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「二つの微笑を持つ女」(長編)
LA FEMME AUX DEUX SOURIRES
初出:1932年6〜8月「ル・ジュルナル」紙連載 1933年4月単行本化
他の邦題:「二つ靨の女」「二つえくぼの女」(保篠版)「まぼろしの怪盗」(ポプラ)

◎内容◎

 ある夏の日、城館の庭園の野外劇場で歌を披露していた美人歌手エリザベートは、衆人環視の中で謎の死を遂げた。そして彼女が身に着けていた豪華なネックレスも消え失せる。事件は迷宮入りし、15年の歳月が流れた。
  事件の舞台となった城館を買い取ったジャン=デルルモン侯爵に関心を持って調べを進めるラウールことアルセーヌ=ルパンは、素朴で優しい田舎娘と、情熱的 で謎に満ちた盗賊女という二つの顔をもつ金髪の美女と出会う。その「二つの微笑の女」を追う盗賊団と警察、そしてルパンの三つ巴の戦いが続くうち、事件の 核心は15年前の怪事件へと収束して行く。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆“アラブ野郎”
グラン=ポールの一の子分。

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆アルマンド=モラン
クララの母親。

☆アントニーヌ=ゴーチエ
デルルモン侯爵とテレーズの間に生まれた娘。田舎出で素朴な23歳の金髪の美女。。

☆エリザベート=オルナン
有名な美人歌手。ボルニックの城館での独唱会で謎の死を遂げる。

☆オディガ
公証人。父親も公証人で、二代続けてボルニック城館売却に立ち会う。

☆オルガ
中央ヨーロッパ・ボロスティリア王国の王妃。パリに滞在し、ルパンと不倫恋愛中。

☆ガシュー
ボルニック城館近くに住む羊飼い。

☆カロリーヌ
電話局の主任交換士。

☆クールビル
デルルモン侯爵の秘書。実はルパンに拾われ部下となった男。

☆クララ
グラン=ポールの愛人の金髪の美女。

☆グラン=ポール(ポール親分)
ギャング団の首領。

☆ゴルジュレ
パリ検事局の敏腕主任警部。かつてボルニック城館の怪事件を捜査したことがある。

☆シャルロット
オルガのマッサージ師。

☆ジャン=デルルモン
物語の時点では60過ぎの老侯爵。若いころはプレイボーイで鳴らしていた。

☆ジュベル夫妻
ボルニック城館の当初の持ち主。

☆ジュリー
オルガの召使い。

☆ソステーヌ
バルテクスの部下。

☆ゾゾット
ゴルジュレの妻。少々浮気性。

☆テレーズ
イギリス人一家の家庭教師をしていた女性。若き日にデルルモン侯爵と関係をもつ。故人。

☆ドン=ルイス=ペレンナ
フランス系ポルトガル人。実はルパンの変姪の一つ。

☆バルテクス
デルルモン侯爵に接近する謎の男。実はグラン=ポールと同一人物。

☆フラマン
ゴルジュレの部下の刑事。

☆ボロスティリア国王
中央ヨーロッパのドナウ川に面する国の国王。王妃を追ってパリに来る。

☆ラウール
アルセーヌ=ルパンの変名。

☆ルバルドン
元憲兵。ボルニック城館の事件後、城館を管理する。事件から11年後に死去。

☆ルバルドン未亡人
ボルニック城館の門番女。夫の死後、城館を管理。


◎盗品一覧◎

◇真珠の首飾り
エリザベート=オルナンが身につけていたものの一つ。事件解決にあたってルパンがどさくさまぎれに頂戴している。


<ネタばれ雑談>

☆少々扱いに困る一作

 本作『二つの微笑を持つ女』は、ルパンシリーズの小説としては『バール・イ・ヴァ荘』に続く作品となる。ただしこの間にルブランは非ルパンものの長編小説『真夜中から七時まで』を発表しており、またエトルタ人士の要請を受けてルパンものの寸劇「手にした時計で五分間」を書いている。
 『バール・イ・ヴァ荘』まで続いた「バーネット=ベシュ」シリーズは今回は継続されず、ルパンは久々にほぼ一人で活躍している(部下にあたるクールベルの存在はあるにはあるが)。また内容的にも、一部にシリーズ他作品とのつながりが示されている部分があるものの、独立性がかなり高い。そしてこのところ短くなる傾向のあったルパン長編だが、本作はしばらくぶりにかなりの文量をもつ長めの小説となっている。

