=大和大戦前哨戦=

さて、これから大和大戦自体について語っていくにあたって、その日程関係を具体的な日付をいれて整理してみたいと思う。いままでは文章だけで語ってきたので、かなりの時間的な経過をそれぞれの出来事に対して感じているかもしれない。実際、俺自身日付に関してはかなりいい加減で、自分でもかなりの準備期間をもっていた気がするが、今回大戦自体について書いていくのにいろいろとHPを回って調べてみたところ、かなり慌しい展開だったようだ。それによって思い出したこともいくつかでてきた。

1998 12月某日 ScV IRCにてasukaサーバー進出の話が決まる。
1999 1月某日 Yamato ScV GMはBCGに交代 Asuka ScVは SIG
1月11日 ScV対外的にAsuka進攻を正式発表
1月23日 Asuka武道大会開幕 Asuka ScV ZPに宣戦布告
2月上旬 新戦闘システムパッチ導入
2月上旬 パッチ導入から数日後 Kiyoyo Yamato ScVを脱退
2月13日 Napa off 横浜で開催 リアルで Yutaka Phelixらに初めて会い、反Yamato ScV構想を酒の席で冗談交じりで話す。
2月14日 Asuka 武道大会決勝トーナメント初日
Asuka ScV 大会を襲撃 これが原因でKiyoyo Asuka ScVも脱退
2月15日 UOL3 Yamato 初日 もうやめた(Lapis BCG Unicorn)予選優勝
GoZteamA (celia他)予選敗退
2月16日 UOL3 Yamato 二日目 鉄パイプ(Kiyoyo Kintaro Setura)予選優勝
果物万歳(IchigoBudou Shwlitiger Anita)予選準優勝
2月17日 VesバンクでKiyoyo IchigoBudouをHoAに勧誘
2月18日 UOL3 Yamato 四日目 Team Crusader(Yutaka atto Hanz)予選敗退
Team のろろ(Pocari Homura他)予選優勝
2月19日 UOL3 Yamato 五日目 決勝トーナメント準決勝で鉄パイプ もうやめたに敗北
決勝トーナメント1回戦でのろのろ Prphecyに敗北
2月20日 UOL3 Yamato 最終日 果物万歳 決勝でもうやめたに敗北
もうやめた優勝
(大会ページではProphecyが準優勝したようになってるが、実際には果物万歳が準優勝)
2月21日 Kiyoyo ScV幹部に最終決戦の根回し
=+= attoとKiyoyo交渉
2月22日 DF正式に傭兵を受諾
Kiyoyo、Yutakaと夕方から最終打ち合わせの後HoAの=+=入り決定
Yutaka 正式にScV最終決戦の宣戦布告 ScVそれを受諾
深夜0時(実質23日)をもって=+= vs ScVの最終決戦前哨戦開始

過去の記録で俺のScVの脱退を1月として書いてあるが間違いだった。
この表が正しい時期関係。


俺が前哨戦でしておきたかったことは、純粋=+=とHoA DFとの技術的チームワークと精神的チームワークの育成、大規模戦闘での戦術の可能性の確認、=+=としてのモチベーションの向上という3点だった。特に重要なのはチームワークであって、そのためにいくつかのことに気をつけた。

=+=のメンバーはYutakaを慕っているわけで、当然いきなりはいってきた俺を含むHoAメンバーとはこれから信頼関係をつくっていかなければならなかった。もしメンバー全員の前で俺がYutakaの意見や提案に対して完全否定的な言動をとれば、chaos連合の二の舞になることを恐れ、純粋=+=メンバーからは不満がでるであろう。そうなれば最終決戦を前にして新生=+=は空中分解する可能性が高くなる。また俺がそのような問題をおこす人柄ではないと、Yutakaも判断したからこそ俺の話に乗った部分もあるはずだ。それを裏切ればYutaka自身も俺に対して不信感をもつであろうし、なんせ俺は10日程前にはScVにいた人間だ。誤解されやすくて当然なわけで、Yutakaに対する要求などは常にその日の戦争前か終了後にYutakaとさしでか、少数の人間だけをまじえてすることにした。

