☆☆祝! Let's Go TOKO 10周年☆☆

1 :pochikoの母 ★:2010/08/03(火) 18:14:40 ID:???0
2000年8月9日にスタートした当サイトが、まもなく10周年を迎えます。
管理人でいらっしゃるtomoさん、おめでとうございます!
当初は1日20アクセスくらいだったと記憶しておりますが、積み重ねてもうすぐ200万アクセス。
一度も閉鎖されることなく継続してきた蔭には、色々とご苦労がお有りだったことでしょう。
春1回、夏3回の甲子園出場を、このサイトと共に見届けることができ、
本当に嬉しく思います。

また、当サイトになくてならない存在となったPhotoコーナーを担当されています
町田市民さんのご尽力にも、頭が下がる思いです。

私事ですが、最初は軽い気持ちで参加して以来、まさか10年も
こちらに関わらせていただくとは思いもよりませんでした。
数々の失敗にも励ましの言葉を頂戴し、感謝の気持ちでいっぱいです。

この10年間を振り返って、メッセージを宜しくお願いいたします。
私も原点に返るつもりで、年譜をまとめております。
秋の大会までの合間を縫って、書かせていただこうかなと考えています。

2 :マシュー ★:2010/08/03(火) 19:15:27 ID:???0
もう10年になるんですね!
月日の経つのはホントに早いです。
tomoさん、おめでとうございます♪
僕がLet's Go TOKOを知ったのは桐光野球部甲子園初出場となった
2001年の選抜前でしたからサイトが開設されてから半年足らずの
頃だったのですね。

友人から「桐光の野球部を応援するサイト見つけた。」という
話を聞いて、別の友人の家のパソコンで初めて見た記憶があります。
当時は自宅にパソコンがなかったですし確か携帯からLet's Go TOKO
を見る事が出来なかったのでLet's Go TOKO目当てにその友人の家に
よく遊びに行ったものです。 ^^

そして主にLet's Go TOKOを見るために、その年の年末にパソコンを
買いました(笑)
ちなみにその時に買ったパソコンで今、書き込みしています。
個人的には、桐光野球部夏の甲子園初出場となった2002年に初めて
マシューという名前で書き込みしました。
このサイトを通じてたくさんの桐光野球部ファンの方や父母会の方と
親しくさせて頂くきっかけを与えて貰った事にも感謝したいです。

それにしても10年で200万アクセスは凄いですね!
次の10年も、いや20年も30年もそれ以上、Let's Go TOKOが
続く事を祈っております♪

3 :クチバシちゅん子:2010/08/03(火) 19:47:12 ID:MVgheCN60
管理人のtomoさん、10周年おめでとうございます!
半年ほど前から書き込みをさせていただいております、
クチバシちゅん子と申します。

私が初めてこのサイトを知ったのは2002年夏、
甲子園が決まった時だったと記憶しております。
もう8年間もこのサイトで楽しませていただいております。
月日が流れるのは早いですね!

また、PHOTOコーナーの臨場感あふれる写真。
毎回更新されるのが楽しみです♪
気に入った写真は携帯電話に送信して、
待受画面として使わせていただいております。
町田市民さん、どうもありがとうございます。

これからもLet's Go TOKOと桐光野球部を
応援し続けたいです☆
どうぞよろしくお願いいたします♪

4 :pochikoの母 ★:2010/08/03(火) 20:04:28 ID:???0
【2000年夏〜2001年春】
2000年7月31日 県大会決勝で横浜に3−5、逆転負け...
8月9日 Let's Go TOKO スタート
10月8日 秋季県大会初優勝 桐光5−3藤嶺藤沢
     (石井君、藤崎君アベックHR)
10月30日 秋季関東大会(茨城県) 1回戦 桐光5−1拓大紅陵(猪原君力投)
10月31日 同2回戦 桐光3−4水戸商
     (3−3で迎えた9回に犠飛で勝ち越され、惜敗。4強を逃し選抜は微妙に...)

2001年1月31日 第73回選抜高校野球 出場決定!
(関東大会ベスト8止まりながら、個々の選手の能力が高く評価され選出される)
        当サイトの1日のアクセス数が、初めて100を突破!
3月15日 組合せ抽選の結果、初戦の相手は智弁学園に決まる。
     この頃発売された「甲子園の星」の表紙を、野球部全員で飾る。
3月25日 選抜高校野球開会式(雨中の入場行進、桐光ナイン初めて甲子園の舞台に立つ)
3月29日 2回戦 桐光5−2智弁学園
     (猪原君、智弁打線を5安打に抑える。7回2つの押し出し死球、天野君タイムリー、
     得意の本盗決め、一挙5点。桐光甲子園初勝利!)
4月1日 3回戦 桐光3−4宜野座
     (終盤追い上げるも届かず、惜敗。ベスト8成らず)
4月4日 選抜高校野球応援団賞・最優秀賞を受賞し、閉会式にて表彰される。
    

5 :tomo ◆XKSnTxcTbA :2010/08/03(火) 21:32:58 ID:jXG8wEkMO
まもなく10年になるんですね。
当初から投稿頂いたみなさん、そして今訪れて頂いている方々のお力添えによって今まで継続できたのだと思います。

心より感謝申し上げます。
そして、忘れてはいけないこと。。。
ここまで情熱を傾けられたのは、野球部の野呂監督、塩脇部長はじめ野球部OBそして現役の子達のおかげです。また、他の現役生(特にブラバンには大変お世話になっております)、OB・OGそしてファンの方達の力だと信じております。

