解説:ホルテン兄弟の全翼機(まだ作成途中)

最終更新日1998.12.20

 ホルテン兄弟は、哲学等の3つの博士号と持つ父Max Hortenと母Elizabethとの間にできた、Wolfram(1912.03.03),Walter(1913.11.13〜1998.12),Reimar(1915.03.12〜1994)の3兄弟と末娘Gunhild(1921.01.29)の4人で、 全翼機開発に携わったのは中兄Walter(ヴァルター)と末弟Reimar(ライマール)です。
この二人は早くからグライダーや全翼機の魅力に魅入られ、ヴァッサークッペでの競技会で子供向けスケールモデルグライダー部門で1931〜1933年に連続優勝し、 1931年にはH Iを初飛行させました。(時にバルター18才、ライマール16才) 主として設計は弟のライマールが、パイロットでもある兄ヴァルターがその支援や試験を行っていた行っていたようです。

 1936年の新生ドイツ空軍の誕生で兄弟は空軍入りし、兄Walterは情報士官パイロット、弟Reimarは飛行教官として任官しています。 ライマールの方は、競技会での実績を知った任地の司令官の好意で、全翼機の設計・製作を続け、1936〜1938の間にHoII,III,IV,Vを誕生させています。 1939年ドイツのポーランド侵攻に伴い、ライマールは再び招集を受け、ヴァルターはバトルオブブリテンに参加して7機のスコアをあげています。蛇足ですが、朝日ソノラマの新戦史シリーズ83「西部戦線の独空軍」に、 JG26の技術担当士官として出撃した際の話(インタビュー?)がP.114〜120に載っています。
2年後の1941年、戦闘機査察技術部に転任したヴァルターはライマールをSonder-Komannd L In 3(Luftwaffe-Inspktion 3:HoIIIを評価されゲッチンゲンに設立)と呼ばれる部署に転属させ、11月以降、兄弟揃って全翼機開発に取り組みます。

 兄弟の作品は、次表のようになっています。
Hシリーズの番号は必ずしもその順番で製作されたわけではありませんが、Hシリーズ順に列記します。
尚、従来から、表記は軍からの命名でホルテン兄弟の独自製作は「H + ローマ数字表記」であるというのが主流(D.Myhraだけが「Ho + アラビア数字表記」を採っています)で、 ライマール自身も自著の中で「H + ローマ数字」表記をしていますので、ここでも「H + ローマ数字表記」にしてあります。


