1933 19歳 | 4月 唯物論研究会講演会(本郷)で、特高警察によって逮捕・拘留 |
1936 22歳 | 政治学における国家の概念 |
1937 23歳 | □ |
3月 東京帝国大学法学部卒業 4月 東京帝国大学法学部助手 7月 日中戦争 12月 肺炎、半年間療養 |
1938 24歳 | □ | 2月 大内兵衛ら労農派教授グル−プ検挙(第二次人民戦線事件) |
1939 25歳 | □ | 3月 東京帝国大学法学部に東洋政治思想史講座開設 |
1940 26歳 | 近世儒教における徂徠学の特質並びにその国学との関連 |
5月 津田左右吉と岩波茂男が出版法違反により起訴 6月 東京帝国大学法学部助教授、従七位 9月 第二次世界大戦 |
1941 27歳 | 近世日本政治思想における「自然」と「作為」 | 12月 太平洋戦争 |
1942 28歳 | 神皇正統記に現はれたる政治観 福沢諭吉の儒教批判 麻生義輝「近世日本哲学史」を読む |
1943 29歳 | □ |
1944 30歳 | 国民主義の「前期的」形成 |
3月 小山ゆか里と結婚 7月 応召、陸軍二等兵として平壌へ 9月 脚気のため平壌第二陸軍病院に入院、内地送還 10月 召集解除 |
1945 31歳 | 「備忘録」 | 3月 応召、広島の陸軍船舶司令部へ 8月 広島で被爆(6日)、敗戦、母セイ死去(15日) 9月 復員 |
1946 32歳 | 超国家主義の論理と心理 西欧文化と共産主義の対決 近代的思惟 何を読むべきか 明治国家の思想 ラッセル「西欧哲学史」を読む |
2月 思想の科学研究会設立に参加 2月 庶民大学三島教室で講義 2月 東京帝大憲法研究委員会委員・書記、第一次報告書を執筆 12月 庶民大学三島教室で再び講義 |
1947 33歳 | 科学としての政治学 日本における自由意識の形成と特質 福沢における「実学」の転回 福沢諭吉の哲学 新学問論(飯塚・瓜生・大塚・川島・中村・野田) | 1月 民主主義科学者協会設立に参加 | ヘ−ゲル『歴史哲学』原書講読 |
1948 34歳 | 人間と政治 日本ファシズムの思想と運動 自由民権運動史 日本人の政治意識 唯物史観と主体性(清水・松村・林・古在・真下・宮城) 日本社会のイデオロギ−と構造(飯塚・磯田・幼方・川島・古島) 教育の反省(宮原誠一) 演劇合評(青山・内田・瓜生・下村・松田・寺田・遠山・野間) 音楽における創造と享受(青山・内田・瓜生・下村・松田・寺田・遠山・野間) 外国文学の摂取について(寺田・杉浦・瓜生・青山・中村・内田・生田・下村・真下) |
2月 「未来の会」同人 11月 日本政治学会設立に参加 12月 平和問題討議会設立に参加 | ヘ−ゲル『歴史哲学』原書講読 |
1949 35歳 | 軍国支配者の精神形態 ラスキのロシア革命観とその推移 肉体文学から肉体政治まで ジョン・ロックと近代政治原理 政治学入門 近世日本思想史における国家理性の問題 安藤昌益の思想とその歴史的背景(野原・平野・奈良本・松田・服部) 東京裁判の事実と法理(鵜飼信成・戒能通孝・高野雄一・辻清明) 歴史と政治(E.H.ノ−マン・都留重人) 日本の軍隊を衝く(野間宏・大岡昇平・亀島貞夫) 現代社会における大衆(田中耕太郎・猪木正道) 日本思想における軍隊の役割(飯塚浩二・豊崎昌二) インテリゲンツイアと歴史的立場(高見順) |
1月 「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」に参加 3月 平和問題談話会設立に参加 3月 知識人の会結成に参加(清水幾太郎・中野好夫・吉野源三郎) | ヘ−ゲル『歴史哲学』原書講読 |
