菅直人と朝日新聞のテルミド−ル12日

−第18回参議院選挙に寄せて −

1、自民党の敗北 − 支配者たちのモラルハザ−ド −

今回の参議院選挙結果について、基本的に歓迎の意を表したい。

その理由の第一は、懸念されていた投票率が前回と比較して大幅に向上したことであり、そして第二に、失政続きで日本経済を破滅の淵に追い込んでいた橋本政権を遂に退陣に追い込むことができたからである。


国政選挙での自民党の大敗北は、九三年の衆議院総選挙以来、五年ぶりのことである。マスコミ各社が論評するように、今回の自民党の敗北は「敵失」としての経済政策の失敗によるもの以外の何ものでもないだろう。橋本政権は、昨年の消費税値上げと医療費負担増によって不況下で苦しむ家計に深刻な一撃を加え、虫の息の個人消費をさらに圧迫して、デフレスパイラル発動の直接的原因を作り出しただけでなく、不良債権問題の矛盾を金融ビッグバンによる打開に求めようとして失敗し、経営破綻に陥った銀行とゼネコンを救済するために大量の血税を注ぎ込むという途方もない悪政を繰り返した。

金融政策にせよ景気対策にせよ、橋本政権の対応には危機感と緊張感が欠如しており、すべてが場当たり的で泥縄的でその場凌ぎ的な、効果の出ないものばかりであった。よくなかったのは単に政策の内容ばかりではない。最もよくなかったのは、その政策対応を国民の前に真摯に説明して支持を調達するという、政治家本来の基本姿勢を完全に欠落させていたことである。一国の政策責任者であり指導者である橋本首相は、しかしながら事あるごとに質問する新聞記者を無用に睨みつけ、幼稚で嫌みな言辞を吐いて彼らを愚弄し、終始自己の政治的意志や政策的決定を表明することを嫌って見苦しくその場を逃げようとした。歴代の首相の中で最も精神的に未熟な人間の振る舞いであった。そうした幼児的態度は追い詰められた土壇場の参議院選挙終盤まで変わることなく、苦戦を実感していた自民党候補者と支持者たちを嘆かせていた。

危機感を持っていなかったのは橋本だけではない。大蔵省不祥事で榊原英資が第一線を退いた後、橋本から経済政策一切を任されて米財務長官ル−ビンとの交渉担当になっていた宮沢喜一も同様である。ブリッジバンク構想の政策化にあたって久米宏のインタビュ−に応じた宮沢は、銀行の不良債権の開示など一切無用と傲然と開き直って臆するところがなかった(七月二日)。テレビ朝日サンデ−プロジェクトに出演した政府税調の加藤寛は、(不良債権処理に税金を)「百兆、百兆」と気楽に軽口を叩いていた。赤字財政に苦悩している筈の政府が貴重な税金を無制限・無条件に注入して救済しようとする先は、土地投機でバブル経済を発生させた真犯人である大銀行であり、貸し渋りによって日本の実体経済を麻痺させている張本人である大銀行なのである。自民党がそこに無制限・無条件に税金を注ぎ込もうとするのは、日本の金融システムを安定化させるためなどではなく、そこから大量の政治献金を受けた見返りのためであり、有権者はそれをよく了解できていた。

選挙前の予想は自民党有利の声が圧倒的に多く、橋本龍太郎も宮沢喜一も加藤寛もその楽観的な予想の上にすっかり胡座をかいていた。三年前に自民党を超える比例得票数を集めて脅威となった新進党も今はなく、茨城も長崎も東京四区も、最近の衆院補選は全て自民党の連戦連勝が続き、そして何より不況は政権与党の自民党の選挙戦にとって最大の順風要素であったからである。しかし猛暑の七月に入って投票日が近づき、新聞各社の選挙前世論調査結果が発表されるに及んで、形勢は一気に逆転し、自民党の過半数割れが決定的な情勢へと変わって行った。自民党のお決まりの公共事業ばらまき政策に有権者が景気回復を託すには、日本の経済状態はあまりに悪くなり過ぎていたのである。

