住民の思いを託す、作らせる
議員代表制のもとでは、住民の思いをどの議員にどの様に託して実現させるのかが問われる。公約が口約であったとすると、単なる口約束であり期待にもならない。公約である限り、選挙後の実行とその結果の評価にまでシステム化されていることが重要である。行政が進める事業がインプットで語られる時代から成果(アウトカム)で評価される時代へ、単なる多数決ではなく真に国民のための優先順位を組み込んだ「あれか、これか」を選択する時代へと移りつつあると考えなければならない。そこに民主主義の先進国イギリスが生んだ「マニフェスト」の存在意義があるといえる。横文字云々の議論ではなく、民主主義の根幹に関わる課題であると考えるべき事柄である。選挙において、連呼、ポスター、一票何万円、経歴放送などの中身の無いものから、政策を基本にしてホームページや公開討論会で議論を深めていく形への進化が出来るかどうかが問われていることになる。そして、次の選挙では成果を数値化された実績で評価して一票を投じる。その媒体がマニフェストである。「生活の質向上を目指し、政策論議に心して当るべし!」ということであろうか。
マニフェストの元祖
イギリスにおける歴史は長いという。その中で、1997年のブレア氏率いる労働党のマニフェストが有名である。しかし、当然これには4年間の成果は記述出来ていない。その意味で、2001年の総選挙におけるブレア労働党のマニフェスト(書店にて2.5ポンドで販売)は、4年間の実績(Records)が最後のページに添付され、自己評価が記述されている。従って、この実績を国民が自分の立場で評価出来る仕掛けになっている。40ページ以上のボリュームであり、冒頭では、党首ブレアの思い(理念)が一人称(I)で語られているのが印象深い。同じ立憲君主国でも、首相の位置づけが違うと言われているが、内容的にはそれ以上のものがある。しかし、優先順位を付け、財政赤字を増やさないで実行することは困難が伴うことではある。
ブレア氏は教育、教育、教育と叫んだが、これにはEducation、Learning、Trainingが含まれていると考えられる。マニフェストによれば、学童教育、高等教育、若者の能力開発、職業人のリカーレント学習(再トレーニング等)、成人の生涯学習など全てが教育問題の対象になっているとを見逃してはならない。企業も地域づくりもコアとなるのは「ひとづくり」と言われている。変化の速い情報化時代においては、広義の教育が重要であることを指摘していると理解出来る。なお、イギリスのマニフェストを読むとき留意すべき点がある。それは、現在では地方分権(権限委譲;Devolution)が進み、ウェールズやスコットランドなどの地方議会があるレベルの法律を作れる状況になっていること。その中で、中央政府は、経済政策、年金・厚生、防衛、外交、基本的な立法、税制、国際開発などを担う。地方政府は、健康、教育、経済開発、地方交通、環境、農業、文化・スポーツを担う、という分担が確立されていることである。
基本となる「個と社会システム」の関係
マニフェストが国や地方政治における選挙宣言(約束)であるとしたら、そこでは意識の上で少なくとも「個と社会システムとの対等な関係性が存在する」と考えていく必要がある。政治家が国民の付託を受けて動かす社会システムと個の関係が、思いやりとか温情主義の議論はあったとしても、親分・子分の関係にあるとしたら、選挙におけるややこしいマニフェストなどは必要ないのかもしれない。また。社会システムが個より先にあるという意識あるならば、これは社会主義ということになり、お上任せは当たり前の意識構造を示していることになる。そこから、個と社会システムが対等の関係の上に相互の依存性の在り方を探っていく社会モデルが想起されるところとなる。
−マニフェストが問うもの−
つまり、マニフェストは"個の意識の在り方"を問うているのである。日本が憲法に定められた民主主義を奉じた先進国になるための踏み絵かもしれない。その意味から、日本におけるマニフェスト選挙の推進は、逆に「個と社会システム」の新しい関係性を、意識の中から掘り起こす操作子と言えるものになりそうな予感がする。自分を取り巻く状況;社会システムへの「気づき」に始まり、自覚・自発、自習・自助、自律・自立から責任ある自由の獲得へ。意識改革から信念・態度の変容、そして具体的行動へと、外に向かって個が貢献できる形へ移行すること。勝ち組・負け組ではなく、「Win Win」の関係を築く社会への転換点にあると理解できると考えるものである。
政党マニフェストと地方マニフェスト
マニフェストは大きく2つの種類があるとされ、いずれも自らの"気づき"、つまり"意識の掘り起こし"の道具の位置づけがあると言われている。「東京から日本を変える」というフレーズがある。しかし、これには「東京自信を変える」地方マニフェストが伴っていない。観念的なものから現実を動かすものへ、構想を実行計画に落とし込んでいく理念と政策がセットになったものが求められている。これなくしては、日本を変える力になり得えないと理解したい。一方、首長のマニフェストよりもやっかいなのは議員のマニフェストである。特に、地方において政党要素が希薄な日本において、議員個人がどこまでマニフェストを記述できるのか。議員個人のマニフェストの位置づけを見失わないような工夫が必要と考えられる。首長と議員の2元代表制において、今後の研究や試行錯誤が求められている。
−マニフェストの内容−
なお、マニフェストの中身に関しては、健康・医療・福祉や正義・公正の実現、そして学校、図書館、美術館・博物館、集会所などの知的文化インフラ及び交通やライフライン整備などの物理的社会インフラの整備は基本的な事項レベルと考える。更に、環境・文化・教育と経済開発(雇用創出)の総合的な地域活性化策がセットなった理念を掲げ、「あれかこれかの優先順位」までを示すことが、国にも地方にも求められている時代であることに留意して評価すべきであろう。優先順位と関係が深いのが財政的な裏付けとマネージメントする人材の確保である。人材育成は、仕事をしながら学ぶOJTが中心になるが、外部との交流も大切であり、開かれた地域を指向すべきである。財政上で考慮すべき点は、「地域内循環」を基本にした「地域間交流」である。まさしく、自立した地域(個)と地域の相互交流による相乗と補完の原理追求である。
既に知事選においてマニフェスト選挙が実行されている。先の参議院選挙でも試みはなされた。来るべき総選挙において実行される土壌を早く作っていくことが、民主主義日本を創っていく礎になると考え実行することこそ肝要であると教わったのは幸いであった。
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