「イギリスのクラフト事情」
− The crafts in Great Britain −

<地域振興の視点から見たイギリスのクラフト事情>:滞在と訪問による体験談的評論
イギリスのクラフト見て歩き
木彫りの伝統工芸を習う
クラフトとツーリズムなど地域振興策の関係

工芸・クラフト見て歩き

 イギリスには思ったより多くの工芸品(クラフト)があった。地方のクラフト展では、手作りの物は殆どがクラフトとして扱われ、農場製チーズや地ワインなどの加工食品なども時として出展されているのにしばしば遭遇した。作家そして展示会が最も多いのが陶芸である。少し名のある作家が500名も登録された名簿を見かけたことがある。作品の芸風も多様で、かのバーナード・リーチ流もその一部でしかない。現在でも日本に修行に来て新しい作風を模索している人もいる一方、日本人にもあちらで活動する人がいる。展示会をプロモーションするエージェントも幾つかあり、40〜50人程の人を集めた陶芸展やクラフト祭なども盛んである。作者が直接出張って来ており、火・土、木、金など多彩な工芸品を見るのは楽しい。例えば、Walesの首都カーディフ市の港に立地するギャラリー(Crafts in the Bay)は、作家達が会員制(ギルドの一種)で運営するものであり、これを有志の寄付だけでなく、行政であるEUなどが地域振興策の一環で支援している姿が羨ましい。EUにまで働きかけ、2002年には建物を一新して彼らが自慢する素晴らしい文化施設に生まれ変わり、観光資源としても有用な役割を果たしている。やる気のある個(自律的なギルドを構成)が主張し、その文化活動を直接支援する民主主義が、イギリスを含めヨロッパに確立されていると見た。勿論、世代交代の問題なども含め、そのギルドも変容を迫られている部分が存在することは否めない。

 もっと楽しいのはクリスマス・セールである。11月半ばから1ヶ月以上続くこのイベントは、クラフトの独壇場である。各地で開催される以外に大きな都市の中心街で行われることが多く、この時期だけは広場に屋台(ストール)が出る。作家や地場の小さな企業が、1年間の生活を掛けて出張ってくるのである。カーディフ以外にニューポートやスウォンジーにも出掛けてみた。街の広場はクラフト商店街に早変わりし、他の人とは違う一品物のプレゼントを求める市民で賑わっていた。送る相手を想い、作り手の顔を見て話し込み、価格交渉をしながら丁寧に選ぶのは年末の大きな楽しみである。誰が作ったか判らないブランド物より、目の前にいる作り手と自分の審美眼・観賞力を信用するのは、個を尊重する国ならではの年末の風物詩でもある。世界で最初に産業革命を成し遂げ、最初にそこからポストモダンへと移行してきたイギリスの文化事情を見た気がした。当然、街にとっても人が来れば食事やお茶などで更にお金を落としてくれるので、地域間交流の中でローカルなツーリズム効果も出てくる。

 しかし、ロンドンでは違う状況も見受けられる。全英的な組織であるクラフト協議会は、管轄するギャラリーにコンテンポラリーな作品だけを展示している。伝統工芸はあまり重視していないとのことであった。地域性のあるものまで手が回らないらしく、この点はWalesの作家達も異議を唱えている様子であった。イギリス自体が古い国というレッテルを貼られている傾向が強い。これに対応するが如き国策的な事業内容だとすると、少し気になるものがある。しかし、一方で、作家側の考え方も分析しておく必要がある。伝統工芸は得てして観光資源化され、お土産物扱いになって安物を沢山作る方向性が日本でも見られる。いやゆる安物の民芸である。ドイツでも、柳宗悦が提唱した民芸と似て否なるものになってしまった、日本の民芸の運命と同じ道を辿る地域を見たことがある。作家や地場産業の側からこれを打破する努力が望まれる。イギリスでも工芸家がそれだけで生活していくのは大変らしく、前回訪問時には実質的な時給調査を行っていたのを記憶している。今回の訪問でこの辺りの改善状況を少しは垣間見ることが出来たが、内に籠もりがちな職人気質を克服することも含め、更なる工夫が必要であると感じた。もって他山の石としたい。

木彫りの工芸を習う

 生涯学習のコースでも、クラフト関連は家具のDIY修理法なども含めて盛んである。多彩な手仕事の技の習得が可能であり、手仕事の賃金が高いDIY先進国の事情を垣間見る思いがした。手足の不自由な障害者も補助者も含めて自由に参加出来る仕組みで、陶芸や木彫りにチャレンジしている姿が微笑ましい。2001年から2002年にかけて私がWalesの伝統工芸である木彫りのラブスプーンの彫り方を習ったトーマス先生も、2004年に再び訪れた際には、身障者コースを作ったと話していた。自分の手で物を作り、作品を完成させた達成感を喜ぶ。先生と生徒が人間性復活を楽しむ瞬間である。前の滞在時私が参加した木彫りのコースには、アマの間に挟まれて何人かの木工家のプロも参加しており、彫りの技術で自分のスキルの幅を広げるのだと言っていた。ここでも教育重視の精神が実行されている。

