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☆映像にみる怪盗ルパン
「世界・時の旅人 ルパンに食われた男 モーリス・ルブラン」(NHK衛星第二放送、2005年11月放送)

 これはドラマではなく、ドキュメンタリー番組です。NHK衛星第二放送の「世界・時の旅人」という不定期にやってる番組で、毎回誰か人物をとりあげ、その人物ゆかりの地を訪ねてその人生を追う、という旅番組になってます。2005年11月に「モーリス・ルブラン」が選ばれたのは、同時期に映画「ルパン」が公開されたからにほかなりません。番組冒頭でも「ルパン」の見せ場映像が挿入されていました。それでも冒頭の「タイプライターで打ち出されるタイトル」をはじめ、番組の「飾り」で使われるのは「ルパン三世」ばっかりです。

 案内役になる「旅人」をつとめたのは俳優・豊川悦司。この人選の理由は分かりませんが、以前豊川さんが映画「八つ墓村」で金田一耕助を演じた時の記者会見で「探偵と言えば金田一、怪盗と言えばルパン」と発言したという芸能記事マンガを読んだことがあります(もっともそのマンガの作者は「ルパン三世」のこととしか思ってない様子でしたが)。その方面に詳しそうだから、という人選だった可能性もあるのですが、番組中での発言からするとやはり南洋一郎の「怪盗ルパン全集」しか読んでない気配が濃厚でした(^^;)。聞こえてくる声からすると、旅人だけでなく同行してるディレクターも南版ルパンしか知らないんじゃないか、という気がしました。なお、この番組のディレクター・源孝志さんというのはCM・ドキュメンタリーからテレビドラマで活躍された方で、最近では映画監督としても大活躍中。そう言われてみれば、この番組も映像処理・構成という点で見ればハイレベルの「作品」ではあったことも多少納得がいきます。
 番組全編に流れるBGMもすべて「ルパン三世」のサウンドトラックからの流用でして(山田康雄の声や「ルパン・ザ・サード」という歌まで入ってるのが耳障り)、濃い目のルパンファンには不評を呼びそうな番組姿勢ではあったのですが、普通の旅人ではちょっとお手軽には行けそうもない「ゆかりの地」やフランスでのルブラン研究者のインタビューなど、貴重な映像も含まれています。


☆ルパンを求めてパリ散策

 パリを訪れた豊川悦司さん。そのコスチュームは明らかに映画「ルパン」におけるロマン=デュリス演じる若きルパンの服装をイメージしてます。
 まず訪れるのはパリ市内の古雑誌・古新聞屋。なんだか入口は普通の古本屋に見えるのに内部はすごい店でして、地下何階にもおよぶ倉庫には19世紀以来の膨大な雑誌・新聞が集積されていました。まるで秘密基地みたいな地下倉庫のトンネルを抜けつつ豊川さんが「新聞紙の奇岩城」と口にするのにはまったく同感(右図)
 一行のお目当てはアルセーヌ・ルパンシリーズの記念すべき第一回「ルパンの逮捕」が載る雑誌「ジュ・セ・トゥ」を探すこと。「ルブラン」の名前で棚を探して、まだルブランが無名作家・コラムニストだった時期、1895年の新聞「ジル・ブラス」に載せた「死の美学」というコラムを発見するくだりもあります。そして「ジュ・セ・トゥ」はこの「奇岩城」の地下深くに眠っていました。

 ようやく探し当てた一世紀前の「ジュ・セ・トゥ」。目次をあたってついに「ルパンの逮捕」の掲載ページにたどりつきます(左図)。これ、すでにPDF化されてネット上で閲覧できるようになっていたので僕もすでに見ていましたし当サイトでもその画面を紹介しているのですが、この番組で映った「ジュ・セ・トゥ」はかなり保存状態がいい感じがありました。
 少々気になったのが、この番組では「ジュ・セ・トゥ」を「大衆誌」と強調し、ともすればかなり「通俗的」ととられかねない紹介をしていた点です。純文学 作家を目指していたルブランが本来の志とは異なり大衆作家に「身を落とした」と思っていた、ということを強調するためのドキュメンタリー的演出ということ なんでしょうが、実際には「ジュ・セ・トゥ」は中流よりは上、上級階級層もターゲットにした雑誌だったというのが正確なようです(フランスで製作したドキュメンタリーではそう紹介してました)

