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「赤い 絹のスカーフ」(短編)
L'ÉCHARPE DE SOIE ROUGE
初出:1911年8月「ジュ・セ・トゥ」誌79号 単行本「ルパンの告白」所収
他の邦題:「真紅の肩掛」「真紅のシヨール」(保篠龍緒訳)「赤い絹の肩掛け」 (創元)「赤い絹のシヨール」 (新潮ほか)「赤い絹マフラーの秘密」(ポプラ))など

◎内容◎

 自宅を出たガニマール警部は、路上で不審な行動をとる老人を見つけた。犯罪のにおいを感じてこれを尾行するが、行った先に待ち受けていたのはなんと宿敵 アルセーヌ=ルパンその人だった!ルパンはセーヌ川から拾った数々の物件から未知の殺人事件に関する推理を披露、その解決をガニマールに持ちかけて逃げ 去った。果たしてルパンの推理どおりに歌手の他殺体が発見される。ルパンの推理にもとづいて容疑者を逮捕したガニマールだったが、決定的な証拠物件を欠い ていた。さて、ルパンの真の狙いは?



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆カトリーヌ
ガニマール家の家政婦。

☆ガニマール
国家警察部の主任警部。ルパンの宿敵。

☆ジェニー=サフィール (サファイア)
シャンソン喫茶の歌手。他殺体で発見される。

☆ジャン=デュブルイユ
ロシア人の外見をした自称元大臣。

☆デュドゥイ
国家警察部部長。

☆プレベーユ(プレヴァイ ユ)
本名はトーマ=ドゥロックで前科あり。競馬場の常連で持ち馬もある。

☆ペンキ屋の職人
ロッシュロール公爵の屋敷の一角を借りて開業しているペンキ職人。


◎盗品一覧◎

◇ジェニー=サフィールのサファイア
歌手のジェニーが赤い絹のスカーフの中に隠していたもの。彼女がロシア宮廷のさる人物からもらったものだという。


<ネタばれ雑談>

☆ルパンシリーズを代表する傑作短編

 本作『赤い絹のスカーフ』は、ルパンシリーズの短 編全37作(確認される限り)中の最高の一本として 紹介されることが多い。フランスのみならず世界中の短編ミステリ・アンソロジーで、いわば「ルパンシリーズ代表」として収録されることも多く、日本でも江戸川乱歩が1957年に編んだ「世界短編傑作集」にこの作品を選んでいる(創元推理文庫版全5巻中の第2巻に収録されている)
 この一編が「傑作」とされる理由はいくつか挙げられるが、まずなんといっても短編の命、話の構造と運び方が上手い。ルパンが宿敵ガニマール警部をおびきよせ る作戦から始まり、推理の提示、事件の捜査、そして二度目の会見。そこで明かされるルパンの真の狙い、そしてまんまと逃走していく痛快なラスト…と実に無 駄なくコンパクトに面白さが詰め込まれている。
 また「推理もの」としての要素も強い。ルパンは死体も現場も見てはいないが、手に入れた証拠物件だけから事件の全貌を推理してしまう名探偵ぶりを発揮す る。自らは捜査しないという点では「安楽椅子探偵」のバリエーションといえなくもない。それでいて彼は同時に「泥棒」の本業もちゃんとやっているわけで (笑)、正統派の名探偵とは一味違った、犯罪者ならではの推理力の応用を見せてくれる。こうしたところが本作を他の名だたるミステリ短編と並べて収録させ ちゃう原因なのだろう。

 ところで「告白」シリーズの第5作として「ジュ・セ・トゥ」誌上に発表された本作だが、シリーズ連載開始前の予告ではその名前すらも出ていなかった。予 告されていたのは『太陽のたわむれ』『結婚指輪』『影の合図』『う ろつく死神』『蝋マッチ』『ニコラ・デュグリバル夫人(→地獄の罠)』の6作だけだったのだ。このうち『蝋マッチ』は結局未発表のままその 原稿すら発見されておらず、その代わりにこの『赤い絹のスカーフ』が発表されている。事情はまったく不明だが、何かの理由で『蝋マッチ』がボツとなったか 原稿が紛失したかして、急遽新たに執筆することになった、あるいは発表予定ではなかったアイデア原稿を作品化した、はたまた実は『蝋マッチ』を改作した… などな どの推測ができる。どっちにしても『赤い絹のスカーフ』の誕生はハプニングによるものだった可能性が高く、それが最高の傑作とされちゃってるんだから世の 中分からない。