これからもできる限りの努力をして行く所存ですので当サイトのご愛顧宜しくお願い致します。


立場上、個人的なコメントがしにくいところがありますが、内心は10年前と変わらず熱いままです。
時々個人的に呟くのでご勘弁下さい。

今後の桐光学園の発展と現役OB・OGそして父母、関係者のご健勝をお祈り申し上げます。

6 :pochikoの母 ★:2010/08/04(水) 22:41:49 ID:???0
【2001年春〜2001年夏】
5月4日 雨天順延のため、準決勝・決勝を同日に行う。
        準決勝 桐光3−0鎌倉学園(猪原君完封)
        決勝  桐光4−3百合丘(清原君完投)
        (2年連続春季県大会優勝、関東大会出場を決める)

5月20日 春季関東大会(山梨県)
     2回戦 桐光4−3矢板中央
     (桜井君タイムリースリーベース、丸君スクイズで2点先制。)
5月21日 準々決勝 桐光9x−8帝京
     (5回終了1−1の接戦が、後半乱打戦に。石井君、自身高校通算54号を含め
      4打数4安打3打点の活躍。サヨナラ勝ちを決めたのは照沼君の内野安打)
5月22日 準決勝 桐光1−6花咲徳栄
     (石井君55号ソロの1点のみ、決勝進出ならず)

7月12日 県大会開幕 2回戦9−1弥栄東、3回戦12x−5関東学院、4回戦9−1大清水と勝ち進む。
7月25日 5回戦 桐光4−2横浜商工(現・横浜創学館)
     (1−1の同点で迎えた9回表、猪原君のタイムリーで1点勝ち越すが
     そのウラ追いつかれる。サヨナラ負けのピンチを凌ぎ試合は延長戦突入。
     10回ウラには1死1・3塁、絶体絶命のピンチ。ここでバッテリー、
     スクイズ見破り外し、三振ゲッツーに。11回表に丸君、石井君の連続タイムリーで
     2点勝ち越し逃げ切る。)
7月28日 準々決勝 桐光8−3神奈川工
7月29日 準決勝 桐光11−2東海大相模
     (1年生望月君、見事な完投。先輩打線が16安打を放ち援護)
7月30日 決勝 桐光7−10横浜
     (初回守りのミスから3失点、しかしそのウラ、藤崎君3ラン、佐藤君3ランで6点。
      リードもつかの間、2回表にはまた6−6の同点に追いつかれる。
      2回ウラには石井君高校通算60号ソロで1点勝ち越すが、
      後半横浜に追加点を許し、無念の敗戦。猪原君175球の力投も実らず、
      2年連続、あと1歩で甲子園を逃す。)       

7 :マシュー ★:2010/08/05(木) 17:02:36 ID:???0
>>4
桐光、初の秋季関東大会出場となった2000年懐かしいですね。
初戦の拓大紅陵戦は観に行けなかったのですが勝てば選抜濃厚と
いう水戸商業戦は観に行きました。
一人で電車とバスを乗り継いで行ったはいいが到着が試合途中で
何だか落ち着かなくて最終回までヤキモキしながら試合を観た覚えが
あります。
なぜか藤崎君のレフトへの二塁打が印象に残ってまね。

負けはしましたが帰りのバスで高校野球通らしき人たちが
「桐光は神奈川一位だし接戦負けだし甲子園出場経験なしだから
関東5校目は決まりじゃないかな。」
と話しているのを聞いてバスから降りてすぐに友人に
「負けたけど選抜出れると思う。間違いない。」
と電話しました(笑)

選抜も初戦の智弁学園戦だけ行ったのですが行きの新幹線で
興奮してホテルでは何だか眠れなくて甲子園に着いたらエライ寒くて
卒業以来初めて会った同級生とかも居て色々思い出深いです。
試合の方もpochikoの母さんも書かれていますがホームスチールしびれましたね。
勝利した後の校歌は「これが甲子園なんだなぁ」と感慨深くなったものでした。

8 :マシュー ★:2010/08/05(木) 18:26:59 ID:???0
>>6
2001年夏の5回戦、対横浜商工戦はいまだに語り草になっている
名勝負ですね。
僕は、この試合は観にいけなかったのですが後日談として色々な
方に話を聞いたら「手に汗握るとは、まさにこの試合のこと。」
というくらいの死闘だったのですよね。
こうしてpochikoの母さんの書き込みを今、読んでもまさに名勝負。
延長10回サヨナラのピンチでスクイズを見抜いたバッテリーも見事ですし
直後の11回に勝ち越した打線も凄いですし実際に生で観たかったなぁと
また思ってしまいました(笑)

そして、あの初回のスリーラン2本の横浜との決勝戦ですか…
この試合は友人と気合い入れて観てました。
と言ってもバックネット裏だったのですが初回に横浜に3点取られた時の
落胆とその裏にスリーランが2本出た時の狂喜!ホントにジェットコースター
のような名勝負でしたね。
結局、二年連続で横浜で決勝で敗れるわけですが負けた直後に別の高校出身の
後輩から「ウチの学校が甲子園出るんでよろしくお願いします!」と
電話があった時は疲れが倍増しましたね(涙)

9 :桐光の父 ★:2010/08/06(金) 00:29:36 ID:???0
tomoさん、ご無沙汰しております。
いかがお過ごしでしょうか。
このサイトも、10年をむかえるんですね。
おめでとうございます。

tomoさんの、「忘れた頃に顔を出す」というスタンス。
10年前から全く変わっていませんが、大好きです。
このサイトが、10年間一度も閉鎖、停止などされずにきた大きな理由は
ここにあると勝手に思っています。
「アラシ」というのは、サイトにいる住人を混乱させ、熱くさせ、さらには
管理人をも、その中に巻き込みのが狙いです。
「そんな面倒くさいことをいうなら、ボランティアでやってるこんな掲示板、
いつでも閉鎖してやろうじゃないか」
と、管理人に、思わせれば大成功なのです。