 ルパン第一回を確認したのち、古雑誌屋の紹介でフランスの文学研究者ジェラール=プシャン氏との対談が行われます(右図)。この方の名前は僕もこの番組で初めて知ったのですが、ルパンではなく「ルブラン」のほうの研究者だから取材されたのだと思われます。大衆向け冒険・娯楽小説として片づけられがちなルブラン作品をフランス文学史上にどう位置づけるかという研究をされてる方のようです。
  この人との対談を通して、ルブランが本来はフロベールやモーパッサンを意識した高尚な純文学作家をめざしていたこと、それがいまいちパッとしないうちに成 り行きで書いた「アルセーヌ・ルパン」が大当たりしてしまったこと、それに対してルブランが内心忸怩たる思いでいたであろうこと、といった話が紹介されて ゆきます。
 まぁ大筋でその通りなのですが、やはり番組としては「ルブランがルパンに対してネガティブな態度だった」という点を強調する傾向があります。そういう部分もあったとは思うのですが、それにしてはノリにノッて書いてしまっているのも事実なんですけどね。

 このプシャン教授の説明の中でこんな話が出てきます。
「数年前にフランスが産んだ名キャラクターの人気投票をしたところ、ジャン=バルジャンとアルセーヌ=ルパンがぬきんでた支持を受けた。だがジャン=バルジャンを産んだユーゴーはジャン=バルジャン並みに有名なのに、ルブランはそうではない」
「アルセーヌ=ルパンは、小説家が生んだキャラクターが作者を超えて肥大化してしまった、フランス文学史上珍しいケース」
 なるほど、これは面白い。ルブランという作家とルパンというキャラクターの関係を考える上で、重要な指摘だと思います。


☆ルブランのルーツを求めて

 このあと豊川さんら一行はルブランの故郷・ルーアンに向かいます。地元の観光協会の人に聞いてルブランの生家を訪ねますが、現在は当時の建物はなく、まるっきり変わってしまっているとのこと(左図)。ルブラン一家が父の成功により次第に「高級住宅地」に移動していった過程や、ルブランの卒業した高校など、あまり触れられることのないルブランの少年期の話題が紹介されてゆきます。
 青年期のルブランが自転車にハマっていたという話も紹介され、「ひょっとしたらフランスで最初に自転車を買った人間は彼かもしれない」と いうプシャン教授のコメントまで出てきます。そこで豊川さんも若き日のルブラン気分で、と自転車でルーアン周辺を走り回ることになりますが、1870年代 当時の自転車はチェーンを使わず、巨大な前輪を直接動かすタイプのもの。さすがにこれは手に入らなかったので、もっとも古いタイプのチェーン式自転車で走 り回ります。ブレーキがきかないんで、ルブランの卒業高リセ・コルネイユの前の坂で止まれずNGを出した場面が、あえてそのまま放送されています(笑)。

 このあと一行はルブランが少年期に夏休みを過ごした、ルーアンにほど近いジュミエージュのルブランの叔母の家を訪ねます。これは当時そのままのようです。近くにあるジュミエージュ修道院の廃墟(右図)『獄中のルパン』『カリオストロ伯爵夫人』に もチラッと出てくる名所で、ルブラン少年もよく遊び場にしていたとか。豊川さんもそこを訪ねて、「男の子が好きそうな遊び場」と言っていました。こうした 廃墟での遊び、自転車での走り回りといた少年時代の体験がルパン・シリーズの「宝探し」物語に反映しているのではないか…と番組はまとめます。