さらに言葉遣いなども極力丁寧なものを選び、俺が=+=をScV化しようとしてるのではないか?などと思われることも避けた。これはUOLの主催の時も似たような考えで実践してきたことだ。言葉を選んでも発言内容次第では不和の元になる。勝ったときはみんなが頑張ったから、自分が指揮して負けたときは自分のせい、自分が指揮していなければ相手が強かったから次は頑張ろう。そういうスタンスで、つまり完全な偽善者的スタイルで接することにしたのだ。

Lapisは自分で起こしたギルドで自分で責任をとるからあのスタイルが通用したのだ。俺みたいな新参物がいきなりLapisスタイルをとったら、それはただのLapisかぶれにしかうつらない。しかし実際戦闘指揮をとる場合、敬語の使用は非常に効率がわるい。「attoさんきて下さい」「attoこい」比べれば一目瞭然だが、敬語をつかうと数秒指示が遅れる。特に俺の場合はタイピングが速いわけではないのでなおさらだ。この数秒のラグの積み重ねが、後手に回る原因となりうるのは指揮官体験者ならわかってもらえると思う。だからこそこの部分だけは、理解してほしい旨をIRCでメンバーに伝え、実戦中は「いけ」「こい」「死ぬな」「アホ」まで使ってた記憶がある。

それ以外に関しては完全偽善者ロールプレイを貫き通したが、そのことが後日=+=にとって最大の災いをもたらすことになるとは、さすがに予想できなかった。気づいたときにはすでに遅かったのだが、そのことは後にいやでも触れることになるだろう。

俺はPvP自体に関してはそれ程自信はもっていなかった。LAPIS BCGを抑えてScV内duel大会で優勝したこともあったが、両者と10回やったら7回は確実に負けていただろう。しかし、戦闘指揮に関しては自信をもっていたのだ。ScV在籍時、早い時間にLap不在のときは自然と指揮をとることが数回あったが、いずれもそれなりの結果をだしていた。ただし、その時の俺の方針は「負けない戦いをする」というものだったので、当時のScVメンバーは退屈に感じてた気がする。なぜそんな方針をとったかと言えば、Lap不在時にScV弱いと思われるような結果をだすことが嫌だったからである。ScV内模擬戦でやったことをそのままScV全体でやっただけのことであるが、襲撃→ゲット→ルート→撤退→再襲撃 の繰り返しである。どっかでみたことある戦術ではないだろうか?

おそらく当時の俺を知らない人がこの内容を読めば「こいつなにふかしこいてんだ?」と思うだろう。しかし、実際当時俺はこのような戦術を用いていたし、皮肉にも当時のScVには受け入れられなかったのだ。表立って文句を言われたことはなかったが、IRCの雰囲気でメンバーが満喫しているかどうかくらいは、肌で感じられる。そして後からLapが来たときは、Lapに指揮権を委ねるようにしていた。一度Lapが「Kiyoさんそのまま指揮しててplz」って言ってたことがあったが、それでも「自信ないからいいよ」といって無理やりLapに変わってもらった。そうすることで俺の指揮によって生じた消化不良をLapの豪快な指揮の元消化して、メンバーはよりLapの元で戦争する楽しさを感じることになる。これが集団の中でNo1以外に課せられた仕事であると思う。

そして、=+=でも俺はNo1ではなかった。Yutakaがいる以上Yutakaに花をもたせつつ、=+=が結果をだせるアプローチの仕方こそが、俺に与えられた役割だと認識してた。そのためにはまず、Yutakaの指揮能力を見極めねばならなかったし、多少でも俺から見て不足と感じる部分は密かにアドバイスするべきだと思っていた。十分であればでしゃばらないことこそが、俺の最大の仕事なのだと考えた。指揮などこれら全てのことをまとめて俺は「コミュニケーション」の能力だと思っていて、これは俺が実社会で人をひっぱったり組織を支えてきた中で学んだことであり、まさかインターネットの世界で役にたつとは思っていなかった。

