丸山真男における「国民主義」の問題について

− 『丸山真男と市民社会』を読んで (1) −


1、石田雄の問題提起

石田雄・姜尚中による『丸山真男と市民社会』を、われわれ読者はどのように読むべきなのであろうか。この本は純然たる著作ではなく討論の内容が纏められたものである。そして二人の対談でもない。この議論の中で姜尚中はゲストであり、ホストは石田雄である。この討論を初めから企画・構成し、主導しているのは石田雄である。形は討論形式であるけれども、内容的にはほとんど石田雄箸の『丸山真男と市民社会』となっている。そこに姜尚中を加えたのは、石田雄自身の問題提起をヨリ完結させるための目的的な配慮からであると言ってよい。

この議論の中で、石田雄はきわめて重大な問題提起を二つしている。その一つは、丸山真男の思想の中には衆目が言うような「市民社会」の表現・言及はない、そうした概念・理論はない、丸山真男を「市民社会派」として規定するのは誤りである、それは丸山真男を「近代主義」として批判する人々によって作られたイメ−ジでありシンボルであるという指摘である。この指摘、問題提起の意味は非常に大きい。

もう一つは、その市民社会の問題とも関連するが、『歴史意識の「古層」』において丸山真男が論じている日本認識、原日本像把握の前提(等質的・均質的な日本人の国民性、日本人国家『くに』の歴史始原的成立)は、近代的な国民主義の考え方を歴史を溯って投影する方法態度であり、それは丸山真男の「勇み足」であったという議論である。われわれ読者は、石田雄が丸山真男の「勇み足」を言うのを初めて聞く。

この第二の問題提起を聞いたとき、われわれは、何故そこに石田雄が姜尚中を招いたのかをよく理解することができるように思われる。それはすなわち姜尚中らによって執拗に批判されてきたところの「国民主義者丸山真男」の思想像に対して一石を投じようとする試みであると言えるだろう。日本国民内部の異質性や周辺アジア諸国に対する日本の侵略の事実に配慮しようとしない「"近代主義者"丸山真男の国民主義的限界性」という議論は、八○年代以降、年若い研究者たちの間での”丸山真男批判”の定番セオリ−となってきたものである。その近代主義批判としての国民主義批判は、丸山真男のみならず明治の福沢諭吉を射程に据えたものであった。

姜尚中を筆頭とするそうしたオリエンタリズム批判の視角からの「国民主義者・丸山真男」批判の議論に対して、丸山真男自身が何らか反論をもって応えることはなかったが、丸山真男の死去のあと、石田雄が遂にそれに対する動きを見せたのである。しかしながら、それは同時に『歴史意識の「古層」』において典型的に表現されているところの丸山真男の「日本的原像」の認識方法を「勇み足」すなわち mistake とする、読者にとっては意外な反応と対応であった。

まず、端的に、もっとも問題があると思われる箇所を引いておきたいと思います。「古層」論文(『歴史意識の「古層」』一九七二年)のなかの一節です。
「われわれの『くに』が領域・民族・言語・水稲生産様式およびそれと結びついた集落と祭儀の形態などの点で、世界の『文明国』のなかで比較すればまったく例外的といえるほどの等質性を、遅くも後期古墳時代から千数百年にわたって引き続き保持して来た、というあの重たい歴史的現実が横たわっている」
(中略)それにしてもこの一節は、近代日本における、つくられた伝統としての等質性の神話というものを後期古墳時代まで溯らせたという点で、明らかに丸山にとって勇み足であったと私は思います。

(「丸山真男と市民社会」29ページ)

(中略)この「古層」に代表される接近方法については、丸山自身ある種の不安を感じていたのではないかと思います。それはこの接近の中核をなす概念の不安定性にも示されています。(中略)「古層」で明らかにされたその特徴的な思考様式は、いわば宿命的なものになってしまいかねない。(中略)そういう相対化を伴わない場合には、ある種の文化的決定論として宿命論に落ち込む危険性をもっていると思います。

(同 32ページ)


