第四回  マイルス・ディビスの軌跡

いよいよ最終回になってしまいました。10時間の講座ではジャズの歴史のほんの表層をなでる程度しかできませんでしたが、ジャズを楽しんでいくきっかけの一つになれば幸いです。
 ボーカル、ビッグバンド、フリージャズ、1960年以降のジャズ(フュージョンやファンク・ジャズ、そしてビル・エバンスやキース・ジャレット、ポール・ブレイたちピアニストの音楽)、などこの講座で詳しく触れることのできなかったのは残念ですが、また機会があればこのような講座を開きたいと思います。
 
  さて、今回はトランペット奏者マイルス・ディビス(Miles Davis 1925-1991)を中心に聴いていきたいと思います。マイルスは1940年代にアルト・サックスのチャーリー・パーカーのコンボの一員としてジャズ界に登場しました。彼の演奏は初めから独特でした。「まわりのヤツらのマネは絶対しない」とでも言うように彼独自の演奏法を模索し、1950年代には完全に自分のスタイルを確立しました。
 他のジャズ奏者と大きく異なるところは、マイルスは「ビ・バップ」のスタイルから始まり、1940年代末には「クール」、1950年代には「ハード・バップ」のスタイルを完成させた後、1959-60年頃に「モード・ジャズ」の概念を作り上げていき、さらに1960年代末に電気楽器、ロック・リズムを取り入れ、1970年代以降のフュージョンやファンク・ジャズの先駆けになる、というように常にジャズの最先端に位置し、決して過去のスタイルには戻らなかったことです。そして、そのようなジャズの新しいスタイルの誕生を知らしめるきっかけとなったレコードが歴史に残る名演奏であり、それ以降のジャズに大きな影響を与え、現在もその影響は続いています。
 
 さらに、彼は次の時代を担う若い無名であるが素晴らしいミュージシャンを見つけてその才能を開花させていったという面も強調すべきでしょう。50年代半ばに結成された彼の初めのレギュラー・コンボは、テナーのジョン・コルトレーン、ピアノのレッド・ガーランド、ベースのポール・チェンバース、ドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズ、という今見ればものすごいメンバーですが当初は全員無名だったので酷評されました。60年代のコンボも同様で、60年代以降の最高のドラム奏者のひとりトニー・ウィリアムスはマイルス・バンドに加入したときなんと16歳でした。
 60年代以降のマイルス・コンボ出身者には、ピアノのハービー・ハンコック、チック・コリア、ジョー・ザビヌル、ドラムのジャック・ディジョネット、ベースのマーカス・ミラー、ギターのジョン・スコフィールドなどがいます。


本日のレコード

1.2. "Move" "Venus de Milo" Miles Davis "Birth of the Cool"1949-50

  まず、1940年代末にマイルスが結成した9重奏団から始めましょう。アルトのリー・コニッツ、バリトンのジェリー・マリガン、トロンボーンのJ.J.ジョンソンを含むこのバンドは「ビ・バップ」が個人のアドリブ中心の音楽だったのに対してアンサンブルとアドリブ・ソロの両方に重点を置いたもので、「クール」「ウエストコースト・ジャズ」に大きな影響を与えました。


3. "Dear Old Stockholm" Miles Davis "Miles Davis vol.1"1952

  前回スタン・ゲッツの演奏が好評だったのでマイルスの1952年のブルー・ノート・レコードへの吹き込みも聴いてください。
トロンボーンのj.j.ジョンソン、アルトのジャッキー・マクリーンのソロも出てきます。



4. "Bags Groove" Miles Davis "Bag's Groove" 1954

 1950年代、マイルスはいろいろな編成のコンボで多くの録音を残しています。
これは私がジャズを聴き始めて一番最初に大好きになった演奏です。三人のソリストの素晴らしいこと!マイルスのトランペットは暖かい音色で独特のアドリブ・フレーズを綴り、ビブラフォンのミルト・ジャクソンは華麗なマレット捌きを聴かせ、ピアノのセロニアス・モンクの全く独自のソロ(彼の後にも先にもこんなソロを弾くピアニストはいません)。
リズムに徹するベースのパーシー・ヒースとドラムのケニー・クラークも見事。  



5. "'Round About Midnight" Thelonious Monk "Thelonious Himself"1957

 セロニアス・モンクのピアノ・ソロでまずこの曲を聴いてください。
曲名は後年歌詞が付けられたときに"'Round Midnight"と改名され、以後aboutは付けない事が多いです。 



