全翼機の世界

解説:B.I. Cheranovskiyの全翼機

最終更新日1999.04.18

B.I.Cheranovskiy
 ソ連の全翼機家で、もしかしたら世界で最初の全翼機を飛ばしたかもしれない人がいます。
その人の名前は、Boris Ivanovich Cheranovskiy といいます。

 蛇足ですが、名前の綴りは人によって違います。インターネットのRussian Aircarft MuseumではBoris Ivanovich Cheranovskijですが、Air Enthusiast 64では Ivanovitch Tcheranovskiで、 スミソニアン/NASMから出ているWinged WondersではCheranovskiyとなっています。スラブ語なので、合う英語綴りがなかったことによるものでしょう。 ここでは古いですが、権威ある(と思われる)スミソニアンの表記を取りました。但し、記載内容はAEにほぼ従っています。

BICH-2
 彼の第一作め(BICH-1”パラボラ”)は、1924年に製作されたグライダーで、その名の通りパラボラ型のフルスパンのエレボンを持つ機体でした。 ただこの機体は飛ぶこと自身も困難だったらしく、垂直尾翼を付けたBICH-2(右写真)へ改造されました。 今度は良好な操縦性を持ち、27回の飛行を数えています。これが世界最初の全翼機の飛行かも知れません。
 
 動力機として1926年に完成したBICH-3は極めて安定性に欠け、軍が爆撃機として興味を示したBICH-5(BMW 6搭載)もまともに飛びませんでした。 1929年に完成したBICH-7も離陸すらできず、大改造されたBICH-7A(1932)に至ってようやく初飛行を行うことができました。 因みに、BICH-5/7では後縁に釣り下げた逆キャンバーの翼型によるエレボンを持っていたようです。つまりスパンク翼と同じ効果になるのでしょう。
 パラボラ翼でないシリーズのBICH-8、ロケット試験機として計画されたBICH-11(PN-1 ?)、充分な安定性を持ち独のレーンで行われたグライダー競技会にも出た とされるBICH-13を経て、パラボラ翼が復活します。
BICH-14
 1935年に登場するこのBICH-14(左写真)にはTsKB-10という別名(製作会社の識別子のようです)を持つ、8座双発の大型の機体で、 Y. I. Pintovskyによって初飛行はしましたが、受け入れがたい安定性不足を見せ、失敗に終りました。
 その後、パラボラ型平面最後の機体となる単発戦闘機BICH-17もうまく行かず、 第二次世界大戦勃発直前には彼の設計はデルタ平面を持つBICH-20に発展していたらしいです。この辺になると、独のリピッシュの影響を受けていたかも知れません。 元々コックピットと統合された垂直尾翼への流れなど、同じ雰囲気を持っている箇所がありましたし。
 
 こうして見ると、ほとんどがまともに飛んでいません。飛ぶには飛んだのでしょうが、実用には程遠いものであったと考えられます。 BICH-2の27回の飛行もかなり疑わしいというか、「まぐれ?」と疑いたくなると言うか・・・。
本当はこの辺のことを含めてロシア語の本をちゃんと読んでからまとめた方がいいのですが、一向に進まないので、英語の本でとりあえず作成してみました。
ソ連の全翼機(無尾翼機)は彼のシリーズの他にTsAGiによるXAIシリーズや、V. A. ChisevskyによるBOKシリーズがあります。これらは機会を改めて紹介して行きたいと思います。
 
 
使用文献
 ・ロシアの友人から貰ったロシア語の本, ?,1998
 ・Air Enthusiast 64, Key Publishing,1996
 ・Winged Wonders, National Air & Space Museum,1983

参考Web
Direct Link to Russian Airctaft Museum  BICH-1  BICH-2  BICH-3  BICH-5  BICH-7  BICH-7A  BICH-14

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