経済の閉塞状態を打破するため、かつてニューディール政策がとられた時代がありました。しかし、成熟化社会を迎えた今日、ケインズ的な発想だけでは不十分です。我々のライフスタイルの変化とこれを導いた意識のあり方にまで遡った、文化インフラ/地域のDNAとも言うべきところでの進化的な変革が必要になっています。個人一人一人の心に浸み通り響きが返えって来る政策が求められる時代です。時間的なゆとりそして心と経済的なゆとりが新しい文化的な価値を求め、これに呼応して新しい経済的な効果と配分が生まれて来ると認識したいものです。
これらの"悠"を体現し、文化という共有資産の増大と分配の拡大を目指した"悠ディール政策"が、我々を新しい時代への入り口へと導いてくれそうな気がします。当然、悠ディールによって雇用を増やすことが最も重要なことです。土地や機械に投資することから人・文化・環境・学習に投資する発想がこれを可能にします。今、効率の悪い処で人減らしが進んでいます。必要なのは、余った人を新しい悠ビジネスに回すための投資と言い換えることができます。投資の分配の徹底的な見直しが喫緊の課題であり、これを可能にするリカーレント教育が必要です。社会主義的な発想をするいわゆる抵抗勢力に抗して、真の民主主義を目指して、マニフェスト政治をベースとした各地域の再構築がなされるべきです。 なお、"悠"は、"遊(非日常、娯楽)、優(福祉)、湧(創造)、融(個と社会システムの関係)、勇(元気な個)、邑(地域)、結(ネットワーク)、有(有機:organic)、友/宥(人権)"などへの展開にも通じるもので、多面的な取り組みが可能になります。その意味では”ゆうディール政策”と言い換えるべきかも知れません。但し憂鬱の憂や後ろ向きの憂国の憂は御免なさいです。 |