ユンカース博士も全翼機に魅入られた一人でした。
図面の1点めは1910年に発表されたもので、胴体が付いていて全翼機とはいいにくいですが、ライト兄弟の初飛行から7年後の構想とは思えないものです。
2点めは1930年に発表された100t全翼機で、1910年のものから見るとかなり実現性が高いように思えます。
3点めがユンカース社による全翼爆撃機計画、EF-130です。(EF-130の計画当時既に博士は故人となっていましたが)
が、博士の手によって完成した全翼機はなく、その意味では先駆者としての栄光はなかった不運の技術者だったと思われます。
反ナチ姿勢をとったため自身のユンカース社もミルヒによって奪われた形となり、1935年、76歳で鬼籍に入ります。
かなり小さ目なアスペクト比の翼はどうもうまく飛べたとは思えませんが、初期構想として掲載しました。
ただ10発エンジン、6脚と、当時としてはかなり桁外れな機体だったと思います。
もっとも1924年にはJ1000という水平尾翼付きの全翼機(もどき)を発表しており、それに比べれば、小さいものだったかもしれませんが。
なにぶんゴタゴタの時期(1945年2月らしいです)ですので、例に漏れず、色々なデータがあります。
ドイツ空軍省DFS130の性能研究用だったという説は番号からして納得できそうですが、あとはよく分からないです。
ドイツのユンカースHPに記載されている値を見ると、He-S-011の単発(若しくはBMW-003×3)で全幅20m弱の機体で、38000kgのペイロードとありますが、
いくら何でもでも凄すぎる(0が一つ多い?)ので、謎の機体といったところでしょうか・・・。
また、D.Myhraの"THe Horten Brothers and Their All-Wing Airctaft"(1998)によれば、EF-140としてアメリカ爆撃機用に計画された機体もあるようで、
それと混在している可能性もあります。
そのEF-140ですが、戦争末期に流行ったスタイルで、大きくなったH XIIIbみたいです。
それもそのはず、元々はH XVIIIを生産するためにホルテンとメッサーシュミット社で話し合った時に、垂直尾翼と方向舵の増設を要求され、ユンカース社で引き取った機体が本機EF-140だからです。
ただ、アメリカ爆撃機というには小さめの機体でしょうか。とてもそんな航続距離がある機体とは思えません・・・。
EF−130データ(計画値)
(使用文献:第二次大戦ドイツ軍用機の全貌,, 酣燈社,1958)
全幅 24 m 全長 - 全高 - 翼面積 120 u 全備重量 3,500〜3,800 kg 最大速度 990 km/h 後続距離 6,000 km 爆弾搭載量 2,950 kg(出典 Luft'46のHP) エンジン He-S-011(推力 1,100 kg) × 4
BMW-003(推力 1,100 kg) × 4(3基説もあり)