機種概要
 H I 1933年に初飛行したグライダー。1934年7月にレーンで行われたグライダー競技会で優勝しています。
 H II "Habicht"(ハービヒト、鷹)の愛称を持つ1人乗りグライダー。
 (Myrhaの著書ではHo 2aと表記されていますが、"Nurflugel"の表記に従っています)
 H IIm Ho IIにHirthの60馬力エンジンを搭載した、1人乗りモーターグライダー。
 (Myrhaの著書ではHo 2bと表記されていますが、"Nurflugel"の表記に従っています)
 H II L Ho IIを発展させた1人乗りグライダー。通常座席形態で、H IIIのベースとなった機体。
 (Myrhaの著書ではHo 2cと表記されていますが、"Nurflugel"の表記に従っています)
 H IIIa Ho IIから発展させた競技会用グライダー
 H IIIb 英国上陸作戦用に製作された、爆装グライダー。
 H IIIc Ho IIから発展させた競技会用グライダー(aとスペックは同一です)
 H IIId Walter Mikron(55 HP)エンジンを搭載したモーターグライダー。エンジントラブル続きだったようです。
 H IIIe IIIdのVWエンジンへの換装型。図面では外翼部の後退角や上下半角を変えられるようになっており、初期のN-1Mとの共通性を感じさせます。
実際に変えているかは、それらしい写真がないので不明です。
 H IIIf IVで使用された腹ばい型コクピットになった機体です。
 H IIIg 復座トレーナー。
 H IIIh 復座トレーナー。兄弟は記憶がないと著書の中で述べていますが、胴体部分がNASM(スミソニアン、P.E.ガーバー施設)に収蔵されています。
 H IV 高アスペクト比(縦横比)翼を持つ、1人乗りグライダー。スキッド付きのa型とマスタングの翼型を用いたb型があります。
1機のa型がPlanes Of fameに保管されています。
 H Parabola 1938年に製作された全翼機です。
抵抗減少のためにH Vでの段階的後退翼によって試みられた発展案として考案された、パラボラ型の連続カーブによる平面形を持っています。
製作後の保存がうまくなかったのか機体に歪みを生じ、一度も飛ぶことなく焼却処分されました。
 H Va 1936〜1937にかけてDynamit AGとの共同で作成された機体で、Troiitaxという合成材料の実験機でもあり、並列復座腹ばいという変わったコクピットになっています。
Hirth HM 60エンジンを2基搭載しましたが、延長軸なしとしたためテイルヘビーとなり、初飛行時に墜落大破しました。
 H Vb 木材と鉄管による機体構成の実験機。H Vaの墜落時に奇跡的に無傷に近かったエンジンを延長軸付きで搭載。
H Va同様に並列復座ですが、独立キャノピー(ダグラスXB-43 Mixmaster みたいなの です)に改造されています。
 H Vc L In 3の指示により、第一次世界大戦のパイロットであるオットー・ペシュケ(Otto Pechke)の会社で、H Vbから1人乗りに改造された機体。
PE+HO(ペシュケとホルテン)の(非公認?)コードが与えられました。
 H VI H IVの更なる高アスペクト比化グライダー。2機製作され、戦後、V2がアメリカ、ノースロップ社に渡っています。
 H VII 構想自体は1938頃にできていたようですが、全翼形態の練習機として、H IXが空軍に採用されてから製作されました。
詳細はこちらへ。
 H VIII 輸送機または50人乗りの6発旅客機。ジェット化計画もあり。大戦終了時に機体の1部分が完成していました。
 H IX 1941年、リピッシュのDFS194(Me163の原型)を見た兄弟による、1000km/hを超える全翼ジェット戦闘機計画です。
この頃、ゲーリング空軍元帥による3×1000戦闘爆撃機(1000 kgの爆弾搭載量、1000 km/hの速度、1000 kmの航続距離の設計競作で、何と50万マルクの懸賞金付き!)構想を知った兄弟が、H IX計画を提案したことから始まりました。 1943年2月に提出された提案内容は速度900 km/h、爆弾搭載量700kg、航続距離 2,000kmだったということです。空軍の審査結果を受けて、1943年8月、ゲーリングが兄弟に面会を求め、提案内容を承認、50万マルクの援助を約束しました。
 V1は1944年2月に完成、3月1日に曳航されて初飛行しており、ほぼ満足な飛行性能だったようです。(若干の方向安定性を欠く傾向が見られ、操縦したヴァルター自身、垂直フィンの取り付けを検討したようですが。)
一方のV2は予定していたBMW 003が供給不足だったためにユンカースJumo 004に変更を余儀なくされますが、 BMW003より直径も重量も大きかったため、緊急な設計変更と製作が行われた結果、ようやく1944年12月に完成を見ます。
翌年2月2日にElwin Ziller(エルウィン・ツァイラー(ジーラー?))中尉により初飛行したV2は満足すべき性能と安定性を見せました。 これを知った空軍はHo 229(RLM識別子の8-229からか?)として、量産能力を持たないホルテン社の代りにゴータ社とクレム社に量産を指示します。 ただ、2月26日のフライト時(通算4回目、飛行時間2時間弱時)にV2はエンジンのフレームアウトから緊急着陸しようとして墜落、炎上しパイロットが死亡しています。  V3以降のHo 229はホルテン兄弟の手を離れ、ゴータ社によって実用機へと設計改修を受けているようです。 戦時中のゴタゴタもあったので仕方ないことろでしょうか、詳細は不明です。
V3からV8までがゴータ社に試作指示されていたようで、終戦時にはV3からV6まで各地で製作途中でした。 一番完成度が高かったV3はFriedrichsrodaにあったゴータ社の工場で発見され米国に持ち帰られられており、現在NASMのP.E.ガーバー施設にて保管展示されています。
V6はホルテン案(復座)とゴータ案(単座)があり、ホルテンのHo 229とゴータのHo 229(Go 229)が混在してきてはっきりしていません。
 H X フォルクスイエーガー(国民戦闘機)としてホルテンで計画された機体ですが、終戦間際のゴタゴタか機種整理かで、超音速を目指す機体となりH X(H XIIIb)としてホルテンの自著に記載されています。
Myrhaの著書ではHo 9Bと表記されていますが、"Nurflugel"の表記に従っています。(Myrhaの著書では、唯のデルタ翼機になってしまっていて・・・)
 H XI 戦後に販売できるよう計画された、全翼12mのアクロバット用全翼グライダーで、H IVに極めて良く似た機体だったようです。H XIVもそうですが、戦争中にこういう企画を持っていること自体、日本では考え付かないことです。
尚、本機はH IX用のより簡略化したコントロールシステム試験用の性格も持っていたようです。
 H XII H VIIへの軽量練習機として計画された、並列復座機。翼はH IVbと同じくP-51 マスタングのものを使用しており、1944年末に飛行しています。
 H XIII 後退角60°の高速機計画。グライダー型のa型と、ジェット+ロケットの混合動力で超音速を狙ったb型があります。a型は飛行していますが、連合軍の占領時に破壊されました。
 H XIV 大戦末期に計画された、飛行クラブ用全翼グライダー。戦争中にこういうのを計画していたこと自体、驚きと言うしかありません。終戦間近には、ほぼ完成していました。
 H XVIII 原子爆弾を積むアメリカ爆撃機として計画された爆撃機です。

