世界初の全翼ジェット戦闘機で、1941年、リピッシュのDFS194(Me163の原型)を見た兄弟による、1000km/hを超える全翼ジェット戦闘機計画です。
H IXの発展形としてはb型として知られる機体があります。
この頃、ゲーリング空軍元帥による3×1000戦闘爆撃機(1000 kgの爆弾搭載量、1000 km/hの速度、1000 kmの航続距離、何と50万マルクの懸賞金付き!)構想を知った兄弟が、H IX計画を提案したことから始まりました。
1943年2月に提出された提案内容は速度900 km/h、爆弾搭載量700kg、航続距離 2,000kmだったということです。
空軍の審査結果を受けて、1943年8月、ゲーリングが兄弟に面会を求め、提案内容を承認、50万マルクの援助を約束しました。
これによりホルテン航空機会社が設立され、空軍プロジェクトとして再開するのです。
V1は1944年2月に完成、3月1日に曳航されて初飛行しており、ほぼ満足な飛行性能だったようです。(若干の方向安定性を欠く傾向が見られ、操縦したヴァルター自身、垂直フィンの取り付けを検討したようですが。)
一方のV2は予定していたBMW 003が供給不足だったためにユンカースJumo 004に変更を余儀なくされますが、
BMW003より直径も重量も大きかったため、緊急な設計変更と製作が行われた結果、ようやく1944年12月に完成を見ます。
翌年2月2日にElwin Ziller(エルウィン・ツァイラー(ジーラー?))中尉により初飛行したV2は満足すべき性能と安定性を見せました。
これを知った空軍はHo 229(RLM識別子8-229からか?)として、量産能力を持たないホルテン社の代りにゴータ社とクレム社に量産を指示します。
ただ、2月26日のフライト時(通算4回目、飛行時間2時間弱時)にV2はエンジンのフレームアウトから緊急着陸しようとして墜落、炎上しパイロットが死亡しています。
V3以降のHo 229はホルテン兄弟の手を離れ、ゴータ社によって実用機へと設計改修を受けているようです。
戦時中のゴタゴタもあったので仕方ないことろでしょうか、詳細は不明です。
V3からV8までがゴータ社に試作指示されていたようで、終戦時にはV3からV6まで各地で製作途中でした。
一番完成度が高かったV3はFriedrichsrodaにあったゴータ社工場で発見され米国に持ち帰られました。現在NASMのP.E.ガーバー施設にて保管展示されています。
V6はホルテン案(復座)とゴータ案(単座)があり、ホルテンのHo 229とゴータのHo 229(Go 229)が混在してきてはっきりしていません。
Ho 229Aは戦闘爆撃機として計画されたものですが、B型には夜間戦闘機型も計画があったようです。
リピッシュのP-13aを機軸方向に引き伸ばしたような形でH XIIIbとも似ていますが、XIIIbよりは H IXに近いように思えます。
(このb型は、光栄のドイツ空軍計画機 1945,1996にH XIIIbともに紹介されています。)
項目 | H IX V2 | |
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RLM識別子 | Ho 229 | |
全幅(m) | 16.8 | |
全長(m) | 7.47 | |
全高(m) | 2.81 | |
翼面積(u) | 52.8 | |
前縁後退角(Grad | 32.2 | |
テーパー比 | 7.8 | |
アスペクト比 | 5.35 | |
空虚重量(kg) | 4944 | |
総重量(kg) | 6876 | |
翼面荷重(kg/u) | 130 | |
最大速度(km/h) | 1000/TD> | |
着陸速度(km/h) | 130 | |
エンジン | ユンカースJumo004 B(推力 900 Kg) | |
乗員 | 1(座乗) | |
初飛行 | - |
使用文献
・Nurflugel, R.Horten/P. F. Selinger, Weishaupt-Verlag Graz, 1983