マンハイム、ボルケナウの方法の日本思想史への適用。若干二五歳の時の助手論文。朱子学的思惟の解体過程から日本における近代的思惟の発展を捉えようとする議論は、現在まで不滅の古典としてわれわれの自己認識の一般的、標準的な位置にある。それは、われわれの世代においては既視的で常識的な範疇であったけれども、若い世代にとってはある種の「近代主義のドグマ」であるのかも知れない。独習での理解はきわめて困難だが、一度噛りついてみると実に新鮮で豊潤な味覚に気がつき、ドグマ的な印象や偏見はすっかり払拭されてしまう。あの狂信的な軍国主義一色の時代に一人置かれた二五歳の青年の試行錯誤として、方法論的挑戦として再度読み直してみれば、その印象はすっかり違ってくるのではないか。やはり若い人に素直な心で噛りついてもらいたい。 日本政治思想史研究

東京大学出版会
363ページ
1952年12月20日

丸山真男の最高傑作であり、戦後日本のインテレクチュアルズのすべての出版物作品の中で最高峰の位置にある。第一部は日本ファシズム論、第二部はイデオロギ−分析(コミュニズム論)、第三部は政治学概論 。収録されている全ての論文が珠玉のものばかりであり、一つとして輝きを失っていない。読者は若いうちにこの書物に出会うべきであり、自分の頭で直接に丸山真男と対話するべきである。そして、日本の政治の問題解決の鍵は、結局この書物の中にある。三○年前も、現在も、そして三○年後も等しく。読書する人へのアドバイスとしては、絶対に『追記および補注』を読み落としてはいけないということ、気に入った論文が見つかれば何度も何度も繰り返し読んでみることである。 現代政治の思想と行動 (増補版)

未来社
585ページ
1964年 5月30日

『超国家主義の論理と心理』を読んで目から鱗が落ちたと言う老年新聞記者の数は多いが、「日本の思想」を読んで目から鱗が落ちたと言ってくれる壮年新聞記者がほとんどいないのは非常に残念なことである。国際化の今日なお、外国の研究者が日本研究の門をたたくということは、この新書を読むことと同義であり続けている。次々と書店の棚から消えてゆく岩波新書青版の最後の一冊が残るとすれば、恐らくはこの書物であり、また諸外国における日本研究書の最後の一冊が残るときも、この『日本の思想』であるだろう。岩波『図書 1995.7』に寄せられたヴォルフガング・シャモニ氏の文章も是非ご参照いただきたい。 日本の思想

岩波新書
192ページ
1961年11月20日

一九七七年、第四回大仏次郎賞を受賞。丸山真男のホワイトアルバム。収録論文数は多いがト−タルアルバムにはなっていない。そしてト−タルアルバムでない分、逆に当時の若い丸山真男の一日一日の息遣いのようなものも感じとることができる。冒頭の「政治学における国家の概念」が学生時代に書かれた懸賞論文作品であることに衝撃を受け、また、巻末に置かれた『E・ハ−バ−ト・ノ−マンを悼む』は何度読んでも深い感動を覚える。丸山真男の追悼文は感動的なものばかりだが、特にこの『E・ハ−バ−ト・ノ−マンを悼む』と『思想史の方法を模索して』、そして『「君たちはどう生きるか」をめぐる回想』の三作品は傑出して素晴らしい。 戦中と戦後の間

みすず書房
635ページ
1976年11月30日

八二年。ある日フラッと書店を覗くと、この書物が並んでいた。待望の丸山真男の新刊というのに、どうしてこんなに薄いのかと思ったのが、いちばん最初の印象であった。一九六四年から一九八二年までの二○年間に書かれた政治学・現代政治分析の論文が僅か二本きりという寂しい事実が、「夜店」からの引退の決定的な真実をわれわれ読者に教えていた。「もう丸山真男しか読むものがない」。そのことに気づき始めていた時期であり、このペ−ジの薄さは、残念という以上に深刻な問題のように思われた。市民の側に立つ知識人が消えていた。「それなら誰が書いてくれるのか、せめて丸山真男は「本店」の続編を出して欲しい」。忌まわしいことばかりが続いてゆく八○年代の只中で、私たちの心は焦っていた。 後衛の位置から