1950 36歳 | 三たび平和について 権力と道徳 ある自由主義者への手紙 ラスキ「現代革命の考察」 支配と服従 歴史と伝記 ラスウェル「権力と人格」 恐怖の時代 教育界における近代と前近代(飯塚・玉城・宗像・宮原・上飯坂・奥田) 人身売買の問題(川島・飯塚・磯田・仁井田・村川) 日本の運命(長谷川・中島・荒畑・大内・長与・鶴見) 被占領心理(竹内好・前田陽一・島崎敏樹・篠原正英) 平和の問題と文学(水野・中島・佐々木・佐山・西尾・遠山) |
1月「講和問題についての平和問題談話会声明」に参加 6月 朝鮮戦争 6月 東京大学法学部教授 7月 レッドパ−ジ開始 | ルカ−チ『歴史と階級意識』原書講読 |
1951 37歳 | 日本におけるナショナリズム 現代革命論(竹内好・土屋清・小栗広勝・久野収) |
1月「講和問題についての平和問題談話会声明」に参加 2月 肺結核のため国立中野療養所に入院、左肺手術 9月 退院、自宅療養 9月 民科「サンフランシスコ講和会議に対する声明」に参加 |
1952 38歳 | 「現実」主義の陥穽 ファシズムの諸問題 日本人の道徳(竹内好・鶴見俊輔・磯田進・宮原誠一・岡津守彦・勝田守一) 政治と教育(勝田守一・辻清明・宮原誠一・宗像誠也) | 12月『日本政治思想史研究』(東大出版会)刊行 | マンハイム『イデオロギ−とユ−トピア』英訳講読 |
1953 39歳 | ファシズムの現代的状況 民主主義をめぐるイデオロギ−の対立と日本(蝋山・平野・鵜飼・古在・辻・久野) 恐怖から共存へ(都留重人・古在由重) 民主主義の名におけるファシズム(都留重人・辻清明) |
9月「歴史教育の逆行に対する反対の声明」に参加 11月 第七回毎日出版文化賞(『日本政治思想史研究』で)受賞 | 日本におけるナショナリズムとファシズムの研究 |
1954 40歳 |
新しい年への出発のために(日野・花崎・国府田・小林・河本)
よき職能人たれ(長谷川如是閑) 世界史における現代(上原専禄・林健太郎・務台理作・竹山道雄) |
1月 左肺結核転移再発、日産玉川病院へ入院 4月 国立中野療養所に転院 9月 左肺切除成形手術 11月 フルトヴェングラ−死去、中野療養所で追悼コンサ−ト |
1955 41歳 | □ | 4月 退院、自宅療養、 秋、再び国立中野療養所に入院 |
1956 42歳 | 断想 戦争責任論の盲点 政治学 「スタ−リン批判」における政治の論理 (討論)戦争責任をめぐって | 4月 退院、自宅療養 |
1957 43歳 | 反動の概念 思想と政治 E・ハ−バ−ト・ノ−マンを悼む ナショナリズム・軍国主義・ファシズム 政治権力の諸問題 思想のあり方について 日本の思想 (討論)戦争責任について 現代革命の展望(江口朴郎・竹内好・埴谷雄高・吉野源三郎) 革命の論理と平和の論理(江口朴郎・竹内好・埴谷雄高・吉野源三郎) 総合雑誌と巻頭論文(臼井吉見・大河内一男・竹内好・鶴見俊輔・林健太郎) 映画・思想・政治(武田泰順・岡本博) 都留証言をめぐって(佐々木甚一・平野謙・本多秋五・荒正人・埴谷雄高) 巻頭論文選後表(臼井吉見・大河内一男・竹内好・鶴見俊輔・林健太郎) | 4月 E.H.ノ−マン、カイロで自殺 |
1958 44歳 | ベラ−「徳川時代の宗教」について 政治的判断 福沢諭吉について 福沢・岡倉・内村 − 西欧化と知識人 「眼には眼を」の問題点(加藤周一) 平和と民主主義のとりで憲法(羽仁説子・中村哲・岡十万男・水口宏三) 戦争と同時代(宇佐美・宗・橋川・安川・矢内原・曽根) 映画の思想性と大衆性(福田定良) 福沢諭吉の文体と発想(西尾実・江藤淳) |