  ただ、この小説についてはやはりいろいろと辛い評価をせざるをえない。発端となる事件のアイデアそのものは斬新といえば斬新なのだがかなり無理があるのも 確かだし、もう一つの核である「二つの微笑」のトリックにしてもほぼ最初からバレバレで、気付かないルパンに読者のほうがイライラさせられるほど。おまけ にその「二つの微笑」の謎ときに絡んで、それをとりまく登場人物たちの行動が複雑になり、読んでいて混乱しやすい。物語中の宿敵が中途半端な一人二役状態 なのも困りものだ。おまけにルパンも含めて登場人物たちの行動がどうも「行き当たりばったり」にしか見えないところも多く、残念ながらグイグイ引き込まれ るということはほとんどない。ラストの謎解きも唐突に過ぎる。この内容でなまじ長いだけに…シリーズ中でも特に扱いに困ってしまう作品なのだ。
 さすがにルブランも高齢であり、『謎の家』以降のルパンシリーズの出来を見ると、さすがに小説家として黄昏の時期に入って来てしまったかな…とも感じてしまう。ただしこのあと非ルパンものである『赤い数珠』のようななかなかの佳作も書いているので、やはり「ルパンシリーズ」そのものに疲れてしまったのではないかとも思える。

 本作が扱いに困る作品であったことは、ポプラ社の南洋一郎のルパン全集における本作の扱いを見てもわかる。さすがの南も本作についてはお手上げと感じたようで、これを原作とする『まぼろしの怪盗』では内容を大胆に省略・改変して、単純構造の話に作り変えてしまっている。なおタイトルの「まぼろしの怪盗」とはルパンではなくバルテクスのことだ。
 原作がシリーズ中ではむしろ長い方だったのに対し、それを大胆に切り貼りした『まぼろしの怪盗』は逆に短編に毛が生えた程度の中編になってしまっている。それでは一冊分に足りないということで、『赤い数珠』を『血ぞめのロザリオ』という短編にまとめて二作セットで一冊という構成で出版された。
 その後1999年から装いも新たに刊行された南版「シリーズ怪盗ルパン」は、それまでの南版にあった非ルパンもの、南自身の創作物、ボワロ=ナルスジャック作品などが除外されているが、なぜかれっきとしたルブラン原作であるはずの『まぼろしの怪盗』までが除外されてしまった(南による改変の大きさでは『ルパンの大作戦』よりはずっとおとなしいのだが)。非ルパンである『血ぞめのロザリオ』とセットにしないと一冊にならないからなのだろうが…

 扱いが悪いといえば、かつての東京創元社の「アルセーヌ・リュパン全集」からも本作はなぜか漏れていた(底本にしたフランス原書にすでになかったためだと思われる)。のちに存在を知って創元推理文庫に追加したと訳者が書いているのだが、保篠龍緒の訳本がすでにあったはず。もしかすると創元版関係者は保篠個人の創作もしくは改竄作と思っていたのかもしれない(確かにその例があるので…)


☆「ルパン史」的にはいつの話?

 この作品が扱いに困る点がもう一つ。ルパンの年代史を作成するとき、『二つの微笑』の事件がいつの時期のことなのか、位置づけが難しいのだ。

 作中に手がかりはある。クライマックスとなる場面の日付が「7月3日水曜日」と明記されているのだ。万年暦でこれを調べてみると、「1907年」「1912年」「1918年」「1929年」が該当する。第一次世界大戦中と戦後は除外していいはずなので、「1907年」と「1912年」の勝負になるのだが、『813』が1912年の事件と確定しており、おまけに7月3日にはルパンはラ・サンテ刑務所に収監中であるため可能性ゼロ。

 したがって1907年ということに絞られるのだが、残念ながらこれも限りなくアウト。本文中にルパン自身の口から『バーネット探偵社』中の一編『偶然が奇跡をもたらす』の事件が「つい最近」の体験として語られているためだ。「バーネット探偵社」は1909年のことと推定されるので、それより後でなければならない。
 またルパンが鏡に映る自分の姿をほれぼれと眺める場面で、「約35歳」と の表現が出てくる。1874年生まれのルパンが35歳といえば1909年、「約」とあるから1910年まではじゅうぶん許容範囲だろう。「偶然が奇跡をも たらす」は1909年のいつの話か分からないのだが、物語の順番から夏よりはあとという感じがするので、ここでは『二つの微笑を持つ女』は「1910年6月〜7月」と仮に決めておきたい。曜日は何かの間違いということで(笑)。

 しかしそれでもまだ困った問題は残る。『二つの微笑を持つ女』はシリーズ後期作品に多い「『奇岩城』〜『813』間の空白期」を埋める物語の一角を占めており、この間のルパンは死んだと思われるほど消息不明になっていたはず。ところが本作でのルパンはバリバリに泥棒稼業で活動しており、人々の口にものぼっているのだ。もっともこれは『謎の家』ですでに起こっていた問題で、ルブランも分かっていて開き直ってやっている可能性も高い。