 本作中にルパンがガニマールに「デュグリバルのことでは逮捕に来 るのを待っていなかった」「うろつく死神からお嬢さんを救ってあげなければ」と話しているので、年代的には『地獄の罠』の直後、『うろつく 死神』の直前(同時期?)ということになる。もともと『うろつく死神』のほうが『地獄の罠』より先に発表される予定だったので、本来はこの年代順も異なっ ていたのかもしれない。事情は不明だがルブランは急遽この作品を間に割り込ませるにあたってちゃんとリンクも加えているんだからたいしたものだ。
 この事件は11月28日から始まり、12月28日で終わると明確に分かっているが、残念ながら年については明記がなく、1904〜1907の間のどこ か、という程度しか分からない。、


☆『赤い絹のスカーフ』でパリを散策

 この物語は「パリ散策ガイド」の名作でもある。ルパンシリーズはほとんどパリを舞台にしているが、一つの話の中でパリの街中をテクテク歩いていく話はそ う多くない。和田英次郎氏も著書『怪盗ルパンの時代』の 中で『ルパンの脱獄』とともにこの『赤い絹の肩掛 け』をパリ散策コースに取り上げている。

 ガニマール警部の自宅がパリ北西のはずれ、ペルゴレーズ通りに あることは、すでに『金髪の美女』で明らかとなって いた。このペルゴレーズ通りから分かれるデュポン通りには『813』アルテンハイム男爵の屋敷があり、意外に近所(笑)。ガニマール警 部の勤め先はパリ中心部のセーヌ川の川中島シテ島にある パリ警視庁。地図で見ると直線でだいたい6kmぐらいの通勤距離だ。歩いていけないこともなさそうだが、乗り合い馬車やバス、あるいはこの作品のころには 開通していた地下鉄を利用して通勤していたのではなかろうか。地下鉄については後述。
 ところが自宅からペルゴレーズ通りに出たところでオレンジの皮を道にまく不審な老人を発見。これを追跡してグランタルメ大通りに出ると、道の反対側を歩いている少年が老 人と歩調を合わせて壁に十字マークを書いていく。いよいよ不審に思って尾行を続け、フリードランド通りからフォーブール・サン・トノレへと進む。そしてボーボー広場について内務省エリゼ宮(大統領官邸)の前でも不審な行動を続け、内務省の脇 からシュレーヌ通りに進み、ここにある古い建物に入って いく。ここでルパンとご対面…となるわけだ。地図にすると以下のようなコースだ。



 なお、このルパンがガニマールをまんまとおびきよせる奇抜なトリックは、江戸川乱歩が少年探偵団シリーズの第1作『怪人二十面相』で小林少年をおびきよせるトリックとしてその まんま使用されている。まぁ怪人二十面相じたいがルパンをそのまんま和製版にしたものであるわけだが…。大正時代に松居松葉という作家が書いた「夜半の声」という作品でもこのくだりがそのまんま使われてい るそうで。

 ガニマールにルパンが殺人事件の推理を披露するが、その証拠の物件はシテ島にかかるポン・ヌフ橋からセーヌ川に投げ落とされたものだった。「ポン・ヌ フ」とは「新しい橋」という意味なんだけど、実はパリ市内に現存する最古の橋であったりするからややこしい。
 ルパンがいきなり「1599年10月17日…」と 切り出し、アンリ4世(在位1589-1610)の時代の話をするかと見せる冗談場面が ある。これは現在のポン・ヌフ橋がアンリ4世の時代に建設され、1607年に完成した史実をふまえたもの。ポン・ヌフにはアンリ4世の銅像も建てられてい る。橋の上部は車も通れるように近代的に改造されているが、外観や基本構造はこの400年変わっていないそうで。
 ルパンの推理どおり、犯人プレベーユはポン・ヌフのすぐ近くの「オー ギュスタン河岸」の中二階に住んでいた。オーギュスタン河岸はシテ島と向かい合わせのセーヌ左岸(つまり南岸)にあり、パリ警視庁のあるオ ルフェーブル河岸の川向こうにあたる。