だからこそ、忘れた頃に顔を出すのは大正解ですね。
もちろん、この掲示板におけるいろんな権限を、何人かに与えて
くれていたのも、tomoさんならではの掲示板管理の戦術だったことは
間違いありません。

10年前。
まだインターネットは、あまり普及していませんでした。
インターネットの何たるかを、ほとんど理解しないまま、「桐光野球部の応援」
という共通の楽しみをもった人達の「隠れ家」見たいな存在が、この掲示板
だったと思います。
アクセス数も、ほんのわずか。
天野世代、船井世代のシーズンオフなどは、私とpochikoの母さんの
交換日記のような時もありましたね。

そんなサイトでしたが、私は当初からこのインターネットによる掲示板は、
桐光野球部を盛り上げ、強くする「力」になると確信していました。
まず、この掲示板を通じ、それまで球場やグランドでバラバラに応援していたファンが、
少しずつ顔見知りになり、集まり始め一体となってきました。
2002年からは、夏の大会前には「総決起集会」を開き、暮れには忘年会を
やっています。
その仲間は、年々増えており、公式戦や練習試合を見に来ても、心地よい
コミュ二ティーが出来ているため、応援にもまとまりが出来てきたと
思います。

さらに、この繋がりは、ファン同志だけではなく、ファンと父母会、
あるいは父母会を通してのファンと選手、さらには直接ファンと選手の間にも、
広がってきたと思いますね。

この繋がりの中で、私が一番こだわったのは、練習試合の書き込みです。
選手というのは、自分に関心をもってもらえると思うと、自然と努力して
上達しようとするものです。
何度か、練習試合については書き込むのを止めようという議論もありましたが、
2004年夏前、tomoさんや当時のOB会の会長さんが、野球部から正式に
許可を得ました。
この練習試合についての予定および試合経過の報告は、間違いなく、ファンと
父母会および選手との関係を、近づけ深めてきたと思います。

そして、これは現役の選手だけではなく、将来桐光で野球をやる可能性の
あるシニア、ボーイズ、中学の選手たちにも、自分たちの先輩たちが活躍して
いる事実を絶えず知らせるという効果もあります。

ただ、私も練習試合の経過を報告し続けてきたのですが、徐々に疲れが
出てきました。
試合後に、大体は居酒屋で「反省会」をするのですが、飲んだ後書き込むのは
けっこう辛い。また、桐光の試合だけではなく、他の高校の練習試合も見に
行きたい時もあるわけです。

そんな時、目の前に登場してくれたのがマシューさんでした。
最初は、第二試合を書いてくれないか、と頼んだら快く代わってくれたので、
数年前からは丸投げして、本当に助かっています。
マシューさんの身体の中には、大太鼓が入っているようで、毎試合、見事に
選手たちを鼓舞していますね。

このサイトが開始さて10年。
桐光野球部からも、プロ野球選手が誕生しました。
山室が、一軍のマウンドに立つ!
最高に嬉しいニュースです。

桐光野球部の現役の選手も、父母会も、OBの大学生も、社会人も、
プロ野球選手も、一般のファンも、桐光野球部に関心をもっている中学生も、
みんなが楽しめる掲示板であり続けたいですね。

10 :tomo ◆XKSnTxcTbA :2010/08/06(金) 08:41:06 ID:I8YFqGtQO
忘れた頃に。。。
確かに最初からそうでしたね。

さらに桐光グランドから家が遠くなり最近ほとんど見に行けないです。これは凄く残念。久しぶりに練習試合見に行きたいですね。

こと掲示板に関しては投稿しないだけで見てますよ。たまに見落としてご迷惑かけることがありますが…申し訳ありません。
しかも主要コンテンツは投稿のみ、私は枠を準備しているだけで何もしてないに等しいですね。
また、ボランティアという話がありましたが違いますよ。
好きでやってるんですから!

11 :honeybee :2010/08/06(金) 22:17:50 ID:sOBqY2hg0
《桐こっこ母連》です(*^_^*)。

アップル亭で tomoさんに初めてお会いしてから 10年になるのですね。(pochikoの
母さんに tomoさんを紹介していただいてから 10年に
なるなんて 月日の流れるのは早いですね(^^ゞ)。

この10年で 老眼になり パソコンを見ていると 眼精疲労を
おこしやすくなりました(^^ゞ。

おまけに 手の甲には 保土ヶ谷染み 横スタ染み など
野球の応援染みが 最近 くっきりと 次々 浮かび上がってきて
います。
10年分の思い出とともに(^^ゞ。
次々と。

《桐こっこ母連》も 年をとり honeybeeに改名してみました。


最初のころ アクセス数も ほとんどなかったのが 祝甲子園のころ
から  祝 1日のアクセス数1000人超え? などと
盛り上がった日々が 懐かしいです。

10年の間に TVKの高校野球ニュ−スで 司会の方が
私の送った応援メッセ−ジを 読み上げてくださったことも
ありましたっけ(^^ゞ。Tシャツはもらえませんでしたが(^^ゞ。

これからも tomo管理人さん よろしくお願いいたします!!
 

