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保篠龍緒・作
「青色カタログ」(短編)
初出:1920年(大正9年) 博文社「新青年」8月号〜10月号 
他の題名:「青色型録」「青色暗号ノート」

◎内容◎

 第一次世界大戦が勃発した1914年の末。ルパンは部下達とともにスイスのベルンでドイツ諜報網を追っていた。怪しい電報を受け取った男を尾行したルパンは、レストランに集まった男たちが不可解な「青色カタログ」を見て話し合っているこのを目撃する。その夜、ルパンの目の前の路上でフランス人少女がナイフと毒ガスにより殺害され、彼女は死の間際に「青いカタログ…」という謎の言葉を言い残す。ルパンたちはドイツスパイの集まる本拠地へと乗り込むが…



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆ウェツォルド
ハーデンの秘書。

☆オクターブ
ルパンの部下。運転手をつとめている。

☆カルチッヒ
ベルン警視庁の捜査課長。

☆グロニャール
ルパンの部下。

☆ゲラッツ大尉
ベルンの憲兵隊大尉。

☆コパン
ルパンの部下。

☆ドードビル

国家警察部の刑事でルパンの部下。ただし兄弟のどちらかは不明。

☆ビルツ
ハーデンの部下。

☆フーレ
ルパンの部下。

☆フリッツ=ハーデン
アメリカ貿易商会のベルン支局支配人をつとめるドイツ人。

☆ポール=ド=ヴォーラン
飛行少佐。大戦中の勲功により勲章を受ける。

☆マルグリット=フロリア=ラネージュ
ベルンに住む孤児のフランス少女でアメリカ貿易商会のタイピスト。

☆マルブ大尉

パリ・ホテルに滞在するフランス軍人。

☆モンテーノ
若いイタリア人。

☆ヤマ大尉
日本人将校。なぜかベルンでドイツスパイを追っている。

☆ユーゴー=ウェーデル
ベルリン・シュッケルト商会の社員。

☆ラルー
ベルンの郵便局に勤める技師。実はルパンの部下。

☆ルーピノフ伯爵
ロシア貴族。

☆ル=バリュ
ルパンの部下。

☆「私」
ルパンの友人で伝記作者。


◎盗品一覧◎

なし。


<ネタばれ雑談>

☆ルブラン原作?ルパンシリーズの「外典」
 
 唐突な話になるが、ユダヤ教、キリスト教の聖典である旧約・新約の「聖書」は多くの文献が集められ編纂されたものである。つまり最初からあの内容と決まっていたわけではなく、編纂にあたった人間たちが収録すべき文献を彼らの判断により取捨選択したということだ。そうして聖書に収録された文献は「正典」と扱われるのだが、そこからはずされた宗教文献も多く存在している。それらは「外典」と呼ばれ、教会では正式のものとは扱われないが研究者によっては無視できない価値をもつものも多い。
 この「正典」「外典」といった聖書用語をシャーロック=ホームズの研究者たち、「シャーロッキアン」が流用して、コナン=ドイルによって書かれたホームズものを「正典」、それ以外の作家による贋作を「外典」と呼ぶことがある(「ルパン対ホームズ」もいわば「外典」の一つである)。宿敵ルパンの研究においてもその用法を流用してみようと思う。

 さて本作はその「外典」とされる作品なのだが、事情はやや複雑。この作品は大正9年(1920)という、モーリス=ルブランがバリバリの現役の時期に、そのルブランから翻訳独占権を認められていた保篠龍緒の手によって、当時探偵小説の花形雑誌だった博文社「新青年」誌上で「ルパン・ノート」の1作として発表されている。あくまでルブランの原作を翻訳した、という形でだ。その後、保篠龍緒は何度となく「ルパン全集」を世に送り出すが、この『青色カタログ』『空の防御』の2作の「ルパン・ノート」(「ルパンの告白」シリーズにされることもある)は必ず一緒に収録されてゆく。現物は未確認だが戦後に出た保篠の児童向けルパンにも『青色暗号ノート』としてリライトされているようだ。
 しかし、本国フランスでは本作に該当するルブランの小説は発表されていない。そのため他の訳者によるルパン全集でも本作は収録されておらず、ある世代以上の人しか読んでない「幻のルパン小説」となっている。『山羊皮服を着た男』『虎の牙』『壊れた橋』のようにルブランが本国以外で先に発表したケースもあるので、もしかするとルブラン原作の可能性も捨てきれないのだが、今のところ本作のルブラン直筆原稿は確認されていない。それゆえにこの「ルパン・ノート」2作は保篠龍緒の手による贋作であろう、というのが現時点で有力な見解だ。