  そして青年期のルブランがフロベールやモーパッサンらの刺激を受け、純文学作家を志していく過程が語られてゆきます。父親の反対を押し切ってパリに上京 し、先輩作家たちに「どんどん書きたまえ」と刺激され、それがかえって彼の人生を不自由なものとし、いまひとつパッとしない中途半端なままズルズルと40 代になってしまった…という話が、ちょっと面白おかしく語られ、「ルパン作家」としての成功の悲哀が浮かび上がってくる形で、舞台は「奇岩城」のあるエト ルタへと移ります。


☆「奇岩城」を眺めながら

 この番組では『奇岩城』を、血わき肉おどるルブランの最高傑作と位置づけます。それ自体にはとくに異論はないのですが、「ルパンの傑作は最初の五年間に集中する」として、その「奇岩城」でルブランが燃え尽きてしまったかのような番組構成になっているのにはさすがに首をかしげます。番組ではルパンの大評判が、その生みの親ルブランの影を薄くしてしまい、ルブランは非常に屈折した思いを持っていた、という筋書き(それ自体はある程度事実ですが)を強調するあまり、ルブランが『813』でルパンを抹殺するが読者や出版社の要請でまた復活させたとし、それ以降のルブラン作品をまるで「創作意欲を失って惰性で書いたもの」と 言わんばかりの扱いをしていまして、これにはルパンファンとしては疑問を通り越して怒ってしまうところ。製作のメインスタッフがルパンシリーズ全作を読ん でないのは確実ですし、日本国内でも『奇岩城』あたりまでの訳本がやたら多いのでそういうイメージを持っていた可能性があります(これは単純に翻訳権の問題です)。
 「あれほど作品を量産していた男が、年に一作という寡作な作家になっていく」というナレーションもありましたが、単行本でカウントすれば平均1年1冊というペースは初期から晩年まであまり変わっていないのが真相です。

 観光地エトルタでは、ルブランがよく通っていたというカフェが登場します。これはかなり貴重な取材で、ルブランがいつも座っていた席も紹介されます(右図)。 それがルブランが敬愛していた先輩作家モーパッサンの指定席のすぐ脇で、今は亡き大先輩に遠慮するように座り、人目を避けるようにマフラーと帽子で顔を隠 していた、という目撃談も面白いところです。ルブラン存命時を知るお婆さんまで登場して「ルパン大好き」と言ってくれますが、店の主人は「ルパンなんてほとんど読んでない。ああいう犯罪小説は性に合わない」のだそうで(笑)。

 エトルタと言えばここに行かなきゃ、とこの番組でもルブランの別荘を改築したルパン博物館「ルパン荘」を訪れます。一般観光客は内部は撮影禁止だそうですので、この映像もまた貴重です。
 「ルパン荘」のなかにはルブランがルパンシリーズを書いた書斎がそのまま再現されています(下図)。その席に座って悦に入る悦司(笑)。ほかにもこの建物のなかには奇岩城の内部再現や、ルパンが盗んだ品物を並べたコーナー、ルパンが変装する小道具が並べられた場所などもあり、けっこう詳しく紹介されます。豊川さん、この部分は仕事を忘れて楽しそうです(笑)。

 ただ、ここの学芸員の話が日本のルパンファンにはややショックな内容。実のところフランスでもルパンは大昔の冒険小説としてほとんど忘れ去られていたそうで、1970年代のジョルジュ・デクリエール主演のTVドラマで知った人が圧倒的に多いんだとか(番組では紹介しませんでしたが、「ルパン荘」ではデクリエールが「ルパンの声」をつとめています)「今の若いフランス人たちは日本人よりもルパンのことを知らないかもしれない」とも。そもそも「有害図書」なので(確かにそうだ(笑))、教育上ふさわしくないとして子供には読ませず、そもそも学校の図書館に置くなど論外だったとか。それを聞いて豊川さんも「それって日本の教育が遅れてるってことかな?ぼくら学校の図書館で読んだんですけどねぇ…」と苦笑してました。まぁポプラ社版は内容的にはかなり子供向けにマイルドにされていたんですけどね。

