楠木正成をはじめとする西日本各地の反北条の叛乱が続発。これを鎮圧するために御家人達も経済的負担を強いられ幕府を恨むようになっていく。後醍醐天皇が隠岐脱出計画の成否が多くの者の運命に関わってくる。
◎出 演◎
真田広之(足利高氏)
沢口靖子(登子)
根津甚八(新田義貞)
陣内孝則(佐々木道誉)
柳葉敏郎(ましらの石)
高嶋政伸(足利直義)
本木雅弘(千種忠顕)
赤井英和(楠木正季) 瀬川哲也(恩智左近)
桜金造(和田五郎) 佐藤恵利(小宰相)
北九州男(二階堂道蘊) 渡辺寛二(大高重成) 山中康司(大仏貞直)
小山昌幸(名越高家) 樫葉武司(南宗継) 中島定則(三戸七郎)
にれはらゆい(虎女) 神野三鈴(萩) 阿部きみよ(小岩)
山崎満・大須賀昭人(重臣) 伊達大輔・渡辺高志(近習)
武田鉄矢(楠木正成)
藤真利子(久子)
片岡鶴太郎(北条高時)
柄本明(高師直)
勝野洋(赤橋守時)
西岡徳馬(長崎高資)
児玉清(金沢貞顕)
原田美枝子(阿野廉子)
白石貴綱(名和悪四郎) 和田周(島の侍) 加納健次(役人)
岡田好司(金若)
若駒スタントグループ ジャパンアクションクラブ クサマライディングクラブ
早川プロ 劇団NLT 園田塾 足利市のみなさん 太田市のみなさん
フランキー堺(長崎円喜)
藤村志保(清子)
片岡孝夫(後醍醐天皇)
○制作:高橋康夫○美術:稲葉寿一○技術:小林稔○音響効果:石川恭男○撮影:細谷善昭○照明:大西純夫○音声:寺島重雄○記録・編集:津崎昭子
元弘三年(1333)閏2月23日。隠岐では後醍醐天皇脱出の計画が実行に移されようとしていた。伯耆の武士・名和悪四郎とましらの石は阿波の海賊・岩松の船に乗って隠岐に入る。物陰から行在所の様子をうかがっていると、後醍醐帝の寵妃・小宰相が外に出てきて、警備の兵士に「決行は明日」と伝える。小宰相が幕府に情報を漏らしていることを確認した名和たちは焦るが、そこへ金若(かねわか)という後醍醐帝の側に仕える少年が現れ、二人に小宰相のことを帝に伝えると申し出る。
後醍醐帝は阿野廉子に脱出の決行を伝え「そなたにも走ってもらわねばならん」と告げる。廉子は帝が自ら小宰相に情報を漏らしたことを激しく責め、彼女を同行させないで欲しいと懇願する。しかし後醍醐の答えは「あれは連れて行く…あれは哀れな女子じゃ」であった。自分と小宰相とどちらを信じるのだと泣いて詰め寄る廉子に、後醍醐はついに打ち明ける。後醍醐は最初から小宰相が幕府の意向を受けて情報を流していることを知っていたのだ。そしてそれを逆手にとって「明日」と嘘を教えたのだと。「朕は今宵ここを出る」と後醍醐は言い、「朕が頼りに思うは廉子だけぞ…それを疑うでないぞ」と廉子を抱く。そこへ金若がやって来て小宰相が情報を漏らしていたことを告げた。後醍醐帝はそれを聞いてただちに脱出を実行に移す。
島の侍や名和一党の手によって警備の兵士達が殺され、後醍醐帝は自らの足で夜の闇の中を走りに走る。廉子や小宰相、千種忠顕らも別行動で脱走する。石は身重の小宰相を背負い、敵が現れると自ら刀を振るって突破していった。後醍醐はついに海岸にたどり着き、名和悪四郎らに出迎えられる。後醍醐は足に刺さった何かを引き抜き、「痛いと思うたら…こりゃ貝じゃ!貝殻じゃ!」と大笑する。後醍醐帝は岩松海賊の用意した船に乗り込み、廉子と小宰相は別の小舟に便乗そて石がそれを漕ぐことになる。
荒れる海上で小宰相は船べりにつかまり、前を進む後醍醐帝の船の姿を探していた。「おお、あれは帝の船であろうか!?」と小宰相が身を乗り出したとき、廉子が彼女を背後から押し、舟から突き落とした。悲鳴をあげて海中へ沈んでいく小宰相。呆気にとられた石だったが、振り返ってにらむ廉子の恐ろしい顔つきに黙り込んでしまう。やがて小宰相の衣服だけが海面に浮かんできた。
同じ閏2月24日、播磨で挙兵した赤松円心は尼崎方面に進出、これを迎え撃った六波羅の大軍を撃破してしまう。一方楠木正成も千早城で六波羅軍相手に互角の戦いを展開していた。そこへ後醍醐帝隠岐脱出の知らせが入り、鎌倉幕府は大騒ぎとなっていた。
