◎能楽草創期を題材とした異色作
本作は長岡良子さんが「ボニータ」誌に発表していた「古代幻想ロマンシリーズ」の1作。現在もっとも読めるのは秋田文庫のシリーズ第7巻「昏い月」に収録
されたものになります。タイトルから察せられるように主に飛鳥・奈良・平安時代を舞台とする短編からなっているのですが、「古代幻想」とあるのになぜか中
世の南北朝時代がとりあげられているのが本作。さすがにシリーズ全部は読んでないのですが、このシリーズには近江地方を舞台に古代から歴史の陰で暗躍する
謎の一族
(かなりオカルトでもあります)がいたという背景が用意されていて、それがたまたま南北朝時代に出てきちゃった、という話になっています。だからこの一編だけ読んでると終盤唐突にその「古代からの謎の一族」が登場して戸惑わされるところもあります。
この「天人羽衣」は実在した猿楽の名手・
道阿弥犬王を
主人公にしています。犬王は当時の近江猿楽の大スターで、能楽の大成者として有名な観阿弥・世阿弥父子と同時代を生きた人物です。とくに世阿弥とは事実上
のライバル関係にあり、世阿弥が義満の絶大な支援を受けつつ後年没落を余儀なくされたのに対して犬王のほうは最後まで一定の高い評価と支持を受けた猿楽舞
でした。ずいぶんとマニアックな主人公人選だと思うばかりですが、これも近江つながりということだろうと思われます。
猿楽舞の話じゃあ「南北朝ドラマ」とはあまり関わってこないんじゃ…と思ってはいけません。なんといってもこの犬王を見出し、教育し、スターに仕立て上げた張本人は…そう!あの南北朝史最大のスターといっても過言ではない近江の婆沙羅大名・
佐々木道誉そ
の人なのです!もちろん犬王の出自について詳しい話が分かっているわけではないのですが、世阿弥が後年証言しているように道誉は能楽大成を積極的に支援し
た大パトロンであり、犬王や観阿弥・世阿弥・一忠といった能楽草創期の芸人たちはみんな道誉と深い関係を持っていました。道誉はそれだけではなく立花芸術
の大成者としても知られますし、初の勅撰連歌集の編纂にも深くかかわるなど、実は日本文化史上重大な影響を残した人物でもあるのです。このマンガでもその
ことは十分にふまえられていて、「しょっちゅう裏切ってばかりいるマキャベリスト武将」なイメージばかりではない道誉の魅力を知るには格好の作品となって
います。正直なところ、このマンガ、主人公の犬王クンよりも道誉ばかりが印象に残ってしまう気がします(笑)。
◎一流文化人・道誉入道
繰り返しますようにこのマンガの主人公は犬王。それもまだ駆け出し時代の少年です。猿楽舞の名手になろうと目標は高いのですけど、まだ自分をどうそこへ
持って行ったらいいかのか分からない。悩むうちに舞でもヘマが目立ち、一座からもやや白い目で見られている。そんな彼が、たまたま近江の守護大名・佐々木
道誉の目の前で舞を舞うことになり、やっぱりヘマをしでかし、すっ転ぶ失態を演じてしまう。一同青ざめますが、道誉はなぜか犬王を興味深い視線で見つめ、
自分に仕えるよう命じるのです。「もしかして稚児趣味?」と勘繰られるセリフもあったりしますが、
「六十の坂を越して今さら稚児遊びでもあるまい」とおっしゃる道誉、一目で犬王の秘めた才能を見抜いちゃったのであります!
