地元の「須坂新聞」(平成14年1月1日号20面)より抜粋させて頂きました。

松井須磨子記念館を作ろう 

 (前段略)地元の「須坂ゆかりの著名人を発掘する会」が昨春から小田切家を松井須磨子記念館。旧丸田医院跡か春木町の越一番館を吉川英治文学館にしたらーと市や商工会議所へ陳情した。
 計画が急浮上したのは、小田切さんが昨年春「市発展になるなら」と同館を貸してもいいと意向を示されたことから。かねてから絶好の立地で最も豪華な製糸家の館だけに期待は大きい。


隣家の“綿幸”当主 中野隆雄氏談
 私の母古定(こさだ、明治19年7月生まれ)が時々私に松井須磨子さん(明治19年生まれで同い年)の思い出話しをしてくれました。
 その内容は、当店(呉服店)が小田切家の隣でもあり、須磨子さんが足袋を買いに来てくれたとのことです。その際にお話をしたと懐かしい思い出話しを時々してくれました。大正4年の須坂公演の降りにも来店され「古定さんこんにちは」「あらまあお懐かしいですね」と二人で話をしたとのことなど母から聞いていました。足袋もたくさん買ってくれたとのことです。

(右の写真はその小田切家:写真はWeb Master撮影)

(下はその呉服店の“綿幸”:写真はWeb Master撮影)

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日本の新劇運動に非常に縁故の深い松井須磨子と島村抱月、坪内逍遥が連なってくる。

 「カチューシャかわいや 

    わかれのつらさ♪♪ 

      せめて淡雪、とけぬ間に

         神に願いを♪♪ かけましょか

は大正3年(1914)帝国劇場で、島村抱月の率いる芸術座によって「復活(トルストイ作)」が上演されたときの劇中歌です。
 歌った女優は恋多き女優の松井須磨子で、作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平(長野県中野市出身)で曲名はご存じ「カチューシャの唄」です。爆発的な人気でこの時代の一世を風靡した 歌となりました。

<松井須磨子(本名:小林正子)>

明治19年(1886)長野県埴科郡清野村(現在の長野市松代町清野)に生まれています。

明治33年 尋常高等小学校を卒業。

明治35年 姉を頼って上京。明治36年結婚、しかしながら翌年離婚。

明治38年 叔母の須坂の小田切(西麹屋)家に預けられていたが、女優への決意をし単身上京。

明治41年 療養先の病院で知り合った前沢誠助(東京俳優養成所の講師)と再婚。

明治42年 坪内逍遥の文芸協会演劇研究所に第1期研究生として入学。
      (島村抱月は母校早稲田大学文学部で、英文学史・文学概論などを教える傍ら演劇研究所の講師もしていた)

明治43年 文芸協会第1回試演会で、「ハムレット」と「ヴェニスの商人」に出演。前沢誠助と離婚。

明治44年 帝国劇場で文芸協会第1回公演。「ハムレット」のオフィリアを演じて好評。
      このとき初めて松井須磨子を名乗る。(このころから抱月・須磨子の恋愛が始まる)

大正 2年 抱月・須磨子の恋愛関係が表沙汰になると、逍遥は抱月に代えて松居松葉を演出に起用。松井須磨子は
      文芸協会から退会を命ぜられる。抱月は早稲田大学教授の名誉も地位も、そして妻子も捨て須磨子と共に
      芸術座を設立します。

★松井須磨子のお墓は故郷、長野県松代の生家の裏山にありますが分骨して東京新宿区の早稲田大学の近くの多聞院内にもお墓を作っています。また有馬稲子が「女優須磨子の恋」(1975年)に主演したことから、生家に碑を建立しています。

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