 ただし、ルパン&ルブラン研究家、保篠龍緒研究家の方々の追跡によれば、1923〜1924年ごろに保篠龍緒がルブランに「日本の雑誌向けのオリジナルのルパンもの小説」の執筆を依頼し、これに対してルブランが妹への手紙で「難しいが検討する」旨を書き送っていることが確認されているという。「アルセーヌ・ルパンの7月14日」という仮題まで決まっていたらしいのだが、結局それに当たる作品は確認されていない。またもっと後のことになるが保篠龍緒のもとにルブランから本国未発表の「バルタザールのとっぴな生活」の直筆原稿が送られていた事実もある。もしかすると1920年以前にルブランと保篠の間で交渉があって、『青色カタログ』『空の防御』2作にも未確認のルブラン原作が存在したのかもしれない…という想像はできる(以上の情報も『戯曲アルセーヌ・ルパン』の住田忠久氏の解説に拠っています)
 だが、この『青色カタログ』を読んでみる限り、やっぱり内容が「ルブランらしくない」ことは否めない。ストーリーがかなり行き当たりバッタリだし、二回に及んだ雑誌連載にきっちり合わせて「さあどうなる?以下次号」的な途切れが設けられている上に、『813』などシリーズ他作品との矛盾も多い。きわめつけが柔道得意の日本人将校「ヤマ大尉」が唐突な登場ながら大活躍してしまうこと。あまりにも露骨な日本人向けサービスであり、「ヤマ」なんていかにも「外国人が作った日本人名」っぽい名前をつけているところなど、かえって「外国人のふりをした日本人」によって書かれたとしか思えなくなる。


☆ルパン一味のスパイ大作戦!

 ここは<ネタばれ雑談>コーナーなんだけど、この短編については読む機会がなかなか得られない人も多いと思うので、簡単に内容紹介を。推理要素がとくに強い作品というわけでもないので、ダイジェストで結末まで語ってしまいたい。

 物語は、第一次世界大戦が終結して各国の軍人達が集まる祝賀パーティーで幕を開ける。いつものルパンの友人の伝記作者「私」もなぜか参加しており、戦功によりレジョン・ドヌール勲章を受けたヴォーラン飛行少佐ことルパンと談笑している。その席でルパンは日本人将校ヤマ大尉を見つけ、そこから二人が関わった「ライゲン・シャイド・コード事件」が語られ始める…という出だしだ。
 時は1914年の冬。雪の積もるスイスの首都ベルンが物語の舞台だ。大戦中のルパンは祖国フランスのため、部下達と共にドイツのスパイ団を追跡中という設定。郵便局に紛れ込ませていた部下の一人が怪しい為替相場電報をキャッチし、その電報を受け取ったドイツ人をルパンが尾行、彼らがレストランの中で青色の用紙に赤黄色の文字で印刷された商品カタログを見ながら相談をしているのを目撃する。立ち去り際、盗み見るための鏡代わりに使っていた金時計に何かが映った。「青色カタログ」の中に一瞬、全く別の文字が浮かび上がったのだ。

 その夜、ルパンの家のすぐ前の通りで、一人の少女が何者かに襲われる。ルパンが飛び出して救おうとするが、怪しい男はなんと毒ガスを散布して逃げ去ってしまう。ルパンたちは軽傷で済むが少女はナイフで刺された上に毒ガスにより致命傷を負い、「青いカタログ…」との言葉を残して死ぬ。少女はマルグリット=フロリア=ラネージュといい、アメリカ貿易会社ベルン支社にタイピストとして雇われていた。ルパンは変装してその貿易会社を訪ね、支配人フリッツ=ハーデンと対面、彼を少女殺しの犯人と名指しする。するとフリッツは仕掛けを動かして床下に消え、ルパンを部屋に閉じ込めて毒ガスを放出し始める。あらかじめ用意してあった縄梯子(なわばしご)で逃げようと余裕で窓にあがったルパンだったが、いつの間にか縄梯子が消えている!さあ絶体絶命、ルパンあやうし!というところで章が途切れる。恐らくは「新青年」掲載時にはここで「以下次号」だったのだろう。

