20世紀の名言

 旧世紀:20世紀に人類が遺した叡智の記録です。
 人類の発展を継承するために、皆が知っておくべきです。
 色々な立場からの言動が入り乱れ、玉石混同である可能性も否定できないので、ある程度分類・補足したこれらの言葉の価値は自身で御判断下さい。

(新世紀:21世紀の語録も徐々に入ってきています)
分野
年代 業績(発言の主題)発言者肩書き
解説付き「名言」補足:意味するところ
(技術者心得・技術とは(科学者心得・科学とは(人の在り方)
食品
1958 "チキンラーメン"、1971 "カップヌードル"開発安藤百福日清食品創業者
「開発するモノによっては、袋小路を出られない場合がある。しかし、それは常識のワクだけで考えているためである場合が多い。」
1968 世界初のレトルト食品"ボンカレー"開発三尾谷秀明大塚化学食品部顧問
「価格競争の中でも生き残らなければいけないんですけど、私共は価格競争にならないように自分で市場を作って、ファーストランナーとして走っていこうというのがポリシーなんです。」
エンターテインメント
1928〜 アニメ映画有声化(米)ウォルト=ディズニーアニメ作家
「新しい世界を開拓し続けなければ、ボクは死んでしまう。」
1961 世界初のビデオゲーム「スペース=ウォー」開発(米)スティーブ=ラッセルゲーム プログラマー
「私自身が作ったソフトがコピーされて広がることがうれしかった。」⇔ビル=ゲイツ
1975 テレビゲーム"ポン"開発(米)ノーラン=ブッシュネルアタリ社CEO
「成功するためには、既にみんなが知っているような種類のゲームを考えなくてはいけませんでした。どこの酔っ払いでもプレイできるような、シンプルなゲームです。」
1978 スペースインベーダー」開発西角友宏タイトー開発者
「極端な話、人気があろうがなかろうがどっちでも良かったというのが正直なところかもしれません。」技術者としては達成感を得ていた
1983 "ファミリーコンピューター"開発山内溥任天堂社長
「コンピューター時代の到来を予想していたのは任天堂だけではない。しかし僕は みんなのやる事はやらない 誰も考えていない事をやろう という路線を一貫して提唱してきた。」
1989 "ゲームボーイ"開発横井軍平任天堂開発者
「世界で一つしかない、世界で初めてというモノをつくるのが、私の哲学です。それはどうしてかというと、競合がない、競争がないからです。」:それこそモノ作りの原点
1994 "プレステーション"開発九多良木健SCE社長
「コンピューターはビジネス用として発展してきた。別の意味のコンピューターの世界をつくりたいというのが僕のエンジニアとしての夢。」
通信
1876〜 ベル式電話機発明(英)アレクサンダー=グラハム=ベル発明家
「生きていることは素晴らしい。この世界は面白いことでいっぱいだ。」
1895〜 無線通信開発(伊)グリエルモ=マルコーニ発明家
「いずれは心を直接伝えることができるようになるでしょう。」:無線通信の発達を予見
交通
1885 世界初の内燃自動車開発(独)カール=ベンツベンツ社創業者
「いや、発明することの方が、発明したことよりもずっと面白いことだ。」
1903 世界初の動力飛行成功(米)ウィルバー=ライト発明家
「空を飛べると信じていたがために、逆に苦しんでいた。」
1908 "T型フォード"開発(米)ヘンリー=フォードフォード創業者
「大量生産:mass productionは単なる量産:quantity productionではない。」:動力と正確さ、経済性、システム、連続、速度という諸原則による製造事業に焦点を合わせたものである
1932 "フォルクスワーゲン=ビートル"開発(オーストリア)→(独)フェルディナンド=ポルシェポルシェ創業者
「ユーザーの立場で考えた場合、多少でも不利となりうる要素は決して採用すべきでない。」
1943 "V-2ロケット"開発(独)→(米)ウェルナー=フォン=ブラウンロケット開発者
「地球上を旅するのと同じ手軽さで、太陽系を旅行することができるようになる。」
1951 高性能オートバイ開発本田宗一郎本田技研工業創始者
「会社が潰れてもいいから真似するのだけは嫌だ。」
1964 "新幹線"開発島秀雄国鉄技師長
「合理的メカニズムは、美しくなければならない。美しい機械は、性能もすばらしい。」