今から四年前、新生党の小沢一郎が連立与党から社会党左派を締め出そうとして陰謀会派「改新」を捏造し、それに激怒した村山富市が自民党との連立を決意して海部俊樹の首班指名を衆院で否決したとき、自民党両院議員総会で挨拶に立った当事の幹事長の森喜朗は、「これでようやく自民党が政権に復帰することができたのです」と涙声で切々と党友に訴えていた。総裁は河野洋平。その森の涙声の言葉の中には、何故自民党が九三年の総選挙で敗北して下野せざるを得なかったのか、政治改革の潮流の中で悪役を演じることになってしまったのかについて、溢れるほどの自責の思いが詰め込まれていたものだった。二度と国民を舐めた真似をしてはいけない、政権与党の地位に安住して思い上がってはいけないという自重自戒の弁であった。

それからわずか二年、河野の後を襲った橋本は何のためらいもなく宗法である派閥人事を復活させ、税収が足らぬと大蔵官僚に言われた途端にあっさり消費税と医療費を引き上げさせ、挙げ句の果てにロッキ−ド灰色議員の佐藤孝行を入閣させるという非常識に及んでいた。行政改革は国民が歯噛みして見守る中、官僚と族議員の抵抗するままに頓挫させ、論議も不十分なままに強引に成立させた財政再建法は、そのわずか二ヶ月後に撤回して動じることがなかった。まさにモラルハザ−ド。幹事長は共和汚職事件で収賄が発覚して致命的な大恥をかいた加藤鉱一、政調会長は出井石油卸商から巨額の賄賂を受け取りながら国会喚問でシラを切り通した山崎拓。森喜朗の涙の訓戒などどこ吹く風の、限りなくモラルハザ−ドな金権執行部の大名行列三昧であった。

今回の選挙で有権者の断固たる意志表示が下されたことによって、これまでのような野放しの税金垂れ流しによる銀行救済策の続行はもはや許されることはないであろうし、不良債権の処理にあたっては銀行経営者の責任が本格的に追求される事態へと進んで行くこととなるであろう。宮沢喜一も中曽根康弘も竹下登も、そして彼らの有能な飼い犬であった大蔵官僚も、これまでのようにそれを簡単に阻止することはできない。公的資金投入にあたっては、最低限、管直人が言うような外部管財人による監査に基づく不良債権の情報開示が必須となることだろう。また、自民党勝利を前提にして選挙前に気球を上げた税調と大蔵省の税制改革案 − 所得税の課税最低限引下げと消費税率のアップ − も、来年度予算にそれを盛り込むことは不可能となった。いつ総選挙に縺れ込んでもおかしくないこの不安定な政治状況下においては、バブル経済破綻のツケを国民に転嫁しようとする支配者の姑息な陰謀は、すべて表から姿を隠すことになるのである。


2、投票率上昇とマスコミのキャンペ−ン − 「選挙の争点」について −

誰もが指摘するように、投票率の上昇と自民党の敗北の間には密接な関連がある。開票当夜、自民党幹部の複数が口走っていたように、今回の投票率の予想外の高さこそが、自民党の敗北を決定づけた最大の要因に他ならない。投票率が自民党が当初予測したように、四○%前後の低い数字であったならば、自民党は間違いなく六五議席以上を獲得して勝利していたことであろう。自民党の選挙戦略は低投票率を前提にしたものであり、低投票率の状況下で組織票を動員して、首尾よく比較多数を獲得することを狙いとしたものであった。浮動票は目算外の存在であった。そして個別具体的な政策の明言と公約を極力避け、野党の離合集散と無力状況を衝き、政権与党としての実績と信頼を選挙民に訴えてフリ−ハンドを調達するやり方、これこそ二年前の衆議院選挙で勝利したものと同一の戦略方式であり、最近の衆院補選まで続けてきた勝ちパタ−ンそのものに他ならなかった。

その自民党の勝利の方程式を阻んだのは、マスコミによる投票促進キャンペ−ンの奏功である。

自民党にとって具合の悪いことに、今回の選挙の最大の争点は「投票率がどうなるか」というところに措定されてしまった。新聞各社と系列テレビ放送局は、今回、投票率低下の阻止を最大の目標として、連日連夜、徹底的な「投票所に行こう」キャンペ−ンを展開することとなった。政治不信の中でここ数年来投票所から遠ざかっていた人たちにも、今回ばかりは多少とも棄権しにくい雰囲気が醸成されたに違いない。とにかく選挙戦が始まる何週間も前から、帰宅してテレビを点ければ、一日一回は馴染みのキャスタ−から「投票日には投票所に必ず行くように」と念を押されて布団に入る日々が延々続いたのである。