未来社
191ページ
1982年 9月20日

八六年一月出版。バブル直前の頃、時代は渇き、政治の翼賛化が一方的に進むなかで、ポストモダニズムのピエロたちが跳梁跋扈し、精力的に日本の倫理的基礎機構を破壊しはじめていた。暴力団が地上げするように、暴力的に、これ見よがしに..。腐食するアカデミ−の内部では丸山真男の支持者は減って行く一方だったが、書店にはしっかりと支持者たちがつめかけていた。『「文明論之概略」を読む』はいつも平積状態であり、その平積みされた黄色い表紙が、われわれ市民の、バブルとポストモダンに対する抵抗の旗印を示していた。丸山真男は老いてなお、力強くわれわれを励まし続けていた。 『文明論之概略』を読む

岩波新書
272ページ
1986年 1月20日
上巻

九二年。生前は新たに公刊されることはないだろうと諦めていた『歴史意識の「古層」』他、日本政治思想史関連の重要な諸論文が一気に一冊に纏められた。朝日新聞が言う「九○年代における丸山回帰現象」の始まりであった。しかし、その出版が本当に意味するところは、われわれ読者ならばすぐにピンとくることであった。もうすぐその日が来る。そのことを覚悟しなければならなかった。丸山真男集の刊行まで三年の時点である。筑摩書房に対する積年のバランスシ−トをイ−ブンにすることが、この『忠誠と反逆』出版の動機であるという内容のことが「あとがき」に書かれていた。「冗長なあとがき」と言いつつ、その口調はそれまでと異なってきわめて淡々としたものであり、われわれはそれを押し黙って聞かなければならなかった。 忠誠と反逆

筑摩書房
401ページ
1992年 6月20日

何も知らずに書店でパラパラと立ち読みしている時に、偶然、その鼎談を発見した。思わずトクをした気分になったものである。写真も口調も元気そうで、全く病人のようには見えなかった。しかし、人間とは欲深い生きものである。読みはじめるや、そのラッキ−な気分はすぐに不快な気分に変わって行った。鼎談なんて邪魔くさい。何で岩波は、丸山真男だけの決定版『フルトヴェングラ−』を出さないのか。まるで中年の婦人が映画や芝居で贔屓の役者のみを追いかけるように、出番をぶん取る脇役の存在が疎ましかった。八四年のことである。 フルトヴェングラ−

岩波新書
210ページ
1984年11月20日

『丸山真男座談』第五冊 1964-1966(第2回配本)の中で最も注目されるのは、古在由重との対談『一哲学徒の苦難の道』である。対談録としては異例の長さ(340頁中115頁)であり、内容的には一般的な対談と言うよりもインタビュ−形式のものである。毎日新聞社『エコノミスト』編集部企画による「昭和思想史」証言シリ−ズの第一弾(1966年6−8月)として実現された対談であるが、むしろ丸山真男の方から積極的に働きかけた経緯がうかがわれ、聞き手となった丸山真男によって、微細に執拗なヒアリングが繰り返されている。古在由重と丸山真男の年齢差は13歳。古在哲学の形成過程が戦前の政治史とともに回顧され、唯研の内部活動や獄中生活、当時の哲学者群像(吉野、戸坂、三木)などが多く証言されている。大蔵省不祥事で渦中の一人となった元主計局長の中島義雄が、当時入省二年目の社会人として参加して、丸山真男を囲んだ座談会『丸山真男氏を囲んで』(1966年『展望』7月号)も収められている。 丸山真男座談第五冊
1964-1966

岩波書店
340ページ
1998年 5月 6日