石田雄のこの議論は、ある部分、これまでの姜尚中らの丸山真男批判を認める議論であると言える。それを部分的に認めつつ、その「誤謬」を一九七○年代の「日本的原像論」の周辺に止め、丸山真男の思想全体からすれば決定的な問題点ではないという論述がなされているのである。姜尚中自身も、この石田雄の「勇み足」の問題提起が意外なものであった様子だが、後の彼の報告の部分では、丸山真男の一九四九年の論文『近代日本思想史における国家理性』を取り上げ、丸山真男の国民主義的思考が単に『歴史意識の「古層」』の古代史認識周辺に限定されるものではなく、もっと本来的で本質的なものではないかという点を反論している。これは当然の反論であろう。

われわれ読者は、この石田雄の「勇み足」論の問題提起をどのように受けとめるべきなのであろうか。


2、丸山真男の国民主義と丸山真男の地球社会主義

これはナショナリズムの問題である。Political Theory と Nationalism の問題である

最初に私自身の感想を言えば、この石田雄の「勇み足」論は、あまり積極的な意味を認められるものではない。そこまで丸山真男の「日本的原像把握」を否定的に見る必要はないのではないかというのが率直な印象である。そこまでオリエンタリズム論的視角からの「国民主義者丸山真男批判」の議論に膝を屈する必要はないのではないかというのが、読者である私の感じ方であった。私は、オリエンタリズム論からの福沢諭吉批判や丸山真男批判には − それについてほとんど無知であることが理由の第一ではあるのだけれど − 何の説得力も感じないのである。

戦中戦後の丸山真男や明治の福沢諭吉に「地球市民」の思想を要求するのは、江戸期の荻生□□や本居宣長に「市民革命」の思想を期待するのと全く同様の「無理」ではないのか。それは、幸徳秋水に「前衛党による二段階革命」を求めるのと同じ飛躍と言えるのではないのか。それこそまさにハル−トゥニアンの言う「歴史からの離脱」そのものではないのか。われわれは、リンゴが木から落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見した物理学者ニュ−トンに対して、どうしてお前は「相対性理論」の発見まで導けなかったのかなどとクレ−ムをつけたりすることがあるだろうか。それはどう考えても「無いものねだり」の「無理なお願い」と言うべきである。

社会科学としての政治学には、自然科学と同じようにその時々の与えられた歴史的課題というものがある。その課題を正確に分析把握し、そしてそのとき最大限可能な展望を指し示すのが社会科学者の役割であると言えるだろう。所与的で限界的なそれぞれの歴史的環境の中で、どこまで普遍的な理念を現実化へと導くことができるか、それこそが予言者としての思想家の課題である。何時の時代でも人は理念と現実の緊張関係の中に立たなければならない。

そのナショナリズム(たとえば『近代日本思想史における国家理性』に見られる)は、丸山真男における限界性と言うよりもむしろ歴史性と言うべきであり、歴史性として積極的に評価できるものである。特に、日本の政治的独立がきわめて不安定で不透明な環境にあった戦後一九五○年代の時代までの理論については、明確にそう断言することができるだろう。その頃の丸山真男が「地球市民論」を吐いていたとすれば、われわれは政治学者としての丸山真男のセンスを大いに疑わなければならないはずである。

また、最晩年の座談会では、丸山真男自身による次のような発言を見ることができる。



石川 国連についてはどうでしょう。
丸山 主権国家は武力の正統性を独占しています。だから国連の組織が主権国家を唯一の単位としているかぎり、その動きは大国の利害で左右され、本当の世界組織として紛争を解決するのに役立たない。大体、国民国家が主権をもって世界秩序の単位になったのは、歴史は長そうに見えるけれど、第一次大戦以後のことですよ。それまで秩序を維持してきた主要な大帝国が相ついで崩壊してからです。主権概念がヨ−ロッパに形成されてからも、せいぜい三百年余りだ。人間の思考というものは惰性が強くて、現実の変化より遅れるのが常ですね。(中略)
石川今のままでは、国連の未来は暗いですね。
丸山根本改組をするしかないですね。一方ではプル−ラルな社会団体の、国家からの自主性を強化し、他方で国家を媒体にしないで直接に国際的に結合して地球社会の構成員になるようなシステムを考えるほかない。まあ、二十一世紀にもちこす課題でしょうが、憲法九条をもつ日本は、こういう方向で、つまり国家主権を思い切って制限する方向での改革を主張できる立場にある。(中略)

(岩波書店「図書」1995.7 4ページ)

