怪盗ルパンの館のトップへ戻る

「秘密をあばく映画」(短編、「八点鐘」第4編)
LE FILM RÉVÉLATEUR
初出:1922年1月「メトロポリタンマガジン」誌に英訳発表 1923年1月「エクセルシオール」紙に仏文発表
他の邦題:「映画の表裡」(保篠訳)「映画の啓示」(新潮)「映画があばく」(創元)「映画スターの脱走」(ポプラ)など

◎内容◎

 オルタンスはレニーヌをある映画の鑑賞に誘った。その映画の主演女優がオルタンスの異母妹ローズだったからだ。ところがレニーヌは映画の端役の 一人が異常な視線をローズに向けていると察知し、調査を始める。はたしてその俳優は盗みを働いて失踪、さらに殺人事件にまで関与していて、ほぼ同時にロー ズも何者かに誘拐されてしまっていた。レニーヌとオルタンスは映画のロケ地にローズを探し求めるが… 



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆オルタンス=ダニエル
26歳の赤髪の美女。異母妹ローズの主演映画にレニーヌを誘う。

☆ジェルメーヌ=アスタン
ジャック=ダンブルバルの愛人。

☆クレマン
レニーヌ公爵の運転手。

☆セルジュ=レニーヌ公爵
謎の青年公爵。映画の端役の一人の異常な行動に気づく。

☆ダルブレーク
映画俳優。映画の中でローズに熱い視線を送る。

☆ブルゲ
宝石商。この事件の前年に何者かに殺害された。

☆モリソー警部
国家警察部警部。「水びん」でレニーヌと面識あり。

☆ローズ=アンドレ
オルタンスの異母妹で新進の美人映画女優。


◎盗品一覧◎

なし。


<ネタばれ雑談>

☆映画と現実のあいだ

 かなり風変りな一話。これを推理小説と言ってよいのか疑問に思う人も多いだろう。もちろんルブラン自身はとくに自作を「推理小説」と意識していたわけではないのかもしれないが…。
  ただこの一話、物語の導入部分が非常に斬新だ。映画のメインの部分ではなくどうでもいい端役の演技を見ているうちにその不審な行動に気付き、そこからすで に起こっていた事件にたどりつくという構成はグイグイと読者を引っ張り込んでしまう。真相が判明すると「なんだ、そりゃ」という声も出そうだし、なりきり 演技のイメージプレイを楽しむ(?)役者カップルのラブラブな光景には苦笑を通り越して不気味さすら感じてしまうわけだが、実際に映画やドラマの撮影中に 演技が高じて俳優同士が疑似恋愛状態になっちゃうということは今日でもまま聞く話。

 映画という当時台頭してきた最新メディアにおける演技と現実が交錯する男女関係というアイデアじたいは、推理小説という枠組みではなく恋愛小説の新機軸ととらえるべきかもしれない。そもそも『八点鐘』という連作じたいが一組のカップルの関係深化の過程を描く恋愛小説なのだ。それを理解した上でこの一話を読み返すと、レニーヌオルタンスの関係の進展をはかる上で、この一話は実はかなり重要な意味を持っていることがわかる。物語のラスト、動揺するオルタンスの心理描写にはそうした作者の意図が十分に表現されている。

 この話の中でダルブレークが失踪したのが「9月18日金曜日」で、誘拐事件が翌日の「9月19日土曜日」とある。万年暦で調べてみるとこれは1908年のカレンダーが該当し、「水びん」のところで触れたデュドゥイ部長のことも考え合わせて、僕は『八点鐘』を1908年秋の物語と推定している。ただしこのあとの「斧をもつ奥方」ではこれと矛盾する日付・曜日が出てくるので断定はできない。

 「ルパンもの」らしさはラストの脱出劇ぐらいだろうか。レニーヌ自身が変装したりはしないが、その代わり運転手クレマンがダルブレークと変装して入れ替わるトリックが使われる。セリフもまったくないのだが、クレマンってさりげなくいい仕事をしているなぁ。ルパンの部下だけに地味ながらもかなり有能なんだろう。


☆「映画の時代」の始まり

 ルパンシリーズにおいて「映画」の存在が最初に登場したのは『三十棺桶島』だった。映画の背景になにげなく映ったサインから事件へと発展していく展開はこの「秘密をあばく映画」にも共通している。『八点鐘』では「水びん」でも映画館を利用したアリバイトリックが登場する。

