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「ル パン、最後の恋」(長 編)
LES DERNIER AMOUR  D'ARSÈNE LUPIN

<ネ タばれ雑談その2>

☆シリーズ他作品とのつながり

 年代考証ではいろいろと問題がある本作だが、一応これまでのシリーズをふまえた部分も見られる。
 まずルパンが自分の財産の隠し場所について「エトルタの針岩やバール・イ・ヴァの川、コー地方の修道院とかに」あると明言していて、これはそれぞれ『奇岩城』『バール・イ・ヴァ荘』『カリオストロ伯爵夫人』と 関連している。ただ問題なのはルパンがそれらの土地で財宝を得た事実はあるが、それがそのまま現地にあるようなセリフになっていること。エトルタの針岩の 財宝はフランスに寄贈しちゃったはずだし、バール・イ・ヴァの金も修道院の財宝もそれぞれ現場から回収したはずだ。この辺はルブランも記憶違いを起こして いたのか、それともルパン自身がわざわざ「分散は防御なのです。銀行なんて、欲ばりどもが簡単に近づけますからね」と言ってるセリフからすると、これはやはり『大財産』より後の話で、あの事件で銀行にまとめて預けていてくすねられた反省から、以前の隠し場所に分散したということなのだろうか?(そういえば以前の隠し場所ならかえって疑われないよな)金額が百数十億フランに増えているのも注目点。

 またフルヴィエ判事のセリフで「戦争の時にはモロッコ王国を救った」という話が出て来て、これは『虎の牙』とリンクしている。その活躍を「リオティなる人物」が認めている、とあるが、これは『虎の牙』で「ローティ(Lauty)」ともじった名前で登場しモーリタニア帝国の引き渡しの会談をしたということになっていた実在の軍人ユベール=リオテ(Louis Hubert Gonzalve Lyautey,1854-1934)のことである。「モロッコ王国を救う」というのがちょっとひっかかるし、『虎の牙』のあとの話だとするといろいろ矛盾も出て来てしまうのだが、一応はそれをふまえていることにはなる。

  それと先述のようにシリーズのレギュラーキャラ、乳母ビクトワールも登場する。なぜか「乳母」としか書かれず名前が出てこないけど…。『大財産』でも登場 していたけど、今回はルパンの結婚報告まで聞き、その子どもたちも引き取ることで、ようやくビクトワールも心の安泰を得ただろうと嬉しくなる。「遅すぎたくらいです」の一言はそっけないが実感だろう。

 さらに驚いたのは、イギリスの名探偵シャーロック=ホームズ、ならぬエルロック=ショルメス(ハーロックーショームズ)の再登場だ(平岡敦氏の訳文では日本の「伝統」に従い「ホームズ」としている)。いや、実際には登場せず名前が言及されるだけだが、二か所もあるし、シリーズへの名前だけの登場なら『続813』以来のことなので、僕も原書をパラパラめくっていてこの名前を見つけた時はビックリしたものだ。
 やはり今回の敵がイギリス人だから、この名前が出て来たのだろう。ここで注目なのはイギリス諜報部の工作員でもあるトニー=カーベット「ホームズと組んだことがある」と言い出すところ。ホームズがイギリス諜報部に協力したといえば、ホームズが引退後にドイツのスパイを捕まえる第一次世界大戦前夜のエピソード「最後の挨拶」がある。もしかするとルブランはそれをちゃんと踏まえているのだろうか?

 カーベットによるとホームズ(ショームズ)は「アルセーヌ=ルパンとやり合う羽目になったら、勝負はあきらめろ。初めから負けは決まっている」とアドバイスしていたという。まぁルパンワールドでは、特に『奇岩城』でひどい目にあわされてるから、そうアドバイスするのも無理はないかも。
 またルパンの方も「ホームズから聞いてなかったか?危険な話し合いに臨むとき、わたしは前もって必ず銃から弾を抜いておくって」と言ってるが、ルパンとホームズの直接対決においてそういう場面があった記憶はない。しいてあげれば『ユダヤのランプ』でホームズの銃をいつの間にかルパンがすり取っていたことはあったが。もっともこの場面は実際にホームズとそういうことがあったというわけではなく、ルパンがホームズの名前を出してハッタリをかましているととるべきかも。なお、この場面は『赤い絹のスカーフ』におけるガニマールとのやりとりを念頭に置いているフシがあり、あの場面を覚えている読者には逆に意表を突く展開にもなっている。