1994 ハイブリッドカー"プリウス"開発内山田竹志トヨタ開発者
「21世紀の車はどうあるべきか、僕達はどういう車を作るべきなのか、まずそこから考えるべきだ。」
デバイス
1877 蓄音機発明(米)トーマス=エジソン発明家
「To rest is to rust.(休むことは錆びることだ。)」perspirationパースピレーション:汗、発汗


inspirationインスピレーション:ひらめき、霊感
1879 電球発明    〃
「商品にならぬ技術は役に立たない。」:理論科学への挑戦
「私を天才と呼び、成功者というのはあたらない。何もかも精一杯の努力をしただけだ。99%まではperspirationで、あとの1%がinspirationに過ぎない。」
1915 "シャープペンシル"開発早川徳次シャープ創業者
「教わって覚えたモノは浅いけれど、自分で苦しんで考えたことは深いんですよ。」:習うより慣れよ
1917 松下式ソケット発明松下幸之助松下電器産業創始者
「とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。」:彼の人生哲学そのもの
「まず汗を出せ。汗の中から知恵を出せ。それが出来ない者は去れ」
1964 世界初のオールトランジスタ卓上式計算機開発浅田篤シャープ開発者
「常に刺激を求めるということから自分の感性を高め創造力を養うという、そういう努力を続けなきゃダメですね。」
1964 "クオーツ時計"開発中村恒也セイコーエプソン社長
技術っていうのは、それ自体に価値があるわけじゃない。うちみたいなメーカーが、それを応用して製品をつくって初めて価値が出てくるんです。」
1966〜 高性能スピーカー開発(米)アマ―=G=ボーズボーズ社会長
「技術はヒトが使うために開発する。人間の心理を熟知することが必要だと思います。」
1976 "VHSビデオ"開発高野鎭雄日本ビクター開発者
「日本なり、1社で独占しようというのはスケールが小さすぎる。」
1978 "ウォークマン"開発黒木靖夫ソニー開発者・工業デザイナー
「ウォークマンの原点はソフトなんです。ハードじゃない。」:原点は遊び心
1982 "CD"開発中島平太郎ソニー技術顧問
何故、信念を貫けたかと言えば「インスピレーションです。それ以外の何モノでもない。」
1992 通信カラオケシステム開発安友雄一ブラザー工業開発者
自動ソフト販売端末"TAKERU"の利用先として、「カラオケにこだわりはないんです。とにかく通信回線を使って送れるデータで、爆発的に需要のあるモノを探しまくりました。」
1999 "AIBO"開発土井利忠ソニー開発者
「神が創ったモノに比べると初歩的ですよ。」本物の犬に対抗しようなんて露ほども思っていません。しかしエンターテイメントを磨くことによって、その周囲に、必ずヒトに役立つ技術が派生する。
カメラ
1975 世界初のストロボ内蔵カメラ
'77 自動焦点カメラ開発
内田康男コニカ開発者
「実際にカメラを使う人が、ああ便利だな、技術も進歩したものだ、と思ってくれれば、それはユーザーにとって進んだ技術なんです。」
1986 世界初のレンズ付フイルム"写ルンです"開発持田光義富士写真フイルム開発者
使い捨てという発想は最初からまったくなかった。」:"写ルンです"は全部品がリサイクル
1989 世界初のデジタルカメラ開発曽我孝富士写真フイルム開発者
ヒット商品を生み出した理由は「思い入れがないとダメですね。誰かが決めたモノを淡々とつくっているだけでは、痛い目に遭います。」
素子
1882 交流モーター、'90 テスラコイル発明(クロアチア)→(米)ニコラ=テスラ発明家
自分の発明の価値を確信して「現在は彼らのものだが、未来は私のものだ。」
1947 トランジスタ発明(英)ウィリアム=ショックレー物理学者
「我々はきわめてメカニカルな時代に生きている。」たった一つの小さな部品が富を生み出す
1950〜 超小型トランジスタ開発井深大ソニー創業者
常識と非常識がぶつかり合った時に、イノベーションが生まれることがあるんです。」
1956 "エサキ=ダイオード"発明江崎玲於奈物理学者
「科学とは自然の本質を理解し、新しい知識を創造すること。」
1959 集積回路(IC)発明(米)ジャック=キルビー発明家
「全ての材料を一つの材料から作ることが出来るなら、それらをみんな一つの材料に入れてしまった方が合理的なわけです。」→集積回路の始まり
