その熱気はYB-49で頂点に達し、いよいよという時に、静かにかつ急速に冷えていくのです。
年・月・日 | 主なイベント |
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1917頃 | Loughead社での同僚、Anthony Stadlmanから全翼機の薫陶を受ける |
1923頃 | 全翼機の研究を始め、ファルマン教授に意見を求める |
1928 | AVION社設立 |
1929.05.10 | 尾翼付き試験機 AVION model I "Flying Wing"の特許出願 |
1929.07.30 | 尾翼付き試験機 AVION model I (登録番号 X-216H)、初飛行 |
1933.10.03 | 特許取得(特許番号 1,929,255) |
1939.03.07 | Northrop Aircraft, Inc. カルフォルニア州ホーソーンに設立 |
1939.09.03 | 第二次世界大戦(欧州洋戦線) 勃発 |
1940 | |
1940.06.22 | 契約(W535 ac-15021,XP-56)承認 |
1940.07.03 | N-1M(登録番号 NX28311)、初飛行 |
1941 | |
1941.03.20 | Assistant Secretary of War for Air, Robert Lovettから爆撃機仕様の示唆を受ける ・16,000 lbの爆弾搭載量 ・400 mphの最大速度 ・航続距離余裕 |
1941.03.21 | Lovettからの示唆を受け、ライトフィールドのHoward Bogert大佐に回答の手紙を出す ・4基の2000 hp級エンジン ・約5000 milesの航続距離 ・運用速度 300 mph |
1941.03.24 | 軍、Material Division, Oliver Echols将軍、ノースロップでの打ち合わせで要求仕様を提示 ・400 mphの最大速度 ・5,000 lbの爆弾搭載量 |
1941.03.25 | 上記提示を受けて、Howard Bogert空軍大佐に回答の手紙を出す ・10,000〜15,000 lbの爆弾搭載量 ・5,000 milesの航続距離爆弾搭載量 ・100,000 lbの全備重量 |
1941.05.27 | 全翼機形態による重爆撃機研究を求める手紙を、軍 Material Divisionから受け取る |
1941.07.02 | ライトフィールドにて、初期設計を軍に説明 |
1941.07.13 | Purchase Order 42-2552にて、3段階の開発指示を受ける ・Phase-I :開発に向けての、技術データの取得 ・Phase-II :風洞試験とN-1Mによる技術報告 ・Phase-III:360日以内の引き渡しを含む、1/3〜1/4のフライングモックアップ(後のN-9M)の製作 |
1941.08.06 | XB-35の契約(W535 ac-21920)開始 |
1941.08.20 | 軍、Experimental Engineering Section, Carroll中佐より電話で仕様提示を受ける ・10,000 milesの航続距離 ・240〜300mphの巡航速度 ・350〜450mphの最大速度 ・40,0000 ftの上限高度(2/3の燃料残状態にて) |
1941.09.30 | 契約(W535 ac-21341, N-9Mの開発)承認 |
1941.10.03 | Purchase Order 42-2552の第1フェーズ、承認 |
1941.11.22 | 契約(W535 ac-21920, XB-35 1号機)承認 |
1941.12.07 | 第二次世界大戦(太平洋戦線) 勃発 |
1942 | |
1942.01.02 | 契約変更(W535 ac-21920, XB-35 2号機)承認 |
1942.02.13 | 契約(W535 ac-25060,XP-56 2号機)承認 |
1942.07.6-17 | XB-35モックアップ審査 |
1942.09.10 | 契約変更(W535 ac-21920, N-9M 2号機及びN-9MA)承認 |
1942.09.15 | XP-79へと繋がるP-999提案を提出 |
1942.10.03 | 契約に基づくN-9M 1号機の初飛行期日(飛べず) |
1942.12.09 | 軍、Material Command、マーチンB-33プロジェクトをキャンセルし、B-35プロジェクトに置き換えることをマーチン社に通告 |
