藤進一さんの「南北朝の動乱」に大きく拠っているみたいです。応永の乱では
大内義弘が朝鮮と結びつこうとしているのでは?と義満が疑うセリフもこの巻の姿勢をよく示しています。
南北朝合体がなり、このあとは義満の「皇位簒奪」の野望がかなり詳しく描かれます。ここは今谷明さんの著作「室町の王権」に全面的によっているのが明らかで、
後円融上皇のヒステリー事件のようにあまり知られていないスキャンダラスな話も漫画化されています。野望達成の一歩手前で義満が急死したところでいったん時間が戻って
観阿弥・
世阿弥の能楽大成の話になり
(能の芸術論を弟子たちに語る世阿弥が次第に老けていく演出も石ノ森らしい)、そのあと義持が義満の政策を次々ひっくり返していく過程が簡単に触れられ、義持の死後に
後小松上皇が着々と皇室権力を奪回して高笑いするという展開も完全に「室町の王権」の内容に沿ったものです。
この巻のラストは琉球王国の成立と貿易立国による繁栄を語ってしめくくられます。とくにこの第20巻は東アジアスケールの視点から義満時代がダイナミックに語られており、南北朝と倭寇の両方を趣味とする僕としてもオススメです(笑)。
◆おもな登場人物のお顔一覧◆
建武政権部分が急ぎ足のせいか、南朝方武将の数が明らかに少ないですね。
皇族・公家 |
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後醍醐天皇 | 護良親王 | 日野資朝 | 日野俊基 | 阿野廉子 |
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吉田定房 | 千種忠顕 | 文観 | 北畠親房 | 北畠顕家 |
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懐良親王 |
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北条・鎌倉幕府 |
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北条高時 | 赤橋守時 | 北条時行 | 長崎高資 | |
足利・北朝方 |
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足利尊氏 | 足利直義
| 足利義詮 | 足利直冬 | 足利義満 |
| | | | |
赤橋登子 | 高師直 | 高師泰 | 赤松円心 | 土岐頼遠 |
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佐々木道誉 | 細川頼之 | 今川了俊 | 大内義弘 | 越前局(直冬の母) |
新田・楠木・南朝方その他 |
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楠木正成 | 楠木正行 | 新田義貞
| 勾当内侍
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