1993 高輝度青色発光ダイオード発明中村修二日亜化学工業→カリフォルニア大教授
本当に優れたモノを出すには、会社のいうことを聞いてはいけない。」
IT
1897 "ブラウン管"発明(独)→(米)カール=フェルディナンド=ブラウン物理学者
「我が生涯を省みるに、実験こそ我が天職にして使命だった。」
1924 "八木-宇田アンテナ"開発八木秀次アンテナ開発者
実験は常に真っ当な結果をもたらしているものだ。こんなはずはないと考えるのは、人間の方が間違っているのだ。」:研究とは問題を解くことよりむしろ問題を発見すること
1930〜 音声発振機開発(米)ビル=ヒューレットヒューレット=パッカード社創業者
独自のアイデアというのはありませんでした。注文されたものは受け入れる、というのが私達の考えでした。」:自分でアイデアを出すか、他人のアイデアを具現化するかの違い
1936 テレビ開発高柳健次郎技術者
一人の天才によって科学技術が進歩する時代は終わった。」
1936 "チューリングマシン"考案(英)アラン=チューリングコンピュータ開発者
ヒトの代わりに考える機械をつくることはできない。」それを前提に人工知能に取り組む
1945 ハイパーテキスト考案(米)テッド=ネルソンコンピュータ開発者
コンピュータが煩雑であるのに対して「ヒトは、不要な複雑さから開放されて当然なのだから。」
1946 世界初のコンピューター"ENIAC"開発(米)ジョン=エッカートコンピュータ開発者
「コンピュータほど社会の要請に応じてタイミングよく世に出た発明はない。」
1948 サイバネティックス理論提唱(米)ノバート=ウィナーコンピュータ学者
人類が危機に直面しているからこそ「我々は発明の恩恵によらねば生きていけない。」
1950 "ノイマン型計算機"発明(ハンガリー)→(米)ジョン=フォン=ノイマンコンピュータ開発者
計算機製造現場を訪れるなり「君達、いくら大問題を瞬時に計算できたところで、プログラムの設定に何日もかかっていては意味がない。」:今後のコンピューターの方向性を示唆
1950 (マウス等)コンピュータ環境確立(米)ダグラス=エンゲルバートコンピュータ開発者
複雑化した問題を扱う能力を改善できるなら、人類に著しく貢献できるだろう。それこそ自分の考えていたものではないか。」:難しいことをいかに易しくすることができるか
1956 日本初コンピュータ"FUJIC"開発岡崎文次富士写真フイルム開発者
たった一人での開発に、「基本的にコンピュータは電気仕掛けのソロバンなわけです。」他の人が想像するほど、難しいことではなかった
1959 パケット通信考案(露)→(米)ポール=バランコンピュータ開発者
「一言で言って、電信の時代に戻ろうというアイデアでした。」:安全で効率的な電信手段
1969 バークレー型UNIX開発(米)ビル=ジョイサン=マイクロシステムズ社創業者
「マシンが高速過ぎて困ることはないのだから。」→パソコンは高速化へ驀進中
1970 世界初のMPU"MPU4004"発明嶋正利MPU開発者
新しいアーキテクチャは、必ずと言って良いほど新規の応用分野からの特異な要求を満たすべく生まれている。」
 ※MPU(マイクロプロセッサ):中央処理装置
1970〜 MPUの開発(米)ゴードン=ムーアインテル社創業者
「我々は、絶えず線幅を細くし、プロセスを複雑化し、ウェハの集積度を高めている。つまり、1つのチップに詰め込む機能を増やし続けている。」:チップ高性能化への努力
1972 パソコンの原型"ALTO"開発(米)アラン=ケイコンピュータ開発者
欲望というものは非常に強力な原動力である。」
1972 スーパーコンピュータ"CRY-I"開発(米)セイモア=クレイコンピュータ開発者
「コンピュータの設計は芸術である。」:彼なりの美学
1973 TCP/IP開発(米)ヴィント=サーフコンピュータ開発者
「どんな技術も悪用され得るもので、それが強力であるほどリスクも伴う。」
1974 世界初のOS"CP/M"開発(米)ゲイリー=キルドールコンピュータ開発者
「私がソフトを書くのは車や自家用機や邸宅などのハードウェアを買うためさ。」
1976 "AppleⅠ"、"IMac"等 開発(米)スティーブ=ジョブスアップル コンピュータ CEO
「ハングリーであれ。バカであれ」