☆あれこれ考証

 『最後の恋』はその舞台のほとんどがパリ北部の「ゾーヌ(場末)」の貧民街で展開される。ジュランヴィル(Jullainville)という地名がその中心として出てきて、ローマ帝国のユリアヌス帝(Julianus,在位361-363)に由来するという説明があるが、調べた限りでは実在しない地名らしい。ただし、本文をよく読むと一度だけジュヌヴィリエ (Gennevilliers)と書いている箇所があり、これはパリ北部郊外に実在する。セーヌ川に半島状に突き出していて川港があるといった説明もほぼそのままあてはまるので、ルブランはここをモデルに語感が似た名前に変えたのだと思われる(うっかり一度だけ本当の地名を書いちゃったんだろうな)
最後の恋のパリ  そこから見えるセーヌ川に「悪魔島」という丸い島がある、という描写があるが、これについては今のところ確認できない。当時は実在したのかもしれないし、 このあたりが治安も悪い貧民街であったのもすでに昔の話だと本文中でも書いているので、いろいろとこの地域も変化が激しいのだろう。

 パンタン(Pantin)という地名も出てくるが、こちらはパリ北部に実在する。ロンドンから空輸された現金袋が発見されたくだりでジュランヴィルがパンタン村とゾーヌ(場末)の間にある、と説明されている。そしてパンタンについて「『一家八人殺しの怪物』ことトロップマンの忌まわしい記憶が、不名誉な烙印として刻まれている」とある。
 「トロップマン事件」とは、1869年に発生してフランスを震撼させた殺人事件である。まずパンタン村で母親とその子供たち5人が死体で発掘された。その現場へ被害者たちをつれこんだジャン=バティスト=トロップマンと いう20歳の青年がルアーブルで海外逃亡寸前に逮捕されたが、彼はこの時点では行方不明だった一家の父親と長男が犯人で自分は連れてくる手伝いをしただけ だと主張し、当初新聞・雑誌はその線でこの猟奇的事件を大騒ぎで報道した。しかし間もなく父親と長男もトロップマンにより殺されていたことが判明、トロッ プマンは一家八人皆殺しの凶悪犯として1870年にギロチンで処刑された。当時世間を熱狂的に騒がせたこの事件の結末を見ようと処刑の日には見物客が押し 掛けて一大イベントになってしまったという。「ルパンの時代」以前の話ではあるが、ルパンシリーズに出てくる「マスコミがあおって世間が大騒ぎする猟奇的 事件」のひとつの典型例とされている。

 ヒロインのコラが「カモールの令嬢」とあだ名された由来は、第二帝政時代に活躍した小説家・劇作家オクターブ=フイエ(Octave Feuillet,1821-1890)の小説『カモール氏(Monsieur de Camors)』に ある。この小説、邦訳はないのだが著作権もとうに切れていてネット上で英語版が読めた。その全部を読み通す暇も気力もなかったが、確かに冒頭で息子あてに 遺書を書いてピストル自殺するカモール氏の父親が描かれていて、シチュエーションはよく似ている。ルブランがなぜこの一昔前の人気作家の小説を引用したの かは分からないし、作中人物のカモール氏がレルヌ公爵の友人となっているのも理解しにくい。

 コラが読んでいる本として挙げているのがギュスターヴ=フロベール(Gustave Flaubert、1821-1880)『感情教育(L'Éducation sentimentale)』と、ウジェーヌ=フロマンタン(Eugene Fromentin、1820-1876)『昔日の巨匠たち(Les maîtres d'autrefois Belgique-Hollande)』だ。 こちらはいずれも有名な作家の代表作で邦訳も出ているので、興味のある方は読まれたい。フロベールといえばルブランにとっては同郷の大先輩で憧れた大作家 だし、フイエもフロマンタンも同じ時代を生きた作家たち。ルブランがかつて純文学青年だったころの趣味がこの最晩年の作でチラリと見えた、ということかも しれない。