さて、ここからが問題として重要だが、それでは投票を呼びかけられた視聴者が投票所に行くのは一体何のために行くのであろうか? 言うまでもなく、それは現在の政治にNoを言うために行くのである。現在の政治に不信任をつきつけるために行くのである。具体的には、民主党を筆頭とする反自民党勢力に一票投じるために投票所へ足を運ぶのである。これまでマスコミが自民党に一票を入れるために投票所に足を運べと視聴者に訴えたことは一度もない。マスコミが有権者に投票所に足を運べと言うときは、自民党の悪政に怒りを燃やして野党に一票入れよと政治的に誘導するときである(八九年の参院選、九三年の衆院選)。それこそ、まさに不偏不党の欺瞞的自己規定イデオロギ−をかなぐり捨てて、マスコミが本来の「第四の権力」の正体を露にした決定的瞬間と言うべきであろう。

自民党幹部たちの低投票率ボケ・連戦連勝ボケとは対照的に、今回はマスコミ関係者の危機感は非常に深かった。勝ちに行く気合が違っていたと言える。テレビ世界で長く生きている久米宏のような者ならば、現在のテレビ界の広告収入の現状がどのようなもので、それが以前と比べてどうで、番組制作に与える影響がどのようなものか肌身に染みてよく理解できていたのに違いない。彼らにとってもこの未曾有の経済危機は他人事ではなかったのである。

前回の『なぜ投票率が下がるのか? −「非政治化」の全体主義』の中には盛り込むことができなかったが、現代において人々の政治意識に最も強い影響を与え、そして政治状況を一つの既成事実として作り上げて行くのは、政党でも政治家でも労働組合でもなく、マスコミなかんづくテレビである。テレビに出てくる政治的に不偏不党のキャスタ−たちの、客観的でリベラルで常識的な日常の言説が、日本の政治状況を規定する。産経新聞が動員する木村太郎、猪瀬直樹、竹村健一、日経新聞が動員する竹中平蔵、大前研一、渡辺昇一、朝日新聞が動員する田原総一郎、菅沼栄一郎、久米宏、読売新聞が動員する桂文珍、大嶽秀夫たちの、客観的でリベラルで常識的で分かりやすい政治的言説によって、日々の政治状況が確定的な既成事実として構成されて行くのである。

選挙の前に彼らが口を揃えて「今度の選挙には争点がない」と言い切れば、その選挙は争点のない選挙となる。その選挙は「争点のない選挙」とされ、すなわち誰が勝っても同じ意味のない選挙となり、有権者にとって誰に投票しても同じ変化のない選挙となり、無理に投票所に足を運ぶ必要のない選挙となる。ある日誰かがそれを「特に争点のない選挙」と言い出し、次の日に別の局の別のキャスタ−や評論家がそれを口真似して、そして全てのテレビ局の人間がそう言い出して、その選挙は完全に「争点のない選挙」として既成事実化されるのである。

住専問題で国会が紛糾した二年前(九六年)に行われたあの衆議院総選挙ですら、マスコミはそれを「争点のない選挙」として既成事実化することに成功した。そしていつの間にか争点は「新進党の減税政索の実効性」などというどうでもいい矮小な問題にスリ替えられていたのである。わずか数ヶ月前に米兵による沖縄少女暴行事件が発生し、沖縄県民が総決起して米軍基地廃絶を訴えた直後の総選挙が「争点のない選挙」なってしまった事実を思い出していただきたい。味をしめたマスコミと自民党は、その後もずっとこの「争点のない選挙」のストラテジ−を使い続け、昨年(九七年)の東京都議会選挙も再度「争点のない盛り上がらない選挙」に仕立て上げ、そしてその後の深刻な経済危機の進行にもかかわらず、本年三月のあの東京四区補選に至るまで、一貫してその常套手段が使われ続けてきたのである。

