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「十二枚の株券」(短編、「バーネット探偵社」第5編)
LES DOUZE AFRICAINES DE BÉCHOUX
初出:192711月「レクチュール・プール・トゥース」誌 
他の邦題:「無生の犯人」(保篠訳)「ベシューの十二枚のアフリカ株券」(新潮)「ベシゥーの十二枚のアフリカ株券」(創元)「ベシュー刑事の盗難事件」(ポプラ)

◎内容◎

 アンバリード地区のアパートに住む証券業者ガシールの自宅から、ほんのわずかなすきに証券の包みが忽然と消えた。その中にはベシュのアフリカ鉱山の株券 十二枚も含まれていて、ベシュは個人的理由から焦りに焦って捜査をすすめる。アパートは封鎖され、証券の包みは絶対に内部にあるはず。四階建てのアパート にいる住人は四人だけ。簡単に解決するかに見えた捜査は難航、焦るベシュは建物に近づいてくる男を見て恐怖した。あのバーネットがアパートにやって来たのだ…!



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アブリーヌ
フルート教師をしている若い美人の女性。ガシールのアパートの4階に居住。

☆アラン

ガシールの住むアパートの門番女。

☆サルロナ
ガシールの部下。

☆ジム=バーネット
私立探偵。「調査費無料」を掲げる。

☆テオドール=ベシュ

国家警察部の刑事。ガニマール警部の直弟子。

☆トゥフェモン
元大臣の国会議員。政府をもふるえあがらせる有力政治家で、ガシールのアパートの3階に居住。

☆ニコラ=ガシール
証券業者。でっぷりした小男で、顧客から金を集めて株に投資、高利息の配当を出している。

☆ルゴフィエ
タイピストの若い美人の女性。ガシールのアパートの4階に住む。


◎盗品一覧◎

◇証券の束
ガシールがあずかっていたもの。ベシュの十二枚の株券は除外。


<ネタばれ雑談>

☆「バーネットもの」の最高傑作

 異論がある人もいるかもしれないが、人気投票やればバーネットシリーズの最高作はこの『十二枚の株券』で 決まりだろう。限定された時間と空間での謎の盗難、「容疑」がかかる個性ある住人たち、盲点を突いたトリックと短編ミステリの魅力的要素をしっかりとふく んでいる。そして何よりも、被害者が主人公の相棒(?)自身であること、毎度毎度「ピンはね」をやらかすバーネットがそこに姿を現すことで捜査は別の意味 での緊張感がもたらされる(笑)。バーネットがいよいよ「ルパンらしさ」を発揮して女たらしぶりを見せつけるなど全編に笑いがちりばめられ、テンポよく進 んでお約束のオチになるところまで、実によく組み立てられた短編である。

 『水は流れる』でもふれたように、『バーネット探偵社』シリー ズはフランスでは雑誌にまず3編だけ掲載され、その後8編を収録した単行本にまとめられた。この『十二枚の株券』はその雑誌掲載されたうちの一本で、『水 は流れる』に続いて第2作としてお披露目している。しかしベシュがそれまでにバーネットのピンはねぶりを見せつけられている設定になっているため(バーネットを見たベシュの恐怖ぶりを見よ!)、ルブラン はこの作品の執筆時点で先行するシリーズを複数書いていたはず。雑誌掲載時にまず3編を連載するという予告があったそうだから、雑誌掲載分は「傑作選」というつもりだったのかもしれない。

 このコーナーでは原則的に偕成社版のタイトルに従うことにしているのだが、『十二枚の株券』という訳題はかなりの省略形だ。新潮文庫版や創元社全集版のように「ベシュの十二枚のアフリカ株券」とするのが正しいのだが、ちょっと長すぎるきらいがあるのも確か。ところで原題は「Les douze Africaines de Béchoux」となっていて、「Africaines」では単に「アフリカの」「アフリカ人」といった意味になる(だから直訳すると「ベシュの十二人のアフリカ人」になってしまう)。もちろんアフリカ関連の株のことをこう呼ぶ例があったのだろう。
 この短編を最初に訳したのは例によって保篠龍緒だ。原書刊行の翌年である1929年(昭和4年)に平凡社版「ルパン全集」のなかで確認される限り最初の邦訳『バルネ探偵局』がある。以後の保篠訳「バルネ」はこれをほぼそのまま踏襲していくのだが、僕が所有している1952年(昭和27)発行の日本出版共同版の「バルネ探偵局」をみると「十二枚の株券」を原作とする「無生の犯人」「滴る水滴」に続く第2話として収録されている。第3話が「偶然の奇蹟」なので、これは単行本の順序ではなく雑誌連載順に従っていることが分かる。もしかすると保篠は単行本発行以前の雑誌連載段階で訳出していたのだろうか。なお保篠版の訳題「無生の犯人」とは、「生き物ではない犯人」という意味。
 さらにややこしいことに南洋一郎『ルパンの名探偵』では本作は「ベシュー刑事の盗難事件」という訳題になって、バーネットシリーズの最後の一編という形に編集しなおされている。


