◎「南北朝の女」といえば! 南北朝時代は戦いばっかりの乱世だけに、ひたすら男くさい世界です。そんな中にも女性はもちろんいたわけで、中には有名になった女性もいます。新田義貞とのラブロマンスが伝えられる勾当内侍ですとか、自害しようとする息子を諭した楠木正成の妻
(「久子」とする本が多いですが名前はハッキリ言って不明です)ですとか、古典『太平記』にはまるっきり登場しないけれど、大河ドラマや小説などでは足利尊氏の正妻で北条氏の生き残りとなった登子や、尊氏の庶子・直冬を産んだ謎の女性・越前局なんかも彩りを添える女性キャラではあります。
ただーし。「南北朝の女」を代表する女性といえば、もうダントツで
阿野廉子で
キマリでしょう。後醍醐天皇の数多い后妃のなかで絶大な寵愛を勝ち取り、後醍醐の隠岐への島流しにも、比叡山の籠城にも、はては吉野に南朝を開くまでずっ
と同行するという珍しいほどの行動派。おまけに建武政権期には後醍醐の寵愛をいいことに大いに権勢をふるったとされ、自分の産んだ皇子を皇位につけるべく
あらゆる手段を使い、目ざわりとなる倒幕戦の功労者・護良親王を讒言で捕縛させ、いろいろあって結果的に吉野の山奥の政権とはいえ、息子を天皇にして「国
母」となる野望を達成したとされる「権力を愛した女」とされます。あくまで古典『太平記』が文学的装飾として「傾国の美女」のイメージを引き立たせるため
にそう言ってる、ってことにも注意が必要ですが。
吉川英治の小説『私本太平記』でもそのイメージはさらに増幅され、それに基づく大河ドラマでは
原田美枝子さんという絶妙なキャスティングで凄く怖い女になってました(笑)。さいとう・たかをの劇画版『太平記』でも廉子はまるで「南北朝動乱の影の主
役」といっていいほどの扱いを受けています
(当該コーナーを参照)。まぁとにかく南北朝時代を通してこれほど強烈な印象を残す女性はいません。いや、もしかすると日本史全体を通してもこれほど政治的に劇的な人生を送った女性はあまりいないんじゃないでしょうか。
そんな女性ですので、小説・マンガの格好の種になるはずなんですが…南北朝は商売にならない、ってんでほとんど例がありません。僕はこれも残念なことだ
なぁ、と思っていたわけですが、この「マンガで南北朝!」コーナーを作ってしばらくしてからこの本の存在を知ったんですね。おお!阿野廉子のマンガがある
じゃないか!というわけで入手してみたわけです。これが実に…素晴らしい素材でありました
(いろんな意味で)。
この本の発行は1985年。大河ドラマ「太平記」の噂すらない段階の昭和の御代で、たまたま「人物日本の女性史」というレディースコミックのノリのシリー
ズが企画されたために南北朝時代代表として当然のごとく「阿野廉子」が選ばれることになったわけです。なお、このシリーズはカバーにあるリストによると全
30巻というなかなか豪華な構成で、「卑弥呼」から始まって「お竜」
(龍馬の奥さんね)まで各時代の有名女性30人がとりあげられています。「北斎の娘お栄」なんてえらく変わった人選も見えますけど(笑)。
ところで作者の「かみやそのこ」さんという漫画家さん、僕はもともと女性漫画家方面は非常に疎いのですが、ネット検索かけてもこの「阿野廉子」ばかりがひっかかります。
