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「813」(長 編)
813:LA DOUBLE VIE D'ARSÈNE LUPIN
初出:1910年 「ル・ジュルナル」紙連載
他の邦題:「8・1・3の謎」(創元・ポプラ)

◎内容◎

 ダイヤモンド王ルドルフ=ケッセルバッハが泊まるホテルの部屋にアルセーヌ=ルパンが押し入った。その翌日ケッセルバッハは他殺体となって発見され、そ の胸にはルパンの名刺が。警察が捜査する中をかいくぐり、ホテルのボーイが、そしてケッセルバッハ氏の秘書までもが何者かに殺害される。ケッセルバッハ氏 はある人物の調査を進めており、謎の暗号「813」と「APOON」がその鍵となっているらしいのだが…
 事件は政府でも問題となり、老練の名刑事ルノルマン国家警察部長が捜査に乗り出す。一方で謎のロシア貴族ポール=セルニーヌ公爵も謎を解いてヨーロッパ の地図をぬりかえようと暗躍、これに対してアルテンハイム男爵なる人物も現れてセルニーヌと火花を散らす。さらに神出鬼没の殺人鬼「L・M」の影が…



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆アルテンハイム男爵
オーストリア出身と称する謎の紳士。「813」の謎をめぐりセルニーヌ公爵と対決。

☆イギリス人のオールド・ ミス
パレス・ホテルの宿泊者。

☆ウェベール
国家警察部副部長。上司のルノルマン部長をライバル視している。

☆エドワール
ケッセルバッハの召使い。

☆L・M
謎の殺人鬼。

☆オーギュスト
バラングレー総理大臣の取次ぎ係。

☆オクターブ
セルニーヌ公爵の運転手。

☆ガスティーヌ侯爵
セルニーヌ公爵の知人。ブーローニュの森に面した屋敷を持つ。

☆ギュスターブ=ブド
パレス・ホテルのボーイ。「L・M」と書かれたシガレットケースを発見。

☆グレル
国家警察部の刑事。ルノルマンの「忠実な猟犬」。

☆ジェラール=ボープレ
食い詰めた貧乏詩人。セルニーヌ公爵によって「ピエール=ルドゥック」に仕立て上げられる。

☆ジェルトリュード
ドロレス=ケッセルバッハの付き添いの女性。赤毛。

☆ジェローム
ルパンの部下。

☆ジャコミチ男爵
パレス・ホテルに宿泊していたイタリア人貴族。

☆ジャック=ドゥードビル
「ドゥードビル兄弟」の弟の方で、パリ警視庁刑事であると同時にルパンの部下。

☆シャルロット
ジュヌビエーブの学校に新任した教師。

☆ジャン=ドゥードビル
「ドゥードビル兄弟」の兄の方で、パリ警視庁刑事であると同時にルパンの部下。

☆シュザンヌ
ドロレス=ケッセルバッハの付き添いのジェルトリュードの妹。

☆シュタインウェーク
ルドルフ=ケッセルバッハの友人の老ドイツ人。ピエール=ルドゥックに関する重大な秘密を握っている。

☆ジュヌビエーブ=エルヌ モン
知恵おくれの子供たちを学校で世話する18歳の美しい娘。

☆スピネリ
イタリア人陸軍少佐。セルニーヌ公爵と決闘する。

☆チャップマン
ルドルフ=ケッセルバッハの秘書をつとめるイギリス人。

☆テタール
検事総長。

☆デュージー
国家警察部の刑事。「王冠事件」に続いての登場。

☆ドクター
名前不明。ルパンの部下の医者。

☆ドミニック
アルテンハイム男爵の召使い。

☆ドローム
パリ警視総監。

☆ドロレス=ケッセルバッ ハ
ルドルフ=ケッセルバッハの美貌の妻。スペイン系のオランダ生まれ。

☆パーベリ少佐
パレス・ホテルに宿泊していたイギリス人。

☆バラングレー
総理大臣。内務大臣も兼任している。急進社会党を30年来党首として率いる老練な政治家。

☆バルニエ
ルパンの部下。

☆バルバルー
パリで秘密探偵事務所を営む。ケッセルバッハから依頼されピエール=ルドゥックを捜索。

☆ピエール=ルドゥック
ケッセルバッハが捜し求める謎の若者。小指の先が切れ、頬にも傷がある。

☆ビクトワール
ルパンの乳母。「エルヌモン夫人」と名乗り、ジュヌビエーブの祖母代わりで共に暮らしている。

☆フィリップ
ルパンの部下。

☆フォルムリ
予審判事。「王冠事件(ルパンの冒険)」以来の登場でルパンへの復讐に燃える。

☆ポール=セルニーヌ公爵
ロシア人亡命貴族。ケッセルバッハが求めていたピエール=ルドゥックと「813」の謎を解こうと暗躍する。

☆マルコ

ルパンの部下。

☆リベイラ
スペイン人。フランスの学校制度調査のためにスペイン政府から派遣されたと自称。

☆ルドルフ=ケッセルバッハ
アウグスブルグの鍋釜製造業者の息子から身を起こし、ダイヤモンド売買で若くして巨万の富を築き「ダイヤモンド王」「ケープタウンの支配者」の異名をとる ドイツ人の億万長者。なぜかピエール=ルドゥックという男を探している。