     



12 :tomo ◆XKSnTxcTbA :2010/08/07(土) 01:08:53 ID:OkLd1yL+0
いつのまにか名前が変わってたんですね。
父さんの言われるように忘れた時にしか現れませんが
引き続き宜しくお願いいたします。

ここ数年球場焼けで真っ黒になれないのが残念ですが。。。

この際、みなさんのサイトに対するご希望などありましたら、
ご自由に要望をお書き下さい。当初からのほのぼのした雰囲
気と誰でも受け入れる掲示板にしていきたいですね。

13 :追っかけボウズ ★:2010/08/08(日) 07:25:56 ID:???O
十年一昔いや二昔でしょうか?いや、あっと言う間だったでしょうか?いずれにせよおめでとうございます!10年前と言えば春は史上初優勝し、夏は実質初決勝進出(東西分かれていた98年は個人的にはベスト4扱いしています)、そして秋も優勝しセンバツにつなげたメモリアルイヤーでした。

2001春は夜の新幹線で大阪入りし、智弁との記念すべき初戦に向かいました。その前の3年間、毎年夏に甲子園周辺を下見しておいたのが役立ったものです。センバツ時にチーム同様初出場だった『ボウズ仲間』が『会話からして関西弁なんだなぁ』とか言っていました(笑)。2002夏は栗平からバス44台で出かけた弾丸ツアーも経験しました。26時間で往復はきつかったですね…。

私がこのサイトを知ったのはセンバツ出場前でしたか、桐光会のホームページからリンクされていたことに始まったかと思います。そしてセンバツ後に『練習試合情報下さい』と依頼したところ、父様、母様からお知らせをいただくようになり、6〜7月に確か桜美林、聖望あたりとの対戦を観戦したと記憶しています。

今や貴重な情報を毎度いただいております。近年は『スタンド』もできましたし、毎回熱心に出かけている方も増えて来ましたね。以前は地ベタだったのが懐かしいです。最近の父母会の方々にそんな話したらビックリされましたが…。6年経過したわけだから確かにそうなりますね!

さて本日はその聖望、そしてセンバツ&2005夏に同時出場した藤代がいらっしゃっるそうですね。この後、新チーム初観戦に向かいます!


14 :pochikoの母 ★:2010/08/09(月) 18:37:54 ID:???0
【2001年秋】
8月25日 秋季大会地区予選
     桐光3−7法政二高
     (新チーム初戦、桐光グラウンドにて完敗。桐光投手陣12安打を打たれる。)
     次戦11−2生田東、しかし新城戦でまたまた苦戦...
28日 桐光6x−5新城
     (初回2点先制されるも、7回終了時には4−2とリード。
      しかし、8回に4−5と逆転される。8回ウラに同点に追いつき、
     9回ウラに押し出しで辛くもサヨナラ勝ち。)
     地区代表決定戦に回り、生田に10−0で勝ち、ようやく県大会進出を決める。
     
     県大会は10−0立花学園、7−4三浦、13−3相模田名と勝ち進む。
9月29日 準々決勝 桐光4−2神奈川工
     (先発吉田君初回2失点で降板。リリーフした望月君好投。
     自ら2本の二塁打を放ち、得点に絡む活躍を見せる。
     2点リードのまま迎えた9回ウラの守り。
     日はすっかり暮れ、保土ヶ谷球場ナイターとなる。
     マウンドには笠貫君。2死満塁、一打同点のピンチ。
     しかしここで踏ん張りベスト4進出を決める。)
10月6日 準決勝 桐光3−10桐蔭
     (今は準決勝にもコールドが適用されているが、当時はされていなかった。
     実質7回コールド負けの試合。2回に清原君制球乱し、守りのミスも。一挙5点を奪われる。
     桐蔭・栂野君(現楽天)の速球に対して、8安打放つも力負けした。)


15 :pochikoの母 ★:2010/08/09(月) 18:54:34 ID:???0
続けてすみません。
選抜大会について、重要な事を書き忘れましたので、追加訂正しました。
応援で最優秀賞を取りましたね。

夏を終え3年生がごっそり抜け、新チームは大変でしたね。
清原君の調子が上がらず、望月君の負担が大きかったと記憶しています。
また1年生野手陣の活躍も目立ちました。「代打」の代君、「男」内藤君など
こちらの掲示板で呼ばせていただいたのも、この頃からでしょうか。
準々決勝の神奈川工戦はヒヤヒヤで、照明灯の下、内藤君がレフトフライを掴んだ
ラストシーンを、よく覚えています。


16 :町田市民:2010/08/10(火) 18:40:55 ID:L9M0JMKU0
10周年おめでとうございます。

当掲示板が、永く続いているだけでなく、着実に進化・発展できているのは、
tomoさんの独特(?)の存在感と、人柄によるものと、私も思います。

pochikoの母さん、年譜のまとめありがとうございます。
数多くのなつかしい場面が蘇ってきますね。
この先もたのしみにしています。

桐光の父さん、pochikoの母さんらの記事に魅かれて、
私がこの掲示板に初めて書き込みをしたのは 2001年11月、
そして、初めて投稿した写真は、2002年の夏の甲子園初戦
清原君と内山君が投げ合った白熱の鳥栖戦をアルプススタンドから撮影したカットです。
当時使っていたカメラは、ニコンのポケットに入るようなコンパクトデジカメ。
それから8年、桐光野球を撮影する愉しみにどんどんハマっていくにつれ、
レンズもどんどん長くなりました(逆に体力はどんどん衰えてきましたが・・・トホホ)

「写真館」は、2003年春季大会からスタートし、気がつくと、紹介した試合数は124。
にしーごさんはじめ、元高校球児さん、アキさんらの強力なサポートにも支えられて、
なんとか穴を開けずに続けてこられました。

その中に夏の甲子園の試合が4試合(アーカイブの2002年のスナップも入れると7試合)
も含まれることは本当に幸せなことです。
勝手にやっていることとはいえ、こんな素晴らしい経験をさせてくれた
桐光野球部には心から感謝しています。

桐光の野球が強い、と知ったのはおそまきながら、
娘の入学手続きのため、初めて桐光学園校内に足を踏み入れた日、
校舎に「祝・春のセンバツ出場決定!」という垂れ幕を観た時です。
この記念すべきセンバツでの桐光の戦いはTVで観戦しました。
というわけで、写真館の中には、センバツの試合がないのです。

夏の甲子園には、もちろん何度でも足を運びたいですが、
センバツもぜひ、写真館で紹介したいものです。

山室君もあれよあれよという間に一軍の公式戦での登板を実現しましたし、
桐光の久々のセンバツ出場も、来春にはササっと実現するかも、ですね。

これからも、桐光野球部の元気の素として少しでも貢献できるよう、
掲示板を盛り上げていきましょう!