5月 憲法問題研究会設立に参加 10月 「知識人警職法反対署名」に参加 |
1959 45歳 | 武田泰淳「士魂商才」をめぐって 開国 「である」ことと「する」こと 近代日本の思想と文学 大衆運動について(日高六郎・永井道雄) 民主主義の後退を憂う(大内兵衛・南原繁) 日本における危機の特性(竹内好・石母田正・鶴見俊輔・中村光夫) 教育の本質(上原専禄) 映画・女性・現代(左幸子・岡本博) 思想の冒険(久野収・大塚久雄) 芸術と政治(吉田秀和) 天皇制(宮沢俊義・日高六郎・永井道雄) 講座をはじめるに当って(家永三郎・小田切秀雄・久野収・竹内好) わが同時代観(長谷川如是閑) 現代はいかなる時代か(都留重人・加藤周一) (共同討議)政府の安保改定構想を批判する 歴史の歯車の中で(木下順二・山本安英) | 5月 国際問題談話会設立に参加 |
1960 46歳 | 忠誠と反逆 現代における態度決定 この事態の政治学的問題点 安保闘争の教訓と今後の大衆闘争 八・一五と五・一九 一年の後、十年の後(加藤周一・埴谷雄高) (共同討議)ふたたび安保改定について 擬似プログラムからの脱却(開高健・竹内好) 現在の政治状況(隅谷・日高・石田・篠原・坂本・藤田・田口) 議会制民主主義のゆくえ(加藤周一・新井達夫・藤田信勝) 現代日本の政治と教育(井上・小林・松下・斎藤・横地) |
5月 安保条約反対文化人集会で「選択のとき」講演 6月 憲法問題研究会主催講演会で「復初の説」講演 6月 安保阻止統一行動の国会デモ行進に参加、徹夜で国会包囲 8月 全米アジア学会近代日本研究会議主催箱根予備会議に参加 |
1961 47歳 | 現代における人間と政治 思想史の考え方について 近代日本における思想史的方法の形成 知識人(ルイスフォイヤ−・竹内好・永井道雄・宮城音弥) 現代における革命の論理(佐藤昇) 日本の歴史的課題とドラマの構造(木下順二) 非西欧世界の近代化(開高健) 政治の退廃に抗するもの(坂本徳松・竹内好) (討論)変革の主体について |
10月 渡米、ハ−バ−ド大学特別客員教授(62年6月まで) 11月 岩波新書『日本の思想』刊行 |
1962 48歳 |
新劇について(竹内好・戸坂康二・宇野重吉)
現代世界と転向(荒・猪木・加藤・久野・古在・竹内・本多・南・鶴見) |
4月 全米アジア学会総会(ボストン)で基調講演 10月 英国セントアントニ−ズカレッジに滞在(63年3月まで) |
1963 49歳 | ある日の津田博士と私 | 日本の思想研究 |
1964 50歳 | 戦前における日本の右翼運動 増補版 現代政治の思想と行動 追記 国際危機と世論 幕末における視座の変革 学問と政治(南原繁) 戦後日本の精神革命(南原繁) 戦後知性の構図(本多秋五・鶴見俊輔・臼井吉見) 革新思想の問題状況(梅本克己・佐藤昇) 大正デモクラシ−と文学(長谷川如是閑・紅野敏郎) | 5月 『増補版 現代政治の思想と行動』(未来社)刊行 | 近代日本思想史研究 |
1965 51歳 | 戦前における日本のヴェ−バ−研究 憲法九条をめぐる若干の考察 日本神話をめぐって(井上光貞) 現代における平和の論理(住谷一彦) 民主主義の原理を貫くために(針生八郎) 討論 マックス・ヴェ−バ−研究(安藤・内田・折原・隅谷・寺尾・広中) マルクス主義哲学者の歩み(古在由重) 阿倍先生と平和問題談話会(吉野源三郎) 翻訳を語る(加藤周一・都留重人・藤田信勝) 三木清を語る(加藤周一・久野収・谷川徹三・日高六郎) 仁井田隆博士と東洋学(川島武宣・竹内好) |