ここで丸山真男は近代的な主権国家の限界を言い、そして地球社会の国連構想を述べている。姜尚中は丸山真男自身のこの発言をどのように受け止めるのであろうか。こうした発言は、近代主義者であり国民主義者である丸山真男の「転向」であるのだろうか。そうではないだろう。それは転向でも変節でもない。それは単に、丸山真男によって現在の「常識」が述べられているに過ぎない。姜尚中が長年主張し、今回石田雄が一部認める、この丸山真男の「近代的な国民国家観の歴史始原の時代への主観的投影」への批判は、逆に、カン尚中と石田雄自身の、現在つくられ与えられている古代史観・古代史認識の「常識」を歴史を溯って二十五年前の丸山真男に適用し投影する非歴史的な方法態度であるとは言えないのか。


3、「日本的原像」把握の課題と方法

石田雄が言うとおり、丸山真男の日本的原像理解は、近代的な国民国家観の歴史始原の時代への投影であると言えるのかも知れない。しかし、当時一九七二年までの古代史学においては無論のこと、それ以降、現在までの日本の歴史学や考古学の科学的史料的成果を厳密に追跡したとしても、この丸山真男の日本的原像論を根底から否定するまでの決定的な根拠を準備し得ているとは必ずしも言えないのではないだろうか。たとえば最近までの研究成果のスタンダ−ドな報告であるはずの岩波書店『岩波講座 日本通史 第2巻 古代1』(一九九三年)などを吟味精読しても、その記述は依然として「古代国民国家」的な歴史観を基調としたものである。

鬼頭清明 : 六世紀までの日本列島 − 倭国の成立 −
坂元義種 : 東アジアの国際関係
吉村武彦 : 倭国と大和王権

それには理由がある。

その(古代国民国家的な)歴史認識・古代史認識が、大日本帝国が崩壊し、皇国史観が滅び去った後に確立された戦後日本の一般的・標準的な古代史観であるということである。私なりの言葉で表現するなら、それはすなわち「日本国憲法が許すところの『日本書紀』の読み方」に他ならない。皇国史観を拒否する日本国憲法という条件と『日本書紀』の記述という条件の二つが現在のスタンダ−ドな「日本人の歴史的原像」をキ−プさせている。結論から言うなら、日本書紀あるいは古事記の史料研究を基礎として日本古代の実像を浮かび上がらせようとする限り、誰の手による仮説においても、必ずこうした「古代国民国家」的な歴史認識として結果せざるを得ないだろう。その法(のり)を克えることができるのは、歴史学者ではなく、歴史認識から科学的方法を排除して心を痛めることのない哲学者のみである。

周知のとおり、日本史学の世界には、社会科学とは一味違った独特の伝統的な学問様式が存在する。それは「東京学派」と「京都学派」という二つのグル−プによる対立的協業の構図である。単に国立大学や歴史博物館の研究職員だけでなく、広く在野の歴史小説家までインボルヴしてこの対立的構図は能動的に機能しているのである。一般的な印象を言えば、東京学派がオ−ソドックスな科学と考証の基準を守ってスタンダ−ドな日本歴史像を慎重に提供、継承し、一方、京都学派が自由奔放にその枠を破って新説・珍説・奇説の類を乱発するという構図である。マスコミや出版社や歴史マニアが飛びつくのは京都学派の自由な想像力だが、一旦、歴史教科書記述というような深刻な問題になると、歴史学は科学と常識のスタンスに厳粛に立ち戻らなければならない。

丸山真男の「日本的原像」論を近代主義的な自己認識の主観的投影だと口先で批判することは容易である。しかしそれでは、姜尚中ならば一体どのような「古代日本の原像」を日本国民に提供してくれるのか。日本国憲法があり、日本書紀という(ある意味で絶対的な)史料の記述を前にして、果たして姜尚中はどのような古代史認識をもって「日本的原像」を日本人に説明しようとするのであろうか。あるいは石田雄は一体どのような「日本的原像」をわれわれに用意するのであろうか。