17 :マシュー ★:2010/08/10(火) 21:08:20 ID:???0
>>14
のちに桐光学園夏の甲子園初出場を果たした船井主将のチームが
秋の川崎地区予選で地区代表戦を戦い、あわや県大会出場ならずの
ピンチを迎えていたんですよね。
桐蔭戦での敗戦は残念でしたがここから一冬越えて春を経て夏の
甲子園出場への道が始まったと思うと感慨深いものがありますね。

実は、この年の秋季県大会は地区予選も含め一試合も観に行けて
ません。
今、こうやってpochikoの母さんの書き込みを読んでも地区予選から
一歩、間違えたらの試合続きですよね。
神奈川工業との保土ヶ谷でのナイター観たかったです!
きっと一球一球に手に汗握る試合だったのでしょうね。

>>16
>町田市民さん

「写真館」での素晴らしい写真、いつもありがとうございます。^^
初ショットは鳥栖戦でのアルプスからのものだったのですね。
そして8年124試合、毎試合毎試合公式戦があった日や翌日は速報写真を
写真館を楽しみにしています。

にしーごさん、元高校球児さん、アキさんの力作の中からお気に入り中の
お気に入り(どれも素晴らしい写真ですが)を選び公式戦があるたびに
パソコンの携帯電話の待ちうけにしてもう8年になります。
個人的には06年秋の夕暮れの保土ヶ谷球場、関東大会を決めた秋季神奈川
大会準決勝の東海大相模戦の写真は特に何度も何度も繰り返し観ました。
今年の秋もあの時に秋の神奈川を制覇して、そして関東大会を勝ち抜いて
選抜に行きたいですね!

18 :桐光の父 ★:2010/08/10(火) 22:32:25 ID:???0
>町田市民さん
毎年、毎年、暑い球場での撮影、お疲れ様です。
言葉では表現できない一瞬の感動を、鮮やかに伝えていただき、本当に
ありがたく思っています。
お互い、子供が桐光を卒業したら、フェイドアウトしようかなどと、
話していましたが、子供が桐光を卒業しても、自分達だけはなかなか桐光野球部を
卒業できませんね。

船井主将のチームは、語り出せば語りつくせないものがありますね。
桐光野球部史上、最大のスターといえる清原も、チームスタート時は、
頼りのない投手でした。
2002年夏の甲子園で選手宣誓を行い、清原と二人三脚で桐光を
引っ張った船井捕手も、当初は正捕手を約束されていませんでした。

川崎地区予選の新城戦。
桐光は、頭を抱えたくなるようなサヨナラ勝ちをしました。
船井のデッドボールによる押し出しです。
この試合、船井は3つの死球、先発でマスクをかぶっていた伊東も、
死球を一つ受けており、捕手は4打席全部死球。

これが象徴するように、当たるしか勝てないような、本当に弱いチーム
として出発しました。
まさか、夏甲子園へ行けるとは、監督も選手もファンも、誰も想像できなかった
でしょうね。

「サイレント桐光」
どこかで、誰かがこう言ってましたが、最近の桐光のチームは声が出ていない。
極端にいえば、3年間声を聞いたことがない選手もいるかな(?)。
それに対し、船井主将のチーム。
下級生だった望月、上宇都、男・内藤、今でも彼らの声は頭に残っている。
船井、清原と同級だったのが、セカンド北村。
「いいねぇ〜いいねぇ〜」
北村は、清原が投げるたびに、こう声を出し続けていました。
どれだけ、投手を助けていたのか計り知れないものがあります。

この北村から、セカンドを奪ったのが代でした。
「代打」の代が、スタメンの代になったのです。
試合終盤の守備固めになった北村。
「締めは任せなさい」
確か、こんな文字を代の帽子に書いてやったのでしたかね。

清原も船井も、何度か忘年会に参加してくれました。
これからも、自分たちの貴重な体験を、後輩たちに伝えていって欲しい
ですね。





19 :にしーご:2010/08/10(火) 23:01:46 ID:UvZrrows0
tomoさん、10周年おめでとうございます。

先日の武相戦で久々にお会いしたのに、また、しばしの別れになってしまって残念です。

自分は、2003年、娘が桐光中に入学→吹奏楽部入部と言う事で、大和引地台球場での2回戦
瀬谷戦に娘を見学に連れて行ったのが、野球部との出会いになりました。そして、すぐにこの
掲示板を発見。図々しく書き込みをさせてもらい、気がつくと、桐光の父様、pochikoの母様、
BAITEN-MAN様を始め、マシュー様や追っかけボウズ、その他大勢の方々との出会いの場を提供
して頂きました。

そして2006年から、下手くそにも関わらず、またまた図々しく町田市民様の領域にまで踏込み
懲りもせず、そして上達もせずに球場に足を運び、今日に至っております。

おかげさまをもちまして、娘も2年前に卒業しましたが、すっかり野球好きの吹奏楽部部員として
2回の甲子園を経験、本人にとって素晴らしい高校生活を過ごせました。そして、残念ながら、
川崎地区の他校へ進学してしまった息子も、小学校時代から沢山の方々に可愛がられ、今でも心の
どこかで密かに桐光学園を応援しています。それもこれも、この掲示板との出会いが大きな影響に
なったのは言うまでもありません。

