☆マンガで南北朝!!☆

古城武司・漫画/柳川創造・シナリオ /木村茂光・立案構成/永原慶二・監修
「足利尊氏・南北朝の動乱を生きぬいた武将

(1990年、集英社・学習漫画日本の伝記)


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◎2 冊目となる尊氏伝記漫画

 このコーナーですでに紹介してますが、足利尊氏の 伝記漫画第一号は1979年の学研「まんが日本史」シリーズの一冊、伊東章夫さ んが執筆されたものと思われます。僕の知る限り、それに続く二冊目の尊氏伝記漫画が本書となり、以後全く出ていないと思われます(非常に短いものなら存在しますが)
 日本史有名人の伝記漫画は結構ありますが幕府創設者だというのに足利尊氏がとりあげられるケースは頼朝や家康に比べると明らかに少ない。これはやはり話 が複雑になることと中途半端なところで終わらざるを得ないこと、そしてやはりなんだかんだいって戦前に「逆賊」とされたことが尾を引いていて彼を取り上げ ることに若干の躊躇がある、ということでしょう。この集英社の「日本の伝記」シリーズのラインナップを見ますと孫の「足利義満」の方が先に出版されている ところにもそんな事情がうかがえます。

 ともかくこのシリーズに「足利尊氏」が加わったのは1990年のこと。というと、やはり1991年に尊氏を主役とする大河ドラマ「太平記」が放送される のでそれに便乗、ということだったと思われます。当コーナーで採り上げている漫画の多くが同時期に出てますから、やはり大河の影響力というのは大きいので すね。

 この集英社版の漫画を担当したのは古城武司さ ん。幅広いジャンルを描かれ、やはり学習漫画を多く手掛けられた方でしたが、調べたところ残念ながら2006年にお亡くなりになっていました。絵のタッチ は作品によってずいぶん異なる印象がある漫画家さんで、この「足利尊氏」は児童向けをかなり意識されたか、全体的に可愛く読みやすいタッチになっていま す。
 調べているうちに知ったのですが、古城さんは新田義貞の 故郷、太田市で刊行した「まんが太田の歴史」も 手がけられ、当然のように新田義貞の物語もその中で漫画化されていました。なお、その「まんが太田の歴史」ですが、主人公の少年少女三人組が太田市の歴史 を調べるという設定で、そのうち男の子二人が「太田くん」「新田くん」だというのはありがちですが、女の子が「宮沢リエ」になっているのは明らかに大河 「太平記」ネタですね(笑)。


◎ざっくりダイジェストながら読みやすい伝記

 尊氏の伝記漫画だから当然ですが、この漫画は正味120ページという短いページ数に少年時代からその死まで、尊氏の生涯をダイジェストで詰め込んでま す。エピソードも登場人物も尊氏を中心にかなり絞り込んでいて、あの複雑怪奇な南北朝の展開をかなり読みやすくまとめていると思います。

 表紙絵のバック に写っている寺は足利にある鑁阿寺。本文が始まる扉ページには足利学校の写真が掲載されています。そして漫画も下野国足利荘の情景を描きながら足利家の由 来を語って行き、そこから尊氏・直義兄 弟が海辺で馬を馳せているカットへ(左 図)。あれれ、足利に海なんかあるわけが…と思ってよく見れば、足利兄弟が出てくるコマから鎌倉の稲村ケ崎に場面が飛んでいた のでした(笑)。なんて紛らわしい、と思ってしまいますが、どうもこれは当初従来そうだったように足利から話を始めようと素材を用意しておいたら監修者か ら「尊氏は鎌倉育ちで足利に行ったかどうかも怪しい」(永 原慶二さんはシリーズ全体の監修にされてるようですが、南北朝は専門分野にされてます)と指摘され変更した痕跡なのではないか と。大河ドラマも同様の解釈でした。
 元服前の尊氏が「又太郎」なのに弟の直義が「直義」のまんま、というのも大河ドラマと同じで、こちらでは欄外で「子どものころの名(幼名)がわかっていないので、ここでは直義の名をそのまま用いまし た」とちゃんとおことわりが入っています。、
 
 序盤は少年時代の足利兄弟を語り役として鎌倉幕府末期の幕府・朝廷の政治状況、祖父・家時の置文、登子との政略結婚といった背景事情がなかなか巧みに説 明されてゆきます。そして後 醍醐天皇による倒幕計画が進行(日 野俊基がなぜか出家姿)、そのさなかに父・貞氏が 亡くなり(吉川英治の影響か病弱設定)、 その直後に尊氏(高氏)が後醍醐派討伐のため出陣。この漫画でも尊氏が赤坂城攻めに参加して楠木正成の戦いぶりを目撃する展開になってます。このあたりか ら尊氏は濃いヒゲづらに描かれ、あの「騎馬武者像」をデフォルメした顔立ちになります。それでもあまり勇ましい武者という感じではなく、温厚な人柄をにじ ませるキャラになってますね。