とにかく、まずは前哨戦の中で俺はなにをすべきなのかを見極めたかった。そしてその中で改善すべきことを改善して初めて最終決戦に臨むべきであり、そのためには少なくとも1週間以上の準備期間としての前哨戦がほしかったのである。従って最終決戦本番は3月から、というのが=+=の提案であり予定だった。

=+=側が最終決戦の開始を3月からとしていたことを示すものとして、=+=の裏BBSにYutakaが書き込んだ説明があったので、それをそのまま転載しておく。

投稿者: Yutaka@Crusader(GM)  99/02/22 19:30
リンク  :

いよいよScVとの最終決戦に向け始動します。
スケジュールは以下の通り。

○2月一杯まで
Chaos冠を外して、ScVとの単独戦争を行います。
一時的だということを表に書きます。
ScVとCrusaderとのGuildを賭けた戦争に、余計な邪魔が入らないように
するためです。外したくはないですが了承してください。
また、HoA等のGuildと連携を強める意味も込めて今週一杯を訓練のような
ものとして、戦争をしましょう。

Chaos冠を外すのはScVと決着をつけている間だけです。もちろん、勝利の
暁には、大手を振ってChaosを名乗りましょう。


○3月1日から
各街で戦争を行います。
Britaniaには14の街があります。この街を一つ一つ制圧していくような
戦いをして、決着をつけようと思っています。
例を挙げると、

3月1日、Vesperでの戦闘、開戦時間23時から

という感じです。各街につき、その日しか戦いません。
開戦時間になったらあらかじめ決めておいた街にお互いの全勢力が集結します。
どこに集結するかは各Guildの判断に任せます。
なお、一回の戦闘につき復活は認められないこととし、どちらかが全滅した時点
で1勝とします。
先に2勝したほうがその街を制圧したこととします。
つまり、国盗り合戦みたいなものです。
これを全ての街(14)で行い、圏外では主要な場所(デシ、3つ又等)で同様に
行い、最終的に勝ち星が多いGuildが勝利というような感じにしたいと思っています。
負けた方はGuild解散、そしてBri城で公開処刑とする予定です。


大体、こういった形で行いたいと思います。
CrusaderがScVというWARGuildをYAMATOから消してやろうじゃないか!(w
3月からの戦闘に備えて、Mem勧誘等個人で出来ることは何でもやろう。

聖戦は近い!


ところが最終決戦は1週間ほど普通に戦って、3月からでもはじめようという=+=の提案に対してScV LapisのもうUOやめたいからすぐにでも始めたい、すぐにでもやらないのならこの決戦は受けないという条件により、結局前哨戦は22、23、24日の三日間だけとなり、十分な準備期間を持てないまま最終決戦へと突入していくのである。それでも、あえてそれを飲んだYutakaになにも言わなかったのは、もともと無理やり最終決戦という舞台にひっぱりだしたのは=+=側であり、向こうの要求も多少はのむのは当然だと思ったことと、ScVも実際まとまっていたわけではなく、これにKRSが加わるのならそこまで完全に準備しなくてもなんとかなると思ったからである。
                            

では実際の戦闘について振り返ってみよう。

22日(前哨戦初日)

まずはHoA・DFメンバーの=+=石への登録から行動は始まった。それと同時にGoZなどのメンバーで個人的なつながりからギルドを抜けて=+=に入りたいというメンバーも、「=+=の一員としてYutakaに従って参加すること」を条件に数人登録することが決まった。結局この数人が結構な人数だったことで石登録者数は50を数え、最終決戦を目前にして限りなく100%に近いアクティブ率だったこともあり初日からアクティブ50を出した=+=は、登録者数60、アクティブ率50%でアクティブ30前後のScVを当然数の暴力で虐殺。


=+=の半分は単純にそれを喜び、もう半分はこの数の暴力での勝利に満足せずその中でも更なる連携を磨いていこうとしているように感じた。少なくともKRScV連合で敵対ギルドを虐殺しまくっていたScVメンバーの殆どが、それ自体に満足をしていたことを考えればまだましな状況だったと言える。