シテ島をまたいでセーヌ川にかかる現在のポン・ヌフ橋を西側から。
右側にオーギュスタン河岸がある。
(Wikipediaより拝借)


 ルパンに逃げられたガニマールはそのままシテ島の警視庁に出勤。ところがここで「ベルヌ通りで殺人事件」との報を受け、そちらへと駆けつける。ここで 注目はガニマールが地下鉄を使い、ベルヌ通りにわずか20分後に到着していることだ。
 ベルヌ通りは、サン・ラザール駅のやや北、鉄道線 路沿いにある。サン・ラザール駅の絵でも知られる印象派の画家モネが この通りに住んでいたこともある。ここに最寄りの地下鉄駅となると、地下鉄2号線の「ローム」駅か、地下鉄3号線の「ユロープ」かということになるか。問題はシテ島から20分でつけ るのはどちらか、ということだ。

 ここでいったんパリ地下鉄「メトロ」の歴史について確認しておこう。パリの地下鉄は1900年のパリ万博にあわせて建設さ れた。最初に出来たのが「1号線」で、パリ中心部を 東西に貫いている。その年の暮れにパリの北側をまわる「2号線」が 部分開通し、1903年までに現在のほぼ全線が開通。1904年にはパリ中心部のやや北を貫く「3号線」が開通した。『赤い絹のスカーフ』は年代の明記はな いが、だいたい1904年以降、1907年以前の時期と推定されるから、当時の地下鉄路線はまだ左図のような状況だった。
 シテ島から北へ歩き、レオミュール・セバストポル駅あ たりから3号線に乗り込んで直接ユロープ駅へ、というコースも考えられなくはないが、このシチュエーションからするとガニマールはシャトレ駅から1号線に乗り、エトワール駅で2号線に乗り換え、ローム駅で降りたと考えるほうが 自然ではないだろうか。どっちが正解なのか、パリ在住者か旅行者にお聞きしたいところ。
 パリ地下鉄の地上との出入り口はエクトール=ギマールが デザインしたアール・ヌーヴォー調の装飾がなされている。この「メトロ様式」の出入り口は今日でもそのまま使われている。下図は例によって Wikipediaの仏語版から拝借してきたシャトレ駅とローム駅の出入り口の写真だ。100年前にガニマール警部が現場へ駆けつけるべく出入りする様子 が目に浮かぶじゃありませんか!



シャトレ駅入 り口。
ローム駅入り 口。


☆その他いろいろ

 この作品でルパンは二度変装して登場する。一度はロシア人、もう一度はペンキ職人だ。
 『ルパンの冒険』の雑談でも触れているが、ルパンシリーズを読んでいるとしばしば「ロシア人」が登場する。ヒロインの一人ソニア=クリチノフがそうだし、後期の作品『特捜班ビクトール』アレクサンドラもそうだ。戯曲『アルセーヌ=ルパンのある冒険』でもロシア人のモデル男性が セリフ中のみながら登場していたし、そもそもルパンが『813』セルニーヌ公爵のようにロシア人になりすましていることがある。『ルパンの脱獄』によればサン・ルイ病院で医学を学んだ際にも ロシア人学生になりすましていたというからかなり年季が入っている。それだけ当時のフランスはロシアと結びつきが強く、なおかつパリ市内にはロシア人があ りふれて存在していたということだろう。
 それにしてもガニマールがルパンの変装を見て、すぐにロシア人と感じた根拠はなんだろう。よく読むとこの男が着ているのが「アストラカンの毛皮」だとガニマールが見当をつけている。 「アストラカン(アストラハン)」とはロシア南方、カスピ海に面した都市で、この地方の子羊の毛皮を使った織物が「アストラカン」と呼ばれるようになっ た。現在広く「アストラカン」と呼ばれているものは本物の子羊の毛皮ではなく「それに似せたもの」らしいのだが、この当時はそれを見ただけで「ロシア」と 感じるものだったのかも。