4月 声明「ベトナム問題に関して日本政府に要望する」に参加 9月 教科書検定訴訟を支援する歴史学者の会結成に参加 | 近代日本思想史研究 |
1966 52歳 |
未来社の15年 その歴史と課題(内田義彦・木下順二・野間宏・西谷能雄) 普遍的原理の立場(鶴見俊輔) 読書の姿勢(日高六郎) |
8月「ベトナムに平和を! 日米市民会議」に参加 12月「反戦平和ストライキ支持の声明」に参加 | 明治啓蒙思想家研究 |
1967 53歳 |
経験・個人・社会(木下順二・森有正) シンポジウム 日本と中国(小田実・貝塚茂樹・桑原武夫・杉浦明平) (討論)対決の思想 近代日本と陸□南(横手通有・西田長寿) 近代日本における思想と政治(今中次麿・オ−ティスケリ−・武田清子・竹原良文) | 2月 法学部学長選挙に当選するも健康上の理由により辞退 | 福沢諭吉『文明論之概略』輪読 |
1968 54歳 | 個人析出のさまざまなパタ−ン |
8月 「チェコ事件について世界の知識人に訴える」に参加 11月 東大紛争激化、大河内総長辞任 12月 全共闘によって法学部研究室が封鎖 12月 明治新聞雑誌文庫を内側から封鎖、泊り込みで防衛 | 竹越与三郎『新日本史』輪読 |
1969 55歳 | □ |
1月 機動隊が安田講堂に突入、占拠学生を排除 2月 全共闘系学生による講義妨害、吊し上げ 3月 三度にわたる全共闘系学生による吊し上げ 3月 心不全と肝炎のため武蔵野赤十字病院へ入院(4月まで) 6月 肝炎のため国立癌センタ−へ入院(8月まで) |
1970 56歳 | □ | 2月 肝炎のため東京大学病院へ入院(5月まで) |
1971 57歳 | □ | 3月 東京大学法学部を辞職、肝炎のため自宅療養 |
1972 58歳 | 歴史意識の「古層」 |
1973 59歳 | 「太平策」考 |
6月 渡米、プリンストン大学名誉文学博士号授与 6月 ハ−バ−ド大学名誉法学博士号授与 11月 財団法人第五福竜丸保存平和協会設立に参加 |
1974 60歳 | □ |
4月 「靖国神社法案に反対する政治・公法学者の声明」に参加 5月 南原繁死去、葬儀において司会 |
1975 61歳 | 南原先生を師として |
5月 セントアントニ−ズカレッジでジャパン・セミナ−を主宰 10月 プリンストン高等学術研究所員(76年4月まで) |
1976 62歳 | 他者との出会い(萩原延寿) |
5月 カリフォルニア大学バ−クレ−校にて特別各員教授 11月『戦中と戦後の間』(みすず書房)刊行 |
1977 63歳 | 近代日本の知識人 日本思想史における問答体の系譜 宮沢俊義を語る(清原・鈴木・田中・辻・林・梁瀬) クリオの愛でし人のこと(萩原延寿) 田中耕太郎先生を偲ぶ(碧海・井上・久保・竹内・鈴木・矢沢) | 10月 第四回大仏次郎賞受賞(『戦中と戦後の間』で) |
1978 64歳 | 思想史の方法を模索して 笑いの精神と求道と(安東仁兵衛) 文学と学問(埴谷雄高) |
2月 守本順一郎追悼会(学士会館)に出席、追悼の辞 7月 岩波書店編集部メンバ−と「文明論之概略」講読会開始 10月 声明「元号法制化に反対する」に参加 11月 日本学士院会員に選出 |
1979 65歳 | 映画とわたくし 荻生徂徠の贈位問題 日本思想史における「古層」の問題 梅本克己の思い出(安東仁兵衛) ウェ−バ−研究の夜明け(安藤英治) |