という書き方が1番まるく収まる初日の感想だろう。ところが早寝ギルドの=+=は始めの2戦が終ったあと半数以上が睡眠おち。その後は多少=+=が多い感はあったかもしれないが、大差無い人数での乱戦だった。一回俺の作戦ミスで負けたがそれ以外は正面決戦での戦いでの勝利だった。しかし、始めの2戦の圧倒的な数の差のイメージが強いらしく、ScV側の記録には数の差で負けたというものしか残っていない。当然三戦目以降のほぼ同数という意見は=+=意見なわけで、正確にはやはり=+=の方が多かったのかもしれない。しかしそこまでの差ではなく、せいぜい20vs25という程度の差でしかないのだ。



HoAと傭兵団DFのメンバーをCrusaders石に登録。

23日(前哨戦二日目)

23時半頃から策敵にでるもScVを見かけず。たまに見つけてもRO。24時過ぎにようやく穴部屋で待ちをかますScV約30にたいして40overで突撃する=+=。当然あっさり撃退して、次に備えるが、それ以降この日ScVが姿を見せることはなかった。1時の時点で見切りをつけ、モチベーション維持のために模擬戦に移行。本来敵がいなくなるまでその日の戦争をやめない、というのが当時のScVのモットーで、にも関わらずでてこないということは考えられることは二つ。一つはやる気まんまんの=+=を数的不利の中相手をして調子付かせる必要はないと考えてるということ、もう一つは逆に自分達のモチベーションをわざわざ現段階で下げる必要がないということ。

いずれにせよ戦争ギルドとしては当然の戦略であり、実際ScV内摸擬戦をYamatoで集中的に行ったときも、当初ほぼ同数で撃破したCoSが形振りかまわず数をあつめてきて、負け越した時に行われたことを考えると可能性は決して低くない。

こういう戦略面がLapisは非常に長けていると言えた。しかし、こちらも摸擬戦でモチベーションを維持しつつ、BBSでの挑発で相手に精神的なダメージを与える。これは同様なことをしてきたScVに対する皮肉として行ったことだ。基本的に=+=はBBS戦を嫌がる人が多かったので、大した攻撃はしていなかったが・・・・・・・・


24日(前哨戦三日目)

この日も前半は40vs30くらいで=+=の数的有利は変わらない。前日とは違い負けても兵を繰り出すScVに対して翌日からの本番にむけて、穴部屋攻略の戦術をあらゆる方法で試してみた。40人規模の穴部屋突入となると、まず考えられるのは1番進入しやすいLL方面ドアからの一斉テレポ突入。これは試そうとしたが、どう考えても壁はられて分断され各個撃破されるのがオチくさいので、作戦変更。穴部屋一斉同時Recall Inも考えたが、穴ですでに30overが待ってる中にしたところで、ブロックが多くて半数は死に半数はなにもできないであろうことから却下。となると現実的に考えられるのは、穴へ直ゲートインでの突入。これはゲートでた瞬間爆弾投下されたらしく入った人間はことごとく死亡。であっさり負けた。

次に試したのがLL 3F Fele各方面からの同時突入。これは成功して勝ったものの、数で勝ってたからという感が否めなかった。実際同数規模で戦った場合徹底したフィールド魔法をしきまくられれば、普通は負ける。だとすると50人規模での戦闘になるであろう本番では、どうしても一斉ゲートで突入する必要がある。それを可能にするにはテレポキャストしてからのゲートインしかない。IRCで「さっき直ゲートでかなりやられたが、どうしても突入できるか確かめておきたいから死んでくれ」と話したあと、再度3F方面からの数人の陽動部隊以外は直ゲートからの突入を試みる。しかし考えがあまかった。敵はゲートがでた瞬間に爆弾を投げているので、テレポターゲットをするまえに爆撃をくらい穴についた瞬間に死んでしまうのだ・・・・・・この戦いではとりあえず全員ゲートにはいるよう指示したせいで陽動部隊のDF精鋭以外はほぼ全滅。おそらく40程の被害をだした記憶がある。

