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「水びん」(短編、「八点鐘」第2編)
LA CARAFE D'EAU
初出:1921年11月「メトロポリタンマガジン」誌に英訳発表 1922年12月「エクセルシオール」紙に仏文発表
他の邦題:「水壜」(保篠訳)「水瓶」(新潮)「水差し」(創元)「ガラスびんの秘密」(ポプラ)など

◎内容◎

 パリに移り住んだオルタンスはレニーヌ公爵とレストランで落ち合い、第二の冒険の相談をしていた。そのとき、すぐ近くで叫び声をあげた男がいた。その 男、ジュトルイユは友人のジャック=オーブルイユの死刑執行が迫ったことを新聞で知って驚いたのだ。強盗殺人の犯人として逮捕され死刑が宣告されたオーブ ルイユは全くの無実だとのジュトルイユの主張を聞いたレニーヌは事件の真相を探り始めるが、事件は思わぬ方向へ…



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆オルタンス=ダニエル
26歳の赤髪の美女。パリに移り住んだ。

☆ガストン=ジュトルイユ
オーブルユの友人。テルヌ広場に在住。

☆ギョーム
ジャック=オーブルユの遠縁の従兄弟。シュレンヌに在住。何者かに銃で殺害される。

☆クレマン
レニーヌ公爵の運転手。

☆ジャック=オーブルユ
保険仲介業。強盗殺人容疑で逮捕され、死刑判決を受けた。

☆セルジュ=レニーヌ公爵
謎の青年公爵。

☆デュドゥイ
国家警察部部長。レニーヌ公爵の知り合いとして名前だけ登場。

☆デュルダン
ジャック=オーブルユの弁護士。

☆マドレーヌ=オーブルユ
美しいブロンドのジャック=オーブルユの若妻。夫の無実を固く信じている。

☆マドレーヌの母
夫を逮捕された娘マドレーヌを励まし、ジャックの無実を信じている。

☆モリソー
国家警察部の警部。

☆ロッシニー
前作でオルタンスと駆け落ちしようとした男。レニーヌに決闘を申し込む。


◎盗品一覧◎

なし。


<ネタばれ雑談>

☆科学応用トリックを使った異色の一編

 前作「塔のてっぺんで」で自由の身となったオルタンスはパリ市内に移り住む。そして第二の事件に巻き込まれる(というか首を突っ込む?)ことになるのだが、この『八点鐘』第2話もルブランらしさの光る好短編となっている。
 偶然知り合った男が無実の罪で死刑になりそうな友人の危機を訴える。その当人の家族に会うと、やはり絶対に無実と信じている。こうなると主人公レニーヌ公爵が たちまち名推理で無実を立証する話なんだろうなぁ、と読者は察しがつくわけだが、読み進むと読者の意表を突く展開が待っている。そして中盤で真犯人が明確 になって推理じたいはほぼ終わってしまい、後半はいかにして真犯人を自供に持ち込むかが読ませどころとなっていく。終盤には後年の「刑事コロンボ」のよう な「犯人を自白に追い込むトリック」が登場し、読者をスカッとさせるわけだ。

  この作品では主人公側ではなく犯人側が使う証拠隠滅トリックが目を引く。タイトルにもなっているように、ガラス製の「水びん」を使った科学的トリックで、 犯人自身が現場を離れながら証拠の隠滅を可能にするというアイデアが秀逸。100年を経た21世紀の今日でも同じ効果で火事が発生するケースが少なくない から、この時代にもいくつか実例が報道されていたのかも知れない。
 ただし、現行のポプラ社南洋一郎全集版(シリーズ怪盗ルパン)「八つの犯罪」の巻末解説で新保博久氏が言及しているように、この太陽光線を水びんレンズで集めて発火させるというトリック自体には先例がある。未読の方のためにタイトルは伏せるが、1911年にアメリカの推理作家によって執筆された短編で、江戸川乱歩編の「世界短編傑作集」(創元推理文庫)にも収録されているので割合手軽に邦訳を読むことができる。こちらでは密室殺人トリックに利用されていたが、ルブランはこれを犯人側の証拠隠滅に利用した所が面白い。さすがに初トリックというわけではないので他にポーの「盗まれた手紙」のトリックも拝借して組み合わせている。

  こうした狡智な犯人に対し、レニーヌ公爵ことルパンは彼一流の捜査方法で犯人を追い詰めていく。ルパンの探偵術にしばしば現われるのは論理的な検証ではな くほとんど「直感」で、その直感というのは後から考えるとちゃんと理由があるものだからまずは自分の直感が正しいのだと信じる、というのがルパンのポリ シー。この話でも最初の直感で思いついたことを根拠が薄いことは自覚しながらも行動優先で突っ走り、一気に核心に踏み込んでいく。そのためにはホラでも ハッタリでも平気で通してしまうのが正規の警察でも職業探偵でもないルパンならではのやり口だ。
 真犯人もその犯行方法も分かってから、レニーヌ はもっぱら心理作戦で相手の動揺を誘い、自白を引き出そうとする。一度はその揺さぶりに成功しかけるが相手が立ち直り、しかも巧妙な手段で証拠隠滅をやっ てしまうのだが、それを逆手にとって証拠の捏造までして犯人を自供に導く。この展開はまさに「刑事コロンボ」そのまんまである。相手が自供してからタネを 明かし、盛大に捨て台詞を吐くあたりはルパン流だが(笑)。


