まず、1940年代末にマイルスが結成した9重奏団から始めましょう。アルトのリー・コニッツ、バリトンのジェリー・マリガン、トロンボーンのJ.J.ジョンソンを含むこのバンドは「ビ・バップ」が個人のアドリブ中心の音楽だったのに対してアンサンブルとアドリブ・ソロの両方に重点を置いたもので、「クール」「ウエストコースト・ジャズ」に大きな影響を与えました。
前回スタン・ゲッツの演奏が好評だったのでマイルスの1952年のブルー・ノート・レコードへの吹き込みも聴いてください。
トロンボーンのj.j.ジョンソン、アルトのジャッキー・マクリーンのソロも出てきます。
1950年代、マイルスはいろいろな編成のコンボで多くの録音を残しています。
これは私がジャズを聴き始めて一番最初に大好きになった演奏です。三人のソリストの素晴らしいこと!マイルスのトランペットは暖かい音色で独特のアドリブ・フレーズを綴り、ビブラフォンのミルト・ジャクソンは華麗なマレット捌きを聴かせ、ピアノのセロニアス・モンクの全く独自のソロ(彼の後にも先にもこんなソロを弾くピアニストはいません)。
リズムに徹するベースのパーシー・ヒースとドラムのケニー・クラークも見事。
セロニアス・モンクのピアノ・ソロでまずこの曲を聴いてください。
曲名は後年歌詞が付けられたときに"'Round Midnight"と改名され、以後aboutは付けない事が多いです。
同じ曲をマイルスの初代クインテットの演奏で聴いてみましょう。印象的なアレンジはギル・エバンスです。
初代クインテットは始めプレスティッジ・レコードと契約していましたが、マイルスはギル・エバンスのアレンジで大編成のレコードを作りたいと考え、プレスティッジ・レコードへの吹き込み契約を終了するためになんと二日間で25曲もの演奏をワン・テイクで録音しました。
後年この録音は「マラソン・レコーディング」と呼ばれ、プレスティッジは数年間かけて"Relaxin'""Steamin'""Workin'""Cookin'"一部"Miles Davis & The Modern Jazz Giants"という多くのLPに分けて発売しました。すごいのはどれも素晴らしい演奏だったことです。
もう一曲「マラソン・レコーディング」から聴きましょう。コルトレーンのテナーは参加していません。
同じ曲を1964年のクインテットのライブ録音で聴いてください。
テナー・サックスはジョージ・コールマン、ピアノはハービー・ハンコック、ベースはロン・カーター、ドラムはトニー・ウィリアムスです。
どうです?だいぶ感じが違うでしょう。
CBSレコードと契約したマイルスは、ギル・エバンスのアレンジで大編成オーケストラを伴って四枚のスタジオ吹き込みレコードを作りました。
どれもすばらしい出来ですが今日は「アランフェス協奏曲」を聴いてください。スペインの盲目のクラシック作曲家ホアキン・ロドリーゴのギター協奏曲の第二楽章を題材に、マイルスとギルはこういうジャズを作り上げました。
1959年のマイルスのコンボは、テナーにコルトレーン、アルトにキャノンボール・アダレイ、ピアノにビル・エバンス、ベースはチェンバース、ドラムはジミー・コブという現在から見ると夢のような豪華メンバーです。
マイルスをはじめ、コルトレーン、エバンスという当時最先端の即興演奏家たちは「ビ・バップ」の和音を細分化していく即興の方法からさらに飛躍し、「モード(旋法)」による即興演奏に取り組んでいきました。
1963年になるとマイルスはコンボのメンバーを一新します。
若く新鮮なリズム・セクションは、9.で紹介したとおりですがテナー・サックスはウェイン・ショーターに決まるまで何人か変わりました。
これは初めての来日時のライブ録音で、サム・リヴァースが前衛的な演奏をしています。この曲、マイルスは何度もライブ録音を残していますがだんだんテンポが速くなっていますね。
ショーターの参加で音楽性が決まったマイルス・クインテットはスタジオで4枚のLPを録音し発表しています。
これはこのクインテット最後のスタジオ録音「ネフェルティティ」から、ショーターの作曲したものです。
1968年からマイルスはさらにジャズの未開の領域へと進出していきます。
電気楽器、ロックやアフリカン・リズムを取り入れ試行錯誤の末、ついに「ビッチェズ・ブリュー」というジャズの歴史にそそり立つ孤高の大傑作(と私は思います)を生み出しました。
この作品はフュージョンというジャンルでくくれるものではなく後に続くものさえない独特の音楽だと思いますがいかがでしょうか。
13人編成で演奏されますが、なんとホーンはマイルスのトランペット、ショーターのソプラノ・サックス、ベニー・モウピンのバス・クラリネットの三人で、後は「リズム・セクション」、ギター1、エレクトリック・ピアノ3、エレクトリック・ベース1、ウッド・ベース1、ドラム2、パーカッション2、という編成です。もう時間がなくてお聴かせできないのは残念ですが、この後マイルスは一時「エレクトリック・フリー・ジャズ」とでも呼びたい(私が付けた名称ですが)音楽を追究しますが、1971年以降になるとエレキ・ベースとドラムが一定のリズムを刻むマイルス流ファンク・ミュージックの道を辿るようになります。
マイルス自身の健康状態の悪化で何度か演奏活動の中断を挟み、1991年に亡くなるまで過去のスタイルに戻ることなく素晴らしい音楽を生み出し続けました。
しかしながらジャズの革命的なスタイルの創造は「ビッチェズ・ブリュー」が最後だったと私は思います。(1975年の"Agarta""Pangea"を加える人もいますが)