「絶対に真似のできない、真似ようとすら思わないレベルのイノベーションを続けろ」
「我々が目指したものは、アップルにとって最も大切なものを再現するということなんです。そしてそれは、シンプル、つまり簡単だということです。」
1977 世界初のパソコン"AppleⅡ"開発(米)スティーブ=ウォズニアックアップルコンピュータ創業者
「世界が勝手に変わったんだ。僕らはたまたまその変化の真っ只中にいただけなんだよ。ただ、それを僕が感じていたことはとても重要なことで、結果的に重要なことを生み出すことができたんだよ。」
1978 日本語ワープロ開発森健一東芝開発者
「日本語ワープロが登場しなければ、日本語自体の存在が危うかった。」
1981〜82 "PC-9801"開発浜田俊三NEC開発者
IBM互換機が主流の世界市場に各パソコンメーカーが乗り出すチャンスを潰してしまったかもしれないという自責の念にかられて「世界の潮流から外れるモノを作ってしまいましたから。」
1984 日本にインターネット導入村井純慶応大学助教授
「僕の場合は、どうしても人間の要求が先にある。それを支えるテクノロジーを考えたときに、そのテクノロジーのリンケージが必要となってくる。」
1984 ユーティリティソフト開発(米)ゴードン=ユーバンクスシマンテック社CEO
新企画はなくとも「『誰も成功していない』のは、アイデアが悪かったのではなく、やり方が悪かった結果という可能性もあります。」:元からある商品に付加価値を
1989 wwwブラウザ発明(英)ティム=バーナーズ=リーコンピュータプログラマー
「情報を取り出す機器が何であれ、取り出される情報は同じであるべきだ。」
1991 "Linux"開発(米)リーナス=トーバルズコンピュータプログラマー
「僕はLinuxの核になっているプログラムの5〜10%を書いたに過ぎない。けれども重要なのは、僕がそのプログラムを始めたということだ。」:個人のエゴよりも公共の利益
1992 画像表示ソフト"モザイク"開発(米)マーク=アンドリーセンNetscape社創業者
「いいソフトを書く秘訣?ミルクとクッキー、それとアイデアさ。」:若者の感性を持つ技術屋
1994 "JAVA言語"開発(加)→(米)ジェームス=ゴスリングコンピュータプログラマー
「まず第一に考えたのは、キープ イット シンプル、つまり、より簡単にということなんだ。」
1995 インターネット検索案内で成功(台)→(米)ジェリー=ヤンYahoo!創業者
「インターネットは、消費者にまさに選択肢を供給することだと思います。」
1996 ネットワーク コンピュータ提唱(米)ローレンス=エリソンオクラル社CEO
講習を受けなければ使えない機械など、顧客をバカにしている。」
..1995..98.."Windows"開発(米)ビル=ゲイツマイクロソフト社創業者
顧客の声に耳を傾け、技術を革新し続けない限り、我々にはどんな未来もない。」
物理学
放射能
1895 X線発見(独)ウィリアム=レントゲン物理学者
世紀の大発見に対して謙虚に「私は考えなかった。ただ探求した。」
1898 放射性元素ラジウム発見(ポーランド)マリー=キュリー物理学者
人生最大の報酬知的活動によって得られる。」→特許を取って富を得るよりも研究
素粒子論
1934 中間子論提唱湯川秀樹物理学者
科学研究人間の知的好奇心にもとづく創造であって、芸術やその他の文化活動と同じモノだ。」:中間子理論は創造力による
超物理学
1905 特殊相対性理論、1915 一般相対性理論発見(独)アルバート=アインシュタイン物理学者
成功の秘訣は「A=x+y+z。Aは成功、xは仕事、yは遊び、zは沈黙である。」
「思考とは、驚きからの絶えざる飛翔である。」→まさに驚嘆の業績
1943 超多時間理論くりこみ理論朝永振一郎量子力学者
「物理学が新しい進歩をするときには、自分で攻撃しようという目標に合わせて色々な攻撃をしてみなければいけない。」:学問の進歩のため攻撃的な態度をとれ
1967 特異点定理証明(英)スティーブン=ホーキング天文物理学者
「神の概念に触れずに宇宙の始まりを論じるのは難しい。」:科学の合理性を信じての、神という概念の制限
原子力
1943 原爆開発(米)ロバート=オッペンハイマー物理学者
「原子力は生と死の両面を持った神である。」
1948〜 水爆開発(ソ)アンドレイ=ハサノフ物理学者