☆アパートの構造はどうなってる?

 ガシールの事務所兼住居のある建物について、偕成社版では「アンバリード街にある」と訳しているのだが、堀口訳では「アンバリード(アンヴァリッド)の近く」となっている。原文は「le quartier des Invalides」で「アンバリードの地区(カルチェ)」といったところで、保篠訳の「アンバリッド区」が一番近い。調べてみるとパリの第7区のうちアンバリードの周辺の第26地区(カルチェ)のことを「アンバリード地区」と呼ぶのだそうだ。
 では「アンバリード」とは何かというと、パリ中心部のセーヌ南岸に広大な敷地を占める歴史的な建造物だ。これはもともとルイ14世が傷痍軍人たちを療養させるために17世紀後半に作った施設で、ここの教会の地下墓所にはナポレオン1世の棺がおさめられ、以後有名な軍人がここに祭られるようになった。今でも傷痍軍人が暮らす療養施設として機能しているが、どちらかというとフランスの軍事博物館として世界中から観光客を集めている施設だ。

  「アパート」というと日本語ではかなり小ぶりなものを想像しがちだが、英語のアパートメント、仏語のアパルトマンは単に共同住宅のことを指しており、この 小説に描かれるようにオフィス兼住宅が入るほど大きめのものがある。日本語的にはマンションの感覚だろう。パリの街並みを見れば分かるが住宅事情はそう良 くはなく、ルパンシリーズを読みとおしてもしばしば貴族に化けるルパン自身、本物の貴族やかなりの金持ちでも「アパルトマン」に住んでいるケースを見かけ る。
 この事件の舞台となるガシールのアパートは4階建て。しかも一階ごとに一室ずつという構成で、一階が空き室、二階はガシールのオフィス兼住居、三階は有力代議士トゥフェモン氏の住居、四階は二つに仕切って若い女性がそれぞれ住んでいる。実例を見てみないと確たることは言えないが、そこそこ優雅なアパルトマンなのではあるまいか。
 海外旅行の経験者はご存じだろうが、欧米では単に「一階」というと日本語における「二階」を指すのが一般的。「階」にあたる言葉が地上階より上を指しているためだ。原文でもこのくだりは空き室になってる地上階が「Le rez de chaussée」、ガシールの住居兼事務所が「premier」、トゥフェモン代議士の部屋が「second」アブリーヌ嬢とルゴフィエ嬢の部屋が「troisième」と表現されている。
  
 ガシール氏の住む二階は「控 えの間(antichambre)」「寝室あるいは居間(chambre)」「応接兼用の食堂(salle à manger à usage de cabinet de consultation)」「社員が使う事務室(pièce où venaient travailler)」そして一番奥に「台所(cuisine)」という構成になっている(偕成社版では「控えの間つきの寝室」と表現してるが、原文を見ると「控えの間」と「寝室」は並列されている)。 盗難発生時、ガシールは事務室での朝食中に寝室での物音を聞きつけ、寝室に行くと証券の包みがなくなっているのを確認する。それと同時に階段の踊り場に面 した控えの間のドアが音を立てて閉まる。これは鍵がかかって開けられず、鍵を取りに事務室に戻ると逃げられると考えてガシールは控えの間の道路側の窓を開 けて、通りをやってきた社員に声をかけ、玄関を封鎖するのだ。なお、このアパートは中庭があることも書かれていて、これはパリのアパートではよく見られる 構造らしい。
 この描写からどういう間取りになっているのか、想像できるだろうか?僕もこの文章を書くまでは気にもしなかったくだりだが、読めば読むほどよく分からなくなってくる。これ以後の英米の推理小説だと図解付きで現場を紹介する例が多くなるのだが…

