キャデラックハウス

追憶と追悼。

1999年の年明け間もない頃、山梨県のある廃業ホテルが世間の注目を集めていました。
オウム信者がこのホテルを競落していたことが明らかとなり、地元や警察、マスコミが騒然となったのでした。

周辺の住人らがホテルの周囲にバリケードを張り、24時間体制で警戒している様子が連日テレビに映し出されました。
廃業ホテルのかつての名称は、清里キャデラックハウス。

レポーターが現地から中継する際には、必ずホテル前に打ち捨てられた、古く傷みの激しいキャデラックに言及していました。

世間の関心はオウム問題にありましたが、アメリカ車のファンが関心を寄せたのはキャデラックの方かもしれません。

玄関先に放置されたブルーの1958年式クーペデビルは、印象に残っている方も多いのでは。
救出を考えられた方も少なからず居られるのではと思います。
私も何とか救えないものかと思案しましたが、地理的に遠く、また、敷地と建物が競売にかけられていることから、車の権利関係も複雑なものと推測されます。

何より、オウムが絡んだ渦中の物件です。
悩みに悩みましたが、断念せざるを得ませんでした。

この施設が営業を開始したのは、1985年4月のようです。
ハーバード大学を模したというこの建物は、クラシックキャデラックによくマッチしたことでしょう。
室内は洋風の豪華な内装で、テレビドラマ(「愛の世界」等)の撮影にも使われました。

東京で建設業を営むサイトウハルオ氏が車も含めてのオーナーでした。
サイトウ氏が初めて購入したキャデラックは、1974年に出会ったという1956年式の白いフリートウッド。
東京の修理工場で、1959年式のシリーズ62コンバーチブルと共に売りに出されていました。

「自分の人生を永遠に変えた」(同氏)一台とのこと。

1956年式の購入から間もなく、上記1959年式のシリーズ62コンバーチブルも購入。
サイトウ氏が最も気に入っていたという車です。
1985年当時唯一車検を受けていた車なので、訪問客には乗ったことがある方も居るかもしれません。

購入当初は「再塗装されたマルーン」でしたが、ピンクに塗り替えられました。
マルーンの前は赤で、元々はピンク(純正Woodrose?)の外装だっだそうだ。
(ただ、Woodroseと内装色のSaddle Tanは基本的な組み合わせではないので、正確なところは不明。)

テレビCMや映画(「TAN TAN たぬき」等)でも使われたので、案外多くの人が目にしているかもしれません。

* 画像の人物がサイトウ氏(加工済み)

どのような経緯か、この車は現在厚木のハンバーガーショップに飾られています。

* 追記 上記ハンバーガーショップは2017年に閉店しました。
キャデラックハウスの経営は、後年アトミックモータースに移っています。
経営が悪化してか展示車両を切り売りしていたようですので、この車はその頃に販売された可能性があります。
結局経営が持ち直すことはなく、経営者は夜逃げ同然に姿をくらましたとか。
彼にとって3台目のキャデラックが1958年式。
2枚目の写真にある青いクーペデビルです。

かつては優雅なボディラインを宝石のように輝かせていました。
そして4台目は1957年式クーペデビル。

彼はカリフォルニアに住む知人に依頼し、次々とキャデラックを輸入しました。
1985年の時点で、13台のキャデラックを所有していたといいます。そして、翌86年夏には30台の車を展示する予定でした。
これが実現できたのかは不明ですが、当時の景況であれば困難ではなかったでしょう。
さらには、50年代のアメリカの小さな町を再現するつもりだったそうですが、その夢が実現することはありませんでした。

バブル景気は過ぎ去り、このホテルは90年代の半ばにはあっけなく営業を停止しました。
閉鎖されたホテルの前には何台もの車が放置され、侵入者に破壊されました。

この1955年式エルドラドは、かつてルシル・ボールが所有していたものです。

* 追記 エルドラドのオーナー様よりご連絡をいただきました。
アトミックモータース時代に購入され、現在は空調付きのガレージ(!!)で保管されているそうです。
知る限り、ここには少なくとも以下の車があったはずです。

1959 Buick Electra convertible
1959 Chevy Impala coupe
1960 Chevy Impala convertible
1950 Cadillac sedan
1953 Cadillac series62 4door sedan
1955 Cadillac eldorado convertible 水色
1956 Cadillac fleetwood sedan 白
1957 Cadillac coupe deville オレンジ
1958 Cadillac coupe deville 青
1959 Cadillac fleetwood 黒
1959 Cadillac series62 conv ピンク
1960 Cadillac coupe deville 白
1963 Cadillac fleetwood limo
1976 Cadillac eldorado conv
1961 Cadillac 4window sedan ゴールド
1962 Cadillac 4window sedan グリーン
1964 Cadillac conv 水色
1959 Buick 2door sedan
1958 Buick
193? Cadillac 黒
194? Cadillac 黒
196? Chevrolet Police car
198? Cadillac Limousine
どれも後世に残すべき貴重な車です。
しかし、放棄され、劣化の進んだ車たちの末路は想像に難くありません。
不動産の競売においては評価価値を下げる要素にしかならず、車に興味のない競落人は真っ先に処分を考えるでしょう。

しばらく後、静岡県の解体業者に古いキャデラックが大量に搬入され、全てスクラップにされたと聞きます。
それらがここの車とは断言できませんが、可能性は否定できません。
このホテルは名前だけでなく、館内の施設にもキャデラックにちなんだ名前が付けられています。

レストラン ELDORADO
キャデラックミュージアム Cadillac House
カフェバー SEVILLE
ブティック ESSEX (カーペットの生地から?)
プールラウンジ CLUB Freet Wood (Fleetwoodの誤りか)

客室の部屋番号も年式にちなんだものでした(キャデラックがほとんど乗用車を生産していない1942-45の番号もあるようですが)。
装飾にキャデラック クレストを使用する為にわざわざGMの許可を取ったというから、オーナーにとってキャデラックがいかに特別だったかが窺い知れます。

しかし、やむをえない事情とはいえ、ここの車たちの結末は悲劇的なものになったと推測されます。
キャデラックファンの一人としては悲しいかぎりです。
ここの車で生き残れたものは何台あるのでしょうか。

同じ年、私は1962年のキャデラックを引き取ることになります。
清里の車の弔いにもなりませんが、目の前で朽ちようとしているキャデラックを放っておけませんでした。
そして、このページを作成している2013年現在、次のキャデラックを契約済みです。
過去の保管環境が劣悪だった車両で、普通なら解体されるか部品取りにされる状態です。
既に「終わってる」状態ですが、いい加減な補修を行えば状況はさらに深刻になります。
キャデラックハウスの二の舞にならないよう、無理のない範囲で維持とレストアを行っていこうと思います。

以上、パクりソースでお送りしました。
以下、ご参考。

サイトウ氏の1959年式が登場する

『TAN TAN たぬき』 1985年4月27日公開
TM NETWORKのPVに出てくる1959年式も同一の個体ではないかと推測しています。

TM NETWORK 『1974』 1984年7月21日発売

名曲です。

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