「私が自由であると感じるのは、はっきりとした道徳的価値に導かれて行動を起こした場合だ。その時私を縛るモノは何もない。」
化学
1907 プラスチック開発(ベルギー)リオ=ベークランド化学者
「我々は関係のある反応の様々な局面を観察し、一連の近似を積み重ねていかざるを得ない。」
2000 導電性ポリマー開発白川英樹物理学者
「化学は予期しないことが起きる。そこで独創性が問われると思います。」
2001 不斉合成の研究野依良治化学者
「音楽でも美術でも、とにかく一流を知れ。」一流が分かれば、物事の区別がつきやすい
「自分と同じ研究をするな。どうせ僕を追い越すことはできない。」:独自の研究領域を促す
地学
1915 大陸移動説提唱(独)アルフレッド=ウェゲナー地学者
何故大陸移動説を思いついたかといえば「もともと1枚の新聞であった証拠には、断面同士が裂け目でつながるではないか。」
生命科学・医学
1879〜1910 『昆虫記』執筆(仏)ジャン=アンリ=ファーブル昆虫学者
「私は自分の無知を、そうひどく恥ずかしがらず、分からないことについては、全然私には分からないと、白状しよう。」
1889〜 免疫血清療法確立北里柴三郎生理学者
研究だけをやっていたのではダメだ。それをどうやって世の中に役立てるか考えよ。」
1897〜 赤痢菌発見志賀潔細菌学者
「いくらお医者さんでも汚い病人ばかり見ているのは嫌だから、人が病気にならない研究をしよう。」:生涯研究者として生きたかった
1900 アドレナリン発見高峰譲吉生理学者
科学者が費用を気にせずに研究を続けるには「発明研究は、学理に基礎をおいて、しかしそれが経済上に利するものでなければならない。」
1902〜 条件反射の法則発見(露)イワン=パブロフ生物学者
科学は人間の全生涯を要求するものであることを記憶してください。」
1910 世界初のビタミン抽出鈴木梅太郎化学者
独創は学問といわず、実業界その他あらゆる面で最高の指針だ。」概説にとらわれてはいけない
1926 刷り込みの法則発見(オーストリア)
コンラート=ローレンツ
動物行動学者
「1匹のミジンコさえ、見方によれば太陽系の数百倍も複雑である。」
〜1928 黄熱病梅毒ワクチン発見野口英世生理学者
モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、我々日本人の素晴らしい能力であり、たくましい能力でもあるのです。」もっとそれに自信を持つべきである
1928 ペニシリン発見(英)アレクサンダー=フレミング生科学者
「私は、人体が自然に備えている抵抗力の大切なことを、決して忘れることはできません。」:人間が元々持っている抗体を謳う
1951〜 DNA二重螺旋構造発見(米)ジェームズ=ワトソン分子生物学者
「生物学的に重要なモノはすべて、対である。」→二重螺旋構造発見
1962〜 DNA二重螺旋構造解明(英)フランシス=クリック物理学者
神経動物学者の保守性に対して「私達は自分が何をしようとしているかは分かっているが、何がそれを実行させているかということは認識していない。」
〜1976 大脳皮質の作用解明(米)→(加)ワイルダー=ペンフィールド脳生理学者
「ヒトはその記憶を任意に再生することはできない。そういうことができるとしたら、ヒトは絶望的に混乱してしまうだろう。」:自然に起こり得ないことには、何かしら弊害がある
1976 『利己的な遺伝子』執筆(ケニア)リチャード=ドーキンス生物学者
「ヒトは、一時的な生存のための機械にすぎない。誰か別の相手のためにプログラムされた、ロボットのような乗り物なんだ。」:個体としての人間の存在は無意味
1976〜 抗体遺伝子のメカニズム解明利根川進免疫学者
研究所内の競争において「人間が科学を進めている原動力は、人間の好奇心にあり、それを爆発的に推し進める原動力にある。」
1981 エイズ=ウィルス発見(仏)リュック=モンタニエ細菌学者
「私は、科学を魔術のように見せるのは嫌なんです。」:科学には社会性が必要
(技術者心得・技術とは(科学者心得・科学とは(人の在り方)
出典:ビジネス想像力研究所『21世紀名言集【科学者/開発者篇】』©情報センター出版社(2000)








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