◎ああ、レディースコミックな南北朝! さてこのマンガは1313年から始まります。廉子はまだ13歳のいかにも少女マンガチックな可愛い女の子。西園寺実兼の屋敷でそのお姫さま・
禧子に仕える「身分の低い貴族の少女」として登場します。夜中に何やらうるさい物音を聞いて目を覚ました廉子は、
なんと自分が仕える禧子さまが一人の美青年貴族によって誘拐される現場を目撃してしまいます。その青年貴族こそ、のちの後醍醐天皇その人。 あ、
ここで「さすがレディコミ」とツッコんだあなた、まだまだ南北朝を知りませんね。これ、史実ですから(爆)。まぁ廉子が現場を目撃したかどうかは
知りませんが、可能性は否定できません。衝撃のオープニングとしては格好の逸話でしょう。なおこのマンガでは禧子の年齢は廉子より若干年上に見えますが、
史実ではこの当時の禧子は現代なら「幼女誘拐」と言われても仕方のない年齢でして、おまけに数ヵ月後に誘拐犯が発覚したときには妊娠済み、しかも動機は有力公家・西園寺家への接近のためという政治的な狙いだったというマン
ガよりひどい話だったりします(汗)。
まぁとにかく既成事実ができちゃったわけで、禧子はまだ皇太子だった後醍醐の正式な妃となり、廉
子も禧子のそばに仕えることになります。これも史実なんですが、この辺からだんだん「レディコミ」化してくるんですな(笑)。禧子と仲睦まじくしている美
青年・後醍醐にほのかな感情を抱く廉子ですが、「いけないわ、禧子さまのお好きな方なんだから」と悶々としているところへ、可愛い美少年が「お母様!」と
いきなり抱きついてきます。
これがなんと護良親王(「もりなが」とルビがあります)。実母と引き離されてさみしかった護良クンは母親にそっくりな美貌の廉子お姉ちゃんに甘えて、そのまんま惚れこんじゃうのでありますな。廉子みずから護良クンと武芸の稽古をしたり(!)そのイケナイ関係は次第に深まっていくのであります
(南北朝ファンはこのあたりで「やべーぞ、やべーぞ」と叫び出すことかと)。
そして帝位に上った後醍醐さんは護良との慶子で見事な武芸を披露する廉子をちらりと見て、見染めてしまう。さっそく「夜のお相手」を命じることになりま
す。廉子は内心好きだった人ですけど、慕っている禧子に申し訳ない、おまけにどうも帝は一時の気分みたいだし、とかなり抵抗するんですけど、結局断れるわ
けもなく、後醍醐に抱かれてしまう。
絶望した廉子は自害まで図りますが、護良クンがすんでのところで飛びついて制止、以後廉子は護良に母代りとして愛情を注ぐことで宮中に生きる価値を見出していきます。
廉子がもともと禧子の侍女だったというのはホントの話でして、これもまぁうまくドラマチックに料理したもんだと思います。それにしても護良クンとの関係は
ますますヤバいところへ突き進んでいるのがミエミエ(笑)。せっかく生きがいになってくれた護良クンでしたが元服して宮中から離れてしますのですが、「大
人」になった護良親王は明らかに「母」としてではない感情を廉子に抱いていくことになります。
さていよいよ後醍醐天皇は倒幕計画を開始。例の「無礼講」も出て来まして、後醍醐は廉子同伴で参加します。その廉子の美貌を見て思わず杯を落としてしまった若武者がいます。