 ホルテン兄弟の全翼機で面白いのは、H IX以降のかなり機体には胴体(H IXb)やコックピット兼務の垂直尾翼がある(H IXc, H Xb, H XIIIb)ことで、ゴータの影響なのかそれともゴータ案そのものなのか、 または全翼機に固持せず実用機を狙ったものなのか・・・理由は不明ですが、全翼機形態の限界が見えていたのかもしれません。
戦後に渡ったアルゼンチンでも必ずしも全翼機になっていないところを見ると、ある種の限界を兄弟自身が感じていたような気がします。
戦後の機体は、いつか取り上げてみたいと思います。

 98年12月、ヴァルターが鬼籍の人となりました。
94年にライマールを亡くしており、ホルテン全翼機を作り上げた技術者とその技術蓄積を失いました。
兄弟の冥福を祈るとともに、失われたものの大きさに感慨を禁じえません。


ホルテン兄弟の全翼機シリーズ
W.-Nr機種製作年 製作場所登録記号
 1  H I 1933 ボン D-Hangwind
 2  H II 1935 ボン D-Habicht
 3  H II m 1935 ボン-エッセン D-Habicht
 4  Hol's der Teufel  1935 トロイスドルフ -
 5  H V a 1936/37 トロイスドルフ -
 6  H II L 1937 リピシュタット D-10-125
 7  H II L 1937 リピシュタット D-10-131
 8  H II L 1937 リピシュタット D-11-187,D-13-387
 9  H V b 1937/38 ケルン -
 10  H III c 1938.05.07 ケルン D-11-347,D-12-347
 11  H III a 1938 ケルン D-11-348,D-12-348
 12  PARABEL 1938/39 ケルン -
 13  H III b 1939.06.11 ベルリン D-4-681
 14  H III b 1939 ベルリン D-4-682
 15  H III b 1939 ベルリン D-4-683
 16  H III b 1939 ファース D-4-684
 17  H III b 1939 ファース D-4-685
 18  H III b 1939 ファース D-4-686
 19  H III b 1939 ジーベルシュタット D-4-687
 20  H III b 1941 ミンデン -
 21  H III b 1941 ミンデン -
 22  H IV 1940/41 ケニヒスベルグ D-10-1359,LA-AA
 23  H III d 1941 ボン DV+LK
 24  H IV 1943.02.11 ゲッティンゲン D-10-1450,LA-AB
 25  H IV 1943.04.28 ゲッティンゲン D-10-1451,LA-AC,BGA 647,N79289
 26  H IV 1943.06.20 ゲッティンゲン D-10-1452,LA-AD
 27  H V c 1943.05.26 ミンデン PE+HO
 28  H III f 1943.08.10 ゲッティンゲン LA-AF
 29  H VII 1944 ミンデン -
 30  H III f 1944.11.25(?) ゲッティンゲン LA-AH
 31  H III h 1944 ゲッティンゲン LA-AI
 32  H III f 1944 ゲッティンゲン -
 33  H VI V1 1944.05.24 ボン LA-AK
 34  H VI V2 1944 ボン -
 35  H III e 1944.01.25 ゲッティンゲン LA-AE,DV+LL
 36  H III g 1944 ゲッティンゲン LA-AG
 37  H III g 1944.07.10 ゲッティンゲン LA-AJ
 38  H IX V1 1944.03.01(or 05) ゲッティンゲン -
 39  H IX V2 1944/45 ゲッティンゲン -
 40  H IV b 1944 ハースフェルト -
 41  H VIII 1943-45 ゲッティンゲン -
 42  H XII 1944 キルトーフ -
 43  H XIII a 1944.11.27 ヘースフェルト -
 44  H XIV 1945 ゲッティンゲン -

使用文献
 ・Nurflugel, R.Horten/P. F. Selinger, Weishaupt-Verlag Graz, 1983
 ・Flying Wings of The Horten Brothers, H.P.Dabrowski, Schiffer, 1995
 ・The Horten Brothers and Their All-Wing Aircraft, D.Myhra, Schiffer, 1998

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