◎
少女マンガチックな「太平記」
これまた学習漫画系、それも古典文学の漫画シリーズです。出版元は「学校図書」。その名の通り教科書・教材を出版しているところですから、このシリーズも
一般向けの販売というよりは学校や図書館に置くことを主目的にしていたのではないかと思います。古典文学のシリーズですから「太平記」が入るのは当然では
ありますが、発売が1991年6月とあり、帯に「NHK大河ドラマの原典」と大きく書かれてますので、これもまた大河便乗企画の一冊でもあったようです。
漫画を担当したのは
千
明初美さ
ん。調べてみたら大変なベテランで、1970年に「りぼん」でデビュー。この「太平記」のように学習漫画系も手がけられていて、この「コミックストーリー
わたしたちの古典」シリーズで「平家物語」「今昔物語」を担当、集英社の歴史人物シリーズで「クレオパトラ」「マリー・アントワネット」などを描かれてい
ます。
絵は少女漫画チック、それもとくに可愛い系統の絵で、児童向けにもとっつきやすく読みやすい。ただなにぶん史実の展開はドロドロの南北朝
時代ですので、その絵がマッチしているかというと…戦闘シーンも可愛いモブキャラばっかりですし。同じ「太平記」コミックで比較するなら、ひたすら男くさ
い
さ
いとう・たかを版の対極にあると言いましょうか。下の一覧をごらんいただければ分かりますが、南北朝の有名人たちがみんなそろ
いもそろって目がキラキラとした女の子っぽくなっちゃってます。男の子キャラになりますともっと可愛くて、
阿新丸は
まぁ当然として、意外に登場カットのある
北条時行ク
ンまでがあんなに美少年に(笑)。
内容は140ページ弱と薄い方。しかしさすが教材会社、そのわずかなページ数に古典「太平記」の名場面をあらかたぶちこみ、要所要所に原文と訳文を交え
て、
後
醍醐天皇の即位から
足利尊氏の
死までを詰め込んでいます。その後のことは2ページでまとめてしまってますが、これは他の「太平記」漫画もよくやるパターンですね。
◎
「古典入門」の性格が強い内容
この漫画の珍しい点は、冒頭が古典「太平記」の編纂事情にあてられていること。寺の小僧さんが「太平記」の序盤、
日野俊基が
鎌倉に向かう「東下り」の名調子を口ずさんでいるのを聞いた
慧鎮上人(円観のこと。「えちん」と呼ばれることが多いがこの本で
は「けいちん」となっている)が、「太平記」の作者である
小島法師と
出会い、途中まで書かれた「太平記」原稿を手渡されます。慧鎮は
足利直義の
前で
玄
恵に「太平記」を朗読させますが、
足利尊氏が
倒幕側に回ったくだりで「降参」の言葉があったために直義が激怒。直義は内容も南朝寄りすぎると批判し、全面的に書き改めるよう命じます。困った慧鎮は小
島法師に書き変えを求めますが、法師は「心にもないことを書きたくはない」と拒絶し、いずこかへ姿をくらましてしまう。やむなく慧鎮は自らの手で「太平
記」を完成させることを決意し、多くのスタッフにより長い年月をかけて「太平記」は編纂されていった――という経緯が漫画で語られているのです
(下図)。
直義が円観から完成前の「太平記」の内容を聞かされて怒り、その改変を求めたという逸話は
今川了俊が
『難太平記』で書き遺した有名なもので、「太平記」の成立過程をうかがう重要な証言とされています。「太平記」の作者が小島法師なる人物であることも当時
の日記資料に出てくるものですが、一人の人物の手になるとはとても思えず、多くのスタッフにより長期間をかけて動乱の展開とリアルタイムに近い形で編纂が
進められたのであろうと見られています。この漫画ではそれら諸説をとりまぜて「こういうことだったんじゃないかな」と「太平記」成立過程を漫画化したわけ
です。小島法師が改変に怒って失踪したというのはこの漫画だけのフィクションですが、面白い解釈とも思えます。最近では室町幕府自体が公式軍記として編纂
に深く関与していたとの見解も出てきてますが…
成立経緯まで漫画にするあたり、さすがは古典入門漫画というところで、他にも名場面にな
ると原文とその現代語訳文が紹介されるのも本書の特徴です。どこに原文が出てくるか数え上げてみますと、まず冒頭。そして「落花の雪に踏迷う…」の俊基東
下り。「南の木」の夢。一気に飛んで
新田義貞の
稲村ケ崎、さらに一気に飛んで桜井の駅の別れ。後醍醐の死、そして尊氏の死の場面までです。
◎
古典準拠でありつつも歴史漫画
少ないページ数なので名場面についてはかなり絞り込んでまして、例えば
児島高徳の
エピソードなどはカットされてますし、全体的に駆け足の内容です。そのなかで子供向けと思ったのか、
日野資朝の
子・阿新丸の仇討ちにかなりのページが割かれています。新田義貞と
勾当内侍の
恋物語も義貞戦死のあとに1ページにまとめて半ば強引に挿入。あと他の太平記漫画ではカットされやすい、観応の擾乱の前兆となる異変や妖怪ばなしのたぐい
が割とまめに描かれているのも特徴です。
しかし「太平記」の漫画版というのは結局南北朝史漫画とほぼイコールになってしまうものでして、この漫画も例外ではなく、「太平記」原典には本来ないは
ずのセリフや場面が入るところがあります。
例えば「主役」ということだからなのか、足利尊氏・直義兄弟の登場が原典よりずっと早く、討幕の志を抱く描写があります。また
楠木正成の
赤坂城の戦いに尊氏が参加している描写がありますし
(他
の尊氏漫画などで例があります)、
護良親王が
後醍醐の命で逮捕されたときに「おうらみ申し上げます」と口にするとか、後醍醐が吉野に逃げた時に尊氏が「ほうっておけ」と言ったのは『梅松論』にある
話。また尊氏が死ぬ直前に後醍醐の慰霊のために建てた天竜寺が全焼し、尊氏が後醍醐の怨霊を恐れる描写も「太平記」に元ネタがあるとはいえこの漫画流に強
調しています。
ほかに特徴と言えば…特徴というほどではないんですが、作者さんもマジメな話の連続の息抜きのつもりなのか、名もなきモ
ブキャラがさりげない芝居をしていることがあります。千早城の戦いで楠木軍にさんざんな目にあう幕府軍の武士たちが「こんな戦もういや」と言ってたり、九
州に逃げた尊氏軍の兵士たちが「おちおち食事もできなかった」とご飯をかきこんでたり、湊川の前に正成が作戦案を上伸してる場面で公家たちが「ふむふむ」
「さすがいくさのことは武士にかぎるの」と言ったりしている、といったものです。
◆
おもな登場人物のお顔一覧◆
皇族・公家 |
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後
醍醐天皇 |
護
良親王 |
日
野資朝 |
日
野俊基 |
文
観 |
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|
|
|
後
村上天皇 |
光
巌天皇 |
光明天皇 |
阿新丸 |
北畠顕家 |
北条・
鎌倉幕府 |
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|
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北
条高時 |
北
条時行 |
|
|
|
足利・
北朝方 |
|
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|
|
足
利尊氏 |
足
利直義
|
足
利義詮
|
足
利義満 |
高
師直 |
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|
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|
|
佐
々木道誉 |
夢
窓疎石 |
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|
新田・
楠木・南朝方 |
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|
|
楠
木正成 |
楠
木正行 |
楠
木正季
|
新
田義貞 |
勾
当内侍 |
その他 | | | |
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小島法師 | 慧珍 | | | |