たった1分足らずで味方を40人も死なせた指揮官はUOギルドwar史上俺だけであろう。それだけは確実に自慢できる俺の栄光ある経歴だ。死んでくれといって見事に死んでくれた=+=メンバーも見上げたものだ。この時から一生こいつらと戦っていこうと本気で思ったものだ。



そして当然この時点で指揮官交代・・・・

このようにして前哨戦は幕を閉じた。しかし、この間に戦術勝負だけでなく戦略面での戦いも激しく行われていたのだ。そう、いまでは見られなくなってしまった戦争ギルドのもう一つの花、「政治 外交」というものである。

まずは前哨戦初日の最中にKRSが早速宣戦を受けろと言ってくる。ScVとは同盟ギルドだから、ということが理由であろう。この時点でKRSの勘違いが始まっているのだ。こうならないように事前に俺はSugizoにことの流れを説明していた。YutakaはScVと最後に形として残る戦いをしたかったし、俺はScVの多くを占める勘違いメンバーを殺したかった。もちろん俺もUOを止める前に形に残る戦いをして終りたかったのも大きい。

本来ScVで大陸制覇を宣言できるような戦いをして終わりたかったのだが、以前書いたようにいろんな事情でそれも叶わず、Lap自身のやる気が失せてる現状敵として潰すことでケジメをつけたかったのだ。あれだけ盛り上がったYamato Warが自然消滅していくのだけは避けたかった。いずれにせよ別にKRSはどうでもよかったのだ。好きでもなければ嫌いでもない。60の登録数を抱えながらアクティブが20を下回る日々が続いていたScVを追い詰めたかったのだ。それをまず最終決戦などおよそ興味の無かったKRSが何故今になって割り込んでくるのか?

当然=+=側は、「=+=vsScVの最終決戦なんだから戦いたければScVの石に入れ」と返答する。それに関しても意味不明な暴言の嵐で答えるKRS・・・・・Lapに何を言われたか知らんが加勢したいならScVの石に入るのが筋というものだろうに。

結局KRSは渋々ScVの石に登録したわけだが、=+=側から見ればKRSはScVに吸収されたとしか見えない。ところが本人達はそうでないと言い張る。ならばこの戦いに参加する資格はないだろ・・・・・・・これはイベント的な意味合いもなくはないが、いずれにせよ=+=vsScVの最終本気waとしてのものなのだ。

確かに俺も一種の祭りとして戦いたい部分もあった。だが、それはScVを潰したい=+=な人間とScVとして大陸制覇を成したい人間のための祭りであって、イベントに参加するためにScVや=+=と戦いたい人間達のための祭りではない。KRSはある意味=+=を思いっきり嫌っていたので、確かに参加資格はあったのかもしれない。しかし、KRSをresignしてScVに入ってでも=+=を殺したいからScVに入れてくれという気持ちではなかったはずだ。つまり=+=を殺すためならLapに全て従う、という条件でも構わないというメンバーではなかったということだ。=+=はScVと戦うためにギルドをぬけYutakaの指示に従うという条件を飲んだ人間しか入れてなかった。結局はイベント化したことによってそこまでScVを殺したいと思っていない人も参加した形になったが、少なくともYutakaの言うことはきちんと聞いた。

なぜそんなことが重要なのか?一つは最終決戦に対する冷やかしが嫌だからということ。二つ目に大規模warでルールありな場合、絶対的リーダーの下での戦いでないかぎり収集がつかなくなり、最終決戦そのものが不可能になるからだということ。最後にかなりエゴな理由ではあるが、大規模warのために誰も動こうとしなかったからこそ、最終決戦のためにScVを割ってでて、そのお膳立てを多少なりとも俺がしたわけで、そのせいでseturaや4ともかなり喧嘩をしながら成立させたわけである。それなのにいざ動きはじめたらBaja会議に参加したギルドが面白そうだからという理由だけでScV側につくのが許せないという感情があった。