これがなんと楠木正成。後醍醐が正成の様子を見て廉子に「正成の妻になるか?」と戯れに聞くと、廉子はすました顔で「はい。主上に逆らうようなことは申しません」とあてつけがましいことを言って後醍醐の激怒を買います。しかし正成は
(ざれごとでも、あなたは私の妻になってもいいといってくださった、それだけで私はうれしい…)と、何やらこっちもアブないムードになってきます(爆)。
恥をかかされたと激怒した後醍醐は廉子に三日間の絶食と謹慎を命じます。そこへこっそり食事を届け、ついでにこっそり密会しちゃう護良親王。
「あなたを愛している、この思いを遂げるまでは帰りません!」といきなり単刀直入なことをいいまして、
ああ、廉子と護良は不倫の肉体関係をもってしまうのであります。南北朝通なら卒倒しかねないシーンであります(汗)。
その直後に「正中の変」で後醍醐の計画が発覚。ここで廉子は初めて後醍醐の「私がこの国を治める」という明確なビジョンを知り、この部分では次第に後醍醐を認めるようになっていきます。そんな折に廉子の妊娠が発覚。
さあ、どっちの子なんだ(爆)。
一時は絶食して死のうと思った廉子でしたが、禧子さまの説得を受けて生むことを決意します。その禧子さまも内心秘密に感づいているらしく、また後醍醐を廉
子にとられた複雑な心境もあって…生まれた男の子は自分の子じゃないのか、と護良は迫って来るし…ああ、ドロドロですよ、もう(笑)。
◎そして、「女帝」へ… とかなんとかレディコミをやってるうちに、歴史は進行して後醍醐は挙兵。廉子はこの辺から「恒良が誰の子だろうと自分が産んだ子がこの国を治めるのだ」と明確に開き直りまして、むしろ後醍醐を積極的にせっつくようになっていきます。笠置山にも同行し
(そういう史実はない)、駆けつけてきた楠木正成も廉子の姿を見て
「あの方のためにも」などと言って奮戦します。しかし結局後醍醐方は敗れ、後醍醐も隠岐に流される。史実どおり廉子も同行することになりますが、このマンガでは「私も後鳥羽上皇みたいになるんだろうか」と気落ちしがちな後醍醐を
「お渡しした三種の神器は偽物です。本物の神器は私がさるところに隠しておきました」などと言い出して、積極的にたきつける役回りです。後醍醐は「お前が私のささえだ」などと弱気になってしまい、廉子はかえって母性本能(?)から後醍醐への憎しみをしだいに消して行っちゃうのであります。
廉子中心の話ですから、その後の倒幕戦の過程はかなりアッサリ。鎌倉幕府はものの4ページで片付けられてしまいます。そして建武の新政が開始されますが、「延喜・天暦の治」を目指すという後醍醐に
「そんな昔の世のようにこの世をかえるとおっしゃるのですか?」と疑問を呈する廉子は新政の先行きに早くも不安を覚えます。
都に帰ると皇子たちに再会して喜ぶ廉子は、実は皇子たちが禧子の世話になっていたと知って禧子に深く感謝します。ところがその直後に禧子が38歳の若さで病死
(これも史実)。悲しむ廉子にさらに追い打ちをかけたのが後醍醐による次男の成良、三男の義良の関東・東北への派遣です。
「私から御子をとりあげないで!」と叫ぶ廉子を無視する後醍醐、そこへ慰めるように現れ
「あなたこそわたしの夢の全て…」と甘い言葉をささやく護良。その護良はもちろん
足利尊氏の抹殺を図るわけですが、その真の動機を廉子にだけ打ち明けます。
「父上のためではなく、次の帝・恒良のために…」うわぁー、そう来たか!