今後も家族一同で桐光学園を応援していきたいと思います。そして、もうしばらく、下手くそな
写真を撮らせていただきますのでよろしくお願いいたします。

20 :にしーご:2010/08/10(火) 23:03:14 ID:UvZrrows0
追っかけボウズ様、すみません、敬称が抜けておりました。お許し下さい。

21 :tomo ◆XKSnTxcTbA :2010/08/11(水) 08:16:43 ID:hYQhXdJEO
皆様に支えられ本当にまるまる10年経ってしまいましたね。

写真撮影はホントにご苦労されていると思います。
当初は私も撮っていたのですが、腕も機材も時間も追い付かず。。。


これからも写真そして様々な情報提供よろしくお願いします。

あっサーバー容量をまた確保しないとスペース足りなくなりそうですね

22 :pochikoの母 ★:2010/08/14(土) 15:56:16 ID:???0
【2002年春】
3月26日 地区予選初戦 桐光8−0法政二(7回コールド)
     (秋の地区予選で敗れた法政二高とまた同グループに。
      清原君完封勝利を収め、リベンジを果たす。)
県大会は7−0湘南、8−2厚木西、4−1県川崎と勝ち進みベスト8進出。
(清原君、厚木西戦でホームランも。)
4月27日 準々決勝 桐光6−0神奈川工
     (初回、望月君2点タイムリースリーベースなど集中打で一挙6点。
      清原君3安打完封勝利。)
5月3日 準決勝 桐光2−5東海大相模
     (清原君完投も実らず、3年連続春季関東大会出場を逃す。
      守りのミスもあり4点リードされた8回に、山田君のタイムリー、小松君の押し出しで
      2点入れるが追い上げもここまで。しかし夏の大会第1シードを確保。)



23 :pochikoの母 ★:2010/08/17(火) 16:01:03 ID:???0
【2002年夏 県大会】
7月17日 2回戦 桐光2−0横浜商大
     (清原君、商大・給前君の投手戦。清原君、初回いきなり無死3塁のピンチ。
      しかし二者連続三振、1ゴロで抑えリズムに乗る。
      5回には、1死2塁の場面で、自らレフトオーバー、先制タイムリーツーベース。
      清原君、7回以外毎回ランナー背負うピッチングながら、要所を締め完封勝利。)
  20日 3回戦 桐光8−1城山(7回コールド)
     (河合君→笠貫君のリレー。この日、横浜が法政二高に敗れる。)
  23日 4回戦 桐光12−3武相
     (初回、佐藤君の先制HRも、すぐにそのウラ追いつかれる。
      3回終了時には1点ビハインドという、序盤は苦しい展開。
      しかし、4・5・6回に小刻みに得点し、更に9回には一挙6点。
      終わってみれば大差で勝利。清原君、後半立ち直り8回を投げ抜き
      最終回吉田君が締める。)

  24日 5回戦 桐光10−3法政二(7回コールド)
     (横浜を破り勢いに乗る法政二との対戦。初回、山田君の内安で1点。
     2回には無死満塁のチャンスに連続犠飛で追加点。
     4回には、代君の2点タイムリースリーベースで突き放す。
     投げては、先発の吉田君が8安打を打たれながら好投。)

  25日 準々決勝 桐光1−0相洋
     (この日はシートノック途中から雨脚強まり、選手は空を見上げながら
      ベンチで待機。試合開催が危ぶまれたが、2時間半遅れでプレーボール。
     清原君−相洋・内山君(元・日本ハム)の緊迫した投手戦が繰り広げられる。
     清原君、5回、6回にランナー3塁に背負うが、カーブで内野ゴロに打たせて
     得点許さず。迎えた6回ウラ、桐光は1死後、望月君に代わって途中出場していた
     内藤君が内安で出塁。続く佐藤君、初球センター前ヒット、内藤君3塁へ好走塁。
     1死1・3塁、バッター4番山田君はヒッティングか。
     2球目、フルスイングで空振り。次の球、意表をついてスクイズ。
     本塁上クロスプレーになるが、内藤君巧く回り込みセーフ。
     この1点を守り抜き、桐光ベスト4進出を決める。
     清原君、10奪三振、3安打完封。尚、この試合初回から、
     清原君の無失点記録が続くことになる。)

  27日 準決勝 桐光8−4平塚学園
     (初回、平学・柳川君の立ち上がりを攻め、1死満塁のチャンス
      ここでまず代君の犠飛で1点。船井君ヒットでつなぎ再び満塁として、
     バッター7番河合君、ファウルで粘った後、レフトスタンド中段に叩き込む満塁HR!
     この回一挙5点、2回にも河合君のタイムリー等で3点追加、試合を決める。
     先発吉田君3失点ながら粘投。笠貫君をはさみ、最終回は清原君が締めて
     3年連続決勝進出を決める。)

  28日 決勝 桐光2−0東海大相模
     (ジャンケンに勝って、桐光先攻を選ぶ。
     清原君、初回三者凡退に抑え、安定した立ち上がりを見せる。
     試合が動いたのは3回表。先頭上宇都君が死球で出塁。
     清原君送って1死2塁。バッター照沼君、初球振り抜いた打球は
     ライトオーバー、ワンバウンドでフェンスに当たる素晴らしいタイムリーツーベース。
     貴重な先制点は桐光に。
     5回ウラ、東海の攻撃は先頭打者、内安。バントで1死2塁。
     次打者三振に打ち取るが、暴投でランナー3塁へ。さらに四球も与え2死1・3塁。
     しかし、東海・荒川君に対して2−2から内角膝元、これ以上はないコースへズバッとストレート。
     空振り三振、大きなピンチを凌ぐ。
     6回ウラには、レフトファウルフライを、山田君フェンスぎりぎり好捕。
     すると7回表、河合君ライト前ヒットで出塁。上宇都君送って1死2塁。
     ここでバッター、バッティングにも定評のある清原君。
     2−0と追い込まれながら、低目の難しい球ライトへ運んでタイムリーヒット。
     欲しかった追加点を、清原君自ら叩き出す。しかし塁上の清原君は
     ニコリともせず。引き締まった表情。
     桐光2点リードで迎えた最終回。
     先頭打者にストレート四球。嫌なランナーを出してしまう。
     次打者4番川端君、2−0からの3球目を投げた後、清原君大きくバランスを崩す。
     そして5球目、高目に浮いた所を捉えられライトへ大きな当たりが飛ぶ。
     これを、今大会ラッキーボーイと言われる河合君、スーパーキャッチ。
     1死1塁、2−1から高目のボール球振らせて、空振り三振。
     ここでも、清原君、投げた後ガクッと膝をつく。
     甲子園まであと一人。バッターは東海主将・遠藤君。
     2−1からの4球目、ファーストゴロを佐藤君さばいて試合終了。
     桐光、悲願の初優勝!夏の甲子園出場を決める。)