6. "'Round About Midnight" Miles Davis Quintet "'Round About Midnight"1956

同じ曲をマイルスの初代クインテットの演奏で聴いてみましょう。印象的なアレンジはギル・エバンスです。



7. "I Could Write A Book" Miles Davis Quintet "Relaxin'"1956

 初代クインテットは始めプレスティッジ・レコードと契約していましたが、マイルスはギル・エバンスのアレンジで大編成のレコードを作りたいと考え、プレスティッジ・レコードへの吹き込み契約を終了するためになんと二日間で25曲もの演奏をワン・テイクで録音しました。
後年この録音は「マラソン・レコーディング」と呼ばれ、プレスティッジは数年間かけて"Relaxin'""Steamin'""Workin'""Cookin'"一部"Miles Davis & The Modern Jazz Giants"という多くのLPに分けて発売しました。すごいのはどれも素晴らしい演奏だったことです。 



8. "My Funny Vallentine" Miles Davis Quintet "Cookin'"1956

 もう一曲「マラソン・レコーディング」から聴きましょう。コルトレーンのテナーは参加していません。



9. "My Funny Vallentine" Miles Davis Quintet "My Funny Vallentine"1964

  同じ曲を1964年のクインテットのライブ録音で聴いてください。
テナー・サックスはジョージ・コールマン、ピアノはハービー・ハンコック、ベースはロン・カーター、ドラムはトニー・ウィリアムスです。
どうです?だいぶ感じが違うでしょう。



10. "Concierto de Aranjuez" Miles Davis & Gil Evans "Sketches Of Spain"1959

 CBSレコードと契約したマイルスは、ギル・エバンスのアレンジで大編成オーケストラを伴って四枚のスタジオ吹き込みレコードを作りました。
どれもすばらしい出来ですが今日は「アランフェス協奏曲」を聴いてください。スペインの盲目のクラシック作曲家ホアキン・ロドリーゴのギター協奏曲の第二楽章を題材に、マイルスとギルはこういうジャズを作り上げました。



11. "So What" Miles Davis Sextet "KInd of Blue"1959

 1959年のマイルスのコンボは、テナーにコルトレーン、アルトにキャノンボール・アダレイ、ピアノにビル・エバンス、ベースはチェンバース、ドラムはジミー・コブという現在から見ると夢のような豪華メンバーです。
マイルスをはじめ、コルトレーン、エバンスという当時最先端の即興演奏家たちは「ビ・バップ」の和音を細分化していく即興の方法からさらに飛躍し、「モード(旋法)」による即興演奏に取り組んでいきました。



12. "So What" Miles Davis Quintet "Miles in Tokyo"1964

 1963年になるとマイルスはコンボのメンバーを一新します。
若く新鮮なリズム・セクションは、9.で紹介したとおりですがテナー・サックスはウェイン・ショーターに決まるまで何人か変わりました。
これは初めての来日時のライブ録音で、サム・リヴァースが前衛的な演奏をしています。この曲、マイルスは何度もライブ録音を残していますがだんだんテンポが速くなっていますね。



13. "Pinochio" Miles Davis Quintet "Nefertiti" 1966

 ショーターの参加で音楽性が決まったマイルス・クインテットはスタジオで4枚のLPを録音し発表しています。
これはこのクインテット最後のスタジオ録音「ネフェルティティ」から、ショーターの作曲したものです。



14. "Pharoah's Dance" Miles Davis Group "Bitches Brew" 1969

1968年からマイルスはさらにジャズの未開の領域へと進出していきます。
電気楽器、ロックやアフリカン・リズムを取り入れ試行錯誤の末、ついに「ビッチェズ・ブリュー」というジャズの歴史にそそり立つ孤高の大傑作(と私は思います)を生み出しました。
この作品はフュージョンというジャンルでくくれるものではなく後に続くものさえない独特の音楽だと思いますがいかがでしょうか。
13人編成で演奏されますが、なんとホーンはマイルスのトランペット、ショーターのソプラノ・サックス、ベニー・モウピンのバス・クラリネットの三人で、後は「リズム・セクション」、ギター1、エレクトリック・ピアノ3、エレクトリック・ベース1、ウッド・ベース1、ドラム2、パーカッション2、という編成です。もう時間がなくてお聴かせできないのは残念ですが、この後マイルスは一時「エレクトリック・フリー・ジャズ」とでも呼びたい(私が付けた名称ですが)音楽を追究しますが、1971年以降になるとエレキ・ベースとドラムが一定のリズムを刻むマイルス流ファンク・ミュージックの道を辿るようになります。
マイルス自身の健康状態の悪化で何度か演奏活動の中断を挟み、1991年に亡くなるまで過去のスタイルに戻ることなく素晴らしい音楽を生み出し続けました。
しかしながらジャズの革命的なスタイルの創造は「ビッチェズ・ブリュー」が最後だったと私は思います。(1975年の"Agarta""Pangea"を加える人もいますが)



トップページへ
ジャズを聴く2002メニューへ