毎日新聞 96年8月20日 朝刊5面


社説

「知の奉仕」を貫いた生涯


やや古いが、「巨星墜つ」という表現がある。

15日、死去した丸山真男さんはまさに巨星と呼ぶべきスケ−ルの大きい学者であり、真の知識人であった。その学問上の業績は日本のみならず、海外でも高く評価された。おそらく日本が生んだ数少ない「世界に通用した学者」として長く記憶されるだろう。

本人はシャイといってもいいほどつつましい人柄であったから、その死が新聞に取り上げられ、あれこれ論じられることは、不本意なのかもしれない。「通夜も葬儀も行わないように」と言い残して旅立ったことに、故人の思いがうかがえる。
それを百も承知で、あえて丸山さんを本欄で取り上げるのは、そのたぐいまれな研究業績と学者・知識人としての生き方が、私たちに多くのことを問いかけているように思えるからである。

まず、丸山さんは、本格派の「二本足の学者」であった。東西両洋にまたがる本物の教養を備えた「複眼の人」であったと言い換えてもよい。

専門の日本政治思想史の研究者として仏教、儒教、神道をはじめ中国や日本の古今の思想、文献に通じていたのは当然としても、他の追随を許さなかったのは古典哲学から近代啓蒙思想、ヘ−ゲル哲学、マルクス主義などヨ−ロッパの精神的遺産についての深い造詣であった。それらを自家薬籠中のものとし、日本や現代世界の分析に自在に活用した。

時空を超えて古今東西を自由に行き交う発想、鋭い分析と明せきな論理、深い洞察など丸山さんの著作が持つ独特の魅力の秘密は、この強じんな「知の二本足」にあるのではないか。学者がともすれば狭い専門領域に閉じこもりがちな昨今、丸山さんのような幅と奥行きのある知性の意味が問い直されてもよい。

学問の手法と業績の面ですでに国際人であった丸山さんは、人的交流の面でも真の国際人であった。

彼と接して本格的な日本研究を志した人、あるいは研究者として質的な飛躍を遂げた外国人は数多い。英国のロナルド・ドーア教授、米国のマリウス・ジャンセン教授は海外の丸山人脈のほんの一例である。

東大を辞めた後、オックスフォード大、プリンストン大など外国から客員としての招待が絶えなかった。その理由は学者としての業績に加え、ユ−モア精神あふれる飾らない人柄が人々を魅了したからだと思う。

オペラ、映画、演劇、文学など幅広い趣味と、おう盛な好奇心の持ち主で、話題の豊富さは抜群、交友も各界に及んだ。第一次安保闘争以後は、マスコミに出ることはなかったが、教え子との会合など私的な席では時間を忘れて議論することもしばしばだった。

世界的な学者でありながら、権威ぶるところは少しもなかった。ある意味では日本人の最良の伝統を残した、謙虚で慎み深い人であった。学者としての本業そっちのけ、テレビで顔を売ることにばかり腐心している「芸能文化人」とは大違いである。

丸山さんが学生に説いた言葉の一つは、「自分を超えたものに奉仕するのが知識人の義務」であった。

昨今の日本では知性という言葉は薄っぺらになる一方だ。激動の時代に強じんな学問的情熱と志操を貫き通した丸山さんの生涯は、知とは何かを改めて問いかけている。