共産主義国でもない国で「争点のない選挙」などある筈がないではないか。「今度の選挙は争点がない」にようやく終止符が打たれたのが、今回の参議院選挙であった。

マスコミ各社は、今回の参議院選挙について「橋本政権のこれまでの経済政策を問う選挙」であると明確に位置づけて各局のニュ−スでそう報道した。暫くぶりにマスコミによって選挙の意味が積極的に定義され、ガイドラインとして有権者にメッセ−ジされ、投票が社会的に意味ある行為として位置づけられることになった。こうなれば、投票率が上がらないわけはないのであり、そしてまた、低投票率を基本的前提としてプログラムされた自民党の選挙戦略が成功する道理がないのである。

私は、今回の参議院選挙の投票率が上がったことを歓迎する立場である。一人でも多くの人間が政治に参加することが民主主義政治にとって望ましいあり方である。けれども、マスコミの執拗なキャンペ−ンによってある種人為的に作り出された高投票率の現実を見るとき、「非政治化」の全体主義の社会環境は、同時にマスコミによって自由自在に有権者の投票率が操作され、諸政党の得票数が誘導され、勝敗が決定づけられるシステムであるという恐ろしい真実を思わざるを得ない。われわれはまるで政治的な家畜としてマスコミに飼育されているのではないのか。今回の高投票率を必ずしも喜んでばかりもいられない理由はそこにある。


3、バブル民主党の政治的限界 − そして無党派層とマスコミと政治学 −

朝日新聞の菅沼栄一郎は、一三日、選挙勝利直後の民主党代表菅直人とインタビュ−してその映像をニュ−スステ−ションで放送し、「今度の民主党の勝利はバブルだという見方もある。いい加減なことをしていると今度は無党派層にぶっ飛ばされますよ」と菅直人を脅かして悦に入っていた。いかにも「俺が勝たせてやったんだぞ」と言いたげな表情であった。菅沼は大はしゃぎだったが、菅の方は緊張して視線が少し強ばっていた。将来の選挙で民主党が大敗したとき、今回の橋本龍太郎と同じ惨めな晒し者になるのは菅直人の方であり、今回の民主党のバブル勝利を誘導演出したフィクサ−の菅沼の方は、再び「だからあのとき言ったじゃないか」とテレビで痛快に豪語することができるのである。かつて舛添要一が盟友の小沢一郎からの政界への勧誘を頑なに拒み続け、タレント評論家で押し通し続けた理由がよく分かろうというものである。

菅沼栄一郎は民主党を勝たせたり負けさせたりしながら、これからもテレビで好き放題して贅沢な生活と奔放な人生を楽しむことができる。また菅直人も一度や二度は選挙で負けて惨めな思いはしても、政治家としての充実した生涯を全うすることはできるだろう。民主党バブルが崩壊したとき、その最も哀れな被害者となるのは、菅沼栄一郎でも菅直人でもなく、菅沼に煽られて民主党に一票投じた無党派層の人々である。彼らはまたしても「民主主義政治」の幻滅感と無力感に苦しまされ、政治不信の深度を増し、主権者でありながら政治に参加することのできない辛い投票棄権者へと舞い戻らざるを得ないのである。

菅直人が自分の思うような政索を断行して、行財政を改革し日本経済を再建させるためには、それを推進するための政治的基盤が必要である。菅直人は行政専門家ではなく、まして政索評論家でもない。政治家の菅直人が彼のビジョンとアイディアを政策的に実現するためには、議会内外における政治的多数勢力の結集が必須である。しかし菅直人には同志がいない。彼の思想と政治目標に心底から同調して最後まで行動を共にしようとする政治的同志を持っていない。菅直人の周囲に群れ屯しているのは、シンボルとしての菅直人を利用して担いでいるだけの些末で矮小な政治ゴロばかりである。

本来なら国会議員として威張っていられる実力も根拠もないにもかかわらず、菅直人のバブル人気のお陰で国会議員の地位を保持している労組のダラ幹や自民党を追い出されて永田町放浪者となった政界ホ−ムレスの面々ばかりである。菅直人は自分の政治目標の実現のために「数」の要素としてそれらの有象無象を利用し、有象無象は自分たちの地位保身のために菅直人の人気を利用する。両者は互いの利害の一致によって一時的に結合しているだけの関係である。それが現在の民主党の実体である。