デヴォンシャー公爵夫人像 コラがトマス=ゲインズバラ(Thomas Gainsborough、1727-1788)の描いたデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ(Georgiana Cavendish、Duchess of Devonshire、1757-1806)の肖像画をそっくりコピーしたファッションをしたと言ってるが、右に挙げたのががその肖像画の一例だ。このジョージアナという女性は18世紀後半のイギリスにあって奔放な人生を歩んだファッションリーダーとして名高く、最近「ある公爵夫人の生涯」という邦題の映画にもなっている。ゲインズバラが描いた彼女の肖像画はいくつかあるようだが、もっとも有名なのがこれ。コラがこの絵をマネたのかどうかは確定できないが、彼女がパッと目立つ美女だという印象はこの絵だとわかりやすい。

 ルパンがいきなり大財産の大半をポンとくれてやってしまうのが、科学者アレクサンドル=ピエール「深海を流れる海流の熱を利用する科学的プロジェクト」だ。 いわゆる「海洋深層水」のことだと思われ、調べてみると1930年代にフランスでその低温性が注目され研究もあったというから、ここで言ってるのもそのこ とではないかと思う。「熱を利用」というから、温度差発電のことかもしれない。ともあれ、この時点でははるか未来に実現する研究なわけで、そこにポンと投 資してしまうルパンの先見性というか太っ腹というかがうかがえる。以前ほど財産に固執しなくなったみたいだし、まだまだ余裕があるみたいでもある。

 ジョゼファンが「ラジオが企画した団体にまじって」以 前ミュージックホールに行ったことがあると言っているが、調べてみるとフランスにおける本格的ラジオ放送はまさにこの1922年から始まっているそうで、 ジョゼファンが「以前」にその企画の団体にまぎれこむのはまず無理。他の作品にも言えることだが、ルブランは執筆段階の1930年代のつもりで書いてし まっているのだろう。


☆イギリスの世界戦略?

 本作ではルパンの敵はイギリス諜報部とその手先であり、問題となるアイテム「理の書」にはイギリスの世界戦略に関わる文章が含まれている。これ までドイツを敵視する表現は多かったルパンシリーズだが、この作品ではイギリス、特にその支配者層がかなり敵視されていて、読んでみてちょっと驚いた。一 応ラストの方の諜報部部長とルパンの対話ではそれなりに相手の立場を理解してるところもあって、かつてのドイツに対するような単純な敵視ではないのだが、 やはりイギリス人が読んだら気を悪くしそうな描き方ではある。また、話にイギリス王室も関わってくるのも気になる点だ。

 もちろん本作に登場する「オックスフォード公エドモンド」なる人物は実在せず、「オックスフォード公」という地位そのものが架空のもの。ただイギリス国王の甥とされ、王位継承がほぼ確実であるように書かれつつ、「現王の弟が健在だからそれはない」ともあり、他の国の王になる可能性が言及されるなど、今一つその立場がはっきりしない。さすがに実在の地位・人物を出すとまずいから架空のものにしてボカしたのだろうが、推敲不足のせいか混乱もあるようだ。
 一応1922年時点でのイギリス国王を確認しておくと、ジョージ5世(在位1910-1936)ということになる。『最後の恋』は1936年に一応書き終えたそうだから、ルブランはジョージ5世が現国王と認識していたはずだ。

  このオックスフォード公エドモンドとコラの結婚話と並行して、エドモンドの秘書トニー=カーベットらイギリス諜報部員たちがルパンが先祖から受け継いでい る「理の書」を奪おうとする。この話の組み合わせがどうもスッキリしないのが困ったところで、最初の方で出てくる「四銃士」のうち二人が実は諜報部員(しかも一人は部長)だったというのも唐突に過ぎる。この辺も明らかな推敲不足というか計画倒れを感じるところで、冒頭のレルヌ公爵の遺言にあった「四銃士のうち一人がルパンだ」という謎かけも含めて、うまく書けば結構面白い話になったように思えて残念な所。

