ひのでやエコライフ研究所  かんきょうもんだい一日一言

 ごみの分別が定着した謎

1999年4月17日
 「混ぜればごみ、分ければ資源」というのは、日本でごみの分別回収の先駆けといえる沼津市で標語として用いられたとされるものです。今となっては当然のことですが、当時は「なぜごみなどを分けなくてはいけないんだ」といった反発も大きかったようですね。
 沼津市が分別を始めたのが1970年代だったと思います。そのごみ問題が大きくクローズアップされ、80年代はなんやかんや言って分別回収が広まりはしましたが、 分別回収を始めるにあたっては大変だったようです。「手間を市民にかけさせるのは間違っている」と、正面から反発した政党もあったようですね。

 それが今となっては、分別するのが当然だという風潮に見事に変わってしまいました。京都市は数年前まで空き缶すら回収していなかったのですが、市外から転入してくる人はたいてい分別することに慣れてしまっていて、市が回収しないことが許せないというので、市役所に電話がかなりかかったようです。分別は個人にとっては非常に手間や時間がかかることには今も昔も変わらないのでしょうが、慣れてしまえば何も考えなくてもできるものなんですね。逆に、せっかく分別しても、自治体が分けて回収してくれないなどによって無駄になることには、非常に憤りを感じるようになるようです。
 環境家計簿のアンケートでも、「市が回収してくれたいいのに」といった感想はよく見かけますし、京都市ではビンと缶とペットボトルを同じ袋に入れて出していいことになっており、「わざわざ家で分けているのにいっしょにして出してくれというのは役所の怠慢だ」といった感じの意見もよく聞かれます。

 今までは先ほどの沼津市が、ビンの色分けまで含めて10種類くらいの分別で、種類数で日本一を誇っていたのですが、各地でより細かい分別を実施するようになっており、今では水俣市が一番なんでしょうかね。20種類くらいに分けているようです。
 まあ数を分ければそれだけいいという話ではないんですけれどもね。こんな分別にまで市民が協力するようになっているというのは驚きでしょう。

 ごみの分別は、最初は「自分にとっては負担」であって反対が多かった取り組みが、世の中に広まって当然のこととして社会に受け入れられるようになっていった、面白い事例だと思います。こんなことが「省エネ」や「脱自動車=公共交通の利用」など他の環境問題にもあてはまるといいですね。
 なぜ分別がこれだけ受け入れられたのか、ちょっと詳しく調べる必要はあるかもしれません。
 

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