◎現時点で唯一の正成伝記漫画 楠木正成と
いえば、戦前は「大忠臣・大楠公」の大スター。もともと「太平記」の記す活躍と「悲劇の英雄」要素もあって庶民人気はあったのですが、水戸黄門以来の尊王
思想・皇国史観の流れの中でその存在は神格化され、明治以後は皇居前に銅像も建ってほとんど近寄りがたい「軍神」扱いされていました。しかし敗戦により皇
国史観が否定されると、今度は逆に手放しの評価はしにくい存在になってしまい、南北朝を扱った小説
(その数自体が少ないですが)でもその扱いに苦労するようになります。実は明治以来実証研究はちゃんと行われていて「悪党」や「御家人」説も早くから出ていたのですが、それが一般に広まるのは戦後のこと。それでも材料の少なさ、活動期間の短さ
(実質5年しかありません)からほとんど正体不明なのは相変わらずです。
そんな楠木正成を学習漫画、それも彼を主人公とした伝記漫画にするというのはかなり冒険だったのではないでしょうか。僕の知る限りこの一作しか例はないみ
たいですし。この冒険に挑んだのは学研まんが「人物日本史」シリーズで、このシリーズにはすでに伊東章夫さんの「足利尊氏」が存在しています。ただ「尊
氏」がこのシリーズの発行当初
(「まんが日本史」という名前でした)からあったのに対し、「正成」は後から追加でシリーズ入りしたものです。刊行は1990年12月…ですから、これは明らかに大河ドラマ「太平記」便乗企画だったとみていいでしょう。
漫画を担当されたのは「うめだふじお」さん。残念ながらこの漫画家さんについて僕は全く知らないのですが、著作を調べると学研の学習漫画や児童向け絵本な
どを手掛けられている方らしいです。絵も可愛く子どもに親しまれそうなタッチです。それで「楠木正成」という組み合わせはどうなんだろう、と思いつつ手に
取ったのですが…
◎河内弁ワールドで展開される正成伝 伝記漫画ということで、物語は順当に正成の誕生から始まります。正成の母が信貴山の毘沙門天に百日詣でをして身ごもり、それにちなんで「多聞」と名付けたという伝説がそのまま漫画で語られています。正成はその家系すら判然としていないのですが、この漫画では父親を「
楠木正遠」とし、その父つまり正成の祖父を「
楠木盛仲」
としています。「盛仲―正遠―正成」という系譜は「尊卑文脈」の橘氏系図などに出てくるものですが、どこまで信用できるかは疑問視されています。この盛仲
がバリバリの「悪党」で、幼い正成を連れて播磨まで出かけて農民から略奪をおこなう描写がありますから、これが正成の父か祖父ではないかといわれる
「河内楠入道」という設定であるようです。
略奪をおこなう祖父に、幼い正成はさすがに疑問を感じますが、祖父の楠木入道は
「とりたてた年貢は全部この地領の東大寺のものになり、坊主のメシになってクソに変わるだけじゃ!それより、少しでもわしらの分を多くとるほうが役に立つというもんや。人に管理をかませてとりたてさせ、めし食らう坊主をこやすのと、楠木一族と領地のこやしになるのと、どっちがええ?」言い放ちます。うおお、なんとインパクトのあるセリフでしょうか。この漫画、実はこの調子で
正成一家はみんな河内弁でしゃべるんですね
(正確かどうかは僕にはわかりませんが)。
こうした表現の前例は河内人であった今東光の小説「太平記」があるのですが、河内弁ネイティブの作家さんがいないせいか他にほとんど例がありません。当時
の河内弁がどうだったのかは知りませんが、河内弁でまくしたてられると突然「悪党」ワールドが現実感を持ってくるから不思議です(笑)。作者のうめださん
はもしかして河内出身の方なんでしょうか?