もしも、それを誤謬であり虚像であるとして、何らか別の古代日本の原像を描き上げようとするならば、そのアプロ−チは、たとえば(京都学派的方法の代表者である)梅原猛の「アイヌ=縄文論」のようなポストモダン主義的な新グランドセオリ−の構築となることだろう。梅原猛のブレイクスル−は方法としてきわめて画期的であったと私は思う。私はそのブレイクスル−に拍手を送りたい。しかしながら、これはこれで、「古代国民国家」的歴史像とは全く別の形の、自然主義的・ロマン主義的な日本主義、すなわち新たな装いの「超近代的ナショナリズム」の歴史認識(=「普通の国」をイデオロギ−的に弁証する)であったことは間違いない。

要するに、そこで問われているのは「日本人とは何か」なのであって、答える側もまた「これが日本人の原点だ」という原像論の解答を用意しなければならないのである。日本人自身が日本人自身に対して「これが日本人の原像だ」という解答を用意するとき、その歴史像が何らか「国民的な」契機を与えられずに済むということはあり得ない。日本の右翼的論者たちから屡々槍玉にあげられる韓国知識人たちによる「日本人の原像」論の傾向を見るならば、その意味と真相がよく分かろうというものである。われわれ日本人にとって仰天するような珍説が彼らにとっては常識的な歴史的事実なのである(それが間違いだと言っているのではない)。

従って私は、丸山真男による『歴史意識の「古層」』の日本的原像把握を「勇み足」とは考えない。もし石田雄の言に従って、丸山真男のその日本的原像把握を否定しようとするのであれば、その理論的核心部である「つぎつぎになりゆくいきほひ」の基底範疇の方も無事で済まされるということはないだろう。日本人の民主主義にとって、現在も、将来もきわめて重要な自己認識(の財産)である、丸山真男の『歴史意識の「古層」』の理論を危うくしかねない石田雄の議論に、私は正直なところ戸惑いを覚えざるを得ないのである。


なお、この「日本的原像」の問題について考える上で、最近の作品ではサントリ−学芸賞を受賞した小熊英二の労作『単一民族神話の起源』(新曜社)が参考になる。読書して非常に面白い。また年代的には古い時代の作品であるが、特に丸山真男の「古層」に対するすぐれた問題意識として守本順一郎の『日本思想史の課題と方法』(新日本出版社)を挙げておきたい。小熊はこの「日本人の自画像の系譜」の議論において、天皇制の血縁的支配のイデオロギ−について正面から論じている。小熊が守本を読んだことがあるのかどうかは分からないが、守本以来、この「天皇制の血縁的支配のイデオロギ−」に触れる議論を、私は久しぶりで目にすることができた。

小熊の『単一民族神話の起源』における梅原猛への批判的な眼差しも正鵠を射たものと言えるであろう。その「日本人の自画像の系譜」の考察の視角や方法に対して全面的な評価を与えるものではないが、一九六二年生まれという若さと少し変わった経歴に、読者として自然に関心を注がれ、次回作が期待される存在である。思想史という学問にイデオロギ−分析の視角を持ち込むことのできる、今日数少ない研究者の一人として。


4、アジアにおける「国民国家」の歴史的運命

近代国民国家とナショナリズムの議論を始めるとキリがないが、近代的な国民国家の理論というものは、もはや世界史に完全にその歴史的使命を終えたものと言い切ることができるのであろうか。われわれ日本人にとっては、地球市民なり地球社会なりの理念を如何にこの地上に実現するかということが二十一世紀の課題であると言えるであろう。しかし、たとえばお隣の韓国では、今まさにようやく、その長い長い民族の歴史上初めての近代的国民国家を登場(誕生)させようとしているのである。韓国民が近代的統一的な国民国家を持つのはこれが初めての経験である。

隣の隣のモンゴルはどうか。モンゴル人がいわゆる近代的国民国家を実現させようとすれば、当然ながら、中国・内蒙古自治区を併合して国家統一を実現しなければならないだろう。隣の隣の隣のウィグル人、隣の隣の隣の隣のチベット人、彼らが近代的な国民国家を持とうとすれば、中華人民共和国からの独立を達成する以外にない。そしてそこには(異質な)大量の中国人(漢人)が住んでいる。どうやら中国大陸の周辺では、二十一世紀においても近代的で統一的ないわゆる国民国家(Nation State)形成の問題が過去のものとなっているわけではないようである。