 他の漫画と比べて目を引いたのは、執事の高師直の キャラクター。よく大笑いする豪快キャラなのはよくあることですが、この漫画ではその外見に似合わずなかなか目配りの細かい策士で、尊氏のよき相談役。尊 氏が鎌倉幕府にそむいて六波羅を攻め落としたものの「人質になった妻や子は…」と心配していると、「こんなこともあろうかと前もっていいつけておいた者たちに八幡宮で旗あげした日に使い を出し、お二人を北条の手からおすくいしておきました、はっはっは」なんていきなり言い出す師直にはギャフン。というか、無計 画すぎるでしょ、尊氏さん。
 他に珍しいなと思った描写として、稲村ケ崎を例の名場面で突破して鎌倉に突入した新田義貞が、 反対側から来る千 寿丸(足利義詮)をかつぎだした大軍を見てビックリし、「わずか4歳の子に手柄をとられてたまるかー!」と叫ぶという場面があ ります。つまり義貞と千寿丸はここでは完全に別行動なんですね。義貞が千寿と合流したと「太平記」が伝えているのでそう描くものが多いのですけど、実は指 揮系統などほとんど別行動だったとする見解も有力でして、もしかするとこの漫画の描写はその見解が反映されているのかもしれません。

◎ 物寂しいエンディング

 鎌倉幕府滅亡まででおよそ半分。そのあと建武の新政の混乱が「二条河原の落書」をもとに描かれ、中先代の乱、尊氏の出家騒動と挙兵、九州落ちから湊川、 南北朝時代の幕開けへとかなり急ぎ足ではありますが必要な部分はちゃんと描きつつまとめています。そういえば尊氏主観のせいか、楠木正成の出番が少なめ で、もっぱら新田義貞が敵役として登場している印象があります。
 有名な「この世の果報はすべて直義に与えて…」と書いた願文を清水寺に納める場面もあり、直義から「どんな願文を?」と聞かれて「足利の繁栄をねがった だけじゃ」と笑ってごまかす尊氏がなかなかいい味を出してます。この漫画では尊氏は一貫して後醍醐を個人的に慕っていて、そのために幕府創設時も直義から 「なんだか寂しそうだな」と言われてしまうほどです。

 後醍醐が死んで しまうと当然ショックを受けて天竜寺を作ったりすることになりますが、そこからが早い早い。楠木正行の 話はなんとか入れたものの、その後の「観応の擾乱」はもはや残りページもないので漫画化すること放棄して説明文とイラスト状態のコマによりたった2ページ でざっくりまとめ、あっちこっちの軍隊通過に悩まされる庶民の声を入れることで処理(この辺は小学館「日本の歴史」に似てるかな)。 直義は直接的描写はないものの「毒殺されたといわれています」と語り、一人涙する尊氏を描きます。

 直冬は面倒くさいので全く登場させず、直義死後は一気に尊氏の死へと向かいます。天竜寺が全焼したのを見た尊氏は「後醍醐天皇はまだわしのことを許して くださらないのか?」と恐れおののき、そのまま死の床に。「み、みかど」とうなされる尊氏は枕元にきた義詮に「いまもみかどの夢をみていた」と語り、「心ならずもみかどに敵対してきたわたしの罪は深い…」とま で贖罪の念を口にします。「しかし…もともと朝廷がわかれていなければ これほどの乱世にはならなかったのだ…」と続けるのは、朝廷を二つに分けた張本人でもあることを思うとちょっとどうかという気 もしますが。

 史実だからしょうがないですが、こんな感じで尊氏の晩年はかなり物寂しい。しかもその後も延々と乱世が続いちゃったわけで…ラストページはお約束のよう に足 利義満が南北朝を統一したことを語って幕を閉じています。この手の漫画には珍しく金閣ではなく能が舞われているカットで終わっ ています。


◆ おもな登場人物のお顔一覧◆

皇族・公家
後 醍醐天皇 護 良親王 日 野資朝 日 野俊基 北 畠顕家
後村上天皇 光明天皇
北条・ 鎌倉幕府


北 条高時 北 条守時
北 条時行
長 崎高資
足利・ 北朝方
足 利尊氏 足 利直義 足 利貞氏 千 寿丸(足利義詮) 赤 橋登子
高師直 高師泰 赤松則村(円心) 夢窓疎石
新田・ 楠木・南朝方



新 田義貞 楠 木正成 楠 木正行


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