各人の利害で共同する集団の方がポストモダン的で新しい政党のあり方だと最近の政治学は言うことだろう。後房雄や山口二郎ならばきっとそう言うに違いない。政治家や政党が政治理念を棄てるのに都合のいい政治学が蔓延ってくれたために、誰も理念を棄てるのに躊躇する人間がいなくなった。そのため日本の政治は目茶苦茶になった。日本の政治を根本から破壊して日本の政治学が安穏と税金生活を送っている。講義と著作と評論の日々を送っている。それなら自民党の派閥も族議員も利害結合の政治集団なのだから、ポストモダン的で結構な話ではないか。亀井静香でなくてもきっとそう言い出すことだろう。

このバブル民主党に次の瞬間何が起こるのか。菅直人が政治目標実現のために多数の結集を求めて動き始めたとき、一体何が起こるのか。われわれはこの一○年間に目撃した政治的体験をベ−スにして、明快なシミュレ−ションを描くことができるだろう。土井たか子、細川護煕、武村正義、小沢一郎、これら四人の政治家よりも管直人が優秀であることは誰にでも分かる。しかし菅直人が単なる「数合わせ」ではない理想的な政治集団の組織に短期間で成功することができるとは私には到底思えない。確たる政治的基盤(利害ではなくて理想を共有する集団)を持てなければ、政治家は結局のところ数の論理に引き摺られ、意味のない妥協を強いられ、何の成果も出せないまま時間だけ浪費することになるのである。結果的に浮動票に踊り躍らされた人気政治家として歴史に名を残し、そして「有権者の期待を裏切った」政治家の烙印を押されることになるのである。

菅直人の表情が強ばっていたのは、そのことをよく承知していたからに違いない。彼は全てを承知した上で政治家として一歩前へ踏み出さなければならず、公約した政治目標を実現するために直ちに勢力結集へと動き出さねばならない。民主党に投票して勝利気分を味わっている無党派層たちは、いずれ気分を一転して民主党に幻滅するようになるだろう。土井社会党に失望し、細川日本新党に幻滅し、小沢新進党に愛想をつかしたように、四たび菅民主党に「裏切られた」と怒る日を迎えることに違いない。そしてマスコミは、投票率上昇と民主党支持を煽った自分の所業を見事に忘却して、菅民主党を裏切り者として叩き、捲土重来した凱旋将軍の自民党を前に深々と首を垂れることだろう。

理念のない政治屋たちは、簡単に菅直人の足を引っ張ることができる。自分が議員バッジを付けて「先生」と呼ばれるために、そのために彼らは体を張って永田町の鉄火場で生きているのである。高額の歳費を懐に入れ、膨大な政党助成金の分け前をぶん取り、秘書に嗅ぎつけさせて見つけた利権に身を絡ませて斡旋料を現金で受け取り、赤坂の料亭や六本木の中華料理屋で死ぬほど美味いものを食い、委員会関連で絡んだ業界団体の接待ゴルフを楽しみ、老いぼれて棺桶に入る前に勲章を貰って見せびらかすために、彼らは懸命に職業としての政治をやっているのである。

菅直人よりももっと楽に自分を当選させてくれる政治ボス或いは政治シンボルが見つかれば、政治ゴロたちは喜んでそっちに尻尾を振って行くことだろう。オリ−ブの木だろうが、桜の木だろうが、アカシアの木だろうが、そんなことは何も関係ない。欲しいのはただカネと権力と名誉である。菅直人のような浮動票を掻き集められる選挙カリスマの傘の下に入っている方が、選挙区に自前の組織を飼う必要もなく、公共工事を取ってきて土建屋にばらまいてやる手間も省け、後援会子弟の就職や受験の面倒を見る必要もなく、政治屋たちにとってこれほど都合のいい生息環境はないのである。


4、政党への審判という問題 − 再び選挙の争点について −

今回、橋本自民党の経済失政の泥沼に耐えかねたマスコミ(新聞とテレビ)は、無党派層を選挙に動員して民主党に投票させ、自民党を敗北に導くことに成功した。新聞やテレビが報道するところでは、今回の選挙結果は「橋本自民党政権の経済政策に対する国民の審判が下された」ものとして総括されている。この規定は一つの歴史認識となり、現代史の教科書にもそう記述されることになるだろう。

