全翼機の世界

ノースロップの全翼機年表

最終更新日1998.06.21

ノースロップの全翼機関連の主要年表を以下に示します。
これを見ると、約10年と少しの間に、複数プロジェクトが並行してしたことが分かります。 また、ノ社は同時にXP-56(無尾翼戦闘機)プロジェクトを持っていたので、てんやわんやだったことと思います。
(XP-79関連の仕事は、下請けに廻すよう軍から指示があったのもうなずけます)

その熱気はYB-49で頂点に達し、いよいよという時に、静かにかつ急速に冷えていくのです。

年・月・日主なイベント
1917頃Loughead社での同僚、Anthony Stadlmanから全翼機の薫陶を受ける
1923頃全翼機の研究を始め、ファルマン教授に意見を求める
1928AVION社設立
1929.05.10尾翼付き試験機 AVION model I "Flying Wing"の特許出願
1929.07.30尾翼付き試験機 AVION model I (登録番号 X-216H)、初飛行
1933.10.03特許取得(特許番号 1,929,255)
1939.03.07Northrop Aircraft, Inc. カルフォルニア州ホーソーンに設立
1939.09.03第二次世界大戦(欧州洋戦線) 勃発
1940
1940.06.22契約(W535 ac-15021,XP-56)承認
1940.07.03N-1M(登録番号 NX28311)、初飛行
1941
1941.03.20Assistant Secretary of War for Air, Robert Lovettから爆撃機仕様の示唆を受ける
 ・16,000 lbの爆弾搭載量
 ・400 mphの最大速度
 ・航続距離余裕
1941.03.21Lovettからの示唆を受け、ライトフィールドのHoward Bogert大佐に回答の手紙を出す
 ・4基の2000 hp級エンジン
 ・約5000 milesの航続距離
 ・運用速度 300 mph
1941.03.24軍、Material Division, Oliver Echols将軍、ノースロップでの打ち合わせで要求仕様を提示
 ・400 mphの最大速度
 ・5,000 lbの爆弾搭載量
1941.03.25上記提示を受けて、Howard Bogert空軍大佐に回答の手紙を出す
 ・10,000〜15,000 lbの爆弾搭載量
 ・5,000 milesの航続距離爆弾搭載量
 ・100,000 lbの全備重量
1941.05.27全翼機形態による重爆撃機研究を求める手紙を、軍 Material Divisionから受け取る
1941.07.02ライトフィールドにて、初期設計を軍に説明
1941.07.13Purchase Order 42-2552にて、3段階の開発指示を受ける
 ・Phase-I :開発に向けての、技術データの取得
 ・Phase-II :風洞試験とN-1Mによる技術報告
 ・Phase-III:360日以内の引き渡しを含む、1/3〜1/4のフライングモックアップ(後のN-9M)の製作
1941.08.06XB-35の契約(W535 ac-21920)開始
1941.08.20軍、Experimental Engineering Section, Carroll中佐より電話で仕様提示を受ける
 ・10,000 milesの航続距離
 ・240〜300mphの巡航速度
 ・350〜450mphの最大速度
 ・40,0000 ftの上限高度(2/3の燃料残状態にて)
1941.09.30契約(W535 ac-21341, N-9Mの開発)承認
1941.10.03Purchase Order 42-2552の第1フェーズ、承認
1941.11.22契約(W535 ac-21920, XB-35 1号機)承認
1941.12.07第二次世界大戦(太平洋戦線) 勃発
1942
1942.01.02契約変更(W535 ac-21920, XB-35 2号機)承認
1942.02.13契約(W535 ac-25060,XP-56 2号機)承認
1942.07.6-17XB-35モックアップ審査
1942.09.10契約変更(W535 ac-21920, N-9M 2号機及びN-9MA)承認
1942.09.15XP-79へと繋がるP-999提案を提出
1942.10.03契約に基づくN-9M 1号機の初飛行期日(飛べず)
1942.12.09軍、Material Command、マーチンB-33プロジェクトをキャンセルし、B-35プロジェクトに置き換えることをマーチン社に通告
1942.12.09軍、Material Command、B-35 100機の購入を約束
1942.12.17契約変更(W535 ac-33920, YB-35 13機(42-102366〜42-1-2378))承認
1942.12.27N-9M 1号機(N-9M)、初飛行
1942.12.09軍、Material Command、B-35 200機の生産会社をマーチン社とすることを勧告
1943
1943.01.12Purchase 217608(3機のXP-79)示される
1943.01.15契約に基づくN-9M 2号機の初飛行期日(飛べず)
1943.03.15契約に基づくN-9MAの初飛行期日(飛べず)
1943.03.19N-9M 1号機、墜落事故(テストパイロット Max Constant死亡)
1943.04.12XP-56 1号機、タキシング試験開始
1943.05.21契約(W535 ac-36997, 複数のXP-79)承認
1943.06.24N-9M 2号機(N-9M-2)、初飛行
1943.06.30契約(W535 ac-24595, B-35 200機(43-35126〜42-35325))承認
1943.08.27JB-1グライダー、初飛行
1943.09.04MX-334(契約番号 W535 ac-36137,承認時期不明)グライダー(2号機)、前方の車を避けようとして限定的にジャンプ飛行
1943.10.03MX-334グライダー(3号機)、初飛行
1943.10.08XP-56 1号機、4回目の飛行で大破
1943.11.22契約に基づく、XB-35の初飛行期日(未完成)
1943.11.30MX-334グライダー(1号機)、初飛行
1944
1944.03.23XP-56 2号機、初飛行
1944.03.04軍、マーチンによるB-35生産契約をキャンセル、XB-35とYB-35の開発継続をマーチンに勧告(26日に通告)