一般には「護良を捕縛するよう讒言したのは廉子」とされますが、このマンガではもちろん採用していません。また後醍醐自身が尊氏の抹殺を護良に事実上指示していたという説
(ほぼ事実と考えられる)を採用、その事実を知った尊氏に追及された後醍醐が半ば苦し紛れに護良を引き渡してしまうという展開になってます。そしてやはり史実どおりに護良は中先代の乱のドサクサのなかで鎌倉で
足利直義(1コマだけチラッと登場)の指示で殺される悲劇的な最期を遂げるわけですが、
廉子はその瞬間、京都で護良の声を聞きます。そして事実を聞かされた廉子は
「うそです、うそです、信じません!」とパニックになり、
実に5ページにわたって「護良さまぁ〜!」と叫び続けることになります。死のうとさえするんですが、「お前まで私を置いて逝ってしまうのか」と心細そうな後醍醐に言われて思いとどまります。
その後の急展開もやっぱりあっさり。尊氏が反乱、京都占領、九州平定、湊川という展開を護良のために泣いたページ数ぐらいで片付けていきますが(笑)、こ
の途中で正成の「尊氏と和睦を」との献策も出てきます。ところがこのマンガでは冷たくそれを拒絶するのは廉子です。尊氏は信用できない、っていうんです
ね。これまで思わせぶりのわりに思いのほかあっさりと正成の死が片付けられてますが、これは「ページ数が足りなくなった計画倒れ」というやつのようです。
ともあれ、終盤に行くにつれ、あるいは護良を失ったからなんでしょうか、廉子がちょこっと悪女化してきます。「偽の三種の神器」の件も全部廉子の仕業に
なってますし。
その後、後醍醐と廉子は吉野に入って南朝を開くことになりますが、
新田義貞(なぜかえらい老け顔です)に連れられて行った
恒良親王は足利軍に捕らえられ、毒殺されることになります
(なぜか一緒に毒殺されたことになっている廉子の子・成良のことは出てきません)。
念のため書きますと、この「毒殺」は史実かどうか疑問視する向きもありまして、少なくとも成良親王は後年まで生きていた可能性大とされています。ともあ
れ、恒良を失ったことで自分の産んだ子であるだけでなく護良の忘れ形見を失ったことで廉子は深く絶望し、後醍醐と寂しい者どうし打ち融け合っていくことに
なります。
そして1339年8月。後醍醐は吉野で最期の時を迎えます。後醍醐は朦朧とする意識の中で「恒良を呼べ」と言い出します。
そして「恒良を帝にすれば護良が喜ぶと思うたのだが」と衝撃の告白。あ〜、全部知ってたんですね、後醍醐さま。
「わしはもっと若い時にそなたと会いたかったぞ。そうであればそなただけを愛したものを」とまで言う後醍醐に、廉子は自分があの夜最初に後醍醐を見た時のことを思い起こし、さまざまな怨念や悲しみを乗り越えて
「思えば私は初恋の方と結ばれた幸せな女でございます」とささやきます。おお、なんかかなり泣ける名台詞です。
そして後醍醐崩御。南朝の公家たちが途方にくれ、中には「足利と和睦しては」とまで言い出す者まで出てきます。そこへ廉子が最後に残った息子・
義良親王と共に颯爽(?)と姿を現し、
「ただ今より義良親王を御位に立て帝と申し上げます!本物の三種の神器を持つ我が帝こそは皇室の正統な皇嗣!」と宣言、一同ははーっ!と恐れ入ります。まさに「女帝」そのものになっちゃうわけですね。
「あなたの夢をわたしが継いでまいります。そう、わたしたちはもう一度京に凱旋する。いつの日か…あなたの夢と共に…」と、少女マンガ的な花に囲まれなが
ら空に浮かぶ後醍醐の姿を息子と共に見上げる、これがラストカットになります。その後のことは簡単にナレーションで済ませてますが、まぁこれが綺麗な終わ
り方というものでしょう。実はこのあと足利方の内紛に便乗して南朝軍は一度は京を奪回、後村上天皇(義良)や廉子も京都凱旋一歩手前まで行って挫折すると
いうなかなか劇的な展開があるのですが、そこまでやる必要はこのマンガではなかったでしょうね。
このマンガとはあまり関係ない話ですけ
ど、河内の観心寺は楠木正成ゆかりの寺として知られ、南朝の皇居が置かれたこともあるのですが、こんにち「正成の首塚」と伝えられている墓は実は阿野廉子
その人の墓であると推測されています。ちょっとこのマンガ的な因縁を感じるでしょ(笑)。このマンガの正成ならきっとこう言いますよ。
「それだけで私はうれしい…」(爆)
◆おもな登場人物のお顔一覧◆
皇族・公家 |
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阿野廉子 | 後醍醐天皇
| 護良親王
| 西園寺禧子 | 恒良親王 |
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義良親王 | 日野資朝
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足利・北朝方 |
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足利尊氏 | 足利直義 | | | |
新田・楠木・南朝方 |
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楠木正成 | 新田義貞 |
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