 エトルタなら「エギーユ(針岩)」を見ないわけにはいかない。豊川さんも「今回はこれを見るために来たようなもんです」と言い、夕日が沈む絶妙なポジションから、海面に突き出した「奇岩城」をじっくりと見つめます(右図)。この「奇岩城」を眺めながら、晩年のルブランがルパンを生み出したことを「後悔していない」とようやく公言し、「ル パンを書く前に純文学の小説を十篇ほど書いたが、それを知る人は数えるほどしかいない。ルパンを書いたことは事故のようなものだった。また、ずっと書くこ とを強制されてきた。しかし事故だったとしても、それが私の栄光の始まりであり、歓迎すべき事故だと言っていいかもしれない。いま、ルパンは私の最良の友 だ」という発言を紹介します。番組中では『ルパン最後の事件(ルパンの大財産)』発表時ということになってましたが、出典元とその時期は僕もまだ確認していません。番組スタッフはこの発言を出発点にして構成をしたのかな、という気もします。
 作者を超えて巨大化したルパンとついに「和解」したということで話をきれいにまとめます。ここで豊川さんが「ムッシュ・ルブラン」に向けて「あ なたは幸福な人だと、心から思います。ルパンの栄光のせいで日陰者の人生を歩んだなどとおっしゃいますが、それは贅沢な被害妄想だと失礼ながら申し上げま す。あなたは目も眩むほどのスポットライトを浴びるには繊細すぎる。人目と毀誉褒貶にさらされる憂き目を、ルパンがあなたの代わりに果たしてくれたので す。そんなルパンの愛情に、もっと早く気づいていただきたかった…」(ちょっと長いのでまとめさせてもらいました)といった「贈る言葉」を語り、エトルタ探訪はしめくくられます。


☆ふたたびパリに戻って

 ルブランの生涯を追う旅は、ふたたびパリに戻ります。特別に登らせてもらったという、パリの建物の屋上から、ルパンも見たであろう「パリの屋根の上」の光景が見られます。これも見れそうで見られない映像ですね。

  1941年11月6日にルブランは亡くなり、「モーリ・ルブラン、アルセーヌ=ルパンの父逝く」という死亡記事が翌日の新聞に小さく出たことが紹介されま す。扱いが小さかったのは当時のフランスがナチス・ドイツによる占領中で情報統制下にあったためということも紹介されました。死の間際のルブランが「ルパ ンが夜な夜なやってくる」と騒いで警察に警備してもらっていた、という逸話にも触れてほしかったところ。プシャン教授の口から死の間際の話ではなくおそら く晩年の話として「ルブランが架空キャラのはずのルパンの侵入を恐れてベッドにナイフやピストルをしのばせ、周囲から“まともなじゃい”と中傷されていた」という似たような話は紹介されましたが。
 戦後になってパリ・モンパルナスの墓地に埋葬しなおされたルブランの墓を訪ねる場面もありました(左図)。墓標には「レジョン・ドヌール勲章受章の作家」とあるだけ。「遠く日本の少年たちをも熱狂させた彼の名が、フランスのもっとも権威ある人名事典に載ったのは、その死から40年後の1981年のことである」という豊川さんのナレーションにはジーンとくるものがあります。もっともこの墓地のシーンだけ豊川さんの姿がないので、別撮りしている可能性もあります。

  そしてエンディング。パリのセーヌ河畔を深夜散策していた豊川さんが、橋のたもとでシルクハットに燕尾服、マントの男を目撃します。「ルパン!?」と驚い て、夜のエッフェル塔をバックに橋の上を追う豊川さん。その映像といっしょにエンド・クレジットが流れていきます。流れる音楽はやっぱり「ルパン三世の テーマ」でしたが(笑)。
 最後にそのマントの男が立ち止まって振り返り、豊川さんと対峙します。その顔は…



これで豊川悦司も「ルパン役者」の仲間入りです(笑)。


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