24 :pochikoの母 ★:2010/08/17(火) 17:54:22 ID:???0
今回、当時のビデオ、新聞記事を全部見直していますが、こんなこともあった、
あんなこともあった、で、なかなか現在に戻って来られません。
もう少しだけ、お許し下さい。

清原君のお母様にお聞きしたのですが、決勝当日、野手は学校集合、バスで
横浜スタジアムに向かい、投手は自宅から向かったそうです。
清原君、普段学校に行くのと全く変わらない様子で、自転車で出て行ったとか。
新聞記事によりますと、前日は9時半就寝、たっぷり寝たとありました。
その平常心が勝利につながったのでしょうか。
9回は、左足がつり、左手指も痙攣し握力も落ちていたようです。
その中での渾身の投球、胸を打たれました。

その清原君を懸命のリードで引っ張った船井君。
4回戦後の高校野球ニュースで、二人のこんな場面がありました。
清原君「(船井君に)いつもワンバウンドばかり放ってすみません。これからもヨロシクお願いします。」
船井君「(清原君に)大会に入ってからパスボールやってしまった。次からはしっかり止めるし、
    盗塁を刺してやりたい。横浜スタジアムで、最後に二人で抱き合う姿を想像して
    毎晩床に入っている。実現できるよう、頑張りましょう!」
微笑ましいメッセージ交換でした。

また、二人は秋に出た「甲子園の星〜ふるさとに帰った球児スペシャル〜」内の対談で
決勝戦のことを振り返っています。
船井君は、一番印象に残った一球に、5回ウラ、荒川君を三振に取った内角の球を
挙げています。
そして、抱き合うはずだった勝利の瞬間は、清原君が1塁カバーに行ってしまったため
中途半端に終わってしまった、と。これは残念でした。

25 :「利用規程」「削除依頼」「二重投稿」により削除:「利用規程」「削除依頼」「二重投稿」により削除
「利用規程」「削除依頼」「二重投稿」により削除

26 :桐光の父 ★:2010/08/19(木) 23:02:22 ID:???0
準々決勝相洋戦、1−0の完封。
清原の連続無失点記録は、この相洋戦から始まった。
甲子園の3回戦まで続く、46イニング連続無失点。
神奈川の夏の大会は、激戦で疲労が蓄積される終盤は、ほとんど例外なく
壮絶な点の取り合いとなる。
しかし、清原は決勝戦も2−0とシャットアウトした。

そして、この清原の想定外のサクセスストーリーと同時並行して、望月展の、
壮絶な鬼気迫る物語が展開していった。

準々決勝相洋戦は、試合直前の雨のため、開始はかなり遅れ、
グランドはぬかるんでいた。
1回裏、センター前ヒットの照沼を1塁に置いて、2番望月は送りバントを
きっちり決めた。
しかし、望月は1塁へ走る途中、グランドに足をとられ、太腿を痛めてしまう。
これが、かなりの重傷だった。

望月に替わって、内藤がセンターの守備につこうとしたが、望月は内藤を振り払うように
センターへ向かった。
試合途中、耐え切れず内藤と交替。
準決勝平塚学園戦。
試合開始前、横浜スタジアムの外で他の選手がアップしている中、
望月だけは、ユニフォームを着ないで、ゆっくりとかみ締めるように
歩いていた。
「やはり、試合に出るのは無理だなぁ」
当然、私はそう思っていた。

しかし、望月はセンターの守備に着き、打席に入り、バットを振って
走った。
準決勝だけでなく、決勝も、そして甲子園での3試合も。
太腿は、テープでグルグル巻きにされていたのかもしれない。

望月ほど、「甲子園」という目的が明確に気持ちに現れ続けていた選手は
いない。
1年の夏、準決勝で東海相模を相手に完投勝利。
この精神力は、想像しがたいものがある。
当然、2年のこの夏も、終盤戦で登板し、甲子園でもマウンドに立ちたかった
だろう。
その悔しさも押し込めて、望月の甲子園は激痛に耐えながらも続いた。