この漫画では楠木一族は金剛山の辰砂(水銀)を採掘して利益を上げている設定。また「菊水の
旗」の由来の説明もありますが、珍しいことに皇室うんぬんは一切関係なく、「古く中国には菊の花が流れる谷川の水を飲むと長生きするという話がある」こと
にちなんだことになっています。正成が成長して家督を継ぐと、鎌倉幕府の命で紀伊国の湯浅氏を討伐したという一部史書が伝える話も採られ、欄外注に「御家
人説」も紹介されています。
この手の学習漫画では架空キャラが出てきて読者の代弁者となるのが定番ですが、この漫画では正成の幼馴染の観心寺の僧侶
・悪(あく)やん(何ちゅう名前や)が
登場します。その名の通りの「悪僧」でして、やはり河内弁で正成と会話し、情報収集や情報攪乱のため各地を飛び回ります。のちの尊氏との京都攻防戦で「正
成の首」を探して回る僧侶の役をこの悪やんが演じるというのはウマイ創作です。なお、このシーンで首の一つが明らかに「ヒョウタンツギ」になってるのはビッ
クリ(右図)。
後醍醐天皇の霊夢の話も出てきますが、その前に山伏に化けた
日野俊基が正成と接触していたというよくある設定。後醍醐天皇から勅命を受けた正成は即座に応じるのではなく一応一族会議を開いて
「今の世、民の心は幕府からはなれとる。民の心を受けて立てば、必ずや勝つ!」という判断で天皇に味方することを決めてます。
赤坂城、千早城での大活躍はほぼ「太平記」の記述そのままで、面白おかしく漫画化しています。「天王寺未来記」の話も出てきますが、「西鳥が東魚を食う」
のあとにある「大猿が天下をかすめる」の部分に正成が注目し、倒幕後の先行きに不安を感じる、というのはこの漫画のオリジナル。古典「太平記」でも出てく
る話ですが、不思議とその部分にはツッコまないんですよね。
◎あの世まであほんだら! あくまで正成の伝記ですから、彼の出番がほとんどない建武政権の崩壊過程のイザコザはかなりアッサリ。
足利尊氏と
交流するシーンの一つもあってもよかったんじゃないかな…と思うのですが、一切なし。実際に尊氏が反逆してから「大猿とは尊氏のことだったか」と気づいた
正成は、建武政権を守るためというよりは戦乱で民が苦しむのを防ぐためという目的で戦略をめぐらします。こうした「民衆のため」という理由づけをしてるお
かげで、「義貞を討って尊氏と和睦せよ」と意見したという「梅松論」の伝える逸話も無理なく挿入できています。
尊氏軍の東上を受けて、「いったん京に入れ兵糧攻め」という案も出しますが公家たちに退けられ、死を覚悟して出陣するのは「太平記」と同じ。息子・正行との「桜井の別れ」ももちろん描かれますが、
「ええか、父が討ち死にとなれば、天下は必ず足利のものとなろう。しかし、そなたはけっして降伏せんと、金剛山にこもって、戦うんや」と河内弁と語るとずいぶん雰囲気が違ってくるから不思議です。
湊川合戦の前に
新田義貞と語り合うシーンも印象深い。
「義貞どのを討って平和が取りもどせるなら、討つつもりやった」と率直に打ち明け、
「最善の策を公家らにけられたが、なーに、最善があかんなら次を考えるわ。ははは」と明るくしゃべって義貞をなぐさめる正成、やはり涙なくしては読めません。
湊川の激闘の末、一軒家に入った正成一党。正成は家臣たちに脱出を命じますが、
「あほぬかせ!おやっさん一人のこしていけるか!」と拒絶する子分…いや、家臣たち。
「おまえら…どこまであほんだらや」「あの世まであほんだらや!」というやりとり(左図)を読んでますと、実際正成一党ってこんな感じだったんじゃなかろうかと思えてきます。「七生人間」のセリフも描かれますが、
「罪深い悪い思いやが…わしもいっしょや…いざ、さらばよ!」なんてなってますと、ずいぶん柔らかい印象です。
なお、湊川合戦まで参加していた悪やんは正成に
「坊主が死んだら、わしらをだれがとむらうんや。楠木家の行く末を見とどけたってくれや」と言われ、戦場を離脱して生き延びます。物語はそれから一気に二十余年のちに飛び、正成の墓の前で老いた悪やんがその後の南北朝動乱を語り、
「今は観心寺が南朝の皇居になっとるんや。楠木家は正儀が南朝のために働いておる。さて、世の中どうなっていくやら…」と言い残して去って行くところで終わります。正行や正儀のことももうちょっと触れてもよかったんじゃないかと思うのですが、それらは欄外や巻末の解説でフォローする形になっています。
基本的には「太平記」そのままに英雄視した正成伝漫画と言えますが、同じセリフを関西弁にしただけでこんなに感じが変わるのか、と驚いた一冊です。
◆おもな登場人物のお顔一覧◆
正成伝記だけに登場人物は少なめ。
皇族・公家 |
| | |
| |
後醍醐天皇 | 護良親王 | 日野俊基 | 文観 | 千種忠顕 |
| |
|
|
|
坊門清忠 | 北畠顕家 |
| |
|
北条・鎌倉幕府 |
|
|
|
| |
北条高時 | | | | |
足利・北朝方 |
|
|
|
|
|
足利尊氏 | 足利直義
| 赤松円心 |
|
|
新田・楠木・南朝方 |
| | | |
|
楠木正成 | 楠木正季 | 楠木正行
| 楠木正遠 | 楠木盛仲(楠木入道)
|
| |
| | |
新田義貞 | 悪やん |
| | |