「高質な生活」の実現こそが日本経済を救う!!

By 石黒 広洲(1997年4月1日)

 
 この資料は寄稿を想定してまとめています。しかし、某全国紙で不採用になりました。

はじめに

 中流意識を持ち現状の生活に満足している個人の割合が8割程度であると言われる中で何故経済が閉塞状況にあるのか。諦めの中での自己弁護的な風潮なのか。本当に8割の人がいわゆる「いい暮らし」をしていれば、経済はもっと活性化するのではないのか。毎年1千万人を越える人が海外に行って、何を見て来たのか。国民の知る権利にジャーナリズムは正しく応えているのか。など疑問が湧いて来る。はたして”私はどうなのか、何を望みどうお金を使いたいのか”、企業人そして個人として自問もしてみた。

 結論を先に言えば、<いま日本に必要な事は個人の「高質な生活(ハイクォリティライフ)」の実現であり、「高質化」というプロセスに種々の活動を集中させる事である>と提言したい。「高質」は、自分を始め個人、企業、行政など各層が各場面で取り組むテーマである。従来が効率化のためのHowを中心とした時代であったのが、これからはWhatを中心にするべき時代であるということでもある。

「高質」とは

 質的な変革を遂げつつある成熟化社会においては、「景気」という、物中心の指数のみで生活・経済の実態を測るのは困難である。「生活者の質の高い人生の現在の満足度」の方が、経済活動の活性化度を的確に表している。経済学も、「高質なWhat」を支える「文化経済学」を基本に置いて組み立てることを考えるべきと思う。従ってここでは、高品質なる言葉も使っていない。この言葉は、どうしても物のイメージを引きずっていて、施策の範囲が狭くなる。「高質」なるキーワードはこの様な背景から出てきたものである。

 個人の側から考えると、一般的な表現である「いい暮らし」の「いい」は、主観的・体感的である。一方、「高質」は客観的かつ抽象的・精神的であり、「ほんもの」あるいは「固有価値」と称することと根源を同じくする。「生活」は「暮らし」に比べて個人、家族、仲間、職場、地域などが想定され社会性が感じられると共に、日常性・非日常性両面が混在している。この辺りが広い層に向けて提言する根拠になっている見方である。これらを踏まえると、「高質」をどのように評価して施策に活かすかが、「高質化」のプロセスには不可欠であると考える。提言の第2番目は、以下に述べる「高質」の測度あるいは尺度についてであり、「Whatのデザイン」に対する理論武装のツールとして論じる。

「高質」の測度と尺度

 そこでまず従来を考えると、「効率化」が物量中心の時代の活動目標あるいは価値の主測度であり、これは空間軸/時間軸で表される。つまり速く・多くと言う尺度で示される物理系のそれであった。一方、質の時代には人間系を加える必要があり、これは知性軸/人間性軸で表されると考えたい。更に、物理系(ハード)と人間系(ソフト)をバランス良く組み合わせて融合させることも必要になる。この結果、活動目標あるいは価値の主測度も1つから4つに増加する。増加する3つの主測度を簡便にキーワードで表すと、「楽しむ/ワクワクする」、「クリーン/ゆとり」、「学習/創作」などとなろう。これらは、各軸の尺度との関連で導かれたものである。その各軸の尺度も議論されるべきであるが、人間系では、知性軸の「美」と人間性軸の「健」を主尺度の代表として掲げておく。

 一方、物理系でも変化が起きつつあり、空間軸の「快」や時間軸の「悠」などを、時代性のある主尺度として提言したい。そうすると物理系の測度も変化することになる。つまり、物理系の主測度に「生産/効率」一辺倒から、「安らぎ/憩い」といった時間の使い方をシフトさせる事を加えることなる。これらの関連の中で「生活」に視点を置いた経済或いは価値を論じて理論武装した上で、活性化の方策を練ることになる。