1942.12.09 | 軍、Material Command、B-35 100機の購入を約束 |
1942.12.17 | 契約変更(W535 ac-33920, YB-35 13機(42-102366〜42-1-2378))承認 |
1942.12.27 | N-9M 1号機(N-9M)、初飛行 |
1942.12.09 | 軍、Material Command、B-35 200機の生産会社をマーチン社とすることを勧告 |
1943 | |
1943.01.12 | Purchase 217608(3機のXP-79)示される |
1943.01.15 | 契約に基づくN-9M 2号機の初飛行期日(飛べず) |
1943.03.15 | 契約に基づくN-9MAの初飛行期日(飛べず) |
1943.03.19 | N-9M 1号機、墜落事故(テストパイロット Max Constant死亡) |
1943.04.12 | XP-56 1号機、タキシング試験開始 |
1943.05.21 | 契約(W535 ac-36997, 複数のXP-79)承認 |
1943.06.24 | N-9M 2号機(N-9M-2)、初飛行 |
1943.06.30 | 契約(W535 ac-24595, B-35 200機(43-35126〜42-35325))承認 |
1943.08.27 | JB-1グライダー、初飛行 |
1943.09.04 | MX-334(契約番号 W535 ac-36137,承認時期不明)グライダー(2号機)、前方の車を避けようとして限定的にジャンプ飛行 |
1943.10.03 | MX-334グライダー(3号機)、初飛行 |
1943.10.08 | XP-56 1号機、4回目の飛行で大破 |
1943.11.22 | 契約に基づく、XB-35の初飛行期日(未完成) |
1943.11.30 | MX-334グライダー(1号機)、初飛行 |
1944 | |
1944.03.23 | XP-56 2号機、初飛行 |
1944.03.04 | 軍、マーチンによるB-35生産契約をキャンセル、XB-35とYB-35の開発継続をマーチンに勧告(26日に通告) |
1944.03.22 | N-9M 3号機(N-9MA)、初飛行 |
1944.06.06 | ノルマンディ上陸作戦 開始 |
1944.06.28 | 軍、N-9M 3号機(N-9MA)受領試験開始 |
1944.07.01 | MX-334グライダー(2号機)、(公式)初飛行 |
1944.07.01 | 契約(W33-038 ac-4142, JB-1 13機)承認 |
1944.07.05 | MX-324、初飛行 |
1944.07.30 | 契約に基づく、YB-35の初飛行期日(未完成) |
1944.08.11 | XP-56 2号機、最終飛行 |
1944.09.09 | Echols将軍とPutt大佐、電話でB-35のジェット化が話し合う |
1944.12.01 | JB-1、初飛行 |
1944.12.08 | 6機のYB-35をXB-35として製作して進空を早めるよう、契約内容が変更される |
1945 | |
1945.01.26 | N-9M 4号機(N-9MB)、初飛行 |
1945.02.19 | 契約(W33-038 ac-4142, JB-1 11機からのJB-10への改造)承認 |
1945.04.06 | JB-10、初飛行 |
1945.05.08 | 第二次世界大戦(欧州戦線)終結 |
1945.06.01 | 契約変更(W535 ac-33920, YB-35の1号機と2号機をYB-49へ)承認 |
1945.08.15 | 第二次世界大戦(太平洋戦線)終結 |
1945.09.12 | XP-79B初飛行で墜落事故(パイロット Harry Crosby死亡) |
1946 | |
1946.03 | JB-10プログラム終了 |
1946.05 | XB-47 2機、発注 |
1946.06.13 | XB-35 1号機、タキシング試験開始 |
1946.06.25 | XB-35 1号機、初飛行 |
1946.08.08 | XB-36 1号機、初飛行 |
1947 | |
1947.02.17 | XB-35のプロペラを二重反転プロペラから通常形態の4枚ブレードプロペラに変更決定 |
1947.06.26 | XB-35 2号機、初飛行 |
1947.08 | 軍、B-36の採用をアナウンス(時期が合っているかは、不確かですが) |
