「生涯現役への示唆」

”自分の価値”を高める一つの方法
−引退の時は自分で決める人生に!−

転身を目指して、畑違いの大学院に通うの巻 : 電子工学 → 総合政策研究

体験談(石黒 広洲 記)

  一般的に何故大学院か・・・昼夜間なら有職でも可!
     ・自分への投資
     ・自己実現;経験を活かす新しい展開
     ・新しい自分の発見

   私の場合:中長期的な展望をもって自分に投資した。
    <散文的な知識・考え方の深化・専門化・統合化を目指す。>
      ・真理の探究の幅と深さを拡大
      ・理論と実践のブラッシュアップ
      ・論理性と創造性のバランス(西洋と東洋の融合)
      ・学問的客観化と発想の訓練


自分の選択

 60歳で停年、それが若干長いととしても、社会からもうお前はいらないと言われているような気がしませんか。

 生涯現役を標榜する私としては、悠々自適と言う言葉は余り好きではない。 55歳を過ぎて停年までの残りをカウントする受け身の人生にはしたくない、 あと数十年自分で第3の人生を切り拓いて社会と関わって生きてみたいと思うようになった。それには会社の停年前に自分で次のステップを選択する必要があるとの思いから、 仕事とのリスクヘッジをとりながら、After5を活用して準備を進めて来た。

考え方の変化

 30年余り企業人、電子工学の技術者(半分は管理者)として大きな組織でやって来たことと違った事をやってみたくなった。
  (若干の海外そして業界活動を経験した産業人として、今までの経験や知識を活かさないという訳ではない)

 50歳前後から興味を持ち始めた伝統的工芸品産業、特に新しい道楽的趣味である漆工芸は、これは子供の頃からの趣味である木工とも関連して、今後多面的に実践する分野として大切にしていきたいと考えている。その材料との絡みで環境、特に森林などの 自然環境にも興味が向くようになってきた。ここから、地域の産業や文化の問題、つまり”まちづくり”に関心・行動が発展していくことになる。

 環境問題に関連したNGOである日本環境倶楽部に加入し、村づくり・まちづくり応援団に参加している。ここには”まちづくり”関係の専門家コンサルタントが多数参加されており、 交流は勉強になるが自分はパスポートを持たないため、何か社会科学系の勉強もしないとの思いが広がっていた。

何となくの時期

 98年の正月である。来年は一次定年の56歳を迎えるので、今後の人生に向けて”転身を考えてみたい”、そしてその前に研修も兼ねて永年の約束である海外生活に踏み切るかなどと話し合う中で、 妻の方はもう2年間やりたい事があるということになった。

 その間自分は何をしようか、年をとると気力が低下することも心配である。木工あるいは漆の修行を2年間やってみるのはどうか。 この年ではものにならないと言うことで道楽の範囲に留め、大学で地域経営関連を掘り下げて勉強し、地域デザインのコンサルタントを目指してみようかと考えるようになった。

 しかし、最も重要な問題は生活にからんだ経済的な事である。62歳の年金まで結構時間があり、どの様に目処を立て家族に了解して貰うかがポイントである。 幸い家は増改築を含めローンは終わっており、子供の大学も1人は卒業、もう1人も目処がたっていた。独立資金と当面の生活費の工面を考えながら、貯金と退職金の切り崩しを計算し楽観的に責任を考えることにした。 ある程度ボランティアは覚悟しても、転身して3年程度は稼ぎにならないことは覚悟しておきたい

決断のとき

 5月になって55歳を迎え、ターゲットに考えていた56歳が秒読みになったのを機に、1年後を考えて定期人事で上司にラインの役職をはずしてくれるようお願いした。

 いよいよギヤチェンジである。しかしまだ58歳のタイミングも若干睨んではいた。下の子供がもう2年勉強したいと言い出したからである。そして、具体的に学校探しを始めた。 年末になってタイミング良く会社の能力開発制度が出来て、2年間の研修期間生活費の面倒を見てくれることになったのはラッキーであった。人事とも相談し研修として大学院に行く最終決断を下した。

方向が見えて来た

 どうせなら専門性を狙って大学院を目指そう!

 「Exsective」誌を参考にして英国の通信教育は自由度が高いのでどうかなどインターネットで調べてみたりもした。98年5月号の特集で「大学院に行こう!」などとけしかけられ幾つかの候補が挙がってきた。 特に、社会人入試と昼夜間授業をキーワードにして幅広く調べるため、「社会科学系大学院案内:東京図書」を入手し、つぶさに調べて2校をリストアップした。後から心配になり、99年度から条件が揃った1校を追加してフォローした。 これで現実性と可能性がバランスした方向が見えてきたのであった。その後具体的な入試の準備に入った。

入試関連の具体的進行:参考に後述

なんとかなった!