 で、次章ではまさにこの手の「さぁどうなる?」というヒキを受けての典型パターンで、ルパンは向かいの部屋の住人から偶然助けられるという拍子抜けの展開であっさりと始まる。そして青色カタログがドイツスパイたちの暗号であり、少女フロリアはそれを奪おうとするフランスのスパイであったことを悟ったルパンは、ハーデンら一味が別荘に集まるとの情報を得て部下達とその別荘へと向かう。しかし乗り込む直前、目の前をオートバイが走り去り、これが敵の罠であることを伝える手紙が落とされた。その手紙には「ya-ma」の署名があった。
 おかげで罠に陥らずに済んだルパンは、翌日掃除屋に変装してドイツ人たちの別荘に侵入、先に工作をしておいてから、ドイツスパイたちが密談をしているところへ部下達と乱入、彼らを縛り上げスパイ活動の証拠と共にスイス憲兵隊に引き渡す。しかし残るハーデンだけはなかなかのつわもので、ルパンと大乱闘・銃撃戦を演じて、一時はルパンを気絶に追い込む。ところがそこへヤマ大尉が駆けつけてきて、日本柔道でハーデンを圧倒して捕縛、めでたし、めでたし…となるわけである。

 最後に『告白』シリーズよろしくルパンと「私」の対話となり、「青色暗号」のトリックが明かされる。青色の用紙に黄色や赤の文字で印刷した一見ちょっと豪華な商品カタログだが、実は色眼鏡をかけるとそこに隠された文字が浮かび上がる…という仕掛けだったのだ(赤いシートを重ねて赤字で書かれた重要事項を見えなくする、受験参考書で良く使われる方法みたいだ)。不審な為替相場電報はその数字がどのページのどこを見るかを示しており、これが「ライゲン・シャイド・コード」だったというわけ。


 以上ざっとストーリーを紹介したが、やっぱりルブランの真作とは思えない…と受け取る方が多いだろう。アイデアとしてはカラー印刷を利用した「青色暗号」の視覚トリックが見所な程度で、ルパンの推理や行動にいつもの冴えがなくつまらないピンチに次々と陥るし、唐突に日本人将校が大活躍して美味しいところをもっていっちゃうなど、日本人が書いたとしか思えないというのが正直なところではないだろうか(だいたい柔道の達人でもあるはずのルパンがヤマ大尉の柔道にビックリしているのがヘン)
 あくまで想像なんだけど、発表された1920年というと保篠龍緒がルパンシリーズを続々と翻訳、紹介していたまっさかりの時期であり、ルパン好きがこうじてついつい大戦がらみのルパンものを自分で書いちゃったんじゃなかろうか…ドードビルやオクターブ、ル=バリュやグロニャールといった過去作品のルパンの部下たちがそろって登場しているところにもそれを感じる。
 まだまだ翻案大隆盛の当時にあって、保篠龍緒はきっちりルブランに翻訳権をとって翻訳・紹介した功労者なのだけれど、良くも悪くも翻訳・翻案のあいまいな領域を抱えた作家的志向の持主でもあった。このあと明白なルパンものの翻案作品も書いているし、後年には『刺青人生』(バルタザールのとっぴな生活)『赤い蜘蛛』(赤い数珠)のようにストーリーに大幅な改変を加えて「翻訳」しているケースもあった。そうこうしているうちに「ルパン・ノート」2作については自分の創作なのかルブランからの翻訳なのかわかんなくなってきちゃったんじゃないか…という気もする。まぁ南洋一郎の例もあるから、「確信犯」だったのかもしれない。

 ところでこの作品ではドイツスパイがたびたび「毒ガス」を武器として使用している。これは第一次世界大戦でドイツ軍が毒ガスを兵器として使用したことを念頭に保篠龍緒が物語に組み込んだものと思われるが、こんな危険なものを室内や路上でホイホイと使えるとは思えないんだけどなぁ…。


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