 さらに、この様に行動目標あるいは価値が多様化する状況において、複数の軸間の関係性や軸が作る相や系の関係性が、もう1つの重要なキーワードになる。当然、関係性における「高質」も議論されなければならない。関係性を司るのが「エージェント」の機能であり、測度として「ネットワーキング/コラボレーション/統合化」が重要になっている。そこでは、情報の持つ意味が大きく変化しており、オープン度(情報公開)、タイミング、双方向性、及びハイパメディア度が他の軸との関係も含めて重要な尺度になると思われる。また、生活者と提供者(ビジネス)の双方にとって、「マーケティング」の役割が関係性との関連でより重要な意味を持つように成っていくことを指摘しておきたい。

 これらの測度や尺度に使ったキーワード群を「生活」の局面に展開して、「高質」を論じ・実践することが今後の主要な課題になる。

各層のするべきこと

 方向性が出て「高質」に向かったと仮定して、生活者こそ「高質」を評価・享受する力、そしてその結果を伝達する力を学んで磨かないと「高質な生活」は望めないし、これを支える経済の活性化もあり得ない。”望んで動かなければ何も得られない”と言うことは、ことわざにもある昔からの真理ではないか。また、提供者にも基本的な考え方の変革が求められる。

 「生活」に係わるキーワードは、優しく一見フワフワとして実体の無いものであると論じられることが多い。特に、政治/行政の場においてその傾向が強い。これは、論外であるが、自分自身の活動がそうである事からくる不安がそうさせていると思われる。

 政治/行政が価値の評価を主体的に出来ない現状では、余り多くを期待しない方がよいのかもしれないが、後述する最低限のことには取り組んで欲しいものである。

 取り敢えず、個人がそして企業や専門家が「高質」を的確に把握して「物やサービス」そして「まちづくり」にガッチリ乗せていく事で、目に見える形の「高質化」を始動し・立ち上げて行く方法がベストと思われる。また、コストについて言えば、「高質なものを安くつくる:高質=低コスト」というパラドックスを是非成り立たせないといけない。付加価値はそこから創出されるものである。ただ、ここで1つ重要な点を指摘して、3つ目の提言としたい。それは、「高質化」は、内需拡大の主導的方策として実行される必要があることである。つまり、創出された付加価値の大部分が国内、しかも出来るだけ地域内で廻る様に仕組まないと元の黙阿弥になると言うことである。

 前述した測度・尺度を生活の場面に展開した「高質化」の具体的方策例としては、学習・文化・工芸・芸術への時間と金の配分、職住近接、休暇の長期取得、ボーナス休暇制度、幅広い分野のボランティア/NPOの促進、芸術家の地位向上、国内旅行の低価格化、地方の住環境整備・移住、地域(地場)産業の内発的振興、環境重視型都市再開発(森づくり)、インターネットの活用による都市市民と地域産業の交流促進、住民参加の交流型まちづくり、事業のSOHO化、プラスワンルーム・キャンペーン(理由をつけて1部屋増築)など今直ぐ着手出来ることが多い。ただ、インセンティブとしての個人投資・寄付減税制度やこれからの時代の基幹となる情報公開及びサイバー法制定そして地方主権・首都機能移転などは、政治/行政のやるべき最低限の施策であると考える。上記具体策の実現に際しては、新生日本を創ろうとする「意思」と「エネルギー」を持った人達の個のネットワーク(コアネットワーク)の構築が極めて重要な役割を担うと予想される。

おわりに

 国民個人がまず自ら「いい暮らし」更には「高質な生活」を知る事から始め、意識的に少しづつ実践する中で、経済界もこれを後押しすることが日本の経済の活性化の唯一の道であると考える。これはここ5〜6年間の実感である。また、政治/行政もあらゆる制度・法律を、国民の「高質な生活」実現にシフトすることこそ最も基本的な役割であり、自らにも帰ってくる事に気が付いて欲しいものである。ボーダーレスの時代、自分の事だけ考えれば個人の側に選択権があることの意味が判っていない人が多いのではないだろうか。

 個人、企業、行政が各々の個の立場において、自律的に当事者意識を保持しつつ国際的に通用するハイクォリティ・ライフの実現に「意思とエネルギー」を投入すべく、今日いまから行動を起こしたいものである。


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