全体会合で面白い話がされていました。「教育」分野の議論というのは、お堅い先生ばかりが、重箱の隅をつつくような話をしているものと思っていたのですが、とんでもない。私が10年くらい前に受けてきた「教育」のかなりの部分をひっくり返してしまおう、そうしないと子供が育たない、といった感じの印象を受けるほど、信じられないような議論で盛り上がっていました。子供の「生きる力」を引き出すんだとか、話を聞いていると、涙が出てくるくらい見事なものなんです。
しかし・・・・これほど熱がこもった話がされていても、日本全体としてはなかなか動かないんでしょうね。われらが廃棄物学会(*)も、このくらい積極的な議論が始まらないと、社会は動いていかないのかもしれないなあと、感じました。環境教育は学校の中だけで完結するものではなく、地域社会とのつながりが重要であることがよく言われていますが、それと並んで「環境NGO」の名前が頻繁に取り上げられていました。 環境の取り組みを専門にしている人の話、また一見ふつうの「おじさん、おばさん」が環境に対してどういう思いを持って活動しているのかといった話は、身近に感じられるようです。
学校(教師)側としては、環境の問題を教えるにあたって、生活の場やそこに生きている人たち、環境の専門家などの協力が得られたら、児童生徒が体験するのに都合がよく、学校側としては教育委員会なども含めて、NGOや市民の受け入れ態勢を整えるべきという話があがっていました。協力関係が大きく求められているのは確かで、お互いを結びつけるコーディネーター役が必要であること、いずれは環境教育を行う専門職が求められることなどが提案されていました。一方で市民運動の側にも、単に学校教育のリソースとして使われるだけではなく、新たな教育の在り方を提案する必要が求められています。社会全体が変わっていく中、学校システムのオルタナティブを提案していくべきという話もありました。
なかなか最後の市民運動側からの提案というのは、困ったことですね。ようやくCASAでも環境教育について学ぼうかと企画を始めた段階で、とりあえず現状を知ってみようといった程度です。本来ならば、「こうしたことを学んでおくことが世の中に役立つ」とか「生活の中でこれを知っておくことが環境のために重要」などというポイントを指摘し、生徒を学校の外に導き出してこないといけないんですよね。これから反省して取り組んで行かなくてはと思います。
思い出すのは、COP3で会場前でイベントをしていたとき、高校生らしき二人が声をかけてきたことです。わざわざ関東から、日本でこんなに大変な会議が行われているので居ても立ってもいられなくて会議場まで来たそうです。パスがないために入れず、困っているということ。思わず私のパスを貸してしまいましたが、これが「NGOとして協力できること」だったのかなあ。
彼らは非常に喜んでいたのですが、その後どうしたんでしょうかね。
(*)当然のことですが私がしきっているわけでもなんでもありません。単に学会費を納めている一会員です。
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