確かにその規定は正確であると言えるし、そのことに特に異を唱えるつもりはない。けれどもそれは、今回の参議院選挙が、あらかじめ「橋本政権の経済政策の成否を問う選挙」としてマスコミによって定義され、それがニュ−スで何度も報道され、投票前の有権者たちの脳裏にそう意識されたからそうなるのであって、したがってマスコミがもう少し別の規定を与えていたならば、選挙結果の総括も少しは違った内容のものになっていたに違いないのである。

私が不満に思うのは、最近の国政選挙において「政党への審判」の観点が完全に落されてしまっていることである。選挙で問われるのは、その時の政権与党の政策運営だけではない。野党も含めて全ての政党と政治家の、前回選挙以来の活動と実績が問われなければならない筈である。選挙は政党と政治家に対する有権者による評価と審判の機会である。そうであるならば、過去の映像と文書の情報を大量に一手に蓄積保管しているマスコミは、それを材料として積極的に視聴者の前に提供し、国民による政党評価・政党審判を支援するべきなのではあるまいか。それこそ、有権者に政治に対する関心を高め、投票率を向上させる最上の手段なのではないだろうか。

選挙の前に有権者に見せられるのは、常に各政党の現時点での姿勢であり公約である。将来どうしますという簡単な(したがって抽象的な)方向性をあらわすだけの言葉である。しかもその場合、各党の立場の相違を一列に比較しようとするために、きわめて単純化された数字やスロ−ガンの羅列として形式的に並べられるケ−スが殆どである。つまるところ単純な判断を単純にさせるための三分間マニュアルである。そしてその単純化が、逆に分かり難さとなり、判断の難しさとなっている。

そうした三分間マニュアル的な政党比較判断法も存在意味が全く無いとは思わないが、そういう三分間マニュアルや各党の政見放送とは別の、政党ドキュメンタリ−の特集が用意される必要があるのではないだろうか。其々の政党が、その時々の国会において重要な政治課題にどのような方針でどう対応したのか、大会や役員会や集会で幹部たちがどのような発言をしてきたのか、新聞やテレビのインタビュ−にどう答えてきたのか、院内の各委員会でどのような活動をしてきたのか、本会議における欠席や遅刻や居眠りは無かったかどうか。そうした情報を一手に大量に持っているのがマスコミであり、私はその情報を選挙の前に有権者である視聴者国民に積極的に提供して欲しいと願うのである。

有権者が政党に騙されたと感じて政治不信に陥る問題が発生するのは、政党が選挙の後で選挙前の公約や政策や − 最近では全く珍しくなくなったが − 基本理念を無節操に変えて省みることがないからである。その責任は当然政党の側にあるのだけれども、そうしたヒストリカルで加重的でビジュアルな政党デ−タが有権者に十分に与えられていないために、中期的な問題視角から政党をト−タルに評価・判断できないという問題もあるように思われてならない。三分間マニュアル的な政党評価方式では、各政党のそのときの瞬間的な姿勢しか判断材料にならないではないか。言わば微分的な政党判断材料である。積分的な政党判断材料が与えられるべきであり、そうした情報を製作提供するジャ−ナリズムが登場するべきである。

仮にそうした積分的な政党情報の提供が十分になされていたとするならば、たとえば今回の参議院選挙なども、実際とはずいぶん違った結果が導かれたに違いない。

民主党の菅直人代表は、テレビに出演する度に「私どもの民主党はこの四月に作ったばかりの新しい政党で」と、常に前歴の無さと新鮮さを強調していたのだが、そこには有権者に知られたくない一つの嘘が隠されている。今回、自民党との対決姿勢を前面に押し出して、まるで昔の社会党のように有権者の前で黒白二者択一を迫った民主党だが、ほんの一年前の熱海の夏の議員合宿研修会までは、自民党と対決する野党路線は明確に方針化されていなかった。われわれ人間は何事も忘れやすい生きものである。