 もう一つ困ったところは、ナポレオンが入手し、ルパンが先祖から受け継いだこの「理の書」がそんなに重大なものとはとても思えない、というところ。この本の英語版にはかの百年戦争のヒロイン、ジャンヌ=ダルクが 集めたという「イギリス政治の大方針」が書かれているといい、その一部としてイギリスがケープ、すなわち南アフリカからアフリカを征服する計画を示す詩文 が紹介されているが、よく考えるとジャンヌ=ダルクの時代にアフリカ南端の知識があるはずはない。そこからして怪しげな本なのだが、どうもこのほかにもイ ギリスの世界戦略が書かれているらしい。イギリス政府はその方針に従って植民地政策を進めて行った、ということになるようで、それが当初『千年戦争』のタ イトルで書かれた歴史小説の構想だったのだろう。
 ともかく、イギリス諜報部が必死になって奪い取らなきゃいけないほどの内容とも思えず、ルパンも一字一句同じに書かれた複製をアッサリ渡してしまっているから、ナポレオンと先祖ゆかりの品ということ以外特に価値を認めていないようだ。

  少々気になるのが、本作でなぜイギリスが批判的に描かれるのか、ということ。これは執筆時のルブランがそういう心境だったからとしか思えず、何か執筆当時 にイギリスが世界戦略で何かルブランのカンに障ることでもしてたかな、と調べてもみたのだが、これといって思い当たるものがない。1930年代というとむ しろナチス・ドイツの台頭がフランスでは気になっていたところだと思うのだが…

 1922年を物語の舞台にした理由もそれに関わるのかな、と思い、調べたのだけど、やはりこれといったものがない。ルパンが「東洋(Orient)で起きている事件やここ数年の外交」を 批判しているが、第一次世界大戦後のオリエントというと、オスマン帝国に対して「アラブの反乱」をけしかけたりユダヤ人国家建設を唱えたりしたイギリスの 「三枚舌外交」の批判なのかな…とも思えるのだが、フランスもオスマン帝国領の分割に参加したし世界に植民地を広げていたから、あまり人のことは言えな い。まぁこの作品ではルパンはかつて見せたようなフランス国家との一体感はあまり感じられず、その点は切り離しているのかもしれないが。


☆ドロボウは平和を愛す

 物語のラスト、ルパンとイギリス諜報部部長の舌戦は、この小説の大きな読みどころとなっている。二人は相手に一定の敬意は表しており、部長の方はルパンの才能を見込んで「自分たちと一緒にやらないか」とまで持ちかける。しかしルパンは「きみの組織は好きになれん」と拒絶している。ルパンはイギリスの覇権主義とイギリス諜報部の手段を選ばぬやり方、ことに邪魔者に対しては殺人も辞さないやり方を痛烈に批判するのだ。諜報部部長はそれは国家を愛するがためだと正当化するが、ルパンはより素朴に「人を殺すのが大嫌いでね」と言ってのけている。ま、過去には『虎の牙』みたいに戦争と国家のためなら殺人も無意識に正当化していたこともあるルパンだが(あれは非欧米人だから、でもあるが)、もともと犯罪者ながらも殺人をタブーとする泥棒としての矜持を感じるところでもある。「わたしは紳士的な盗賊だが、きみの工作員たちは盗人みたいにふるまう紳士というわけだ」はまさに彼ならではの名セリフだ。

 この作品がルパンとイギリス諜報部との戦いを描く、と聞いて、どうしても思い浮かんでしまったのが「ルパン対007」というフレーズだ。イギリス諜報部MI6の007号ことジェームズ=ボンドの活躍はイアン=フレミングの小説よりも今なお続く映画シリーズでおなじみだが、007が「殺しのライセンス」を持っているという設定がある。作戦遂行のためには殺人も許可されているというわけだが、この『最後の恋』でルパンがそれを指摘しているのが興味深い。
 「007」シリーズの第一作「カジノ・ロワイヤル」が 発表されたのは1953年で、ルブランも没後のこと。だからルブランが007を意識して書いたわけはないのだが、なにやら予言めいていて面白い。だいい ち、以前からルパンファンの間で言われていることだが、「007」シリーズの主人公の超人ぶり、エピソードごとに「ボンドガール」なる異なる美女と恋愛す る、結婚するとすぐ相手が死ぬ、秘密兵器の登場や二転三転するスピーディーでサスペンスフルな冒険展開など、ルパンシリーズの強い影響下にあるように思え るフシが多い。「007はルパンの息子みたいなもん」と僕もよく言ってるのだが、ルパンの最終作でこうしてつながりができてしまったのも因縁めいている。 最近作られた007誕生を語る映画「カジノ・ロワイヤル」のヒロインを演じたのが、怪盗ルパン誕生を語る映画「ルパン」のヒロインを演じたエヴァ=グリーンであることも、単なる偶然だけど不思議な縁があるなと思わされる。