 2004年春のWales訪問では、トーマス師以外に、ポートタルボットの木彫家シャロンさんの工房を新たに訪ねた。彼女は伝統工芸を現代化すべく努力している人で、作家・教室・執筆と大活躍をし、人気が出てきている。著者2人の署名入りで本を購入して来た。ロンドンのギャラリーの話に関しても検討中らしく、議論が盛り上がった訪問であった。北欧の現代家具メーカーの現地出店に際しての契約も取っている。新しい彫刻のセンスで新しい市場に食い込んで行く、国際的な活動が出来る工芸家として注目しているところである。各自治体や工芸家が行っている教室の月謝は、1時間当たり300〜500円相当であり、日本のカルチャースクールの1500円/時間水準と比較するとかなりの差がある。その大きな原因の一つに、場所代が挙げられる。例えば普通の学校の工作室を夜間使えば、箱もの代は掛らない。地価の高い駅前の大きなビルの1室との大きな違いである。先生も時給はさほど高くなく、ボランティア的な考え方で地域貢献している人が多い。他に職を持っている人もいるが、年金を貰っている人が貢献すれば、同じ様な方向性が出てくる。より多くの人がクラフトを学べば、人間性の復興により地域が活性化し、材料とか道具への投資だけでなく、作品の展示や即売から経済活動に繋がってくることになる。自治体としても、「コト起し」の投資先行の中から税収増を期待しなければならない。

クラフトとツーリズムなど地域振興策の関係

 日本でいう里山(Community forest 或いは Community woodlandsと呼ぶ)という場を活かしたクラフト活動が盛んになっている。まちの周辺の里山に作った小屋の中で、足回しの簡易轆轤で木を挽いている光景が多く見られる。登校拒否の生徒がここに来て地元の里山好きなボランティアの人と出会い、轆轤でモノを作りながら人と交流する過程で自信を取り戻し、自らの心を開いていく。工芸家もこれに貢献する。最近実績が出てきており、行政側でも注力し支援している様子である。例えば、都会で仕事をする中で趣味から腕を磨き、定年後田舎に移り住んで自分は木工家として、奥さんは織物をしながら福祉施設で働くなどして地域に貢献する。地元の人に新しいスキルを教える役割も担うらしい。人生を2度楽しむスタイルも人気が出てきて、若いうちから田舎へ移住する人もあるとのこと。今までタブー視されて来た「女王の森」も解放の方向にある。
 行政側の意識改革が進み、この様に地元の活性化に貢献する人に貸与したり売ったりする傾向がみ見られる。財政問題に端を発し、箱物行政からソフトな資源を活用する方向にあり、人のつながりを重視している。「コト越し」で低コストな地域振興策を工夫する必要があるということで、行政はツーリズムへの支援も含め、地元の人が動きやすい文化・経済環境をつくる役割を果たしている様子であった。いわゆる公務員起業家(Civic entrepreneur;市民起業家)ということである。里山の立地によっては企業の参加も可能である。企業の持つ土地と従業員ボランティアを先行投資の概念に基づいて提供することで地域の活性化を実現し、ひいては企業の売上に資することになる。そして、行政は税収が増加することで、”Win Win”の良い循環関係を創出して行くのが新しいスタイルなのかもしれない。

−ツーリズム資源の在り方−
 クラフトは、郷土食などと合わせて観光資源(ツーリズム貢献)としても重要な要素と評価されている。また、都会の人が喧噪を離れて田舎でゆっくり滞在を楽しみながらクラフトの技術を習得するような場とコースを提供している場面に、ドライブ中よく遭遇する。年中提供する専任的なものから作家が夏場に特別ホリデーコースを提供するもの。また、地域の学校が夏休みに夏期コースを企画するものなど、人を呼び込む仕掛け作りに熱心である。「i」でもらった情報を頼りにふらっと寄っても歓迎してくれて、次はコースに参加したらどうかなどと勧誘されてしまう。車でドライブすると、町名などの道路標識に加えてその地方のギャラリーやナショナルトラストのサイトを案内する道路標識を良く見かける。更に、工芸家の工房、或いは手作りチーズ農場やパブ(Pub)付きレストランまで種々の地域資源が、簡潔かつ統一的な表現で案内されている。個業の側でも地域貢献意識があることと相まって、地域の公共資源として大切にし、「i」での情報提供と道路標識の設置でツーリズムとの整合的な行政が行われている。
 そこでは、農場や工芸家が私的な個業であるという捉え方だけでなく、外から人を呼ぶ地域の資源でもあるとの認識に立っている点が特筆される。個人に利益が出てこそ税収が増えるものである。行政は営利的な個への支援は出来ないと言って支援をサボっている状況にはない。工夫がなされていると言える。ここに地域におけるWin Winの賢い関係性が築かれている。これを細野教授が提唱するスマート・コミュニティと理解したい。単純な社会主義と決別出来る理論武装をしながら、中長期的な貢献モデルで地域を活性化する工夫が重要な時代になったと感じたものである。工場にあっても、自信をもって産業観光を企画・投資していけば、経済体としての狭い評価から脱して、地域資源として貢献モデルを担いCSRを果たす企業市民として評価されていく中で、投資の回収が可能になる。その様な地域社会をデザインし構築していくことが、明日の日本の国を創っていくことになると考える。
 各界のプレーヤー達がパートナーシップを追求しながらしぶとく自分の役割を果たしていく覚悟が必要である。責任ある自由を求めて、自律的な行動とこれを許容する地域文化の確立が求められていると思うものである。"自律"について一言付け加えるならば、自由を求めて、自発+自覚+自習+自助・自立という個の意識・態度・行動を総合的にコントロールする(律する)要素として必要不可欠なものであると考えることが出来る。では、何をもって十分とするか。「知足」の精神が重要で、"あれか、これか"の優先順位をきちっとつける市民精神の在り方は、1つの候補に成り得ると考える。