道誉に仕えることになった犬王クンは猛烈な勉強の日々に突入させられることに。道誉は犬王に「源氏物語」「伊勢物語」「万葉集」「古今和歌集」といった古
典を山のように読ませ、しょっちゅうテストをして教養度チェックまでしてきます。さらに闘茶の知識を茶人に学ばせ、公家さんの所に行かせて香のかぎ分けの
特訓までやらせる。さりげなく書いてますけど、この辺にも佐々木道誉という男が当時の文化の最先端を突っ走る武将であったことがよく描かれてます。こうし
た道誉の薫陶を受けて犬王クンは成長していく、というわけです。
道誉の底知れぬ怪物ぶりに次第に惹かれていく犬王。しかし道誉の「婆沙羅」ぶりは文化面だけじゃない。幕府の執事を務める
細川清氏との対立も語られ、清氏が歌会を開いたら、それに対抗して道誉が大闘茶会を開いて将軍・義詮をはじめ客をごっそり奪ってしまった有名な逸話もさらりと出てきます。そしてとうとう清氏が南朝に寝返り、
楠木正儀らとともに一時京都を占領する展開もちゃんと物語に組み込まれています。ただあくまで犬王を中心とした視点ですので、道誉が清氏を謀略にはめる展開ですとか、京の道誉邸に入った正儀との心温まる(?)婆沙羅なエピソードは残念ながら描かれません
(正儀が道誉邸に入って、清氏の焼き払えという提案を拒絶する話は触れられます)。
南朝軍はすぐに京から退却することになりますが、世上は不安に包まれ、いつ果てるともない乱世のなかでどう「芸の道」を進むべきなのか悩む犬王。そんな犬王に息子を戦死させたばかりの道誉がやさしく語ります。
「だ
がわしはこの混沌を愛している。いや楽しんでいるというべきか。旧来のあらゆる権力が力を失い、新しい秩序・新しい力がやがてこの混沌の中から生まれてく
るだろう。芸能もまたしかり。中央の貴顕には地方回りの田舎芸と顧みられることのない猿楽も、遠くない日に一個の芸術として花開く日がくると信じている。
おそらくわしはその日を目にすることはできぬだろうが」 …
道誉ファン感涙の名セリフじゃあございませんか!い
やホント、南北朝時代をよく知る人ほど「道誉なら言いそうだ!」と思ってしまうはず。ここまで触れませんでしたが、このマンガでは当時猿楽舞などの芸人が
もてはやされつつも同時に世間からいかに低く見られる立場であったかもきっちり描いてまして、その上でこの道誉のセリフがグッと胸に迫ってくるわけです。
しかし犬王はそうは言われても納得できないところもあります。しょせん芸の道を極めたとしても自分が死んでしまったらそれで終わりではないか。
「束の間の泡沫(うたかた)よりはかない存在です」とつぶやく犬王に道誉はあっさりと
「束の間の美でよいではないか」と語ります。一つの点が重なり合って線となり、線が集まって絵を描くように、想いのたけを込めて点を打てば必ずそれを受け継ぐ者が出る、肉体が滅んでも命の限り求めた想いは次代に引き継がれる。人間もしょせん超越者ではなく輪廻に支配される被造物。
「ならば修羅のこの世に天界の美、ひとときの浄土を現出せしめよ」とやさしい笑顔で語る道誉。
いや〜〜〜〜〜カッコいいです! なんだか脇役のはずの道誉のことばっかり書いてしまいましたが、このあとお話は例の古代からの謎の一族、犬王と一緒にいるエスパーみたいな女の子が絡んできて何やらオカルト色が強くなるうえにネタばれを避けた方が良さそうですので、触れないことにします
(あくまでこのコーナーは「マンガで南北朝!」なんですから)。最終的に犬王クンはこの乱世に芸の道を突き進む決心をして物語はしめくくられます。
なお、同じ古代幻想シリーズで秋田文庫の同じ一冊に収録されている「昏い月」は奈良時代を舞台にしていますが、やはり近江を舞台にして時空を超えた幻想が展開され、そのなかで少年時代の
世阿弥がひょっこり出てくる場面があります。
◆おもな登場人物のお顔一覧◆
(こういう話ですので登場人物も少ないです。後醍醐と義詮は肖像のみ登場、清氏も1カットだけです)
皇族・公家 |
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後醍醐天皇 |
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足利・北朝方 |
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佐々木道誉 | 足利義詮 | 細川清氏 |
その他 |
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犬王 | 王珠 | 蝉丸
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