甲子園後望月は、公式戦、練習試合とも10月末まで出ることはなかった。
甲子園にかけた結果だから、仕方なかったかもしれない。

私は、その秋、桐光グランドで望月が黙々と歩いている後姿を見るだけで、
感動し、幸せな気持ちにさせられた。
こんな選手は、なかなか現れてはくれない。





27 :pochikoの母 ★:2010/08/24(火) 23:39:21 ID:???0
【2002年夏 甲子園 開会式まで】
8月1日 県庁、市役所、麻生区役所訪問と、TVK「HAMA大国」生出演。
  3日 新横浜駅より 甲子園に向けて出発
  5日 大阪フェスティバルホールにて組合せ抽選会
     (船井君は予備抽選で49番目を引き、出場校中最後のくじを引くこととなる。
      1ヶ所だけ空いていた3日目第2試合、佐賀県代表・鳥栖高校との対戦が決まる。
      その後、前年より採用された立候補制による選手宣誓の抽選へ。
      最初は立候補するつもりがなかった船井君、客席の仲間の「行け、行け」の声に
      押されて、重い腰を上げる。
      東側最後(全体では後ろから3枚目)を引き、舞台上手の一番端、
      ライトも届かない暗い場所に並ぶ。
     「一斉に封筒を開けて下さい」の声の後、すぐには手が挙がらない。
      場内ザワザワし出した所で、向かって右端の船井君がゆっくり手を挙げる。
      客席の仲間からは「ウォー」という驚きの声。
      手を挙げるのに時間がかかったのは、「選手宣誓」の文字をしっかり確認したから。
      37分の1の確率で、見事、選手宣誓の大役を引き当てた瞬間でした。)

  8日  第84回全国高校野球選手権大会 開会式
     (南からの入場行進、桐光は34番目に堂々の登場。
      そして、迎えた選手宣誓。

      宣誓
      夢…青いつたの球場でプレーすることを夢見て
      希望…常に目標にしてきたあこがれの場所
      そして今、私たちが輝ける最高の瞬間
      この暑い日差しの中、いかなる時も
      笑顔で、元気よく、全力で
      今まで支えてくれた家族、仲間、指導者、全ての人に
      感謝を込め、
      今年2002年 史上最多の4163校が目指したこの舞台
      全国の野球を愛する高校球児の想いを背負い
      自分たちの野球の全てをぶつけ
      ここ甲子園球場を
      さらに熱い、熱い夏にすることを誓います

                平成14年8月8日
                神奈川県代表
                桐光学園高等学校
                野球部主将  船井剛      




28 :pochikoの母 ★:2010/08/25(水) 00:01:39 ID:???0
船井君の宣誓は、1分35秒にも及ぶ、長いものでした。
私は当日、甲子園で聞きましたが、今でも銀傘に響く大拍手が忘れられません。
大会史上に残る、素晴らしい宣誓でした。
当時の新聞によると、ベンチ入りできなかった森君と一緒に
6時間もかけて考えたそうです。
当日自信のない個所は、手に書いたようですが、汗で消えてしまったとか。
そんな心配は無用でした。
8年経った今改めて思うに、初出場から選手宣誓まで、桐光野球部、すごい勢いでした。



29 :桐光の父 ★:2010/08/27(金) 23:37:50 ID:???0
船井の選手宣誓。
これは、これまでの甲子園での選手宣誓の流れを変えた。
「甲高い声で、勢いをつけて、短く、元気よく」
そんなイメージだった宣誓とは、全く異なるものだった。

私も、この宣誓を甲子園球場のネット裏で聴いたのだが、震えがくるような
感動を覚えた。
これは、船井の宣誓の「内容」の素晴らしさだけによるものではない。
船井の低く通る声、そして絶妙な間合いが完璧だった。
「こいつ将来は、役者かスポーツキャスターになれるなぁ」
と真剣に感じ、数年後に直接船井に勧めたこともあった。

船井の声については、まだ船井が下級生だった2年の時から注目していた。
当時、1年上のキャッチャーとして天野がい。
桐光の歴代最強ともいえる前チームのキャプテンだが、そのリード、
キャッチング、スローイング等、すべてに渡って高いレベルにあった。
それに対して船井。
練習試合の2試合目に登場するのだが、あまりにも技術の差は大きかった。
そのため、野呂監督の速射砲のような口撃を、チームの中では一番受け続けていた。

しかし、船井は打たれ強かったのだろう。
守備についている投手、野手に対する声だけは、どんな時でも、天野以上に
明確に、大きく、的確に届いていた。
これだけは、本当に感心させられた。

キャッチャーというポジション。
一人だけ、守備についた選手全員の顔を見ながら、指示を出すことが
出来る。
扇の要の捕手として、いつも的確な表現で、明確に、きっちり間合いをとって
指示を出し続けた船井。
あの選手宣誓は、船井の常日頃の試合での行動の集大成であるともいえる。


30 :pochikoの母 ★:2010/10/12(火) 00:01:46 ID:???0
桐光の父様のあまりの名文に圧倒されまして、話題を先に進めにくくなっております。
番外編ですが、相洋高校OB内山君の記事がありました。
http://www5.nikkansports.com/baseball/imai/98821.html

31 :ゲン:2010/10/12(火) 12:12:31 HOST:eAM1-118-111-232-235.tky.mesh.ad.jp
02年7月25日保土ヶ谷球場、準々決勝第一試合を一塁側スタンドから
大学生の娘と二人で観戦しました。

グランドコンデションは最悪の状況で、当番校の生徒や両校の選手が一緒になって
懸命に整備を行っていました。

それら、懸命になって整備をする生徒や選手に向かい心無い一部の観客が、早く始めろ
といったヤジを飛ばしていましたが、担当役員としてグランド上で整備の陣頭指揮を取っていた
横浜高校の渡辺監督が、その方向をにらみつける場面もありました。
さらに、ヤジに憤激した観客がこれに手を上げるといった番外編までありました。

悪いコンデションの中で心配なのは怪我、特に足の怪我ですが、試合開始早々に
望月君がやってしまいましたね。目の前だったのですぐに分かりました。

試合は、母さん.父さんが書かれている様に、清原.内山、両君の投げあいとなり、
被安打も清原君3、内山君6でしたが、6回裏にスクイズであげた虎の子の1点を
守りきった桐光が制しました。

試合終了後の両チームの選手の表情も、悪いコンデションの中、やることはやったと言う
充実感が漂っていたように感じました。

娘と二人だけでの観戦はそれ以降ありません。