1947.09.18 | YB-49 1号機、完成審査 |
1947.10.21 | YB-49 1号機、初飛行 |
1947.12.17 | XB-47 1号機、初飛行 |
1947.12.22 | XB-35、この日までに 1号機の飛行回数12回、2号機は4回 |
1948 | |
1948.01.13 | YB-49 2号機、初飛行 |
1948.02.06 | XB-35 1号機、プロペラ改修終了、試験再開 |
1948.02.12 | プロペラ改修後のXB-35 1号機、初飛行 |
1948.03.02 | ノ社、空軍の偵察写真支隊にB-49偵察バージョンを提案 |
1948.03.03 | 軍、B-49写真偵察型の契約を示唆 |
1948.03.12-22 | YB-49、爆弾投下試験実施 |
1948.04 | ベルリン封鎖 |
1948.04.26 | YB-49、9.5時間の航続試験(4発ジェットエンジンの周回コースでの新記録) |
1948.05.12 | YB-35、初飛行(その後、試験は難航) |
1948.06.05 | YB-49(2号機)、墜落事故 |
1948.06.12 | 軍、FB-49(写真偵察型)30機の契約を提示 |
1948.06.30 | 軍、RB-49(写真偵察型、改名)の生産をConsolidated Vulteeと共同にするようノ社に指示 |
1948.07.08 | ノ社、Consolidated Vulteeと打ち合わせを行う |
1948.07.16 | 軍、ノ社、Consolidated Vulteeで打ち合わせを行う |
1948.08.12 | 軍、30機のRB-49A生産を承認 |
1948.08.12 | ノ社、契約(W33-038 ac-21721、1機のRB-49をノ社で、29機のRB-49をConsolidated Vultee社(テキサス州フォートワース)で生産)を受ける |
1948.09.16 | 契約(W33-038 ac-21721)承認 |
1948.09.20 | ノ社、YB-35をRB-49へ改造する指示を受ける |
1948.10.20 | YB-49、B-29との対抗爆撃テストを実施 |
1948.11.20 | 軍の一部、B-52に魅力を感じたため、RB-49のキャンセルを勧告する |
1948.11.22 | 軍、XB-35 1号機を受領 |
1948.11.24 | RB-49のモックアップ審査実施 |
1948.12.29 | 軍、RB-49のキャンセルを決定(この時、Northrop C-125もキャンセルされる) |
1949 | |
1949.01.07 | 軍、XB-35 2号機を受領 |
1949.01.11 | 軍、YRB-49の作業を除き、RB-49の作業停止を通告 |
1949.02.09 | YB-49、アンドリュー空軍基地で航空ショーのため、大陸横断飛行を実施 |
1949.03.07 | 軍、2機のXB-35、2機のYB-35からのサルベージ(部品利用?)を決定 |
1949.03.25 | 契約(W33-038 ac-21721)補足 ・4機のXB-35、3機のYB-35B(?)をジェット化し、新たにYB-35Bとする ・2機のXB-35、2機のYB-35を使用可能部品を取り除き、スクラップ処理 |
1949.04上旬 | YB-49にヨーダンパー(ミネアポリス社製オートパイロット E-7通称"Little Herbert")、アンドリュー空軍基地で航空ショーのため、大陸横断飛行を実施 |
1949.07.20 | YB-35(42-102366)、スクラップ処分される |
1949.08.19 | XB-35 2号機(42-38323), YB-35(42-102369)、スクラップ処分される |
1949.08.23 | XB-35 1号機(42-13603)、スクラップ処分される |
1950 | |
1950.03.15 | YB-49 1号機、高速タキシング試験中に事故を起こし、炎上大破 |
1950.05.04 | YRB-49、初飛行 |
1950.06.25 | B-47A 1号機、初飛行 朝鮮戦争 勃発 |
1951 | |
1951.04.26 | YRB-49、最終飛行(14回目の飛行で、ノ社オンタリオ空港への帰還) |
1952 | |
1952.11 | ジャック、ノ社を去る |
1953 | |
1953.07.27 | 朝鮮戦争 終結 |
1953.12.01 | YRB-49(42-102376)、スクラップ処分される |