☆ルノルマン
デゥドゥイ氏の死後に国家警察部部長の地位を引き継いだ老刑事。数々の事件を独創的な捜査法で解決し、名探偵と評判が高い。

☆ルベンダ
パレス・ホテルの宿泊客。


◎盗品一覧◎

◇黒檀の小箱
ルドルフ=ケッセルバッハがリヨン銀行に預けていた小箱。象牙がはめこんであり、日本風のデザインらしい。内部に書類が隠してあ る。


<ネタばれ雑談>

☆ルブランの最高傑作、シリーズ随一の本格推理小説

 本書『813』は、それまでルブランがルパンシリーズを連載していた「ジュ・セ・トゥ」誌を離れて、初めて大新聞「ル・ジュルナル」紙上で連載された長 編だ。連載は1910年3月から5月まで続き、6月には一冊の単行本としてラフィット社から刊行されている。その後第一次世界大戦の末期の1917年に『813』『続813・アルセーヌ=ルパンの 3つの犯罪』の二分冊の雑誌サイズ普及版に改めて刊行され、その後1921年に単行本スタイルの二分冊で刊行された際に第一部にあたるこの 『813』に「アルセーヌ=ルパンの二重生活」という サブタイトルがつけられた。このサイトでも『813』と『続813』については一続きの長編ではあるが、内容的な飛躍も あるので別扱いで項目を立てることにした。

 『奇岩城』の項目でも書いていることだが、ルパンシリーズの最高傑作はどれかという話になると、『奇岩城』か、この『813』かという勝負になるのが普 通。そして「推理小説」としての評価は?という条件をつけると、まず間違いなくこの『813』のほうに軍配が上がる。『813』『続813』と2分冊に なったこの長編はしばしば「ルブランの最高傑作」と 称せられ、世界の推理小説全体の中でも傑作の一本とされることもある。

 たまたま所有している「東西ミステリーベスト100」(文春文 庫)という本がある。昭和60年(1985年)に週刊文春が推理・冒険作家や愛好団体など各界のミステリ通およそ500人へのアンケートで 人気投票を行い、海外と日本の推理小説(冒険小説ふくむ)それぞれのベスト100を選出するという企画を文庫本にしたものだ。「本格推理小説」という位置 づけがあまりなされないルパンシリーズはこの手のランキングではたいてい不遇なのだが、意外にも(?)海外編ベスト100のうち第41位に『813』がラ ンクインしている。なんだ、41位か、と思ってはいけない。世界中の数多の名作ミステリ群の中での41位だ。宿敵ホームズの傑作長編『バスカヴィル家の 犬』が第45位なんだから、いかに厳しい競争か分かるだろう(もっ とも『ホームズの冒険』は10位にランクインしてるが)。なおルパンシリーズでベスト100に入ったのは『813』のみで、101位以下で 『怪盗紳士ルパン』が103位、『奇岩城』が124位にランクインしている。
 他で調べたところでは恐らく日本初のミステリ人気投票と思われる「新青年」誌の昭和12年(1937)の「ベスト10」で『813』は堂々の6位入り。 海外ではエラリー=クイーン編集の「ミステリ・リーグ」誌の1934年の「ベスト20」で11位入りと、特に戦前のアンケートでかなり強い。最近になるほ ど地位が落ちる傾向にあるのはルパンシリーズ全体にいえることで、やはり変装による一人二 役、一人三役といった、この作品のドンデン返しが「古臭く、現実離れしたトリック」と思われている嫌いはある。

 しかし、「もしやルパンが殺人?」と思わせるオープニング、捜査の最中にも関わらず実行される大胆な連続殺人、謎の暗号と犯人の頭文字の提起、老練な名 刑事の執念の捜査、明らかにルパンその人と分かるセルニーヌ公爵の策謀、それといい勝負の怪人物として火花を散らすアルテンハイム男爵、そして節々で姿を 現す「L・M」と、まぁ三 つ巴だか四つに組んだかという息もつかせぬ大混戦、そしてラストのアッと驚くドンデン返し、やっぱりよく練られた推理冒険小説で、ルブランの構想力に舌を 巻くほかはない。
 ここでは第一部にあたる部分だけを扱うことにしているが、第二部『続813』に入るとようやく事件の背景が説明され、話は一気にヨーロッパの地図をぬり かえかねない大陰謀にまで拡大していく。これで面白くないはずがない。1905年にアルセーヌ=ルパンを世に送り出し40を過ぎてから探偵小説の世界に飛 び込んだルブランは、前年に『奇岩城』を書き終えたばかりだというのに、さらに大スケールの物語を構築してみせたのだ。