 中央大学大学院総合政策研究科に入学した。

 およそ2割が学部から、2割が外国人、例外を除き有職の社会人が6割(2、30代が多く、50代は1割)といった配分であった。しかし、社会人でも40代は希である。 平日は夜(都内、多摩で昼間もある)、土曜日は1日(多摩)の授業で、有職者でも単位がとれるのが特徴である。岩手、長野、静岡などの人もいる。

 大学院はレポート(アウトプット)が多い。そのため、結構本を読み考えなくてはならない。書斎が狭くなり、また家に日中在宅することが多く、隔離のため第2書斎も必要になった。 そこで修論に向けて周辺を固めるため、幅広く哲学や宗教的なもの、そして当然素養の無い経済学の本まで紐解くことになったのである。ここから、21世紀の新しい地域社会のモデルを構想していきたいと考えている。

そして今

 中央大学大学院総合政策研究科を無事卒業し、その時の人脈で次のステップへ。

ご質問 E-mail : h5m7a3h2@mxa.mesh.ne.jp

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入試関連の具体的進行:ご参考

 <いよいよ準備開始!>

 「Exective」誌によると、”専門書を読むことで研究計画をきちんとまとめること”が必要とある。それまで、まちづくりの本は結構読んでいまが、いわゆる専門書ではなかった。 まず計画書の書き方についての過去の記事も含め整理をし、チェックリストを就くっておいた。

 7月から10月頃まで専門書を通勤時間に読み、世の中の現状を把握した。専門書を読むと参考文献が出てくるのでそこから芋蔓式に20冊以上読んだことになる。 一方、インターネットで新しい専門用語を検索し、新しい情報を入手していった。これは受験前まで続け、結構勉強になった。

 11月頃から研究計画書に着手したが、これは結構大変である。社会人入試制度は特にこれでほぼ決まると言って過言ではない。 3校について、800字、3000字、6000字とボリュームに幅があり戸惑った。研究テーマも想定する指導教授によって専門性が異なるので、これに合わせた切り口に工夫することも大切ではないかと考えて対処した。 そこでまず3000字のものをまとめ、これをベースに800字は要約をし、6000字はテーマを展開し詳細記述を増やしてカバーした。3つで1ヶ月半かかった。

 <入試要項取り寄せと教授の研究>

実は学校によって入試要綱の発行時期が異なり、計画書の骨格をまとめた頃からボチボチ入手出来、字数のバラエティーに慌てたものである。また、めぼしい各教授の専門性や興味分野を研究しながら計画書の微調整を行う必要もあった。 学校に提出する関連資料の形式や内容にも大きな違いが有り、チェックリストを作って準備状況を消し混んでいった。この辺りは知り合い等がいて早めに情報がとれれば苦労は少なくなる。インターネットからもある程度情報入手は可能である。 そして、目当ての教授がいたら直接当たることも良いかもしれない。後から聞いた話で、知ったことである。

 <いざ出願、そして面接>

12月末頃から順次出願、書類審査、面接等で進行していった。専門科目の試験を行わない処は、計画書の他に推薦状や自己の能力証明などを揃える必要があり、この辺りの準備を日頃行っていないと結構苦労するところである。 出願は許容日程の真ん中辺りに出すと良い。計画書に就いては、専門家(教授)に見てもらったが、一部訂正レベルで行けたのは書き方を勉強しておいたお陰であろう。書類審査は3校共全てうまく行った。
 1月30日最初の面接である。時間は20分、3人の教授から次々と質問がとんでくる。久しぶりの緊張である。日頃の資料集めやインターネットでの情報収集を自分なりに整理しておいたのでなんとかこなせた。 

 <ドキドキの1週間>

 面接から発表まで1週間、40年ぶりのドキドキである。

 しかし、この間次の試験の準備がある。英語は残り2校とも辞書持ち込み可であり、過去問をチェックして問題なし。 しかし、1校で専門科目があり気が抜けない。
 2月5日いよいよ発表である、当日は昼休みに会社から見に行った。本命視していたところが最初に決まった。手は尽くしたつもりであったが、今思うとあっけなかった。 本命、対抗、穴の順にうまく日程が組めるとベターである。

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