高氏のもとにも一色右馬介から「先帝隠岐脱出」の知らせが届く。「また大きな戦に?」と不安がる登子を「案ずるな」となだめながら、高氏は直義や重臣達を集める。これで鎌倉が手薄になる可能性が高くなると直義らは喜ぶ。
幕府はさらなる大軍の派遣を検討していた。金沢貞顕が赤橋守時に「誰を出陣させるのか、長崎殿に一任してはまずい」と密かに進言する。「例えば足利…貞氏殿が死んでから何かが変わった」と不安がる貞顕に守時は「足利殿は我が妹の婿ぞ」と言うが、貞顕はあくまで万一の事としながら、外様の足利を外へ出すことを警戒し、長崎が出陣させようとしたら阻止して欲しいと頼む。
そして幕府評定において、長崎円喜は派遣する第二陣の陣容案を示した。見ると「足利高氏」の名も入っている。それを見て顔を見合わせる貞顕と守時。
そのころ清子は寺に詣でて祈っていた。寺の外に出ると息子の高氏が待っていた。清子は高氏を寺の境内へ誘い、語らい始める。「この世には己の力ではどうにもならぬ事がある…それゆえ御仏(みほとけ)がおられるのじゃ」と言う清子に「しかし御仏は表に並ぶ貧しい乞食どもを救えませぬ。あの乞食どもを生む北条殿の世を変えてはくれませぬ」と高氏。息子が反北条の戦いを起こそうと考えていることを悟った清子は「世のためにそなたを死なせとうない…世を正すために我が家を失いとうない…」と高氏に言う。高氏は正成の「大事なもののために死するは負けとは申さぬもの」という言葉を引いて決意のあるところを言いつつ、一方で家族との平穏な生活を望んで悩む心もあると本音も打ち明ける。清子はそれを聞いて「この世には己の力ではどうにもならぬ事がある…これもそういう事であろうかのう」と嘆息する。そして「足利家はそなたに預けたのじゃ。母は何も申しますまい」と高氏に言うのだった。
高氏が帰宅すると、守時が訪ねて来ていた。幕府として足利家に出陣を要請することを伝えに来たのだった。「この守時は行かせとうないのだが…こたびの戦はそれがしには不吉に思える」と言い出した守時は「ゆうべ、らちもない夢を見ましてな…それがしが足利殿と戦をいたす夢なのじゃ」
と口にする。高氏が笑顔をとりつくろいながら、例え夢の中の話であっても守時は味方にしたいものと言うと、守時は答えた。「お気持ちは有り難い。じゃがこれだけは申しておこう。北条は腐り果てたとは言え、我が一族…それがし、これに弓を引くことはできん。愚かな守時よ…」と。そして「西国の乱に気が動転した」と言って苦笑するのだった。
守時が去った後、高氏は家臣らに命じる。諸国の足利一門に使者を送り「足利が総力を挙げて戦をいたす。馳せ参じられよ!」と告げよ、と。そして恐らく千早城攻めに参加している新田義貞のもとに右馬介を遣わすよう手配させる。
得宗の北条高時邸には長崎父子、貞顕、守時が集まって再度の会議を開いていた。貞顕はここで足利に出陣させることへの不安を円喜らにぶつける。足利の所領である三河辺りで反転して鎌倉を攻めてくるかも知れないと。しかし長崎父子は足利がせいぜい兵を集めても3000、鎌倉の数万の兵の敵ではないと読む。問答を聞いていた高時は「わしの犬は檻の中におるゆえ可愛いのじゃ。噛みつくものは檻の中が良いぞ」と貞顕に同調しかけるが、円喜はちゃんと足利対策はとってあると言い、控えていた佐々木道誉を呼び出す。道誉を高氏より先に近江に帰らせ、高氏の軍が来たら京まで同行・監視させる。万一、足利軍が三河で反転したら近江から道誉の軍が追撃し、鎌倉軍と挟み撃ちにする、という作戦であった。これを聞いて貞顕はしぶしぶながら高氏出陣を認める。
高時の前から引き下がった後、円喜と高資が道誉を取り囲む。円喜は後醍醐暗殺にしくじった道誉を「この騒ぎの元はそこにある」と責める。そして高資が「足利には我らも思うところがある。それゆえあえて鎌倉から出す。しかと見張られよ」と意味深に道誉にささやく。円喜は閉じた扇子を道誉の首に突きつけ、「こたびそむけば…鎌倉にいる一族郎党、みな首をはねる!」と凄む。これに道誉は不敵に唇を歪める。