☆パリ西部をいったりきたり

 なぜかパリ西部方面がもっぱら舞台となるルパンシリーズ。本作でも同様で、物語の発端はパリ市民の憩いの地で、『ルパンの脱獄』以来何度か舞台となったブーローニュの森の中にあるレストラン「アンペリアル」だ。ここで偶然事件にぶつかったレニーヌとオルタンスは自動車でブーローニュの森の出口の一つ「サブロン門」を抜け、ヌイイのルール通りのオーブルユ夫人のもとへ駆けつける。なお、この話でレニーヌの専属運転手として登場するクレマンは『八点鐘』を通して何度か登場する。もちろん彼もルパン一味の一員ということなのだろう。

 殺人事件の現場となるギョームの自宅は「シュレンヌ」と だけ書かれている。シュレンヌとはブーローニュの森の西側、蛇行するセーヌ川の越えた対岸一帯だ。オーブルユの自宅がルール通りとすると、ジュトルイユは ここからオートバイに乗り、シュレンヌに行ってギョームを殺害・盗みを働き、またルール通りに戻ったことになる。ただオーブルユ夫人マドレーヌが「犯人はオートバイでサン・クルーまで行ったのです。そのオートバイのタイヤの跡が主人のオートバイと一致した」と語っており、わざわざ跡を残すためか、時間を調整するためか、ジュトルイユはさらに南のサン・クルーまで走り、そこからテルヌ広場の自宅に帰って札束を隠し、それからルール通りのオーブルユ邸にバイクを戻す、というパリ16区をぐるりと回る走行ルートになりそう。走行距離はしめて20kmぐらいになるだろうか。

 ジュトルイユ、マドレーヌとその母の三人が入った映画館は「テルヌ」にある。この「テルヌ」の映画館というのがどこにある設定なのかちょっと分からないのだが、ルール通りをまっすぐパリ方向に進むとすぐにぶつかる「テルヌ門」周辺なのではないかと思う。ジュトルイユの自宅があるテルヌ広場周辺だとルール通りからそこそこ歩くはず。ジュトルイユは上記のオートバイでの走行に加えて、ルール通りのオーブルユ邸とテルヌの映画館の間を歩いて往復しているはずで、それらを映画上映中の2時間以内に果たすのだから、歩く距離はそう長くはないと思われるのだ。

  映画上映中に抜け出して犯行をし、映画が終わる前に戻って来てアリバイ工作をするというのも当時としては新味のあるアイデアだったのではなかろうか。この 時代新たな娯楽として台頭していた映画がルパン・シリーズ中に登場するのは『三十棺桶島』に続いて二度目だが、当時の映画事情についてはこのあと、「秘密をあばく映画」というズバリの作品があるので、そちらの雑談で触れたい。


☆懐かしい名前との再会
 
 この一話はオルタンスがパリに落ち着いてから5日、とあるので1908年9月中旬か下旬の話と思われる(次の「テレーズトジェルメーヌ」は10月2日)。あのあと、オルタンスとの駆け落ちをレニーヌに邪魔されたロッシニーがこの日の朝にレニーヌと決闘、傷を負わされあっさり負けている。ルパンがサーベルによる決闘をしている描写は『813』『虎の牙』でも見られるが、年代的にはこの話における決闘が確認される最古のものか。もちろんこういう人だから決闘はしょっちゅうやってたんだろう。

 名前が言及されるだけだが、久々に国家警察部部長・デュドゥイ氏が再登場している。ルパンの宿敵・ガニマール警部の上司としてシリーズ初期以来何度となく登場したデュドゥイだが、レニーヌ公爵はすでにいくつかの事件で彼に協力していた様子。あからさまに「あいつルパンじゃないか?」と疑われそうな気もするんだが(笑)、ルパンの変装はそれだけ見事なものということにしておこう。
 さてデュドゥイ氏は『813』のなかですでに死去していることが明記されていた。その後任がルノルマンで、 『813』の事件が起きた時点でルノルマンは4年も国家警察部部長の地位にあったとされている。『813』は1912年の事件だからデュドゥイの死は 1908年のことではないかと推測されるのだが、この年9月の時点ではまだピンピンして現役続行中だったことになる。だとするとこの直後にでも急死してし まったのだろうか?

 この『水びん』、映像化は残念ながらないようだが、漫画化は二度されたことがある。
 ひとつは永井豪・安田達矢とダイナミックプロによる『劇画・怪盗ルパン』の『八点鐘』において「消えた札たば」と 題して漫画化された例。ただしこちらはページ数の都合もあってか大幅に話が改変され、レニーヌ公爵の住居の隣のアパートで札束盗難事件が発生、ガストンが 犯人と疑われるが札束の隠し場所が分からない。そこでレニーヌはアパートの大家と一芝居うち、「火事だ」と叫ばせ、慌てたガストンが隠し場所へ直行…っ て、そりゃシャーロック=ホームズの話じゃないか!
 もう一つは2008年のJET版『八点鐘』の一話。おおむね原作通りの展開になっているが火事がおこった時に部屋の中にオルタンスがそのままいたり、国家警察部から派遣されてくるのがモリソーではなくガニマールだったりといった改変がある。確かにデュドゥイもいるぐらいなんだから、ガニマールも現役なんじゃないかな。
 
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