☆ちょっと悲しい日本での翻訳事情

 この物語の日本への紹介もかなり早い。確認される限りでは原書発行からわずか2年後の1912年(大正元年)に三津木春影が『古城の秘密/武侠探偵』のタイトルで翻案したのが最古であ る。そして『813』の原書を読んで大感激、すっかりルパンにハマっちゃって、とうとう生涯をルパン翻訳にささげてしまうことになったのが文部省の役人 だった星野辰男(=保篠龍緒)だ。保篠自身の 『813』翻訳は1919年(大正8年)の金剛社「アルセーヌ・ルパン叢書」の一冊として刊行され、これがちゃんとした翻訳の日本初ということになる。こ の金剛社版保篠訳「813」は国会図書館でマイクロフィルムによる閲覧が可能で、筆者もそこで拝んできた。

 その後長くルパン翻訳は保篠氏の独占事業のようになっていたので『813』も保篠訳ばかりという状態が続いたが、昭和30年代に改めて翻訳権の取り決め が行われ、新潮文庫版(堀口大學訳)、東京創元社「リュパン全集」版(石川湧訳)、ポプラ社「怪盗ルパン全集」版(南洋一郎文)の3バージョンの訳本が出 た。しかし厄介なことに、この取り決めがあった時点(1958?)からさかのぼること50年以内に原書が発行された『813』『続813』(2分冊バージョンは1917年刊だった)以降は翻訳独占権が 決定され、文庫本・単行本は新潮社のみが翻訳を発行する権利を得ることになった。ポプラ社の南版は「児童向け」であることから例外とされたもので、 1980年代に完訳全集として世に出た偕成社の全集版(大友徳明訳)も「児童向け」だから発行できたのだ。

 こういう事情があるため…どうしても愚痴ってしまうのだが、『813』の全訳で一番手に入りやすいのは新潮文庫の堀口訳という状況が長く続き、名文家で もある堀口大學氏には悪いが、名作『813』の魅力がちゃんと伝えられていない出版事情が続いている。堀口訳は確かに美文なのではあるが、やっぱり「わ し」と自称するルパンには抵抗を感じちゃうし、昔ながらの漢語調の表現も目に付き、正直なところ読みにくい。
 次に手に入りやすいのがポプラ社の南版『8・1・3の謎』だ。かくいう僕も実はこれで最初に「813」に触れたのだが、南版は『813』『続813』の 2冊になるほどの長編を一冊に圧縮しており「枝葉」と思えたところはバッサリカットしている。また児童の読者にはショッキングであろうと配慮して、ルパン には残酷すぎるラスト(続813のラスト)を大きく改変している。そして全編を貫いているルパンの壮大な野心、「暗黒面」とすら呼びたくなる部分や、未亡 人ドロレスに対する激しい恋情や嫉妬の描写などは軒並みカットされてしまった。これも『813』のイメージを多くの日本の読者に誤って広めていると言って いいだろう。
 まぁ、などと文句を言っているのは中学生になって全訳を読んでからのことで、小学生時代の僕にとって南版は確かに読みやすく、『813』のラストに当た る部 分のドンデン返し、最後の最後の真犯人の判明シーンなど、初読時の衝撃は今でもありありと思い出せる。僕が本格的にルパンシリーズ、ひいては推理小説に手 を出すようになった原因は、実は南版「813」との出会いにあったんじゃないかと今になって思う。と、一応フォロー(笑)。

 さて2007年現在発行されている全訳『813』の一番のお奨めは、やはり偕成社版ということになる。大友訳はこの偕成社版全集が統一している、子供に も読みやすいが、ちゃんと大人向けにもなっている忠実な全訳であり、2005年の映画「ルパン」公開に合わせて偕成社文庫版も出ているのでいっそう読みや すい。ただどうしても児童書扱いというのはまぬがれず、新潮文庫の「813」ほど書店に置いてくれないのが実情。ここを読んでる人にどの訳本も未読という 方はまずいないと思うが、もし『813』にまったく触れたことがないという方、ちょっと大きめの児童書コーナーを当たられるか、偕成社のHPで直接注文し てお 読みになることをお勧めします。
 なお、2005年から早川書房のハヤカワ・ミステリ文庫で平岡敦氏によるルパンシリーズ全訳が年1〜2冊ペースで進められており、『813』の最新訳が 近いうちに刊行されるものと期待されている。ルパンシリーズの翻訳独占権はすでに消滅しており(そもそも日本国内ではルブランの著作権自体が没後半世紀を経たため消滅して いる)、ようやく真に大人向けの、読みやすい『813』が日本語で 広く読まれ、その本当の魅力を多くの人が知ってくれるようになると嬉しいなぁ…
 
その2へ続く

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