1944.03.22N-9M 3号機(N-9MA)、初飛行
1944.06.06ノルマンディ上陸作戦 開始
1944.06.28軍、N-9M 3号機(N-9MA)受領試験開始
1944.07.01MX-334グライダー(2号機)、(公式)初飛行
1944.07.01契約(W33-038 ac-4142, JB-1 13機)承認
1944.07.05MX-324、初飛行
1944.07.30契約に基づく、YB-35の初飛行期日(未完成)
1944.08.11XP-56 2号機、最終飛行
1944.09.09Echols将軍とPutt大佐、電話でB-35のジェット化が話し合う
1944.12.01JB-1、初飛行
1944.12.086機のYB-35をXB-35として製作して進空を早めるよう、契約内容が変更される
1945
1945.01.26N-9M 4号機(N-9MB)、初飛行
1945.02.19契約(W33-038 ac-4142, JB-1 11機からのJB-10への改造)承認
1945.04.06JB-10、初飛行
1945.05.08第二次世界大戦(欧州戦線)終結
1945.06.01契約変更(W535 ac-33920, YB-35の1号機と2号機をYB-49へ)承認
1945.08.15第二次世界大戦(太平洋戦線)終結
1945.09.12XP-79B初飛行で墜落事故(パイロット Harry Crosby死亡)
1946
1946.03JB-10プログラム終了
1946.05XB-47 2機、発注
1946.06.13XB-35 1号機、タキシング試験開始
1946.06.25XB-35 1号機、初飛行
1946.08.08XB-36 1号機、初飛行
1947
1947.02.17XB-35のプロペラを二重反転プロペラから通常形態の4枚ブレードプロペラに変更決定
1947.06.26XB-35 2号機、初飛行
1947.08軍、B-36の採用をアナウンス(時期が合っているかは、不確かですが)
1947.09.18YB-49 1号機、完成審査
1947.10.21YB-49 1号機、初飛行
1947.12.17XB-47 1号機、初飛行
1947.12.22XB-35、この日までに 1号機の飛行回数12回、2号機は4回
1948
1948.01.13YB-49 2号機、初飛行
1948.02.06XB-35 1号機、プロペラ改修終了、試験再開
1948.02.12プロペラ改修後のXB-35 1号機、初飛行
1948.03.02ノ社、空軍の偵察写真支隊にB-49偵察バージョンを提案
1948.03.03軍、B-49写真偵察型の契約を示唆
1948.03.12-22YB-49、爆弾投下試験実施
1948.04ベルリン封鎖
1948.04.26YB-49、9.5時間の航続試験(4発ジェットエンジンの周回コースでの新記録)
1948.05.12YB-35、初飛行(その後、試験は難航)
1948.06.05YB-49(2号機)、墜落事故
1948.06.12軍、FB-49(写真偵察型)30機の契約を提示
1948.06.30軍、RB-49(写真偵察型、改名)の生産をConsolidated Vulteeと共同にするようノ社に指示
1948.07.08ノ社、Consolidated Vulteeと打ち合わせを行う
1948.07.16軍、ノ社、Consolidated Vulteeで打ち合わせを行う
1948.08.12軍、30機のRB-49A生産を承認
1948.08.12ノ社、契約(W33-038 ac-21721、1機のRB-49をノ社で、29機のRB-49をConsolidated Vultee社(テキサス州フォートワース)で生産)を受ける
1948.09.16契約(W33-038 ac-21721)承認
1948.09.20ノ社、YB-35をRB-49へ改造する指示を受ける
1948.10.20YB-49、B-29との対抗爆撃テストを実施
1948.11.20軍の一部、B-52に魅力を感じたため、RB-49のキャンセルを勧告する
1948.11.22軍、XB-35 1号機を受領
1948.11.24RB-49のモックアップ審査実施
1948.12.29軍、RB-49のキャンセルを決定(この時、Northrop C-125もキャンセルされる)
1949
1949.01.07軍、XB-35 2号機を受領
1949.01.11軍、YRB-49の作業を除き、RB-49の作業停止を通告
1949.02.09YB-49、アンドリュー空軍基地で航空ショーのため、大陸横断飛行を実施
1949.03.07軍、2機のXB-35、2機のYB-35からのサルベージ(部品利用?)を決定
1949.03.25契約(W33-038 ac-21721)補足
 ・4機のXB-35、3機のYB-35B(?)をジェット化し、新たにYB-35Bとする
 ・2機のXB-35、2機のYB-35を使用可能部品を取り除き、スクラップ処理
1949.04上旬YB-49にヨーダンパー(ミネアポリス社製オートパイロット E-7通称"Little Herbert")、アンドリュー空軍基地で航空ショーのため、大陸横断飛行を実施
1949.07.20YB-35(42-102366)、スクラップ処分される
1949.08.19XB-35 2号機(42-38323), YB-35(42-102369)、スクラップ処分される
1949.08.23XB-35 1号機(42-13603)、スクラップ処分される
1950
1950.03.15YB-49 1号機、高速タキシング試験中に事故を起こし、炎上大破
1950.05.04YRB-49、初飛行
1950.06.25B-47A 1号機、初飛行
朝鮮戦争 勃発
1951
1951.04.26YRB-49、最終飛行(14回目の飛行で、ノ社オンタリオ空港への帰還)
1952
1952.11ジャック、ノ社を去る
1953
1953.07.27朝鮮戦争 終結
1953.12.01YRB-49(42-102376)、スクラップ処分される
(使用文献)
・Northrop Flying Wings, G.R.Pape, Schiffer, 1995
・The Northrop Story 1929-1939, R.S.Allen, Schiffer, 1993
・Winged Wonders -The story of the Flying Wings-, E.T.Wooldrige, NASM, 1983
(注)太文字は、全翼機好きが付加しています。

Mainページに戻る Northrop図鑑に戻る