一方。河内の楠木軍は幕府軍の攻勢にじりじりと後退し、千早城に立て籠もって必死の抵抗を続けていた。斜面を攻め上ってくる幕府軍に丸太や石を浴びせ、引き付けて矢を放ち、ひるむところへ大岩を落とす。妻の久子や侍女達も弓をとり矢で敵兵をしとめていく。楠木軍の必死の抵抗に幕府軍は攻めあぐね、攻めてはほうほうの体で退却を繰り返す。
そんな幕府軍の体たらくと善戦する千早城をじっと眺める男がいる。千早城攻めに参加していた新田義貞である。
鳥取県名和町・赤碕町。名和神社や名和一族の墓地、名和長年が後醍醐帝を奉じて立て籠もった船上山などを紹介。
このドラマでは後醍醐天皇の隠岐脱出に阿波の岩松海賊と名和一族の動きがあったことにしている。これは「私本太平記」での設定をそのまま拝借したもの。阿波の海賊衆などを絡めたあたりは海賊史研究者でもある僕の目を引くところだが、わざわざ阿波から…というのは無理があるかも。伯耆の名和一族はそもそも回船業を営んでいた豪族らしいので、彼らが関与していたことはほぼ間違いないだろう。古典「太平記」では隠岐の佐々木義綱が密かに後醍醐を逃がそうと計画し、これを出雲にいる一族の塩谷判官(歌舞伎「忠臣蔵」で浅野内匠頭の投影にされた本人。後でこのドラマにも出てくる)に漏らして身柄を拘束されてしまい、やむなく後醍醐が自ら脱出を決行するという展開になっている。伯耆に上陸後、たまたま名を聞いた名和一族を頼ったことになっているのだが、そんな偶然に頼ったとはとても思えず、事前に何らかの連絡があったと考えるのが自然。
隠岐を脱出する際、阿野廉子が小宰相を海に突き落とす強烈な展開があるが、これは吉川英治による完全な創作。「小宰相」という女性が隠岐まで同行したことは「増鏡」に見えるが、何も具体的な話は残っていない。何も史料がないのを逆に利用して、この隠岐脱出の話をスリリングに仕立てつつ、阿野廉子の冷酷さ・激情ぶりを強調するという、まことに見事な創作と言えるだろう。
ややドラマから離れるが、吉川英治という作家はこの手の「まことしやかな創作」の実にうまい歴史作家で、「宮本武蔵」「三国志」などの名作でその創作部分を本気にしている人が今なお少なくない。この「廉子の小宰相暗殺」を史実として語る某作家の文章を某歴史雑誌でみかけて唖然としたこともあった。実は「私本太平記」では他にも創作のために史料捏造までしているところもある。なんとなく古文書っぽい引用が出てきても信用してはいけないのだ(笑)。なお、以上のことは僕は非難しているのではなく、作家として見事だと誉めてるんですよ、念の為。
守時と高氏が、「夢」の話として「もし敵味方となったら」と話し合う場面は守時の見せ場。ここで守時は高氏が反旗を翻すことを予見しながらも、あくまで北条に忠節を尽くすことを表明する。高時とはまた違った意味で滅亡の悲劇を演じる守時だが、このドラマ以後僕の頭の中では守時と言えば完全に勝野洋サン以外の顔が浮かばなくなってしまった(笑)。「太平記」のサントラCDにはわざわざ守時のテーマ曲が収録されているが、タイトルは「孤独な戦士たち」である。もちろん、このシーンでも効果的に流されていた。
先に長崎父子から後醍醐暗殺を命じられていた道誉、今度は高氏暗殺を命じられる。なんだか長崎父子も存外人が好いのでは無かろうかと思ってしまうところもある(笑)。ここで「もし従わねば鎌倉にいる一族郎党の首をはねる」と言っているが、結果的に道誉は従わなかったわけで、このあたりどうなったのかその後全く言及がないので気になるところ。
この回のラスト、古典「太平記」で名高い楠木正成の千早城攻防戦のシーンがついに始まる。今回と次回の二回に分けて登場するが、今回分に関しては赤坂城攻防戦の映像の使い回しが多い。久子や侍女達まで弓矢で敵を射落としているのには驚いたが…。
ドラマでは「じりじりと後退し」の一言で済まされてしまったが、実は楠木軍は千早城と赤坂城の二枚看板で戦っていて、このうち赤坂城は幕府軍に水の手を断たれ、耐えかねて降伏してしまっているのだ。しかも古典「太平記」によれば、降伏すれば命は助ける約束だったのに降伏した兵士全員が処刑されてしまい、千早城の楠木一党は激怒してかえって戦意を高めたという話が載っている。