恵那北高との統合後、新生中津高校として歩み始めています。 |
OBの皆様、「旭陵新聞」などで母校の状況は概ねご存じと思います。関東OB会では、更に、毎年校長先生やOB会窓口の先生方に遠路足をお運び頂いています。
校長先生からは、学校の極く最近の状況や、後輩である在校生の活躍ぶりを紹介して頂いています。 更に、同窓会本部からも会長や副会長がお越しになり、中津のまちの状況や課題を紹介されます。 ふるさと中津川への思いを募らせるひとときは、OB会ならではの貴重な時間となっており、参加する楽しみの一つとも言えます。 |
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我らが母校を懐かしみながら、我々の役割を再考出来ないでしょうか。ここで、母校の校歌を読み直してみます。 最近、最低年に2回は歌う機会があり、卒業生の立場から振り返って、 新しい意義を見出すことを私なりに試みました。
まず「自由と個人の尊厳」、というフレーズです。永遠の課題とは言いませんが、入学から半世紀が過ぎなんとする今日でも、
改めてその意味を噛みしめてみる必要があると思うこの頃です。最近、今までと少し風向きが違う世の中の変化が感じられ、
個人の自立が大切になってきたと言われています。そこからは、自立した個人が各自の得意技を活かしてお互いに支え合う自由な社会が想定出来ます。
多感な青春時代に、校歌を通して学んだ「自由と個人の尊厳」の精神は、まさしく今の時代にこそ一層重要な意味を持つと理解出来ます。
このフレーズは一人歩きさせるのではなく、「拓きゆく」や「勤労と自治陶冶」とセットにすることで成り立つものと思います。
また、「風土に育まれた」我らは、故郷にどのようにお返しするのか。
その一つが、「母校の名を顕わさん」であると教えてくれています。「新た世の柱となり」つまり“社会貢献をすること”が、
それであると解釈出来ます。同窓生という絆と信頼関係が、経済的な価値以上の何かを生み出す仕掛けになってくる予感がします。
卒業生の個人的な成果が世に注目されれば、母校への入学希望者が増え、質が高まって良い循環が生まれるということも、
忘れてはならないところです。
卒業生、しかも故郷を遠く離れて暮らす関東OB会の面々が、旭陵に集って学ぶことはかないませんが、
年1回のOB会という機会に集うことは可能であり、現在150名内外の方々がこれを実行されています。
参加するかどうか、或いはこの場をどの様に活用するかは個人の自由です。
再会を楽しむのもよし、昔話に興じるのもよし。先輩の人生に触れ何か教示を受けて生き方を学ぶのもあり。
後輩から若さを分けてもらうことも可能であり、皆々「我ら若し」となりたいものです。楽しく過ごすひとときから何かを学ぶことで、
集った意義が高まります。 (石黒記) |