 話を戻して、ルパンはイギリス諜報部とイギリスの世界政策に強い不満をぶつけている。そしてそれに対して自分はどうするのか、自身の第二の人生の方針を高らかに宣言する。

「き みたちの政策は、世界中で戦争を引き起こすことしか考えていない。でもわたしの夢は、世界平和を打ち立てる助けになること、それだけだ。これからはその志 のために、身を捧げたい。平和は可能だ。それは単に言葉だけのものではない。いつかきっと世界中に、平和がいきわたるときが来る。わたしはそのために協力 したい」(平岡敦訳)

 この台詞を読んで、僕はたまげると同時に感動してしまった。ああルパン、なんとまぁ、あなたはそこまで徹底した平和主義の境地に達したのか!かつてのドイツへの敵愾心やフランス愛国心の権化みたいだった時代からすれば、この境地は驚きで、年老いたからこそたどりついたものなのだろうか(といっても自称四十だが)。 第一次世界大戦後に戦争の根絶と国際協調の風潮が強くなったのは確かで、ルブランがこの話の年代を1922年に設定しているのもそのためかとも思うのだ が、ここまで世界平和への理想と、その実現への確信を唱えたフィクションキャラクターのセリフというのも記憶にない。この台詞からすればルパンはこのあと 世界平和実現のために世界を改革することに第二の人生を捧げたとしか思えない。小説のラストのセリフでも「最後の冒険ではないかもしれない」って言ってたし。

  言うまでもなく、現実は厳しい。この作品が書かれた時点ですでに世界は第二次大戦に向けて着実にキナ臭くなっており、ルブランもそれを肌で感じていたは ず。それだけにいっそう平和への理想をルパンにとなえさせた、ということかもしれない。それから70年以上が経った今でも「平和は可能だ。それは単に言葉だけのものではない。いつかきっと世界中に、平和がいきわたるときが来る」と いうセリフが全く輝きを失わずに使えるというのは、人間進歩がないってことなのかもしれないが…余談ながら、ホームズ物語を21世紀に舞台を移して評判に なったドラマ「シャーロック」で「アフガニスタン帰り」という設定が100年の時を超えてそのまま使えた、というのはイギリスの世界政策が実はそのまんま だということかもしれない。

 イギリス諜報部部長はそんなルパンに「現実を見る目が欠けている」と皮肉るが、ルパンは「理想主義のほうがずっとすばらしいさ」と笑ってやり返す。そのカッコよさと言ったら!人殺しを嫌うドロボウさんが最後に到達した平和主義の境地に、筆者は素直に感動し、改めてルパンに惚れ直してしまった(笑)。
 まさに「ドロボウは平和を愛す」。説明不要とも思うけど、これは宮崎駿が 演出した「ルパン三世」第二シリーズの最終回「さらば愛しきルパンよ」の脚本段階のタイトルだ。お孫さんの話とここでちゃんとつながってくるのも何かの因 縁。この境地に達したルパンが、妻と子どもたちと乳母に囲まれてハッピーエンドとなるラストシーンに、僕は不覚にも泣けた。そして本当に「さらば愛しきルパンよ」という心境になったものだ。

  未完成段階だし、それでなくてもいろいろと困ったところのある『最後の恋』だが、事前の想像以上にルパンの泥棒人生の終わりを描き切っていた。「ルパン 史」研究の上では「正史」と扱っていいのかどうか若干迷いもある作品だけど、この感動のラストのためだけでもルパンシリーズの最後を飾る作品として公認し ていいと思う。長々と書いてきたこの「ネタばれ雑談」もルブラン正典についてはここでついに終わり。自分でも素敵な締めくくり方にさせてもらえたとルパン とルブランに感謝したい。


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