 それと、ボルニックの城館を落札したルパンが唐突に「ドン=ルイス=ペレンナ」と名乗る場面がある。ペレンナといえば『813』のラストで初めて名乗られ、『虎の牙』に いたる「第一次大戦前後シリーズ」で通して使われるルパンの変名だ。『二つの微笑を持つ女』は『813』以前の段階のはずなので、実は「ペレンナ」の名前 をルパンはアルジェリアに行く以前から使っていたということになる。ペレンナはフランスの血も入ったスペイン貴族という「設定」なのだが、ここでは「フランス系ポルトガル人」と され、ちゃんとパスポートも提示している。「ルパン史」的に考察すると、「ペレンナ」の設定をルパン自身がいろいろいじっていたのかもしれないという面白 い想像もできるのだが、これは単にルブランの記憶違いという感もある。このころからルブラン作品には作者自身の記憶違いとしか思えない混乱が多くなってく るという指摘もあるのだ。


☆女癖が悪すぎる!?

  ルパンがエピソードごとに異なる美女と恋に落ちるプレイボーイ、というのはシリーズ初期から見られたことだが、それでも初期のうちはあくまで一作の中では その女性に対して一途だったし、死別という例も多いのでまぁ許せる範囲ではあった。ところが『バーネット探偵社』あたりから同時並行で二股、三股をかける など色男ぶりに拍車がかかり、『バール・イ・ヴァ荘』ではヒロイン二人の両方に恋をしてどちらからもフラれるという結末に至った。『二つの微笑を持つ女』 はそれにさらに拍車がかかり、もともとの構想であるヒロイン二人制のみならず、ルパンの女たらしぶりがほとんど冗談のようにそこかしこに挿入されているの が目を引く。

 なんといっても印象に残るのは、物語中の節々で名前が繰り返されるが、電話で話すだけで最後まで登場しないオルガという女性だ。なんとその素性は中央ヨーロッパのボロスティリア王国の王妃である!オルガの方は明らかな不倫愛、ルパンの方は「君が最高」とおだてつつ、どうみても本命ではなく遊びで付き合っていて(の割にはご機嫌取りはしっかりしている)、手を切るチャンスをうかがっている様子でもある(笑)。それでいてしっかりやることはやっちゃっていたようで、エピローグでそのオルガが王位継承者となる赤ん坊を出産しており、その父親がルパンであることがほのめかされている。これが「事実」だとすれば、ジュヌビエーブジャンに続くルパンの三番目の子どもということになり、この件は「ルパン三世」の血筋を考える上でもちょっとした材料になってもいる(笑)。
 「ボロスティリア王国(Borostyrie)」は言うまでもなく架空の王国。小説中には「ドナウ川にのぞむ」と の記述があるので、現在のスロバキアかハンガリーあたりをイメージしている思われる。あのあたりは今もそうだが昔から雑然と小国が寄り集まってるイメージ もあり、架空の王国を「設置」しやすかったのだろう。ホームズにも「ボヘミアの醜聞」というのがあったが、架空の中欧小王国といえば「ゼンダ城の虜」に出 てくる「ルリタニア王国」が名高い。
 なお「オルガ」という名前の女性が出てくるのはこれが三度目。『白い手袋…白いゲートル…』のベシュの元妻、『エメラルドの指輪』の語り手の公爵夫人に続くもので、いずれもルパンが遊びでちょっとつきあっただけ、という共通点もある。

 ルパンが手を出しているのはオルガだけではない。ゴルジュレの浮気性の妻ゾゾットにも「お手柔らかな誘拐」という形で手を出している。これは『続813』でのフォルムリ予審判事の妻の誘拐の二番煎じ(時系列ではこっちが先だが)、なおかつベシュの元妻の逸話のバリエーションといっていい。
 またルパンで電話でやりとりする相手、オルガの召使いのジェリーや、マッサージ師のシャルロットも、なんとなく男女関係があるようにみえなくもない。クララバルテクスを刺してしまった後にルパンが電話局に電話して呼び出す「主任」のカロリーヌも、なんとなく愛人、少なくとも女友達の一人に見える。そこでふと思い出したが、戯曲『アルセーヌ=ルパンのある冒険』に電話の向こうだけで登場するルパン一味の女性(恐らくルパンの恋人)「カロリンヌ」(日本語表記の違いによるもので「カロリーヌ」と同じこと)だったが、これはもしかして同一人物なんだろうか?

「その2」へ続く

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