 ここで映画というメディアの歴史を確認しておきたい。スクリーンに上映する方式での動く写真「シネマトグラフ」の発明はフランスのリュミエール兄弟により1894年(ルパン20歳のとき)に 行われた。映画を劇場で、有料で公開・興業するという形は翌1895年12月に始まっている。世界初の上映映画といわれる「工場の出口」や、プラットホー ムに進入してくる汽車を写した「シオタ駅への列車の到着」が上映され、とくに「列車の到着」では目の前に迫ってくる汽車の迫力に逃げ出す観客が出たとか、 画面の外に走って行った列車はどこにいったのか不思議がる人が続出したなど、伝説に事欠かない。このように最初期の映画は「動く写真」そのものの驚きを見 せ物としていたが、間もなく演技・演出がほどこされるようになり、ドラマを語る一つの芸術として確立していくことになる。
 1902年にはフランスでジョルジュ=メリエスが大作映画(といっても12分程度)「月 世界旅行」を公開している。それまでドラマとしては舞台劇の延長にすぎなかった映画が初めて複数のシーンとストーリーを語った作品で、「劇映画」の元祖、 おまけに特撮SF映画の元祖として有名。この翌年の1903年にはアメリカで元祖西部劇の活劇「大列車強盗」が製作され、こちらもわずか12分ながらロケ 撮影、カットバック演出といった映画ならではの技法を駆使、観客を興奮させた。こうして大がかりな物語を語れる新たなメディアとして認知された映画は、各 国で製作されるようになり、しだいに時間も長くなってそのドラマ性をますます高めていくことになる。

 ルパンの青春時代はそんな劇映画台 頭の時代でもあったのだ。だがこれまで作品中に映画が登場することがほとんどなかったのは、作者ルブラン自身があまり関心を持ってなかったからじゃあるま いか…とも思う。まだまだショービジネスは舞台の芝居がメインで、ルパン・シリーズも舞台劇化が相次いで行われている。
 ところがちょうど映画台頭の時代にあって、「怪盗ルパン」という存在は映画にとって格好の素材になる。確認される限り最古のルパン映画は、1908年にアメリカのエジソン社がルブランの承諾のもとに製作した8分間のショートムービー「怪盗紳士」とされる。その後1910年にドイツで著作権無視で製作された連続5編の長編「アルセーヌ・ルパン対シャーロック・ホームズ」がある。そして1914年にアメリカの映画会社が「アルセーヌ・ルパン」を製作(詳細不明)、さらにこの年にルブランに映画オリジナル原作の執筆がパラマウント社から依頼され書かれたのが『虎の牙』だった。『虎の牙』の映画化が第一次世界大戦の勃発で遅れるうちに1915年にイギリスで大作映画「アルセーヌ・ルパン」(戯曲が原作)が製作・公開されている。その翌年にルブランはアメリカ映画のノヴェライズ版『赤い輪』を執筆している。このように第一次大戦前後にルブランは映画製作といささかの関係を持っており、そのことが『三十棺桶島』そしてこの「秘密をあばく映画」に反映しているのではないかと思う。

 ルブランによる執筆じたいは第一次大戦後の1921年のことだが、『八点鐘』の物語中年代は明らかに大戦前だ。このサイトでは一応『八点鐘』を「1908年秋」の年代設定と推定するのだが、この1908年ぐらいだとどんな劇映画が公開されていたんだろうか?
  1908年の映画でタイトルや内容が判明してるものというのをネットで探してる限りではあまり多くはないのだが、それでもタイトルからコメディやメロドラ マ、シェークスピア劇の映画版や歴史劇映画、「ジキルとハイド」のような有名小説の映画版などがすでに作られていたことがわかる。フランスでも本格的な劇映画制作のためこの1908年に映画会社も設立されている。ただしいずれも十数分か ら40分程度の短いもので、まだまだ1時間以上の長編というのはなかったみたい。2時間に迫るような長編大作が作られるようになるのは第一次大戦中のこと だ。

