全翼機の世界

John Knudsen Northrop

最終更新日1998.06.29


 John Knudsen Northrop(ジョン・ヌーデセン・ノースロップ、愛称 ジャック)は1895年11月10日、米国ニュージャージー州ニューアークに生まれました。9才の時にカルフォルニア州に一家が引越し、以後カルフォルニアで生涯を暮らします。
彼は米国における全翼機のパイオニアであると同時に、応力外皮構造の開発者としても知られています。

 航空界における彼のデビューは1916年のLoughead社(現在のLockeed社の前身、発音はロッキード)でしたが、第一次大戦終結による軍用機の大量安価放出により同社は倒産しました。 しばらくしてダグラス社に入社(1923年)し”ワールドクルーザー”関連を仕事をした後、1927年にLockeed社(改名)に復帰、有名なVegaを設計しました。
その後Lockeed社を退社し1928年にAvion社を設立、全翼機の開発に取り組み始めると同時に、ノースロップ式全金属製多桁式応力外皮構造を発表、1929年それを認めたボーイングの提案でユナイテッドグループ傘下に入りNorthrop Aircraft社と改名、Alfa,Betaの各シリーズを世に出しました。 その後大恐慌の影響からくるユナイテッドグループの緊縮体制とカンサスへの移転を嫌い、1932年に再び友人であるダグラスの系列に入り、Gummaシリーズを発表、その進んだ設計を世界中に問いました。 (Gummaシリーズは日本にも2機輸入され、日本機、特に中島の海軍機系列に大きな影響を与えたと言われています。『航空技術の全貌』(昭和28,岡村 純、他)にも、海軍関係者が衝撃を受けた旨の記載があります。)
A-17やBT-1(後のSBDドントレスの原型)といった各機種を発表し、商業的にも成功していたのですが、ダグラス社の体制拡張に反発して1938年にダグラス社系列を脱退、 新Northrop Aircraft社をカルフォルニア州ホーソーンに設立し、全翼機開発への道を歩み始めます。
そして1940年6月、全翼機第1作であるN-1Mが完成、ジャックが最も輝いた12年間が始まるのです。



右の写真はN-1Mの頃の写真で、ミュロック乾湖でのジャック(右)です。左はパイロットのMoye Stephens、後にLockeed Orionが写っています。
下2つはN-9MBに乗り込んでご満悦のジャック(後席)。実に嬉しそうです。笑顔がいいですね。

 左はXB-35の前に立つジャック。ハンティング帽が妙に似合っています。
右は当時のノースロップ社ロゴです。



 全翼機の夢敗れたジャックは1952年に航空工業界を引退、以後ノースロップ社と関係することなく、カルファオルニア州サンタバーバラでその余生を過ごしました。
彼は晩年パーキンソン病に犯され余命幾ばくもないという状態だったのですが、1980年4月ノースロップ社に久々に招かれ、ある箱が手渡されました。 その中には、軍の特別許可を得てノ社首脳陣がジャックにプレセントした、当時極秘裏に開発が進められていたB-2の模型が入っていたのです。
それを見た彼はこうつぶやきました。
 "Now I know why God has kept me alive for the last 25 years."(今こそ、神が25年の余生を与えたもうた理由が分かった)
それは、XB-35ようなプロペラハウジングもなく、YB-49のように垂直フィンもない、ジャックが長年夢見ていたピュアな全翼機だったのです。

 1981年2月18日、ジャックはその85年の生涯を、カリフォルニア州サンタバーバラの病院で閉じました。
友人ドナルド W.ダクラス(元ダグラス社社長)はその死に寄せて、こう追悼の意を表しました。
 "Every major airplane in the skies today has some of Jack Northrop in it."

 下はサンディエゴの航空博物館にある"Aerospace Hall of Fame"に飾られているジャックの肖像です。
背景にAlfa等と共にYB-49が描かれています。


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