 なんとか児童向けに説明しようとしたのが南洋一郎版で、ご親切に図解まで入れてくれてるのだが、全訳や原文を読み比べると明らかに間違っているとしか思えない。南版ではガシールは「控え室」のドアが閉まったのを見てこの中に犯人が逃げ込んだのだと考える(鍵はいったん閉まると自動的にかかる仕掛けになっていて、犯人のトリックだったということになる)。 そこでガシールは「廊下の道路側の窓」を開けて部下に声をかけるのだが、原文ではあくまで「控え室の窓」を開けているのだ。さらに控え室の中に犯人が隠れ ていると思い込んで部下たちとドアを開けて飛び込む緊迫した描写までついているが、これも原作にはない。南洋一郎も展開がいまひとつ分からず、「こういう ことにしておこう」と決めてかかったように思える。
 他に図解付きでしめした例は森元さとるの漫画「mystery classics 蘇る名探偵たち〜アルセーヌ・ルパン編」第 2巻におさめられた「十二枚の株券」。これもこのくだりの処理に困ったらしく(絵で説明しなきゃいけないだけに)、ガシールが犯人を追って寝室から直接廊下に出るドアが閉まっており、なんと 「控室から廊下に開いた窓」をくぐりぬけて廊下に出る、廊下の窓から社員に声をかける、という描写になった。「控え室」の存在自体が無視され、なぜか室内 にある窓を無理やりくぐりぬけるという、かなり無理を感じる展開だ。それぞれのガシールの動きを図で示すと下図のようになる。

南洋一郎版の図解。各部屋が一つの廊下に面しており控え室もそのなかの一つで、犯人がそこに立てこもったかのように思わせる。森元さとる版の図解。漫画では立体的に表現している。控え室自体をカットし、寝室から廊下へ窓をくぐって出ていく。

  ルブランは実際にどういうイメージで描いているのか、これは現地で20世紀初頭の間取りを残したアパートを見てみないと分からない。ただ僕が読む限り、問題 となる「控え室(控えの間)」は階段の踊り場に直結していることは間違いなく、他にガシールの住居から踊り場に出る出口はなさそうなのだ。ここでいう「控 え室」は日本のマンション・アパートにおける「玄関スペース」のようなものなんじゃなかろうか。そう思いつつ新潮文庫版の堀口大学訳を読んでみると「antichambre」を「寄りつき」と訳しており、聞きなれない言葉だがこれがまさに「玄関スペース」に相当するのだ。少々古臭く感じる訳文だけにこの個所もその手の古い言葉かな、と思っていたのだが、どうもこれが一番正確な訳をしてるんじゃないかと。「antichambre」は最終話『ベシュ、ジム=バーネットを逮捕』でも重要な場面で登場している。
 ともあれ、この辺の事情に詳しい方がいらしたら、ご教示を請いたい次第である。


☆アパートの住人たち

 最終的に真相の核心部分をになっていたのがトゥフェモン代議士である。その利用の仕方がまたミステリ的に面白いところなのだが、この代議士、物語のメインでは大した活躍もしないくせに、アパートを出た政界ではなんと内閣を総辞職に追い込んでしまう。
 ルパン世界で内閣総理大臣(首相)といえば、なんといってもバラングレーであるが、『バーネット探偵社』は『813』以前のことなのでこのとき辞職に追い込まれた総理大臣はバラングレーではありえない。むしろこのときの倒閣を受けてバラングレーが総理になったんじゃないのか、と楽しい想像もできる。
 この時期で倒閣の史実はないのかな…と思って調べてみると、1909年7月20日にジョルジュ=クレマンソー(Georges Clemenceau内閣が総辞職してアリスティード=ブリアン(Aristide Briand)内 閣に交代している。フィクションのなかの年代を現実の政治史と照らし合わせるのはムチャと承知しているが、『水は流れる』の雑談で書いたように僕は『バー ネット探偵社』の年代を1909年と仮設定しているところへ、この符合を発見してしまい、ますます確信を持ってしまったのだった。前作『金歯の男』が3月 4日の事件なので一応矛盾はない。でもちと間が空きすぎかな?とも思うのだが、ベシュが休暇(バカンス)をとろうとしていたことから初夏の事件である可能性は高い。そしてこれに続く『壊れた橋』(英語版にしかない一編)は真夏の事件なのだ。