早くから自民党と対立する野党路線を主張していたのは鳩山兄の由起夫であり、それは総選挙を前に兄弟が民主党を結成した二年前の夏にまで溯る − あのソフトクリ−ムが溶ける夏、そして丸山真男が静かに息を引き取った夏である。一方の菅直人は鳩山兄とは反対に、自民党との政策連携を視野に入れた現実路線を提唱して党内で鳩山と対立していた(世間知らずで兄を悩ませる役回りが専らの弟の邦夫は、新保守主義路線を唱えて小沢の新進党と組みたがっていたのだが)。

自分たちが主張する各政策を実現するためには、多数勢力である自民党とケ−スバイケ−スで組まざるを得ない。それが菅直人の一貫した立場と主張であり、ニュ−スステ−ションで小宮悦子から「菅さんてリアリストなんですよね」と秋波を送られた由縁でもあった。「自民党と組む」と菅が言い出せば、ミニスカ−ト姿の小宮悦子が「素敵なリアリストね」と膝をにじり寄って来てくれたのである。わずか二年前の話である。

秋の総選挙に突入しても民主党の路線は定まらず、野党でも与党でもない中途半端な「ゆ党」のまま(ポストモダン主義的に)選挙戦を戦い、勝利でも敗北でもない中途半端な結果で終わることになる。初めに述べたとおり、菅直人が自民党との対決路線を固めて党の方針としたのは、消費税5%導入によって決定的な経済不況となり、都議選で共産党が躍進した昨年の夏以来のことであった。吹く風の様子を見て、リアリスト菅直人は態度を一転したのである(ちなみに一年前のこの都議選で民主党は手痛い敗北を喫している)。そして今、まるで九年前の土井たか子の再来を見るような反自民のリ−ダ−菅直人に、小宮悦子は今度は何と言ってにじり寄って行くのであろうか。「風見鶏の菅さんもとても素敵だワ」だろうか。

消費税率の5%へのアップと医療費負担増の政策方針が大蔵省と自民党から打ち出されたのは衆院総選挙後の九六年末のことであり、連立を組む社民党とさきがけとの政策協議を経て正式に国会に提出され、審議可決されて九七年度から実施された。それに対して明確に反対の姿勢を貫いていたのは、現在残っている政党の中では共産党一党のみである。当時「ゆ党」の民主党は、財政再建を理由として、むしろ積極的に政府の増税策に賛成の姿勢を見せていた。採決においても賛成票を投じていた筈である。

現在では「橋本政権の経済失政」の中でも最大の失敗としてマスコミと世論から槍玉に上がっている消費税5%と医療費負担問題であるが、それを精力的に推し進めたのは、橋本自民党だけではなく、与党の土井社民党であり、ゆ党の菅民主党でもあったのである。われわれはこの事実を決して見落としてはならないだろう。今回の参院選挙で民主党が消費税3%引き戻しを最後まで言おうとせず、逆に何故か自由党がそれを言っていたのは、そうした当時の国会での経緯があったからである。

もしもそのとき、菅直人がその二つに反対の姿勢を表明して、新進党と共産党と野党共闘を組んで闘っていたならば、消費税5%アップも医療費負担増も(社民党を巻き込む形で)おそらく阻止することができていたに違いない。そうすれば昨年夏からの極端な個人消費の落ち込みは回避され、これほどまでに不況が深刻化することはなかったのである。現在の経済危機の責任は橋本自民党だけでなく、明らかに菅民主党の側にもある。

今回は、共産党も政府自民党批判一点に絞って選挙戦を展開したために、つまりなるべく野党として一致協力して自民党を負けさせる戦略に出たため、いつもの厳しい他野党批判の舌鋒は謹むところとなっていた。いわゆる「ソフト化路線」の一環である。共産党が言わないから、選挙期間中、誰も菅民主党のその「犯歴」を問う者がいなかったが、この事実は菅直人の経済理論が基本的に自民党と同一の考え方(=低所得者への増税と高所得者への減税による「財政再建」と「経済改革」の路線)の上にあることを示唆するものであり、またリアリスト管直人に経済環境を予測分析する能力が欠如していたことを物語るものである。

菅直人が日本の指導者になったならば、本当に彼自身による画期的な経済政策が実行に移され、それが成功して、日本経済が景気回復に向かうのであろうか。私が菅直人を信用できない理由の一つはそこにもある。


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