 この事件の被害者であるジェニー=サフィールは偕成社 版の訳では「シャンソン喫茶の歌手」となっている が、原文の「カフェ・コンセール」は「喫茶」というより 「食事つきライブハウス」の雰囲気のほうが適切のようだ。当時のカフェ・コンセールはシャンソン歌手のみならず様々な芸能人・芸術家が集まって交流する場 でもあり、新しい文化の発信源ともなっていた。

 ラストの対決で、ルパンがガニマールに「あんたの家の家政婦のカトリーヌばあさんが火薬に水をかけておいた」とウソをついてまんまと騙すのは、 まさに「ウソツキは泥棒の始まり」というコトワザが西洋 でも成り立つことを証明するものだが、ルパンが実は常にガニマール宅の情勢をうかがっているということでもある。すでに『金髪の美女』でガニマール宅に女 スパイをもぐりこませた例もあった。
 ルパンに毎度バカにされ道化役にばかり見えるガニマール警部だが、この『赤い絹のスカーフ』中でも世間ですでに大変な名声を得ていたとあるし、ルパンを 追ってヨーロッパを駆け回り、一度はアメリカで逮捕した敏腕警部なのだ。ルパンだって当然気にはしているのだ。この話でさんざルパンにコケにされたガニ マールにルブランも悪いと思ったのか、このあと『白鳥の首のエディ ス』でその敏腕刑事ぶりが描かれることになる。

 「24時間戦うドロボウ」であるルパンが、この事件と同時進行で他のいくつかの冒険に首を突っ込んでいることが彼のセリフから知られる。列挙すると「ロンドンでの盗み」「ローザンヌでの盗み」「マルセイユの子どもすりかえ事 件」「うろつく死神から少女を救う」の4つで、このうち最後のものは『うろつく死神』として小説になっている。他の、とくに「マルセイユの 子どもすりかえ事件」は実際に小説化する計画だったのかもしれない。のちに『八点鐘』の一話として書かれた「ジャン=ルイの場合」の原型だったかも。

 ルパンシリーズ最高の傑作短編とされる『赤い絹のスカーフ』は、漫画化もされている。森元さとる作画で月刊マガジンGREATに連載された古典ミステリ短編紹介シ リーズ「mistery classics〜よみがえる名探偵達〜」(講談社刊)の単行本第1巻は「アルセーヌ・ルパン編」となっており、ミステリ色の強い『赤い絹の肩掛け』『バカラの勝負』『テレーズとジェルメーヌ』の 3本が収録されている。
 この漫画版『赤い絹の肩掛け』は創元版を「原作」としているため「リュパン」表記で統一され、おおむね原作どおりの展開になっているのだが、唯一あのラ ストが変更された。カトリーヌばあさんウンヌンの話ではなく、容疑者が左利きであることを教えられたおかげで命を救われたガニマールが恩返しの意味でルパ ンを逃がしてやるという「男気」のある話に変えられているのだ。

 フランスのTVドラマシリーズ(ジョルジュ=デクリエール主演)で も『赤い絹のスカーフ』と題した一編があるが、ストーリーはほとんど別物。ジェニー=サフィールとルパンが以前つきあっていた設定で、サフィールと結婚し た富豪プレヴァイユの真意が宝石狙いだと悟ったルパンが、サフィールを救うべく変装して乗り込んでいくという内容だ。ゲルシャール(ドラマ版におけるガニマール)を例の作戦でおびきよせるくだ りが原作に近いが、最終的にルパンとゲルシャールが協力し合うという変わった一編となっている。


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