 ところが「水びん」では休憩とあわせて2時間ほどの長編映画が上映されているし、この「秘密をあばく映画」に出てくる「しあわせの姫君」も 前編・後編の二部構成で内容からするとそこそこの長さがあると思しい。あくまで推測だが、ルブランは厳密に第一次大戦の数年前の映画事情を再現しようとし たわけではなく、大作映画も作られ自身も原作者として関わることもあった第一次大戦期以降の映画事情を念頭にこの小説を書いているのではないかと思う。こ の話では映画俳優の扱われ方(何度もリハーサルさせられる端役役者、数か月がかりの撮影、同一俳優の二役など)とかロケ事情など映画制作の舞台裏に言及する部分もあり、ルブランも自身が関わった映画でいろいろと事情を取材したのではない だろうか。
 この物語で「しあわせの姫君」を制作した映画会社について偕成社版では「映画会社」とだけ訳しているが、新潮文庫版・東京創元社版では「モンディアル映画会社」「モンディアル会社」と訳している。原文を見ると「la Société Mondiale」となっていて、直訳すると「世界協会」か「世界会社」だ。偕成社版の訳はこれを会社名ととらえなかったのか、底本じたいに違いがあるのかは未確認。
 
 オルタンスの妹で映画女優のローズ=アンドレはアメリカへ発とうとしていた。その理由について本人の口から説明はないが、レニーヌが当人たちの気持ちを推測して述べるところで「アメリカへ、ロサンゼルスへ行って新作映画に出よう」と 口にしている。ロサンゼルスといえば、そう、「映画の都」ハリウッドがある。フランスで成功したローズは100年後の今でもよくある「ハリウッド進出」を もくろんだわけだ。ただしハリウッドでの映画製作が始まるのは1911年からのことで、ここでも第一次大戦以後の映画事情が反映されてしまっているよう だ。

 なお、当然ながらこの時代の映画は白黒・無声。日本では「活弁士」と呼ばれる解説・演技者がいたが欧米では一般的ではなかったようで、字幕や配布するプログラム(これはオペラや舞台劇の伝統もあるからか)でストーリーが説明されていた。この話でも二人がプログラムを読んでストーリーを追っていることがわかる。


☆「ブロトンヌの森」へ

 この話では、舞台はまたパリを離れる。アメリカへ渡るべくローズはセーヌ河口の港町・ル・アーブルへ向かう途中で誘拐されるのだが、ここでアメリカ行きの汽船が「プロバンス号(La Provence)」であることに注目。ルパンシリーズ第1作『ルパン逮捕される』の舞台となったあの船と同名だ。
  ところが実は「プロバンス号」という大西洋横断客船は本当に存在していたのである。ただし処女航海は1906年のことで、『ルパン逮捕される』はその前年 の発表。まして1899年の事件と推定される『逮捕』の時点では影も形もなかったはず。というわけで、この話でローズが乗ろうとしていたのは実在した大西 洋横断客船のほう、ということになる。

 渡米のためにル・アーブルに入ったローズはここで誘拐された。そしてドルーの街からローズを装った乗船キャンセルの電報が発信される。レニーヌはル・アーブルを出てセーヌ川を渡るキルブフとドルーを結ぶ直線がウール県ブロトンヌの森の西の端を通ると気づく。ここに「ワイン樽のカシの木(le Chêne à la Cuve)」という土地の近くの映画ロケ地にローズは隠されているものとレニーヌは推理、結局それは正解だったのだが、実はその推理をも裏切る事実が…という展開になる。そして無事に二人を「救出」したレニーヌ一行は車でパリに向かい、途中のルービエの手前でダルブレークと入れ替わっていたクレマンを車に乗せている。これらの地名を右の航空写真で確認していただきたい。

 「ブロトンヌの森(La forêt de Brotonne)」は小説の通り、ノルマンディー地方ウール県の北部、セーヌ南岸に実在する。ルブランの故郷ルーアンの 西方20kmほどの位置にうっそうと広がる森で、ルブランにとっては少年時代からなじみの場所だったのではないかと思われる。「ワイン樽のカシの木」とい う地名もレニーヌが地図中で指さし、付近住民もよく知っているという設定なので、実在するのかも知れない。実際、ネットで調べてみるとここでとれる巨大な カシの木(オーク)がそのままワイン樽に使われることが多いようだ。

 小説中に「ローマ時代のなごりや中世の遺跡がたくさん残されている」と描写されるように、この森はローマ帝国の時代にすでに開発が始められ、宮殿や道路が作られていた。中世にはヴァイキングが侵入してきてカール大帝の軍隊とこのあたりのセーヌ川で戦いがあり、ヴァイキング・ノルマン人のロロがノルマンディー公としてこの地を治めるなど、何かと歴史的話題の多い森であるらしい。


怪盗ルパンの館のトップへ戻る