それは中国大陸内部だけの話だろうか。北の大陸部における中華コミュニズム帝国とよく似たゲオポリティッシュの構図が南の海洋部にも存在する。二億の人口と二万の島嶼を抱える世界最大の海洋帝国、インドネシアイスラム帝国である。ニュ−ギニア島西半部イリアンジャヤにおける分離独立運動は以前から知られたところだが、現在のわれわれには何も可視的に映らないエスニシティ(言語・血統・風俗・習慣)の差異性の問題は、スラウェシ島民とジャワ島民、ボルネオ島カリマンタン住民とジャワ島住民の間には全く存在しないと言えるのだろうか。それらの地域に近代的資本主義的な工業生産力が広範に及んで行ったとき、果たして彼らはインドネシアイスラム共和国民として一つの存在のまま結束していられるのだろうか。

現在のわれわれの歴史教科書において、マジャパヒト王国とかシュリヴィジャヤ王国といった僅かな固有名詞のみで途切れているその東南アジアの歴史は、おそらく、経済発展と共に最新の歴史科学と考古学の生産力によって現在の数倍・数十倍の information を与えられ、世界史教科書のペ−ジ数の正当なシェアを要求するようになるに違いない。二十一世紀も半ばになれば、スラウェシ島民がスラウェシ人としての近代的な自己認識を持つ日がやって来ることだろう。国民国家の形態を纏った帝国の中に新しい国民国家が生まれてゆく。二十一世紀における国民国家の弁証法。

二十一世紀半ばのアジアをもはやわれわれは見ることができないが、それが一気に地球社会の地球市民の世界となっているのか、それとも新しいネ−ションステ−トが数多く生まれて現在のヨ−ロッパのような姿になっているのか、そのどちらかが将来像として正解であるとするならば、私は後者ではないかという予感を持つ。中華大陸帝国の解体、インドネシア海洋帝国の解体、さらにロシアシベリア帝国すらも遂に解体して、それぞれの地域にASEANのようなEU型の国民国家連合体が形成される将来図の予感である。

中国内陸部やインドネシアの話など遠くの話でリアリティを感じない、という人もいるかもしれない。了解。それではわれわれにとって最も身近な話をしようではないか。沖縄はどうか。沖縄の二十一世紀は近代的な国民国家の概念や理論と果たして無縁でいられるのか。沖縄から米軍基地を撤去するためには、沖縄県民が沖縄国民になる以外に道はあるのだろうか。日本国からの政治的独立の達成以外に、日米安保条約のくびきから自己を解放する手段はあるのだろうか。沖縄の人々が望む沖縄の非武装中立は、沖縄人が沖縄の主権者として自己を確立することによってのみ初めて実現されるはずである。そのとき沖縄の人々が国際社会に宣言し、国際社会が承認するであろう政治的独立のあり方は「近代的国民国家」Nation State の形態以外にどのような姿があるのであろうか。

ジョンレノンの言に従え。イマジネ−ションせよ。

ナショナルはもう古い、エスニシティとジェンダ−の眼で見なければ新しくない、ウォ−ラステインがこう言っているから社会科学も脱構築だと、社会科学における「つぎつぎとなりゆくいきほひ」に乗って丸山真男の「近代主義」を批判するのは結構である。けれども、優秀な政治学者である姜尚中が本当に今やらなければならないことは、新しく生まれようとする半島の国民国家が二十一世紀の荒波に耐えて逞しく生き抜いて行けるように、再び、従属や分断や内戦の悲劇を見ぬように、その国民と国家に良質で健全な Political Theory を提供することなのではないのだろうか。韓国国民はそれを待っている。韓国国民にはそれが必要である。韓国国家と韓国国民のための「丸山政治学」や「大塚史学」が今求められているはずである。

われわれは「ボ−ダ−レス・エコノミ−」とか「グロ−バル・スタンダ−ド」などという「下部構造」の言葉の流行に簡単に乗って、即自的・無自覚的に「地球社会」や「地球市民」の表象にズルッと滑り込んでしまいがちである。しかし、その前にもう一度丹念に世界地図を眺め直し、一つ一つの国々や地域の歴史と現実をリアルにイマジネ−ションしてみるべきではないのだろうか。「つぎつぎになりゆくいきほひ」の社会科学が簡単に脱構築処理してしまうほど、国民国家という言葉の持つ意味は軽くはないのである。市民社会と同じように。


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