具体的に言えばそれはSDKのことであり、SDKはBaja組みの中でもアンチScVとして通っていた。だからこそ、SDKに反ScVの旗手になってカオスをまとめてほしいという会議の内容があったわけだ。そして、世間では事情をわかってないやつが勝手にyamato大戦はOrder vsカオスの大規模戦争だったと勘違いしているのも少なくないようだが、ここまで読んでくれた人間は、この最終決戦が、ScV vs 反ScVだという性質のものだったということはわかってくれると思う。GMから石にこれ以上登録するな、と通達されるまでは=+=は実際カオスははずしたままになっている。結局VGは便宜上システムとして利用しただけなのだ。

もしBajavsその他サーバーと考えるならば、HoA DFが=+=入りしてること自体がおかしいし、ScV側にPocariらS3がいることもおかしい。だとしたら反ScVたるSDKは=+=につくのが当然だと俺は勝手に思っていた。しかし現実は、あっさりScVについたあげく石limit事件を境にKRS SDKともに自分達の石にもどり、オーダーであることだけで大戦に参加し続けた。=+=は既存の石は利用せず新たに石を買って第2の=+=石としてそっちに登録させた。

この辺の当時の俺の怒りは実はすでにRamiにはリアルで話してある。本人曰くそこまで深く考えてなかった、とのことだったの今では全くなんとも思ってないが、当時の俺の怒りときたら半端ではなかった。

くどいようだが大和大戦は大陸制覇を成したいScVとそのScVを本気で潰したい人間のための最終決戦という祭りであって、イベントに参加するためにどっちでもいいから戦いたいという人間のための戦いではなかった。そして大戦本番以降、その俺の怒りを更に刺激する事件が起きていくのである。

余談ではあるが大戦本番前にちょっとした事件がおきた。Nexus事件である。反ScVの構想に賛同しHoAに参加したNexusが二日目の摸擬戦の後に「ScVがやられていくのを見るのはやっぱ耐えられない。さっき戦ってて気持ち悪くなった。悪いけど=+=抜けさせてくれないか?」という正直な気持ちを俺にぶつけてきたのだ。

これに関する俺の対応とその後の経過は丁度=+=裏BBSに当時の俺の=+=内部に対する書き込みが残っていたので、それをそのまま転載する。


投稿者: kiyoyo@HoA GM  99年2月26日19時15分
リンク  : http://www2s.biglobe.ne.jp/~KRA/

Nexusの書き込みが表BBSにありましたので、もうご存知かと思いますがHoA所属のNexusが大戦を前にScVに戻ってしまいました。これに関してはNexからHoAを抜けるとおとといの時点で相談されており、ScVに復帰しないことを条件に了承しました。Nexもかなり悩んだ結果としてだした結論だったようなので......

しかし昨日のwar 前にScVとして復帰したいと連絡がありました。私は今回の大戦がScVとの決着という意味の他にも、yamatoでのwarでバカ騒ぎしたいという意味合いもあると思ってますので、[ok]と伝えました。せっかくの大戦に指をくわえて参加できないっていうのも可哀想だと思ったからです。もちろん本来なら=+= として参加すればいいわけでここまで配慮して上げる必要は無いのですが、決戦の火蓋が切って落とされた以上細かいことを追求する気になれなかったのです。

Nexの件に関しては全て 私に責任があります。Nexが抜けた時点でみなさんに報告しなかったのも=+=の志気を考えて私が独断で公表を控えていました。申し訳ありません。

ここで=+=に参加しているみなさんは、今後も元ScVのやつらはタイミングをみてScVに戻るつもりなのではないか?という疑問を抱かれると思いますが、今後のHoAに関しては NO!です。もちろん個人単位で勝手に戻られてしまったら止めようはありませんが、そういうmenberはもういないと信じております。

いい機会なので私の本音を書かせていただきます。まずHoAはなぜScVをはなれたのか?