1月 気管支炎により国立療養所中野病院へ入院 6月 英国王立歴史学協会外国会員に選出 12月 「闇斎学と闇斎学派」執筆中に突然倒れ、緊急入院 |
1980 66歳 | 闇斎学と闇斎学派 文学史と思想史 大内兵衛先生−人と学問(辻清明・中村哲) |
2月 国立療養所中野病院へ入院 11月 大山郁夫生誕百年記念講演会で講演(早大大隈講堂) |
1981 67歳 | 「君たちはどう生きるか」をめぐる回想 |
5月 気管支炎のため国立療養所中野病院へ入院 5月 訪中、高熱により北京首都医院へ入院 5月 吉野源三郎死去 10月 秋田県本荘市で講演の後、「奥の細道」の跡を辿る |
1982 68歳 | 「現代政治の思想と行動」英語版への著者序文 伝統と現代をめぐって(内田義彦・木下順二) |
1月 米国歴史学協会外国名誉会員に選出 7月 英国学士会会員に選出 10月 『後衛の位置から』(未来社)刊行 |
1983 69歳 | 海賊版漫筆 「日本政治思想史研究」英語版への著者序文 フルトヴェングラ−をめぐって(芦津文夫・脇圭平) | 3月 カリフォルニア大学バ−クレ−校において特別客員教授 |
1984 70歳 | 原型・古層・執拗低音 近代日本と福沢諭吉(飯田鼎・石坂巌・内山秀夫・川北展生) | 10月 国立療養所中野病院へ入院(11月まで) |
1985 71歳 | 中野好夫氏を語る 政事の構造 金龍館からバイロイトまで | 7月 声明「中曽根首相に要望する−軍事大国化に憂慮して」参加 |
1986 72歳 | 「文明論之概略」を読む 福沢における「惑溺」 |
1月 岩波新書『文明論之概略を読む』刊行 1月 1985年度朝日賞受賞 3月 国立療養所中野病院へ入院(4月まで) |
1987 73歳 | きしみあいから独創が生まれる(平松守彦) | 3月 「国家秘密法に反対する言論人の集い」に賛同 |
1988 74歳 | 映画「ロ−ザ・ルクセンブルク」をめぐって(高野悦子・西川正雄) |
1989 75歳 | 昭和天皇をめぐるきれぎれの回想 「子午線の□り」を語る 戦後民主主義の原点 | 6月 北京天安門事件 |
1990 76歳 | 如是閑の時代と思想(飯田泰三・掛川トミ子・三谷太一郎・山領健二) | 1月 国立療養所中野病院へ入院(3月まで) |
1991 77歳 | □ |
3月 国立療養所中野病院へ入院(4月まで) 8月 国立療養所中野病院へ入院(9月まで) |
1992 78歳 | □ |
5月 緊急アピ−ル「PKO法案について」に参加 6月『忠誠と反逆』(筑摩書房)刊行 |
1993 79歳 | 岡義武−人と学問(篠原一・三谷太一郎) | 3月 全米アジア学会研究特別功労賞受賞 |
1994 80歳 | □ |
1月 肝臓癌のため東京女子医大消化器センタ−に入院(12月まで) 3月 著作集刊行を承諾 |
1995 81歳 | 福沢諭吉の人と思想 サンフランシスコ講和・朝鮮戦争・六○年安保 夜店と本店と(石川真澄・杉山光信) |
1月 阪神大震災 3月 オウム真理教地下鉄サリン事件 6月 声明「戦後補償の早急な実施を政府に要望する」に参加 9月 「丸山真男集」刊行開始 |
1996 82歳 | 「矢野龍渓 資料集」第一巻序文 |
2月 肝臓癌のため東京女子医大消化器センタ−に入院(3月まで) 5月 東京女子医大消化器センタ−に入院(6月まで) 7月 大塚久雄死去、告別式に弔辞を寄せる 8月 肝臓癌のため死去(15日) 8月 千日谷会堂で「丸山真男先生を偲ぶ会」(26日) |