 この作品の面白さは謎解きもさることながら、自身が「被害者」になり、バーネットにも警戒しなきゃいけないベシュのオーバーなまでの慌てぶりと、それをからかうようにバーネットが展開する二人の美人をまたにかけたプレイボーイぶりが笑いを誘って読者を楽しませる。
  かたや国立音楽院で二位をとったフルート教師。かたや有能な美人タイピスト。当時フルートと言えばフランスが本場だったらしいし、タイピストは当時すでに 自立女性の代表的な仕事であったようだ。バーネットはこれら最先端の女性たちにフルートを習いつつ回顧録を口述タイプしてもらい、同時にしっかり口説いて 回っている。とうとう恋敵どうしの女の戦いまで勃発するが、それを他人事のように面白がって眺めているという堂々たる二またぶり。まぁ女性読者はいささか 頭に来るかもしれないが…あれだけのことがあったくせに事件解決後もしっかり二また交際が続いている様子なのがまたなんとも(汗)。
 この美人二 人とのドタバタ模様は、当然ながら南洋一郎版では全面カット。森元さとるのコミック版も本筋には無関係ということもあり恋愛沙汰はカットしている。他の全 訳本では当然そのままに描かれているが、僕が所有する日本出版共同版の保篠訳はなぜか事件解決後にベシュが映画館でバーネットとフルート教師がデートして いるのを目撃する一文が抜けている。

 ジョルジュ=デクリエール主演のTVドラマシリーズの一話「バーネット探偵社」は『金歯の男』と『十二枚の株券』をベースにしており、『十二枚の株券』部分もかなり原作に忠実。ただしアパートの構造は原作と大きく違っていて、1フロアに1部屋が入っている構造で、2フロア全体で四人の住人がいる形に変えられている(だから「間取り問題」はこのドラマを見ても解決できない)。トゥフェモン代議士は登場せず、代わりに『白い手袋…白いゲートル…』に登場するベシュの元妻オルガ=ボーバンが住んでいる設定になっていて、カバンのトリックはそのままだが真犯人が変更されている。
  まさに原作そのまま!で嬉しいのが、バーネットの「二また交際」部分なのだ(笑)。フルート教師とタイピストが階段の踊り場で「女の戦い」を繰り広げる場 面までそのまんま再現されている。しかしこのドラマ版は『白い手袋…白いゲートル…』までミックスされているので、バーネットはなんと「三また」をやって いるのだ!

 ラストでバーネットが十二枚の株券をいつの間にやらベシュのポケットに納めている「逆スリ」の小技も心憎い。涙を流して喜び感謝しまくるベシュも凄いが(笑)。なお、トゥフェモン代議士からカバンを奪いとる際に名もなきバーネットの部下(つまりルパンの部下)が登場している点に注意。南版ではこの男について「バーネット探偵社の社員」とわざわざ説明している。
  南版のルパンのお約束に沿って、南版のバーネットも稼いだ金は慈善事業に寄付している。原作ではそんなことはほとんどないのだが、この『十二枚の株券』に だけはバーネットは手に入れた大金を自分のふところではなく他人に寄付すると明言している。その寄付先について堀口訳では「補助している慈善事業」と南版と同じになっているが、矢野浩三郎訳では「援助している興味のある事業など」となっている。ほかをあたってみると石川湧訳では「補助している事業」、保篠龍緒訳では「補助をしている非常に愉快な事業」だ。原文では「à des oeuvres intéressantes que je subventionne」で、やはり「僕が援助している面白い事業」と訳せるもので、慈善どころか何に使っているかわかったもんじゃないのである(笑)。

 ベシュは株券が戻ってきたことに大喜びしつつ、「あのいまいましい男とは二度と会うまいと心に決め」て 事務所を後にする。この箇所は保篠訳には見当たらず、ベシュが何度もバーネットに痛い目にあっている前提がある文であることから、バーネットシリーズ2作 目として雑誌掲載された段階ではこの箇所がなかった可能性もある。保篠訳が雑誌掲載のもの、あるいは発表前の段階の原稿から訳出していると思える根拠だ。
  一方、南版では『ルパンの名探偵』の最終話となったこともあり、悪徳商人ガシールから金を巻き上げたことをバーネットとベシュが仲良く一杯やりながら祝う という原作とはまるで違うが、それなりにきれいなしめくくりになっている。南版のバーネットとベシュはかなり仲良しなんだよな。


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