第一にScV とKRSの同盟というのが気に入らないかったことが上げられます。ScVは単体で大陸制覇をするguildと認識していましたが、数でおされて負けることに我慢できないのかKRSとの連合で周りを圧倒できる数をそろえてたたき、敵対勢力がすくなくなると「敵いねええ」の連発。ScVの石には当時60以上の人数がいました。GWにおける数というのは実戦投入人数ではなく、登録者人数だと思っています。つまりScVは単体でも十分に当時のchaos 勢力と戦える戦力を持っていたわけです。

さらに言えばScVの様な戦争guildは、menberが戦争目的に集まっているわけで戦争には参加して当たり前であり、他guildとくらべてアクティブ率は高くて当たり前のはずなのです。ところが数的劣性を強いられたとき、味方の志気を盛り上げて参加を促すわけでもなく、KRSとの同盟という手段をとりました。この安易な行為がyamato warを盛り下げた張本人だと思っています。付け加えるならば、あの状況でScV最強!とか思いこんでる一部のmenberにも愛想がつきました。そしてasuka侵攻の展開になったもののasukaも中途半端.....

第二にyamatoはそろそろyamatoとして独自の展開を始める必要があると思ったのです。戦争が盛んだったbaja組は人数多くて当たり前。集団戦つよくて当たり前。いつまでもbaja vs napaみたいな戦いをしていても仕方ないと思ったのです。

第一の理由からScVからの脱退を決意し、第二の理由から他server出身者の方たちとともに戦いたいと考えました。その際ただ単に他server出身ならいいというわけではないので、自分ともっとも考え方が似ていて、やる気があり、互いに共感しあえる人物が多そうなguildはどこか?と考えたときに=+=に目を付けたのです。、まずはHoA自体のレベルを上げるためにDFへの傭兵を依頼することを考えました。

次に=+=氏とコンタクトをとり、数度の話し合いの結果今日のような状況となったわけです。

ここからは完全に個人的な意見ですが、基本的にわたしは「自分のguildがつまらなくなったから面白そうなところに行く、前のguildがまた楽しそうになったから戻る」というような考え方は好きではありません。私は baja時代にもScVに誘われていましたが、HoAというguildに所属していたため 誘いを断りました。yamatoにきてScVに参加してからは、ScVが有利であろうと不利であろうと、つまんなかろうとScVで戦ってきました。

今回私がScVを脱退したことは、洒落ではありません。真剣にScVと戦うために行動を起こしました。そしてこの大戦において+=+とHoAは運命共同体だと思っております。最後にはScVを潰すつもりです。

しかしながら今回HoAから脱落者を出してしまったことは、私の責任です。ただNexは決して冗談半分にHoAに参加したわけでなく、冗談でScVに戻ったわけではありません。彼なりに悩んでのことだったので、できるならばその気持ちだけは理解していただけたら、と思います。もちろんNexはuoでぶち殺しますが。

最後にこの大戦に限らずuoといものは一人一人が作っていくものです。俺がいなくてもなんとかなるだろうとか、俺がいるからなんとかなる、というものでは無いと思っております。今回の大戦が終わっても、当然の要に違った形でwarは進行していくでしょう。ScV側も戦力の補充も完了しつつあります。いままでもそうでしたが、ここからはさらに各自の気合いとやる気が結果に大きく影響するものと思っております。私もやる気満々です!そしてみなさんとともに勝者になりたいと思っています。初日を終えたばかりですが後7勝するまでは気を抜かず頑張りましょう!



この件でNexがScVに復帰することをとめなかったことも、結局どこのギルドのメンバーとして、どこのギルドと本気で戦いたいのか?という疑問点があまりにも明確だったからので、NexはScVに戻ることこそが、正しい大戦の参加の仕方だと思ったからなのだ。

行動自体は傍からみれば理不尽だったかもしれない。しかし、戦争屋としての生き様は戻ることが正しかったのだと今でも思っている。そしてそれに対して文句一つ言わないでいてくれた、=+=の面々の心の広さに感動した記憶もある。